大学制度の再設計へ
先進国は大学制度の再設計が迫られている。旧来の教育機会の平等や生涯にわたる学習の保障といった理念は重要であるが、現在の先進国の大学制度を論じる際には、理念を示す修辞だけでなく、大学がすでに少数者向けの高等教育機関ではなくなったという現実から出発する必要があるだろう。
OECD諸国では、25~34歳の高等教育修了率が平均48%に達している。日本でも2025年度の大学学部進学率は58.6%、大学・短大を合わせた進学率は61.4%であり、大学教育は人口の一部だけを対象とする制度ではなくなっている。大学の大衆化は将来の政策目標ではなく、すでに実現した制度条件である。
問題は、進学者や学位取得者の増加が、同じ割合で知識や能力の増加に結び付いていないことである。OECDによると、学士課程へ入学した者のうち標準修業年限内に何らかの高等教育資格を取得する者は43%にすぎず、標準年限から三年後でも70%である。
また、2012年から2023年にかけて、成人の読解力と数的思考力は多くのOECD諸国で停滞または低下しており、教育歴の上昇が技能水準の上昇を自動的にもたらしてはいない。
EUでも2024年には、高等教育修了者の21.3%が、高等教育を必要としない職業に就いていた。これらの数値は大学教育が無価値であることを示すものではないが、大学進学率を上げれば人的資本も比例して増えるという前提が成立しなくなっていることは示している。
米国では、この限界が費用と進学行動の変化として現れている。学部在籍者数は2010年から2021年までに15%減少し、その減少傾向は新型コロナ以前から始まっていた。なお、2025年秋には学部在籍者が1.2%増加したが、増加を主導したのはコミュニティ・カレッジと公立四年制大学であり、私立四年制大学は非営利、営利ともに減少した。
米国の学士課程の年間授業料は、公立大学で平均9,596ドル、私立大学で3万4,041ドルとOECD諸国で最も高い水準にある。米国で起きているのは大学教育全体からの単純な退出ではなく、高額な私立四年制課程から、より安価で短期的・職業的な課程への移動である。この変化は、学生が大学という制度の理念ではなく、費用と取得できる能力や資格との関係を選別し始めたことを示している。
日本では、同じ限界が大学の機能変化として現れている。2024年度には私立大学の59.2%が入学定員を満たさなかったが、私立大学全体の入学定員充足率は98.2%だった。これは学生そのものがほとんどいなくなったというより、一部の大学へ学生が集中する一方、多数の大学が定員確保に苦しんでいることを意味する。
日本では大学という看板のもとに、高校以下の内容を学び直すリメディアル教育が進展している。文部科学省としては、これは大学の教育課程とは別に実施すべきであり、単位認定は不適切だとしている。そもそも、この規定が必要になること自体、大学が高校段階の学力補完を担っている現実を示している。とはいえ、一般的にこの区分とされる「Fラン」という公式の統計区分は存在せず、特定の大学群が実質的に高校や職業学校であることを、公的統計から直接証明することはできない。統計から確認できるのは、大学の供給過剰と、大学制度の内部に補習や学修支援など本来とは異なる機能が入り込んでいる実態である。
さらに日本では、少子化によって現在の規模を維持できないことも政策当局自身が認めている。文部科学省の推計では、大学進学者数は約63万人から2040年には約51万人へ減少し、2050年頃まで50万人前後で推移する。つまり、進学率を引き上げても入学者数の減少を埋められない以上、すべての大学を現在の形で存続させることは難しい。それにもかかわらず、統廃合や定員削減、職業教育機関への転換を避け、「多様化」「地域貢献」「学びの保障」という言葉だけで既存組織を維持すれば、理念は改革の基準ではなく、改革を先送りするための修辞になる。
教育の理念を放棄する必要はない。問題は、理念を大学という一つの制度の保存と同一視していることである。研究、学術教育、高度専門職養成、職業訓練、一般教養、補習教育、就職支援は、それぞれ異なる目的と評価基準を必要とする。研究大学には学術的な入学・修了基準を求め、職業教育には短期で明確な技能や資格を与え、補習や就職支援を主な機能とする機関には、それに適した制度上の位置を与えるべきである。大学の名称と学士号の下に異なる機能を収容し続ける限り、教育の成果も費用対効果も測定できない。
現状先進国では、大学進学の量的拡大が、修了、技能形成、職業との適合へ自動的に結び付かなくなり、制度の維持費と学生の負担が増している。先進国の大学制度は量的拡大の限界をすでに越え、その矛盾を教育内容と大学の定義の変更によって処理している。理念を示す修辞にはなお意味があるが、現在必要なのは、その修辞を重ねることではなく、変化した現実に合わせて制度を分け、縮小し、再編することであろう。
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