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2025.12.31

2025年終わる

2025年が終わりますね。ということは、21世紀もすでに4分の1が過ぎてしまったわけで、正直に言ってかなり驚いています。私は1957年生まれで、大学に入った時もまだ1970年代でした。大学に入学したばかりの頃、新しくできた友人とジョージ・オーウェルの『1984年』の話をして、「本当に1984年って来るんだね」などと言っていたのを覚えています。ちなみに『1984年』というタイトルは、執筆年である1948年をひっくり返して84にしたわけではない、という説が最近では有力らしいのですが、正直なところよくわかりません。いずれにせよ、1984年という年は、当時の自分にとってははっきりと「未来」に見えていました。

大学を出たのが1981年、大学院を出たというか中退したのが1983年なので、社会に出たのが1984年だった、という印象があります。この年代は自分にとって非常に印象深い時期です。ちょうどその頃、村上春樹も、一部の若い人たちの文化圏では注目され始めていましたし(『羊をめぐる冒険』が1982年)、1980年代のサブカルチャーが一気に立ち上がってきた時代でもありました。自分はもう学生ではありませんでしたが、かといって立派な職業に就いていたわけでもなく、それでも一応働いてはいたので、自分のお金でそうしたサブカルチャーを消費できていた、という感覚はあります。

この頃は、ちょうどパソコン通信が始まった時期でもあり、確か1984年だったと思います。具体的には、NTTの電話回線を一般のデータ通信に使ってよい、という扱いになった年だったはずです。もっとも、アマチュア無線の世界ではそれ以前からBBS(Bulletin Board System)はすでに作られていて、私も参加していました。渋谷を拠点にしたBBSに入っていたのを覚えています。

その後だったと思いますが、アスキーネットができました。アスキーネットは、初期には殺到してなかなか入りづらかった印象があります。当初のスキンネットは、UNIXの端末がむき出しのような環境で、コマンドベースで操作するものでしたから、正直なところ簡単に使えるものではありませんでした。その中に「ノベルSIG」というフォーラムがあり、そこでやり取りをしているうちに「シグオペをやらないか」と声をかけられ、実際にそこでシグオペをすることになりました。アスキーネットの人たちは技術的にもかなりコアな人が多く、その影響もあって、読まれている小説もSFが多かったりと、非常に濃い仲間関係がありました。そのつながりは、その後10年くらい続いたと思います。

やがてPC-VANやNIFTY-Serveが出てきた頃には、私から見ると、パソコン通信がかなり大衆化したという印象がありました。その頃の自分は、なぜか古代史や宗教史に関心が強く、大学ではキリスト教の勉強もしていたので、歴史フォーラムに参加していました。そこで宗教系フォーラムを独立させよう、という話になり、世話役のようなことをやっていた時期もあります。そうした活動も含めて、だいたい10年くらいの時間だったのではないかと思います。

商用インターネットが出てくるのは1994年か95年頃でした。当時、NIFTY-Serveはインターネットへのゲートウェイを持っていて、アメリカと直接つながっていました。その頃はまだWebがなく、Gopherを使っていました。その後、通信技術は急速に発展し、AOL(America Online)にも参加しました。やがてインターネットが一気に主流になっていきますが、なぜかその流れと前後して、私は沖縄で暮らすようになりました。今振り返ると、ずいぶんと不思議な人生です。この話は、『考える生き方』に書きました(あまりいいタイトルではないですね)。

この話を始めると本当に長くなりますし、実は先日のジュンク堂のイベントでも似たような話をしました。あちらでは、もう少し踏み込んだ、危ない話もしましたが、ここではこのくらいにしておきます。気がつくと30年、あるいは40年――さすがに50年ではないですが、それに近い時間が経っているわけで、ずいぶんな時代を生きてきたものだな、という気がします。

もう少し話そうかとも思ったのですが、これだけでも十分長くなってしまったので、この辺で。
皆さん、良いお年を。

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