« 「2人に1人が難関大」になる前に大学が減る | トップページ | 円の「独歩高」は説明が先か、負けが先か »

2026.09.08

「新聞記事には著作権があります」そうなの?

新聞をめくっていると、「新聞記事には、著作権があります」という広告が目に入った。けっこう大きく掲載されている。新聞社が自社の記事を無断転載されたくないと考えるのだろう。記事本文を丸ごとコピーして社内に配布したり、紙面の画像をSNSに載せたりすれば、著作権の問題が生じることもあるのだから、当然のように思える。いわく、職場での記事共有には別途契約が必要であり、SNSやチャットでの共有にも注意してほしいし、生成AIへの記事利用も断っている、という内容である。

新聞社が自社の記事の無断利用に警戒すること自体は不思議ではない。ただ、「新聞記事には著作権があります」という言い方を法律の説明として受け取ると、少し話が違う。著作権法は、「新聞記事」というものに一律に著作権を与えているわけではない。

著作権法が保護する「著作物」とは、「思想又は感情を創作的に表現したもの」である。ここが出発点である。新聞社が書いたかどうかでも、記者が取材して書いたかどうかでも、有料で販売されているかどうかでもない。その文章に「創作的な表現」があるかどうかが問題なのである。これは新聞報道について、とりわけ重要な意味を持つ。著作権法10条2項は、わざわざ「事実の伝達にすぎない雑報及び時事の報道」は著作物に該当しないと定めている。ニュースの中には、そもそも著作権で保護されないものがあることを、法律自身が予定しているのである。

たとえば、「A社は9日、社長を交代すると発表した。新社長には専務のB氏が就任し、10月1日付で就任する」という短い記事を考えてみる。社長交代、B氏の氏名、就任日は事実である。それを伝えるための表現も、事実を正確に伝えようとすれば、おのずと似たものになりやすい。このような記事について、新聞に掲載されたというだけで文章の一字一句に当然に著作権が生じる、と考えることはできない。

もちろん、著作物性が認められる新聞記事もあるだろう。長期取材をもとに何を取り上げ、何を省き、どの順序で事実を配置するか。人物をどう描写し、出来事の背景をどう分析するか。そうした具体的な表現に書き手の個性が現れていれば、「思想又は感情を創作的に表現したもの」に近くなり得る。だが、大切なのは、その逆も成り立つことである。記者が時間と費用をかけて取材したからといって、それだけで著作権が生まれるわけではない。スクープであっても、発見された事実そのものが著作権で保護されるわけではない。著作権が保護するのは取材への投資ではなく、要件を満たした「表現」だからである。

こう考えると、「新聞記事をSlackにコピーしたら著作権侵害になる」と最初から決めつけるのは無茶苦茶である。順序が逆である。まず、コピーしようとする記事が著作物なのかを考える。事実の伝達にすぎず、創作的表現がないのであれば、著作権侵害を論じる前提そのものがない。著作物に当たると判断できるのであれば、そこで初めて、複製など著作権法上の利用行為に当たるのか、引用などの例外が認められるのか、という次の議論に進む。

これは生成AIに関連する。該当の広告では「生成AIへの記事利用はお断りしています」とある。しかし、著作権法の問題として考えるのであれば、「AIに入れたか」より先に、「何をAIに入れたのか」を見なければならない。著作物ではない事実やデータについて、新聞社が著作権を根拠に利用を独占することはできない。

さらに、著作物に当たる記事本文をAIで利用する場合には、さらに別の検討が必要になる。著作権法30条の4は、著作物に表現された思想や感情を享受することを目的としない情報解析などについて、一定の範囲で権利者の許諾なしの利用を認めており、AI学習がその代表例なのである。これは、AIなら何でも自由という規定ではない。元の記事を読んだのと同じように内容や表現を享受する目的があったり、元の創作的表現を回答として取り出すことを目的とした利用であったりすれば、同条がそのまま使えるとは限らない。文化庁も、RAGなどについて、創作的表現を回答に含ませない場合と、それを回答として生成させる場合を区別している。

AIによって情報の収集、要約、分析が日常的になった現在、この違いが重要になる。何が新聞社の「表現」で、何が社会の誰もが利用できる「事実」なのかという、その境界を曖昧にしない仕組みを訴えることだ。



|

« 「2人に1人が難関大」になる前に大学が減る | トップページ | 円の「独歩高」は説明が先か、負けが先か »