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2026.09.29

ウクライナ戦争後の欧州の安全保障コストを誰が負担するのか

予算規模をめぐる争いの背後にあるもの

現下、欧州連合(EU)の次期多年度財政枠組み(MFF)をめぐる対立が表面化している。これには大きな問題が潜んでいるが、一見すると典型的な予算交渉に見える。

欧州委員会は、2028年から2034年までの7年間について約2兆ユーロ、EUの国民総所得(GNI)の平均1.26%に相当する予算を提案しているのだが、これに対し、ドイツ、オランダ、スウェーデン、デンマーク、オーストリア、フィンランドの6カ国は、この総額から「数千億ユーロ」を削減しなければ合意しないとの立場を示している。6カ国はEU予算収入のおよそ40%を負担しており、その反対は単なる異論ではない。MFFの成立には加盟国の全会一致が必要である以上、彼らには交渉を止めるだけの制度的な力がある。

今回のこの対立は、ゆえに一見、「大きなEU予算を望む国」と「小さなEU予算を望む国」の衝突のように見える。だが、そうではない。この6カ国はEUの支出全般を縮小すべきだと主張する一方で、防衛、安全保障、技術革新、産業競争力にはより多くの資源を投入するよう求めているのである。ドイツのフリードリヒ・メルツ首相も、約2兆ユーロという規模は現実的ではないとしながら、それなのに、防衛と競争力を強化するために、優先すべきだと明言している。つまりこの6カ国が求めているのは単なる緊縮ではなく、EU財政の優先順位そのものの変更であり、防衛予算を増やせというのである。

つまり、問題はこうだ。総額を減らしながら、防衛や技術への支出を増やすのであれば、それ以外の支出をより大きく削らなければならない。減らされるのはどこか。そもそもEU予算における最大の既存支出は、長年にわたり農業政策と地域間再分配であった。だから、今回の事態は、表面上は「2兆ユーロは高すぎる」という財政規律の議論であっても、その実体は、農業政策と地域間再分配の支出を減らし、それを防衛予算に振り向けろということだ。

戦後型EU財政から地政学型EU財政へ

EUの予算構造とはそもそもなんだったのか。答えは歴史にある。それはこの共同体が歴史的に何を目的としてきたかに映し出されている。

EUの予算の根幹ともいえる共通農業政策は、戦後欧州における食料供給と農村社会の安定を支え、結束政策は単一市場によって拡大しかねない地域格差を緩和する役割を担ってきた。EUとは市場統合の制度であると同時に、豊かな国・地域からより所得の低い国・地域へ資金を移転する再分配の制度でもあった。現在の委員会案でも、加盟国・地域向けの枠には8650億ユーロが計上されており、約2兆ユーロの予算の中でなお最大級の項目を形成している。

ところが、この財政モデルの上に、この数年で別種の需要が積み上がった。ロシアによるウクライナへの全面侵攻は、EUにウクライナ支援だけでなく、自らの防衛能力、防衛産業、軍事輸送網、エネルギー安全保障を強化する必要を突きつけた。同時に、米国や中国との技術・産業競争、半導体やAIをめぐる戦略的依存、移民・国境管理などもEUレベルの課題として浮上した。委員会は次期MFFを、こうした安全保障、競争力、エネルギー、移民の課題に対応するための「根本的な再設計」と位置づけている。

数字にもその転換は現れている。委員会案では、防衛・安全保障・宇宙分野に1310億ユーロを配分し、EUレベルでは前期の約5倍に拡大する。軍事移動関連の資金も大幅に増やされる。さらに2028年から2034年には、ウクライナ向けに最大1000億ユーロを動員できる枠が設けられる構想である。軍事作戦に直接関係する支出の一部は、通常予算とは別に、軍事・安全保障や緊急事態に柔軟に対応するための特別基金」(European Peace FacilityなどMFF外の制度)で扱われるため、2兆ユーロの予算そのものは「ウクライナ戦費」とはみなせないとしても、ウクライナ戦争の継続がEUに安全保障国家としての新たな財政的役割を要求していることは明白である。

防衛をめぐる対立ではなく、防衛の請求書をめぐる対立

では、今回の亀裂は「防衛を重視する北部欧州」と「防衛より補助金を重視する南欧・東欧」なのだろうか。それも違う。ロシアとの安全保障問題を深刻に受け止めているのは、ドイツや北欧諸国だけではなく、ウクライナ国境に近い中東欧諸国にとっても、防衛能力の強化は切迫した問題である。争点は、防衛支出そのものの是非というより、その追加費用をどの財布から出すのかにある。

ドイツ、オランダ、スウェーデン、デンマーク、オーストリア、フィンランドの6カ国の論理は明快である。新しい安全保障環境に対応するため、防衛や競争力へのEU支出は増やすが、それを理由にEU予算総額を約2兆ユーロまで膨らませるべきではなく、そのために、農業、地域政策を含む既存の支出を削り、限られた予算の中で優先順位を組み替えるべきだというのである。彼らは新たなEU共同債務にも慎重であり、少なくとも現時点では「借金を増やして双方を満足させる」という選択肢も容易には認めていない。

この主張は、受益国側から見ればまったく違った意味を持つのは当然だろう。防衛はEU全体に利益をもたらす公共財であるが、その財源を農業補助金や地域開発資金の削減によって捻出するのであれば、安全保障のコストが特定の国や地域に偏って転嫁されることになる。なぜ欧州全体の再軍備の費用を、われわれの農家や地方への支援削減によって払わなければならないのか。

純拠出国にも余裕はない

このように再提示した問題には、簡単な解が存在する。「それならドイツなど豊かな国が追加で負担すればよい」のである。つまり、その解が選べないというのが、現下のドイツの問題であり、この6カ国側の政治経済的な制約なのである。彼らはすでにEU予算への主要な拠出国であると同時に、自国の防衛予算も急速に引き上げなければならない状況にある。とりわけドイツでは、長年抑制されてきた防衛・インフラ支出の拡大が国内財政そのものを変えつつある。

例外がないわけでもない。デンマークのように財政状態が比較的良好な国も6カ国に含まれている。概説するなら、問題はむしろ、限られた財政的・政治的余力をどこに配分するのかであり、各国政府にとって、自国の軍隊、防空、インフラ、産業政策に支出することと、ブリュッセルを経由してEU共通予算への拠出を増やすことは政治的に同じではないのである。自国防衛より、EUの防衛を優先することに各国の理解は得られないだろう。まして、そのEUの防衛の目下の実態は、ウクライナ戦争支援であるが、この戦争を対立のみで捉えるという合意すらない。

共同債務と独自財源という第三の争点

この対立には、他の解決策があるだろうか。既存の加盟国拠出にも、農業・地域支援の削減にも依存しない新しいEU財源を作ればよいのではないか。欧州委員会はその方向を模索しており、大企業への新たな拠出制度を含め、EU独自財源の拡充を提案している。新財源が十分に確保されれば、加盟国政府への直接的な請求を抑えながら、防衛や競争力への支出を増やす余地が生まれる。

しかし、そんな会計上の魔法で済む話ではない。EUレベルの税や賦課金を増やせば、企業、消費者、資本所有者など別の主体が負担する。共同債務を発行すれば、現在の加盟国財政から将来のEU財政へ負担を移すことになる。NextGenerationEU型の借入を恒常化することには、財政統合の深化を警戒する国々が強い抵抗を示してきた。問題は消えるのではなく、負担者と負担時期が変わるだけである。

EUが独自の恒久財源を持つということは、加盟国政府からEUレベルへ財政能力を移すことを意味する。今回の予算交渉は、「何に使うか」だけでなく、「EU自身がどこまで徴税・借入能力を持つ政治主体になるのか」という統合の根本問題にもつながっている。フランスが2026年9月末、Googleなどへの制裁金を加盟国拠出の軽減に利用する案を示したことも、この財源探しの一例である。額の大小以上に重要なのは、加盟国が「自国予算から直接払う」以外の財源を探し始めていることである。

もっと簡単にも言える。納税者が直接選出できないという点で非民主主義なEUに自国の主権の一部を委ねることができるのだろうか。

アイルランドが調停しなければならない矛盾

この難題を現在取りまとめているのが、2026年後半のEU理事会議長国アイルランドである。6月の欧州理事会は、アイルランド議長国に対し、10月15日の首脳会議までに次期MFFの交渉を前進させるよう求めた。EU側は2026年末までに政治合意に達することを目標としている。そうしなければ、2027年中に各政策の法制度を整備し、2028年1月から新予算を円滑に始動させることが難しくなる。

アイルランドの位置は興味深い。経済的には比較的豊かな加盟国であり、EU予算の純拠出国側の論理を理解できる一方、農業が国内政治で重要な位置を占めており、共通農業政策の大幅削減を容易に受け入れられる国でもない。安全保障とウクライナ支援を重視しながら、農業政策も守りたいという立場は、いわばEU全体が抱えている矛盾を縮小したものでもある。

アイルランドにも、この矛盾を解消する魔法の数字があるわけではない。全会一致制度の下では、6カ国は2兆ユーロ案を止めることができるが、自分たちの削減案を他国に強制することもできない。農業・結束政策を守りたい国々もまた、最終合意を拒むことができる。この意味で、全会一致は双方に拒否権を与える制度であり、予算交渉は必然的に「どちらが勝つか」ではなく「どちらも完全には負けない条件をどう作るか」という問題になる。

ウクライナ戦争がEUに突きつけた問い

問題は、要するに、ウクライナ戦争なのである。これが、EUの財政モデルが抱えていた矛盾を露出させた触媒となった。EUは長年、単一市場の利益を共有しつつ、その副作用を農業政策と地域再分配によって調整する共同体として発展してきた。しかし、ロシアとの軍事的対立が長期化し、米国の安全保障関与にも以前ほど無条件には依存できない環境では、EUは再分配だけでなく、防衛能力を生み出す共同体であることも求められる。

従来の再分配国家から今後は安全保障国家へ単純に移行すればよい、ということではない。EUが農業・地域政策を通じて築いてきた政治的連帯は、それ自体が統合を支える重要な基盤である。その資金を大幅に削って安全保障に振り向ければ、防衛能力を高める代わりに域内の政治的結束を弱める可能性がある。逆に従来型支出をすべて温存すれば、安全保障環境の変化に応じた財政再編はできない。ここに、単なる会計調整では処理できない政治的選択がある。

さらに、この問題は将来のウクライナ加盟とも無関係ではない。ウクライナは大規模な農業国であると同時に、加盟時点では一人当たり所得がEU平均を大きく下回ることが予想される。そのような国を既存の共通農業政策と結束政策にそのまま組み込めば、現在の受益国との間でさらに大きな分配問題が生じる可能性がある。つまり、ウクライナ戦争はEUに防衛支出を増やす必要を生じさせただけでなく、将来のEU拡大を通じて、農業・地域政策そのものの再設計を迫る可能性も持っている。そして、なにより、ウクライナという国家にはEUの基準に見合う程度のクリーンな政治構造が存在していない。汚職構造は払拭される見込みすらない。




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