反基地運動の黄昏
沖縄名護市辺野古沖で3月16日に起きた抗議船の転覆は、痛ましい事故だった。修学旅行中の同志社国際高校(京都)の生徒18人を含む21人を乗せた「平和丸」と「不屈」の2隻が、高波を受けて相次いで転覆した。船長で牧師でもあった金井創さん(71)と、17歳の女子生徒が亡くなった。負傷者も複数出た。まず哀悼したい。
運航していたのはヘリ基地反対協議会(反対協)である。事故後、海上運送法に基づく事業登録をしていなかったことが発覚し、安全管理のずさんさが露呈した。出航の可否は船長にほぼ一任されており、風速の目安はあったが明文化されていなかった。当日は波浪注意報が出ていた。引率教員は乗船しておらず、生徒への救命胴衣の着用指導も十分ではなかったという。当初の会見で反対協は「金銭のやりとりはない」と答えていたが、のちに乗組員に計1万5000円が支払われていたことも判明した。海上保安庁は業務上過失致死傷などの疑いで捜査を進めている。
しかし、これを個別の海難事故としてだけ扱うのは筋が悪い。背景には、30年近く続く沖縄の反基地運動の疲弊がある。事故はその最悪の噴出である。
源流から29年
ヘリ基地反対運動の源流は1997年に遡る。普天間飛行場移設を巡る名護市民投票で「反対」が多数となったが、当時の比嘉鉄也市長は辞職をかけて受け入れを表明した。これに反発した市民・団体が反対協の前身を結成したのが発端である。以降、国は「アメとムチ」、再編交付金などの予算配分で辺野古ヘリ基地を推進し、反対派は「横紙破り」政治への怒りを原動力に、キャンプ・シュワブのゲート前での座り込みや、海上での抗議船による行動を続けてきた。振り返ると、29年前だ。長い年月である。
この長さ自体が、すでに問題の半分を説明している。反対運動というものは、数年で決着がつかなければ、どうしても担い手の高齢化と制度疲労を抱え込む。ましてや、国策として進められる埋め立てに、座り込みとカヌーで抗うという構図である。長期戦は最初から運動の側に不利だった。
衰退は最初、衰退の顔をしていなかった
衰退が誰の目にも見えるようになった転機がある。それは最初、衰退の顔をしていなかった。2014年の翁長雄志氏の知事選勝利がそれだろう。沖縄政界の保守派重鎮だった翁長氏が「辺野古反対」を一本に掲げて、保守・革新を横断する「オール沖縄」を結成した。いわく「イデオロギーよりアイデンティティ」「ウチナーンチュの誇り」。県民の郷土愛を掻き立てる旗印である。そして勝利したがゆえに、翁長県政下で政府の予算攻勢は効かず、辺野古は全県的政治課題となった。SEALDs琉球のような若手も加わり、運動は一時は活気づいた。
しかし、ピークは長く続かなかった。続くわけもない。翁長氏の個人的な威信と、保守・革新をまたぐ人脈という、もともと属人的な構造の上に成り立った枠組みだったからである。2018年に翁長氏が在任中に急逝すると、後継の玉城デニー知事は選挙には勝ったものの、求心力は目に見えて急速に失われていった。オール沖縄は、翁長亡きあと、翁長という接着剤を失った。
高齢化と世代交代の失敗
現場では、もっと早くから衰退の兆候があった。若手の看板であったSEALDs琉球は運営の改善を上層に訴えたが、通るわけもない。年長世代の運動文化はそのまま維持された。若者は離れた。世代交代は、しなかったのではなく、失敗したのである。
そして、起こるべき騒ぎを、起こすべき人が起こした。2022年10月、実業家の西村博之(ひろゆき)氏がX(旧Twitter)に、キャンプ・シュワブのゲート前を訪れた際の写真を投稿した。座り込み抗議のはずの場所には誰もいなかった。現地に掲げられていた「座り込み抗議○○○○日」という看板を撮って、ひろゆき氏は「0日にした方がよくない?」と書いた。揶揄としては安く、事実関係としては正確でもなかったのだが、全国的に拡散し、運動の空洞化のイメージだけが一人歩きした。反論は届かなかった。反論する体力自体が、もう残っていなかったからである。
分裂は組織の上層にも及んだ。2026年3月、沖縄平和運動センターから社民党県連と沖縄社会大衆党が脱退を表明した。労働組合主体の再編案に反発する形での離脱であり、反戦運動全体の自壊が、いよいよ表の舞台に出てきた。
選挙結果と世論の変化
選挙の結果がそれを如実に示した。2024年6月の県議選でオール沖縄勢は惨敗し、与党会派は20議席にとどまった。同年10月の衆院選では2勝2敗(自民2勝)。そして2026年2月の衆院選では、小選挙区全4区で自民が完勝し、オール沖縄は議席ゼロに転落した。玉城知事は「力不足だった」と認めた。秋に控える知事選への影響は避けられない。
世論調査にも変化が表れている。2026年1月の名護市長選情勢調査では、辺野古移設に「反対」46%に対し「賛成」28%。過去の調査と比べると、2018年は反対63%、2022年は54%だったから、反対派は着実に減り続けている。特に若年層で基地容認の空気が広がっている、との指摘もある。もはや辺野古は、沖縄の全世代を貫く怒りの象徴ではない。
事故が映す経年劣化
悲惨な事故は、こうした地滑り的な衰退のただ中で起きた。反対協は長年、ボランティア頼みの運営を続けてきた。それしかできなかったのである。資金源は不透明なのに、「日当が出ている」「動員に金が動いている」といったデマが飛び交う土壌も、裏返しに生まれた。そもそもこの運動は誰得なのか。一般県民の感覚との乖離は、もはや小さくない。
皮肉なのは、反対されている側もまた、ほとんど進んでいないという事実である。地元建設業界が当初、埋め立て面積の拡大を求めたという指摘もあるが、今や工事は国主導で進む、と思いきや、政府の辺野古工事は遅々として進まない。軟弱地盤改良のための砂杭打ちは2025年1月の着手から1年で、進捗率はわずか6%(4700本中)にすぎない。予定の4年計画で7万本超を打つ計算だが、天候不良などを理由に大幅な遅延が続いている。総工費は9300億円超から、さらに膨張する見込みだ。
つまり、反対運動は衰弱し、推進側の工事は停滞している。どちらにも勢いがない。残っているのは、長年の対立の慣性と、誰も責任をとらないまま更新されていく予算だけである。
翁長氏は反基地闘争をカネに代えられない誇りとしたが、次世代へのバトンにはつながらなかった。運動は高齢化・人材枯渇・政治的孤立という三重苦に陥っている。辺野古問題はすでに県内政治の前景から、徐々に後景へと追いやられている。
事故後、反対協は謝罪文を出し、原因究明に協力すると表明した。だが、根本的な体質改善なしには信頼の回復は難しいだろう。そして、仮に信頼があったとしても、推進する構造がない。人もカネもない。
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