2025年首相指名選挙の論点整理
今、日本で何が起きているのか
2025年10月中旬、日本の政治は前例のない混乱の中にある。自民党の新総裁に高市早苗氏が選出されたその直後、長年の盟友であった公明党が突如として連立からの離脱を表明した。表向きには政治新問題だが、高市氏の保守的な路線が公明党の価値観と相容れないという理由も濃厚と見られる。
この離脱により、自民党は衆議院で197議席しか持たない「少数与党」に転落し、過半数の233議席まで、実に36議席も足りない状況になった。26年ぶりの事態である。かつて1990年代後半、橋本龍太郎政権が少数与党となって以来の異常事態が、再び日本を襲った。
この状況下で行われる首相指名選挙は、もはや形式的な手続きではない。自民党が政権を維持できるのか、それとも野党が連携して政権を奪取するのか。まさに政権の命運を決する攻防戦となっている。しかし、どちらの陣営も単独では過半数に届かない。
これは、日本の政治が根本的に変わろうとしている兆候かもしれない。単純に「多数決で決める」時代は終わりを告げた。これからの日本政治は、常に「交渉と妥協」を必要とする。誰が首相になっても、もはや安定政権を築くことは困難な時代に入ったのである。
4つの政党の思惑
この混乱の中で、4つの政党がそれぞれの思惑を抱えながら動いている。
まず自由民主党である。高市早苗氏を党首とし、197議席を擁するが、それでは全く足りない。36議席をどこから調達するか。維新か、国民民主か、それとも両方か。崖っぷちに立たされた与党の焦りは隠しようがない。
野党第一党の立憲民主党は、野田佳彦氏が党首を務め、148議席を持つ。「野党統一」を主導したい立場だが、足元が揺らいでいる。消費税問題で党内が真っ二つに割れている。野田・枝野グループは財政規律を重視し、安易な減税に反対する。一方、小沢・江田グループは国民生活を重視し、消費税減税を強く推進している。野党をまとめる前に、自党をまとめられるのかという根本的な疑問が浮上している。
日本維新の会は藤田文武氏が率い、約40議席を持つ。数は多くないが、その立ち位置が極めて重要である。キャスティングボートを握っている。維新は「政策合意なき連携はしない」と明言していて、自民に付くか、野党に付くか。その選択一つで情勢は大きく変わる。
そして国民民主党である。玉木雄一郎氏が党首で、わずか20議席ほどしかない。しかし、この小さな政党がすべての鍵を握っているとも見られる。自民党からも野党からも熱烈に求愛されているからである。玉木氏自身が野党統一候補の最有力候補としてもその名前が挙がっている加熱ぶりである。玉木氏はガソリン税の暫定税率廃止など、具体的な政策実現を連携の交換条件としているが、政策で成果を出せる相手とだけ組むという、極めて現実的な姿勢であるとも言える。
自民党はどう生き残り、野党はどう政権を奪うか
自民党の戦略は、一言で言えば「つなぎ止め」と「引き剥がし」である。ここから特に国民民主党へのアプローチは露骨なまでに積極的となった。自民党の鈴木幹事長は国民民主党に対して直接「政治の安定のため、新たな枠組みに協力してもらいたい」と要請している。高市総裁自身も、国民民主党が重視する「年収の壁」引き上げなどの政策に前向きな姿勢を示し、連携の地ならしを進めている。
維新に対しては、完全な連立でなくても「首相指名だけでも協力してほしい」という部分協力を狙っている。とにかく233議席を確保する。それだけが自民党の生命線である。
一方、野党側の戦略は「候補者一本化」という大きな賭けに出ている。立憲民主党、日本維新の会、国民民主党が連携し、候補者を一人に絞るというのだ。単純計算すれば、148プラス40プラス20で208議席となり、自民党の197議席を上回る。さらに、決選投票で公明党が野党候補を支持すれば、逆転は理論上は可能である。
この戦略の軸として浮上しているのが玉木雄一郎氏である。立憲民主党も「自党の代表である野田氏にはこだわらない」と柔軟な姿勢を示している。政権交代という大目標のためには、メンツにこだわっている場合ではないという判断であるが、ようするに手段と目的はすでに錯誤している。が、ここに「政策の壁」がある。維新と国民民主は「政策合意が大前提」という立場を崩していない。「反自民」というスローガンだけでは組めないと明言している。
なぜ「反自民」だけでは足りないのか
第一の対立は消費税である。そして皮肉なことに、この問題で最も深刻に分裂しているのが立憲民主党自身である。野田・枝野グループは「安易な減税は財政を破綻させる」として増税路線を堅持している。野田氏はかつて首相として消費税増税を決断した人物であり、その信念は揺るがない。しかし、小沢・江田グループは全く逆の立場である。「国民生活が苦しい今こそ減税を」と主張し、消費税減税を強く推進し、党内が真っ二つに割れているのである。一方、維新と国民民主は両党とも積極的な減税派である。特に国民民主はガソリン税の暫定税率廃止まで要求している。立憲の財政規律派とは、到底相容れない主張である。野党が統一候補を立てたとしても、政権を取った後にどうするのか。減税するのか、しないのか。この根本問題に答えが出ていない。
第二の対立はエネルギー政策である。立憲民主党は伝統的に脱原発の立場を取っている。これは党の基本理念と言ってもよい。しかし、維新と国民民主は「現実的なエネルギーミックス」を重視しており、原子力の活用も選択肢として排除していない。自民党は言うまでもなく、経済安全保障の観点から原子力を含む安定供給を重視する路線である。だが、エネルギー政策は国の根幹に関わる問題である。この点で野党3党が一致できないとすれば、統一候補を立てたところで、政権運営の段階で深刻な対立が生じることは目に見えている。
第三の対立は安全保障政策である。立憲民主党は安全保障法制を違憲とする立場を取っている。しかし、この「違憲論」が他党から「見直し」を迫られている。維新と国民民主は両党とも、現実的な防衛力強化を支持しているからである。立憲の違憲論とは一線を画し、防衛力強化の必要性は認めつつ、財政規律や効率性を重視する立場である。自民党はさらに踏み込んで、防衛力強化路線を継続し、QUAD(日米豪印の枠組み)の強化を目指している。
これらの政策対立を見れば明らかであるが、野党3党は「反自民」という点では一致しているが、「では何をするのか」という点では全くバラバラなのである。政策がバラバラのまま連立しても、政権運営はできない。早期崩壊のリスクが極めて高い。ここに「数合わせ」の限界がある。
3つのシナリオ
この首相指名選挙の結果、日本にはどのような未来が待っているのだろうか。大きく分けて3つのシナリオが考えられる。
最も可能性が高いのは、高市政権の誕生である。確率は60パーセントほどと見られる。野党間の政策協議が決裂し、候補者一本化に失敗する。自民党が高市氏への投票で党内をまとめ、維新や国民民主の一部を取り込んで、決選投票の末に勝利するというシナリオである。しかし、この場合でも日本は「交渉地獄」に陥る。少数与党での政権運営となるため、全ての法案について野党との交渉が必須となる。安全保障政策は進むかもしれないが、減税などの経済政策は野党の協力が得られず停滞する。物価高対策が遅れ、国民の不満が蓄積していく。政権は常に不安定で、いつ解散総選挙に追い込まれるか分からない状況が続く。
対抗シナリオは、野党政権の誕生である。確率は30パーセントほどか。形式的に統一候補として玉木氏を擁立し、政策合意がないまま政権を発足させるというシナリオである。この場合、日本はさらに深刻な混乱に見舞われる。消費税やエネルギー政策で連立内の対立が激化し、物価高対策など喫緊の課題が停滞する。数ヶ月で政権崩壊の危機に直面するだろう。そして国民の間に「やはり野党はダメだ」という失望感が深まり、政治不信はさらに悪化する。短命政権の後には、再び自民党政権が戻ってくるかもしれない。しかし、その自民党もまた少数与党であり、不安定な状況は変わらない。
大穴シナリオを想定するなら、奇跡の政策合意による本格的な政権交代である。確率は10パーセント程度だろう。野党3党が消費税、エネルギー政策などで何らかの妥協点を見出し、公明党も決選投票で野党候補を支持する。30年ぶりの本格的な政権交代が実現するというシナリオである。この場合、日本は大きな変化を経験する。消費税減税が実現し、国民負担が一時的に軽減される可能性がある。しかし同時に、脱原発へ舵を切ることでエネルギー供給に不安が生じる。安全保障政策の見直しにより、日米関係にも緊張が生まれるかもしれない。改革と混乱が同時進行する、予測不可能な時代が始まる。
私たちは何を見るべきか
これら3つのシナリオに共通しているのは、「少数与党時代」という不可逆的な変化である。どのシナリオが実現しても、「単独決定」の時代は終わったのである。これからの日本政治は、「対話と妥協」が新常態となる。安定より流動性、確実性より不確実性の時代へと移行したのである。そして重要なのは、本当の勝負は「選挙後」にあるということである。首相指名はスタート地点に過ぎない。その後の連立再編、政策合意の形成こそが本番である。誰が首相になるかよりも、どんな枠組みを作れるかが重要なのである。
この選挙を通じて問われているのは、日本の政党が「政策で合意する力」を持っているかどうかである。「反自民」というスローガンだけでは政権は担えない。消費税、エネルギー、安全保障といった具体的な政策課題で合意を形成できるか。日本の政党に「交渉と妥協の政治文化」はあるのか。
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