三発目の「オレシュニク」
2026年5月24日、ロシアの中距離弾道ミサイル「オレシュニク」が再びウクライナ戦争に姿を現した。これで実戦使用は三度目とされる。だが今回の問題は、単に新型兵器が使われたことではない。むしろ焦点は、ゼレンスキー大統領がその直前まで語っていた「対応できる」という強気の認識が即座に現実によって崩された点にある。
5月22日、ゼレンスキーは前線の成果を強調した。ウクライナ軍は今年に入って約590平方キロメートルの領土を解放し、ウクライナの立場は以前より強くなっており、ロシアは人的損耗や制裁によって、外交を選ばざるを得ない方向に追い込まれている。そうした趣旨の発信だった。590平方キロメートルという数字は、東京23区に近い広さであり、国内外に向けて戦況の改善を印象づけるには十分だった。
ここで重要なのは、この時点のゼレンスキー発言が「ロシアの圧力に対してウクライナは受け身ではない」という文脈に置かれていたことである。前線で押し返している。ロシア国内の軍需・燃料インフラにも圧力をかけている。西側の支援とウクライナ自身の長距離攻撃能力によって、ロシアに代償を払わせることができる。つまり「対応できる」という政治的メッセージである。
しかし、その「対応できる」は、オレシュニクに対する軍事的な対応能力を意味していたわけではなかった。ここに最初のずれがある。ロシアの通常攻撃や前線での圧力には反撃できるとしても、オレシュニクのような中距離弾道ミサイル、しかも極超音速・多弾頭型として示威される兵器に対して、ウクライナが実際に迎撃できるわけではない。政治的な反撃能力と、飛来するミサイルへの実際の防御能力が、同じ「対応」という言葉の中で曖昧に重ねられていた。
翌23日、その曖昧さが表面化した。ゼレンスキーは、米国や欧州のパートナーを含む情報機関から、ロシアがオレシュニクを使った攻撃を準備しているとの情報を得たと明らかにし、「検証中」と述べた。さらに、キーウを含むウクライナ全土への複合攻撃の兆候があるとして、市民に空襲警報への注意とシェルター利用を呼びかけた。米国大使館も、在留米国人に対し、大規模攻撃の可能性に備えるよう警告した。
この時点で、5月22日の強気な「対応できる」は、すでに「避難して耐える」に変わっていた。ロシアに代償を払わせるという意味での対応は語れても、オレシュニクそのものを止める対応策は示されなかった。ゼレンスキーは情報を公表し、警戒を促し、西側に予防的圧力を求めた。しかし、それは攻撃を止める手段ではなく、攻撃が来ることを前提にした危機広報だった。
そして24日未明、ロシアは実際に大規模攻撃を行った。攻撃には多数のミサイルとドローンが投入され、オレシュニクも使用されたと報じられた。標的の一つは、キーウの南約80キロに位置するビラ・ツェルクヴァだった。ロシア側もオレシュニク使用を認め、ウクライナ側も大規模攻撃の被害を発表した。
ここでゼレンスキーの「対応できる」という言葉は、はっきり破綻してしまった。攻撃は抑止できなかった。迎撃もできなかった。被害が限定的に見えたのは、ウクライナがオレシュニクに有効対応したからではなく、今回のオレシュニクが本格的な爆薬弾頭ではなく、政治的示威に近い使われ方をしたからである。つまり、被害が小さかったことは「対応成功」の証拠ではない。ロシアが今回も威嚇にとどめた、というだけである。
攻撃後、ゼレンスキーは改めて米国と欧州に「決定」が必要だと訴えた。だが、この訴え自体が、5月22日の強気な構図からの後退を示している。ウクライナ単独で対応できるのではなく、西側が政治的・軍事的に圧力を強めなければ、オレシュニクのような兵器には対処できない。前日の「検証中」、当日の「避難を」、攻撃後の「西側の決定を」という流れは、対応能力ではなく、対応不能の段階的な露呈だった。
この経緯を見れば、三発目のオレシュニクの意味はかなり明確になる。ロシアはウクライナの領土回復発表に対し、前線とは別次元の兵器を見せつけた。地上戦で590平方キロを取り返したとしても、ロシアには迎撃困難な中距離弾道ミサイルがある。しかもそれは、ウクライナだけでなく、ポーランドやバルト三国を含むNATO東部への威嚇にもなる。ロシアは、戦場の局地的成果を、戦略兵器の示威によって相殺しようとしたのである。
ゼレンスキーの対応は現実からずれていく。5月22日には、ウクライナは強くなり、ロシアに対応できるという政治的物語を語った。23日には、オレシュニク攻撃の可能性を「検証中」として警戒を呼びかけた。24日には、実際に撃たれ、西側に決定を求めた。つまり、対応できるという話は、オレシュニクの前では、抑止にも迎撃にもならなかった。
今回のオレシュニクは、軍事的破壊よりも政治的威嚇として機能した。まだ空砲であったからこそ、ロシアは「次は本物かもしれない」という余白を残した。そして、その余白に対して、ウクライナは明確な答えを持っていなかった。5月22日の強気な発信から、24日の西側への要請までの落差こそが、三発目のオレシュニクが明らかにしたことだった。
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