段ボールデモの影にいる男
――退役軍人ドミトロ・コジャティンスキーと「ダ・ヴィンチの狼」の系譜
2026年夏のキーウのイヴァン・フランコ劇場前の広場に、段ボールのプラカードを抱えた人々が連日集まっている。元国防相ミハイロ・フェドロフの復帰を求める「段ボール・マイダン」である。
この「平和的」な抗議を呼びかける中心人物の一人が、ドミトロ・コジャティンスキーである。退役軍人であり、元「ダ・ヴィンチの狼」大隊の戦闘看護師。IT起業家でもある彼の存在が、戦時下のウクライナで注目を集めている。思想統制が弾圧されているなかで唯一の反ゼレンスキー政権的な動向が事実上許されているからだ。
コジャティンスキーはどういう人なのか。彼は、ロシア・ウクライナ戦争の最前線で医療活動に従事した経歴がる。所属したのは「ダ・ヴィンチの狼」大隊の医療サービス「ウルフ(Ульф)」である。激戦区、特にポクロフシク方向などで、負傷兵の止血、四肢の保存、創傷処置、安定化を担い、後送の準備を整える役割を果たした。
ドローンの脅威が強まる中、主に夜間の避難活動にも関与し、24時間体制で命を救う日々を送った。2025年頃に除隊した後も、前線での経験を基にした発言で存在感を発揮している。民間ではサイバーセキュリティ企業「Kontra Application Security Training」や「RansomLeak」の共同創設者として活躍し、コンピュータ工学の学位を持つ実務家でもある。
彼が市民運動の表舞台に立ったのは2025年7月。NABU(国家反腐敗局)とSAP(特別反腐敗検察庁)の独立性を制限する法案に反対し、SNSで「段ボールを持って集まろう」と呼びかけた。この動きが大規模な抗議を引き起こした。
そして2026年7月16日以降、フェドロフが国防相を更迭された直後、再び同様の呼びかけを行っっている。キーウをはじめ全国にデモが広がり、軍首脳人事にも影響を与えた。現在も抗議の継続を求め、ゼレンスキー大統領に直接対話を促し続けている。
退役軍人としての立場は、彼の活動の軸になっている。自身が退役軍人であるだけでなく、退役軍人ネットワークの一員として、軍改革や指揮系統の問題を指摘する際に現役・退役双方の不満を代弁する形だ。「退役軍人リーダーシップ・プログラム」(チェスノ運動とウクライナ・カトリック大学の共同プログラム)の卒業生でもあり、退役軍人の社会的影響力を高める活動にも関わっている。抗議の場では、退役軍人がプラカードを持って参加する姿が目立つ。
一方、デモの写真でメインを占めているかに見える大学生との関わりは組織的なものではないとされている。コジャティンスキー自身が「抗議には学生も年金受給者も来る。関心を持つすべての市民だ」と述べている通り、SNSを通じた呼びかけで若い世代(大学生を含む)が自然に参加したケースが多いというわけだ。特定の大学組織や学生団体を率いているわけではなく、西側NPOが大学生を動員したという説も否定されている。あくまで幅広い市民への呼びかけであるというナラティブである。
ここで、部隊の名称について触れておかねばならない。「ダ・ヴィンチの狼」(Вовки Да Вінчі)という呼び名は、一見すると奇妙だ。イタリア・ルネサンスの巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチと、ウクライナの突撃部隊が結びつく理由は、部隊の創設者であり初代指揮官だったドミトロ・コツュバイロのコールサインにある。
コツュバイロは1995年生まれ。若い頃、芸術家を志してイヴァーノ=フランキウシクの美術学校で絵を学んだ。レオナルド・ダ・ヴィンチの想像力と発明心に憧れ、前線で「ダ・ヴィンチ」というコールサインを得た。2016年、21歳で右派の第1突撃中隊の指揮官になると、部隊全体が彼の呼称にちなんで「ダ・ヴィンチの狼」と呼ばれるようになった。「狼」はウクライナの軍事文化でよく使われるトーテム動物で、群れで団結すれば倒せない存在を象徴する。部隊のシェブロンにも狼が描かれ、結束と攻撃性を表している。別の象徴とも見られるかもしれない。というのも、普通に見て、ナチス・ドイツが使用した「ヴォルフス・アンゲル(狼の罠)」という記章でしかないだろう。
2023年3月、コツュバイロがバフムート近郊で戦死した後、部隊は正式に彼の名を冠しつつ、この通称を残し続けている。
コジャティンスキーが所属したこの部隊は、Правий сектор(右翼セクター)の義勇軍団を起源とする。この右派民族主義の武装団体はステパン・バンデラを明確に崇拝するウクライナ民族主義組織である。バンデラが率いたOUN-BとUPAの系譜を公然と継ぎ、赤黒旗などのシンボルを用い、彼を「屈しない独立闘争の象徴」として敬う。コジャティンスキー自身もその流れの中で軍務に就き、部隊の価値観を共有してきた。
とはいえ、段ボールデモは西側報道が好むような反腐敗や軍改革を掲げ、党派色を薄めた市民運動として広がっている。コジャティンスキーは「非党派」「自然発生的な市民の声」と強調する。
しかし、呼びかけ人の一人が、バンデラ崇拝を基盤とする民族主義部隊の出身者である事実は、無視できない。前線で命を救った元看護師が、いま段ボールを掲げて政権に異議を唱える。戦時下のウクライナで退役軍人の声が持つ重みは大きい。だがその声の源流に何があるのかを、きちんと見ておく必要があるだろうとは思う。
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