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2026.06.27

令和の米騒動、1〜2年で不足から余りへ

今朝の日本経済新聞は「新米3000円割れが見えてきた『もう倉庫に入らない』、生産も過剰」と見出しを打った。これは、わずか1〜2年で起きた令和の米騒動の急反転を象徴している。高値による消費減退でコメ余りが鮮明になり、民間在庫が過去最高水準に達し、秋に収穫される新米も過剰生産が見込まれる。在庫と新米という「二つの過剰」で、新米の集荷価格は前年の半分近くまで下がり、店頭5キロが3000円を割り込む可能性が出てきた。

つい先ごろまで、5キロ4000円超という高値が家計を直撃していた。2025年4月には全国スーパー約1,000店の平均が5キロ4,217円となり、2年前のおよそ2倍に達していた。その同じコメが、いまや「安すぎて倉庫に入りきらない」と言われている。この振れ幅の大きさこそが、今回の騒動の本質を読み解く手がかりになる。

そもそも「大不足」ではなかった

まず押さえるべき事実は、令和の米騒動が、価格に見合うほどの大規模な供給不足ではなかったという点だ。三菱総合研究所の分析によれば、2023年産の作況指数は平年並みだったものの、酷暑による品質低下の影響で、約700万トンの需要に対して30万トン程度の供給不足が生じたにすぎない。不足量は当時の在庫量の3分の1程度であり、それでも消費者小売価格は年平均で前年比1.27倍に跳ね上がった。

この軽さは、過去の本物の不作と比べれば一目瞭然だ。記録的冷夏に見舞われた1993年の「平成の米騒動」では作況指数が74、前年比30%以上の供給減で備蓄量を上回る不足が生じ、タイ米の緊急輸入に追い込まれた。今回はこれとは桁が違う。玄米の総量自体は平年並みで、起きたのは主に品質の劣化だった。新潟県産コシヒカリの1等米比率は平年の75.3%から4.9%へ激減し、せんべいや加工用に回る「ふるい下米」も51万トンから32万トンへ減った。つまり「食べられる玄米はあるが、市場が求める品質の主食米が足りない」という、限定的なギャップだったのである。

なぜ小さなギャップが市場を麻痺させたのか

問題は、この小さなギャップが、なぜ市場全体の目詰まりに膨らんだのかだ。原因は供給そのものより、市場の構造と心理にあった。まず、主食米は価格が上がっても需要があまり減らない(価格弾力性が低い)。そして、長年の減反政策によって、急な需要増を吸収する在庫バッファが細っていた。小さな不足を吸収する余地が、もともと乏しかったのだ。

そこに心理的・投機的な要因が連鎖した。2024年8月の南海トラフ地震臨時情報をきっかけに防災目的の買いだめが急増し、店頭からコメが消えた。前年の品質低下も重なって新米需要が急拡大し、産地では農家から直接買い付けるブローカー的な業者が相次いで参入、農協の集荷率は20%台にまで低下した。報道とSNSがパニック買いを増幅し、流通段階では「もっと上がる」と踏んだ在庫の抱え込みも起きた。

要するに、わずかな不足を起点に「足りない→買う→本当に足りなくなる」という自己実現的な危機が回り出した。供給制約は軽微だったのに、市場心理と構造的な脆さが過剰反応を起こしたのである。

反動としての「二重過剰」

その反動が、いま過剰在庫と過剰生産という正反対の形で噴き出している。高値が続いたことで消費者の米離れが進んだ。農水省のマンスリーレポートによれば、2026年4月末の民間在庫量は249万玄米トンと前年同月差プラス81万トンに達し、直近10年で最も高い水準となった。新潟のJA倉庫では2025年産米が引き取られないまま山積みになり、新米を入れる場所すら危ぶまれている。

供給側も緩んだ。天候が安定した2025年産は2023年比で約21万トン収穫量が増え、一等米比率も70%超へ回復した。さらに今秋の2026年産も豊作・過剰生産が見込まれる。一度離れた需要が戻りきらないなか、輸入米の定着も在庫を押し上げた。2025年度の枠外輸入は累計10万5778トンと前年度比で約35倍に膨らみ、その約8割を米国産が占めた。

結果として、新米の集荷価格は前年の半分近くへ急落し、店頭5キロが3000円を割り込む見通しが現実味を帯びている。「足りない」と言われていたコメが、1〜2年で「余って崩れる」状況へ反転した──この一連の推移は、騒動の正体が供給の大不足ではなく、心理と構造が生んだ自己実現的な危機だったことを、はっきりと裏づけている。そして、これは、現代日本社会が抱える病理現象でもあるだろう。

残された課題と教訓

令和の米騒動だが、今後、価格下落をもたらす単純な朗報とは言い切れないのは明らかである。肥料・燃料・人件費などのコストが軒並み上がるなかで販売価格だけが下がれば、打撃を受けるのは生産者であり、「豊作なのに儲からない」という現実が産地を苦しめる。安値が行き過ぎれば小規模農家の離農を招き、次の供給不足の芽になりかねない。

根本的な解決には、二つの方向が要る。一つは、減反依存から脱却し、需要の急変に供給を柔軟に合わせられる仕組みを取り戻すこと。もう一つは、歩留まりや気候変動リスクを精緻に織り込み、需給見通しの精度を高めることだ。「足りないから守る」から、「余っても崩れない仕組みをどう作るか」へ。令和の米騒動は、日本農業の価格変動への耐性の低さを改めて突きつける教訓となった。問われているのは、この振れ幅をいかに小さく制御するか、という食料安全保障の本質そのものである。

そしてなにより、今回の騒動、つまり、「馬鹿騒ぎ」を引き起こした現代日本社会の病理現象も考察すべきだろう。私たち日本人は、コロナの馬鹿騒ぎ以降、なにか常軌を逸している。

 

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