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2025.10.29

「スパイ防止法」をめぐる報道の歪みと日米安保の実相

共同通信の「スパイ防止」報道のひどさ

共同通信は2025年10月28日、47NEWSをはじめとする地方紙向けに次のような見出しの記事を配信した。

「令和版『希代の悪法』が誕生するのか 高市新首相肝いりで関心高まるスパイ防止法 制定100年、終戦で廃止された治安維持法再来の懸念」。

この見出しは三層構造である。まず「令和版『希代の悪法』」という断定的表現で読者の警戒心を煽り、次に「高市新首相肝いり」で個人責任を強調し、最後に「治安維持法再来の懸念」で歴史的悪法との類比を完成させる。

記事本文は冒頭で市民団体や野党の懸念を引用し、高市早苗首相が自民党総裁選で掲げた「早期制定」の公約と、日本維新の会との連立合意書に記載された「2025年中の検討開始」を根拠に「肝いり」を裏付ける。治安維持法との比較は共産党や社民党の批判発言で補強され、参政党の神谷宗幣代表の「極端な思想の公務員は辞めてもらわないと」という発言も「再来」の証左として扱われる。

共同通信は地方紙の購読者層を意識し、警鐘型の論調を一貫させてきたが、今回も記事はスパイ防止法の制定が目前に迫っているかのような印象を与える。過去の治安維持法の制定から100年という節目を強調し、終戦で廃止された悪法の再来を連想させる。報道の目的は国民の不安を掻き立てることにある。

しかし、この報道にはあまりにも事実の歪曲と文脈の欠落が目立つ。見出しの煽り方は読者の感情を操作する。共同通信の配信記事は地方紙でそのまま掲載されることが多い。沖縄タイムスや北海道新聞は共同通信の論調を反映する。

記事は高市首相の所信表明演説でスパイ防止法に触れなかった事実を無視する。トランプ大統領との会談を優先した初動を報じず、保守派の悲願を個人色で描く。スパイ防止法は自民党の長年の政策課題である。1985年の国家秘密法案以来、議論は断続的に続くが、共同通信はこうした歴史的連続性を無視する。また記事は中国の邦人拘束事件を軽く触れるのみである。経済安保の観点からも法整備の必要性を示唆するが、深掘りはしない。

共同通信報道の焦点は懸念の強調にある。市民団体の勉強会やジャーナリストの意見を引用し、監視社会のリスクを警告する。共同通信の記事はバランスを欠く。賛成派の声はほとんど紹介されない。スパイ防止法の必要性を主張する防衛関係者や企業側の意見は排除される。あまりにこの報道は一方向である。見出しの「誕生するのか」は法案の存在を前提とする。しかし、現状、スパイ防止法は法案ですらない。政策提言の段階である。共同通信の表現は誤解を招く。記事は治安維持法の廃止から80年という節目を無視する。終戦100年は誤りである。共同通信の事実確認は甘い。報道の構造は感情誘導である。

「稀代の悪法」は共同通信の主観

まず、「希代の悪法」という表現は共同通信の創作にすぎない。「希代の悪法」は戦後史学において治安維持法を指す評価である。荻野富士夫の研究などで用いられる。スパイ防止法に対して公式に適用された記録はない。記事本文では「市民団体が懸念している」と記述するが、見出しでは断定形である。これは報道倫理の観点から問題である。

1985年に自民党が提出し廃案となった国家秘密法案も「悪法の前例」とされる。当時の法案はスパイ活動そのものを処罰対象とするものではない。秘密の定義が曖昧であった点で批判された。

「スパイ防止法」はこれまで国会に提出された法案すら存在しない。自民党の政策提言段階に過ぎない。この時点で「悪法誕生か」と予断を込めるのはまったく報道の客観性を欠く。共同通信は過去の特定秘密保護法や共謀罪の報道でも警鐘型であり、監視国家のリスクを強調するのはよいとして、スパイ防止法の定義を曖昧に扱いすぎる。

記事はスパイの範囲が拡大する恐れを指摘し、ジャーナリストの取材が妨げられる可能性を挙げる。しかし、提言書は防諜活動に焦点を絞られている。死刑級の重罰ではなく国際水準のバランス型を目指す。共同通信はこうした調整の余地を意図的にか無視している。要するに共同通信報道は妄想を限界まで引き伸ばして最悪のシナリオを前提としたいるにすぎない。治安維持法の拷問や処刑の歴史を連想させる。スパイ防止法の目的は異なる。外国勢力の情報収集を防ぐ。報道の類比は強引である。

「高市の肝いり」ではない

「高市肝いり」という表現も誤解を招く。2025年5月、自民党治安・テロ・サイバー犯罪対策調査会はスパイ防止法の導入検討を求める提言書をまとめ、当時の石破茂首相に提出した。この際、高市氏は調査会長として提言を主導したが、これは党内作業の一環にすぎず、自民党は2025年参院選公約に「スパイ防止法の導入検討」を既に明記していた。日本維新の会は公約で法整備を支持した。国民民主党や参政党も同様である。

連立合意書への記載は党間調整の結果であり、高市個人の政治力のみによるものではない。石破政権が続投した場合でも、2026年通常国会での法案提出は避けられなかったのである。党内保守勢力と連立与党の合意により、議論は構造的に進行する運命にあった。ようするに高市氏の就任は加速要因に過ぎない。

提言書には重要情報の保護が強調されて印象もあり、高市氏としては経済安保担当相時代に企業情報の漏洩防止を経験したので、半導体技術の流出が問題意識はあるだろう。これを高市氏のタカ派イメージがメディアで共同通信が強調する文脈はあまりに外している。さらに、統一教会との関係を連想させる点はほとんど陰謀論に近い。

そもそも自民党の政策の推進は党全体の流れである。石破氏は提言を受け取り「勉強する」と応じたが、彼も安保強化派であり、特定秘密保護法を推進した経緯がある。スパイ防止法に反対した発言はない。共同通信は石破時代の文脈も無視し、高市氏の総裁選公約を個人色で描き、自民党の連続性を断ち切る。

「治安維持法再来」の類比は煽り

「治安維持法再来」の類比は歴史的文脈を欠落させている。治安維持法は1925年に制定された。「国体変革罪」を根拠に共産主義者や反戦運動家を弾圧したが、対象は「内なる敵」である国内思想である。他方、今回の通称「スパイ防止法」の目的は外国勢力による諜報活動の防止であり、対象は「外なる敵」である。両者の本質は異なる。

2013年に成立した特定秘密保護法は運用から12年が経過するが、思想弾圧に悪用された事例はない。すでに司法審査や報道の例外規定が機能した実績がある。他方、中国の反スパイ法により邦人9人が実刑判決を受けており、外国勢力の脅威が現実である。

共同通信の報道はこうした現実的文脈を意図的に排除している。記事は密告社会のリスクを警告し、公安警察の悪用を懸念する。しかし、提言書は秘密の範囲を防衛・外交に限定され、司法審査を義務化する案が含まれている。共同通信は失敗例として香港の国安法を挙げが、日本は民主主義国家であり、国会審議で調整可能である。

日米安全保障条約との関連

さて、実は最大の論点は共同通信が報道しないところにある。日米安全保障条約との関連が報道の盲点なのである。

日米安保条約第5条は日本と米国が相互に防衛義務を負うが、日本にはスパイ活動を直接処罰する法律がない。そのため、米軍が提供する機密情報は日本国内で漏洩しても摘発できない。日米軍事情報保護協定は情報保護の枠組みを提供し、日本側は特定秘密保護法のみで対応するが、米国は1917年制定のスパイ法により情報保護を徹底している。情報共有には格差が生じるようでは、米軍基地の機密が日本国内で守られない。横田飛行場や嘉手納飛行場での諜報活動が問題となる。スパイ防止法の不在は同盟の弱点となっている。

具体的には、米国防総省は「スパイ法のない国」に対し、Tier 1レベルの機密情報共有を制限する。このため、例えば、F-35戦闘機のセンサー情報は日本に完全開示されない。原子力潜水艦の動向も同様である。

日米安保の実効性は情報共有の深度に依存する。スパイ防止法は情報格差を解消するために必要とされてきた。現状では、米側は日本を「スパイ天国」と見なしている。要するに、特定秘密保護法は第一歩であり、スパイ防止法は次のステップという路線にあった。

一般論としての「スパイ法」だが、国際標準との比較も明確にしておきたい。米国はスパイ法を有する。英国は公式秘密法である。韓国は国家保安法である。これらは同盟国としての標準装備である。日本のみが日米安保を維持しながらスパイ法を持たない例外状態にある。豪州はAUKUSで法整備を進める。経済安保や中国対策は表向きの理由である。本質は日米同盟の情報共有円滑化である。

2026年首脳会談での情報共有深化議題が法案成立の暗黙の交換条件となる可能性がある。スパイ防止法は日米安保の実践的応用である。というか、それにすぎない。

 

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