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2025.12.09

日本兵とフィリピン人の子孫問題証明できない血統の行方

ツイッター(X)にポストしようと思ったのですが、流石に長過ぎるので、ブログに移しておきます。既知のかたは多いと思いますが。

第二次世界大戦の末期、日本軍はフィリピンの広い地域を占領していました。この三年間のあいだに、多くの日本兵が現地の女性と関係をもち、戦争が終わると同時にほとんどの日本兵は日本へ帰国しました。残された女性たちは、父親の情報も助けも得られないまま子どもを産み、その子どもたちが戦後のフィリピン社会に広がっていきました。

当時は出生記録も不十分で、父の氏名・部隊・出身地すら分からないケースが圧倒的多数です。こうして生まれた子どもたちは、のちに「ジャパニーズ・フィリピーノ・チルドレン(JFC)」と呼ばれるようになり、その人口については研究者・政府・支援団体の複数の推計が存在します。

戦中に生まれた第一世代と、その子(第二世代)、孫(第三世代)までを含めれば、少なく見積もっても総数は4〜6万人とされてきました。これは二十年前の時点で専門家が比較的慎重に見積もった数字です。

ところがその後、フィリピンの人口増加率(長らく平均2%前後)と家族構成を考えると、これらの人びとは世代を重ね、現在は第四世代、第五世代へと広がっています。実際に支援団体は、いま支援を求めてくる人びとの多くが、戦中生まれの直系ではなく、その孫やひ孫であると報告しています。

血統としてのつながりをたどると、フィリピン国内に10万人を超える「日本兵の子孫」が存在する可能性は高く、これは学術的にも十分に成り立つ推計です。しかも、この数字には戦後の日本企業進出によって生まれた「戦後型JFC」まで含めれば、さらに数万人規模が上乗せされ、総体としては十数万規模に達しているという見方が現在では主流です。

ここまで来ると、数字の大きさに驚く人も多いのですが、実は歴史的背景を考えれば特別なことではありません。三年間にわたり数十万規模の日本兵が駐屯し、終戦と同時に帰国し、戦後の混乱の中で出生記録が残らなかった。その結果として、父を特定できないまま成長した子どもが多数おり、彼らが普通のフィリピン人と同じように家族を作ってきただけなのです。

問題が複雑になるのはここからです。

日本の国籍法は血統主義を採用しているものの、実際には「証明できる血統」だけを国籍取得の根拠にしています。つまり、日本人の血が入っているかどうかではなく、日本人の父または母が法的に確認できるかどうかが重要なのです。戦中に生まれた第一世代の多くは父の名前すら知らされず、認知も戸籍もなかったため、第二世代以降は日本の制度にアクセスする道が途絶えてしまいました。

フィリピン国内には、祖父や曾祖父が日本兵だったと伝え聞く人がいまも相当数います。しかし、その家族が日本国籍を取得する可能性はほとんどありません。なぜなら、血統がどれほど確かでも、証明手段がない限り法的には「日本と無関係」と見なされるためです。

第四世代や第五世代ともなると、家族の記憶も記録も失われ、DNA照合の相手すら存在しない。制度が整っても救えない層が広範に存在しているというわけです。

こうして、人口としての「日本兵の子孫」は増え続けているのに、法制度としての「日系」は逆に細り続けるという、奇妙な断層が生まれています。

数字として明言できるのは、戦中・戦後由来の広義のJFCはすでに10万から20万規模の人口に達している可能性が極めて高いということ。そして、その大多数は日本との法的なつながりを持たないまま世代を重ねています。歴史の影響が、制度の外側に大きな人口集団として残り続けているというのが現在の姿です。

 

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