この戦争を「トランプの戦争」と呼ぶことの知的怠慢――イラン攻撃は、20年にわたる米国の国家事業だった
2025年6月22日、米軍は「オペレーション・ミッドナイトハンマー」の名の下、B-2ステルス爆撃機7機から14発のGBU-57「マッシブ・オーディナンス・ペネトレーター(MOP)」バンカーバスター爆弾を投下し、イランのフォルドウ核施設を中心にナタンズ濃縮施設も標的にした。さらに同日、トマホーク巡航ミサイルがイスファハン核技術センターを攻撃した。これが核プログラムへの直接打撃だった。
そして2026年2月28日、米国とイスラエルはさらに踏み込んだ大規模作戦に踏み切った。テヘラン近郊の安全な施設で最高指導者アリ・ハーメネイ師が側近と会議中を狙った精密攻撃により、ハーメネイ師の死亡が確認された。同時に革命防衛隊(IRGC)司令官モハンマド・パクプール、元国家安全保障会議事務局長アリ・シャムハニら幹部多数が殺害された。この作戦はイラン本土のミサイル基地・指揮系統だけでなく、イラク国内のIRGC支援民兵拠点(カタイブ・ヒズボラ関連施設を含む)にも及び、イランが中東全域で構築してきた「代理戦争ネットワーク」の核心を同時に狙ったものだった。
世界の多くはこの一連の行動を「トランプ大統領の戦争」と簡略化して解釈する。しかし、これは政策の本質を矮小化する知的怠慢である。2025年の核施設攻撃も、2026年の指導部・IRGC・イラク代理勢力への同時多発攻撃も、特定の政権の恣意ではなく、民主党・共和党を問わず歴代政権が20年以上継承・洗練・資金投入してきた国家レベルの長期戦略事業の集大成だった。兵器開発、標的分析、演習の蓄積、そしてイラン核武装阻止とIRGC地域支配阻止という二つの柱は、大統領個人の性格ではなく、米国の戦略的コンセンサス(イランの核武装も、地域での米軍・同盟国への脅威も絶対に容認しない国家意思)の反映である。
GBU-57――一つの標的のために生まれた20年の国家プロジェクト
フォルドウ施設の脅威は2002年頃から認識されていたが、2009年9月にオバマ大統領が米英仏と共同公表したことで対処が急務となった。国防脅威削減局(DTRA)はブッシュ政権下の2004年に「Big BLU」プログラムの一環としてGBU-57の原型開発を開始。イラク侵攻(2003年)で従来のGBU-28が不十分だった教訓から、核兵器を使わず深く埋め込まれた大量破壊兵器施設を破壊する「非核代替策」として設計された。
DTRAと空軍研究所は2005〜2007年にボーイング社と契約し、2007年3月のホワイトサンズ試験で20フィート(約6m)の強化コンクリートを19フィート3インチ貫通する記録を樹立した。本格強化はフォルドウ公表後のオバマ政権初期。専門家たちはベントシャフト、排気口、電源・環境制御システム、資材搬入経路を詳細マッピングし、破壊シミュレーションを繰り返した。統合参謀本部議長ダン・ケイン大将が2025年攻撃後に語ったように、「DTRA担当者たちはフォルドウを夜も眠れぬほど夢に見続け、通勤中も考え続けていた」。
2011年頃に初期運用能力を達成、2012〜2013年にフォルドウ深度対応の大改修(8200万ドル追加予算)を実施。以降、B-2による投下試験を2014〜2016年に繰り返し、2024年までにイスラエル軍との合同演習で実戦想定訓練まで行われた。兵器総数は約20〜30発、B-2のみが2発搭載可能。2025年6月22日の初実戦投入ではフォルドウに12発、ナタンズに2発が投下され、施設の地下ホールに深刻な損傷を与えた。この開発史は単なる技術史ではない。米国の対イラン核政策の縮図であり、政権交代を超えて「フォルドウ破壊能力確保」を最優先としてきた証左である。
2026年の指導部・IRGC攻撃――核を超えた「体制脅威」への対応
2026年2月28日の攻撃は核施設だけでは終わらなかった。イスラエル・米国共同作戦は、ハメネイ師が内輪の安全保障会議を開いていた施設を最初に標的とし、精密誘導兵器で指導部を一気に排除した。IRGC地上軍司令官や国家安全保障会議幹部も同時に死亡した。これは単なる「斬首作戦(decapitation strike)」ではなく、イランが中東で展開する代理戦争ネットワーク全体を崩壊させるための包括的作戦だった。
特に注目すべきはイラク戦線への攻撃である。2003年のイラク戦争以降、イランは革命防衛隊クドス部隊を通じて現地民兵(カタイブ・ヒズボラなど)を育成・武装し、米軍・連合軍に対しIED攻撃やロケット攻撃を繰り返してきた。クドス部隊司令官カセム・ソレイマニは2004〜2011年にかけて少なくとも600人以上の米兵死傷に関与したとされる。2020年のソレイマニ暗殺(イラク・バグダッド国際空港近郊)も、この文脈での先例だった。
2026年攻撃では、イラク国内のIRGC支援民兵拠点(ジュルフ・アル・サフルなど)も同時に標的となった。これにより、イランがイラク領内から米軍やイスラエルを脅かす「前方基地」機能が大幅に低下した。核能力と地域代理勢力の両方を同時に叩く、これが今回の作戦の本質であり、20年間の米国家戦略の完結形だった。
オバマ政権の「二重戦略」――外交と軍事オプションの同時進行
2010年、CNNはオバマ政権当局者の言葉を報じた。「大統領が行動を決定した場合に備え、ペンタゴンと中央軍はイラン核施設攻撃計画を更新中」。ロバート・ゲーツ国防長官も、ブッシュ時代の計画の更新をオバマ指示で行ったと公言した。2012年のネタニヤフ会談では「すべての選択肢はテーブルの上にある」と保証し、イスラエル単独攻撃を思いとどまらせた。当時のペンタゴン担当者イラン・ゴールデンバーグはこれを「ハグ・アンド・パンチ戦略」と呼んだ。
JCPOA(2015年核合意)は軍事オプションの放棄ではなく、時間を稼ぎつつ準備を温存する選択だった。オバマは外交を推進しつつ、フォルドウ専用兵器開発とIRGC抑止計画を並行させた。「やらなかった」のは平和主義ではなく、戦略的計算の結果に過ぎない。
バイデン政権も例外ではなかった。JCPOA復帰交渉と並行して、フォルドウ攻撃演習を継続。2024年半ばには米イスラエル軍が「攻撃シミュレーションとして前例のない規模」の合同演習を実施(ABCニュースなど)。さらに2025年3月にも同様演習が行われ、テヘランへの警告となった。イラク国内のIRGC民兵に対する監視・標的更新も継続され、ソレイマニ殺害後の教訓が活かされた。
外交の窓口と軍事のバックアップは常に同時進行。これが米対イラン政策の構造的本質である。ブッシュが脅威を提起し、オバマが兵器を具体化し、バイデンが演習で磨き、トランプが核・指導部・イラクネットワークの同時攻撃を実行した。この流れは個人の資質ではなく、国家安全保障機構(DTRA、CENTCOM、インテリジェンスコミュニティ)の官僚的慣性と戦略的連続性によるものだ。
「トランプの戦争」論の政治的機能とその限界
「トランプだからやった」という解釈には明確な政治的効用がある。批判の対象を一人の性格に還元し、問題を「次の選挙で解決可能」に矮小化する。しかしGBU-57は歴代の政権にも引き継がれてきた。フォルドウの標的データも、IRGCイラクネットワークの監視計画も、変わらず存在していた。「すべての選択肢はテーブルの上にある」というレトリックも政権を超えて生き続ける。条件が揃えば、誰が大統領であれ使用される可能性は高い。
ここで問うべきは「なぜトランプが踏み切ったか」ではない。「なぜ米国はこの計画を20年以上維持・成熟させてきたか」であり、「核武装阻止と地域代理戦争阻止という構造を、どのような民主主義的統制のもとで決定・継承してきたか」である。議会は予算承認を通じてこれを支え、歴代政権は国民に十分な説明を尽くしてきたか、この問いこそ構造的責任の出発点だ。
今回の攻撃は、米国の対イラン政策における制度的連続性と官僚的慣性を象徴する出来事だった。オバマがフォルドウを公表し兵器開発を本格化させ、バイデンが演習を継続し、トランプが核・指導部・イラク代理勢力への同時攻撃を実行した。この流れは大統領個人の資質ではなく、米国の戦略的コンセンサス、すなわちイランの核武装も、地域での米軍・同盟国への脅威も絶対に容認しない二党制を超えた国家意思の反映である。
「トランプの戦争」という枠組みは、政策の長期性を隠蔽し、構造改革の議論を先送りするだけになる。歴史的な認識こそが、次の同様の事態に備える第一歩である。米国の民主主義は、政権交代を超えて生き続ける国家事業に対して、短期的なイデオロギーではなく、長期的な説明責任を求め続けなければならない。GBU-57も、2026年2月28日の精密攻撃も、単なる兵器や作戦ではない。20年間の米国の国家意志そのものの結晶なのである。
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