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2025.10.31

米中首脳会談の深層:トランプの空振り

1 米中首脳会談の概要:ニュース報道的な内容

2025年10月30日、韓国・釜山でトランプ米大統領と習近平中国国家主席による首脳会談が開催された。会談時間は約1時間40分であり、APEC首脳会議の合間に実施され、両国は事前に「貿易摩擦の緩和」を議題にすると発表していた。会談後、トランプ大統領はTruth Socialで「驚異的な合意」「レアアースの障害が消えた」「農家が喜ぶ数百億ドルの取引」と自賛したが、中国外務省は「重要な経済・貿易問題で合意」と控えめに述べ、商務省は「米国の行動次第で条件付き」と強調した。

合意内容は以下の通りである。①中国のレアアース輸出規制(第61号通告)を1年間凍結。②米中双方の港湾手数料を1年間停止。③米の関税を全体で57%から47%に引き下げ、特にフェンタニル関連を20%から10%に半減。④中国が米国産大豆・エネルギーの大量購入を再開。⑤Nvidiaチップ販売の仲裁で米国が「仲介役」を務める。

台湾・ウクライナ問題は議題に上らず、映像的には習主席が右側(ホスト位置)に立ち、トランプ大統領が待機する形となった。会談後、トランプは「4月訪中」を表明したが、中国側は未確認である。

報道では、米メディア(NYT、CNN)は「短期的な緊張緩和」と評価し、中国メディア(人民日報)は「米国の譲歩が先」と強調した。市場は一時的に反応し、MP Materials株が急騰後下落した。

2 会談結果の評価:トランプの空振り

会談の結果は、トランプ大統領の「勝利宣言」とは裏腹に、米国の戦略的後退と評価できる。トランプは100%関税脅迫や核実験再開で強硬姿勢を示したが、中国のレアアース規制という「拳」に対抗できず、1年休戦に甘んじた。つまり、トランプのブラフは「空振り」に終わり、中国が主導権を握った形である。

まず、トランプの「サラミ・スライシング」戦略は失敗した。これは、米国の細切れ制裁(港湾手数料、エントリー・リスト拡大、半導体輸出規制など)を指す用語である。米国の薄皮をはぐような攻撃は、結局のところ中国の報復を誘発し、米軍・産業の即時危機を招いた。

当初トランプは「中国を屈服させる」と豪語したが、実際は米農家(大豆輸出25億ドル損失)や軍需産業(F-35生産停止リスク)の圧力で譲歩せざるを得なかった。中国商、務省のスキームとして「米が先に撤回し、中国が応じる」という構造は、交渉の主導権が中国にあることを示している。

次に、米中の経済的一心同体の現実がトランプのブラフを無力化した。米中貿易額は1950億ドル、また、米国のレアアース依存は92%に達する。トランプの「デカップリング」公約は現実的には幻想であり、会談は「管理された対立」の延長に過ぎない。

トランプのいう「Amazing meeting」は単なる自己満足であり、実態は脆弱な休戦と評価するのが妥当であろう。こうしたトランプの空振りは、まったく予想されていないわけではなく、そもそも中間選挙(2026年)までの「繋ぎ」に過ぎなかったが、思わぬの失態で米国国内政治の制約が露呈してしまった。

3 中国激怒の時系列:船舶手数料が火種

転機は中国の激怒にあり、それは米国の「船舶港湾手数料」から始まる。時系列は以下の通りである。
2025年1月、トランプ政権はSection 301調査で中国の造船業を「国家補助金による不公平」と認定した。5月、米国の港湾で中国製・所有・運航船舶に年32億ドルの手数料を課す決定を下す。これは米造船シェア0.1% vs 中国50%という現実を無視した「貿易無関係の攻撃」であり、サラミスライシングの典型である。中国商務省は即座に「経済テロ」と非難。
10月9日、中国は報復として第61号通告を発令した。レアアース12種と精製技術の輸出を軍事目的で原則禁止とした。10月11日、中国は米国所有船舶に同等手数料を導入し、韓国Hanwha Oceanの米子会社5社を制裁した。10月21-27日、米財務次官スコット・ベッセントと中国貿易担当官の会談は荒れた。中国側は「強硬警告」を発し、ベッセントを「嘘つき」と公然非難し、中国メディアはこれを大々的に報道した。

この連鎖は、米国のサラミ・スライシング戦術が中国の敵対を引き起こした典型である。中国の造船業は国家戦略であり、米国の手数料は中国の核心利益を侵害する。このため、中国はレアアースという強カードで即座に応じ、米国の軍事・半導体産業を直撃した。会談で米国が手数料を撤回したのは、この激怒の結果である。船舶問題は、会談前の緊張を最大化した火種であり、米国の戦略的失敗を象徴することになった。

4 レアアース問題の深層と今後の行方

要するに、レアアース問題は、米中対立の核心である。中国は世界の採掘69%、精製92%、磁石98%を支配。米国の依存は軍事(F-35磁石、ミサイル誘導部品)、半導体、EV産業に及び、さらに、無計画なウクライナ支援で在庫70%枯渇の危機に直面した。

中国は今回の会談で第61号通告を1年間凍結したが、あくまで「条件付き」である。米国の行動(港湾手数料撤回、関税削減)が前提であり、いつでも再発動可能である。今後のシナリオは以下の通りである。

第一に、米国の代替供給網構築は大幅に遅れる。MP Materialsのテキサス工場は2026年稼働予定だが、光レアアースのみで重レアアース(ディスプロシウム)は未達である。米豪投資85億ドルも環境訴訟で遅延し、2030年でも中国依存は50%超と予測される。サラミ・スライシングの延長として、米国のリサイクル技術(Energy Fuels)は10%回収が限界である。第二に、中国の敵対応答は今後も継続しうる。1年後の再交渉で、中国は台湾問題や半導体規制を絡め、米国の譲歩を追加要求する可能性が高い。「中国の支配は10-15年続く」と指摘する向きもある。第三に、グローバル波及がある。インドは中国産レアアース輸入を条件付き許可し、欧州はASMLチップ停止の可能性で大混乱した。中国包囲の戦略はすでに機能不全であるが、幸いに日本も軍事費ショックを免れた形になった。とはいえ、日本にも潜在リスクは残る。

5 一年間の留保の行方:中国の試用期間

1年間の留保は「米国の試用期間」であり、その後はどうなるか。中国商務省のスキームでは、2026年再交渉でも中国の優位が維持される。中国はレアアースを外交カードとして保持し、米国の行動を監視するだろう。その後のシナリオも明るくはない。
第一に、再エスカレーションの可能性が高い。米中貿易赤字は解消せず、トランプの中間選挙後(2026年11月)の政権基盤次第で無謀な関税再強化をするかもしれない。そうなれば中国は即座にレアアース規制を再発動し、米軍再建を遅らせるだろう。船舶手数料の再来のようなサラミ・スライシング戦術は、さらなる報復を招くだけだ。第二に、米国の国内制約が鍵である。農家・軍需産業の圧力は依然変わらず、トランプは再び譲歩を強いられる。半導体(Nvidiaチップ)やAI競争、さらに中国のDeepSeekが脅威となる中、米国の技術優位も揺らぎかねない。トランプが打ち上げる「4月訪中」が実現するかは、中国の「好行為」次第である。第三に、米中に秩序ある「離婚」は困難である。経済的一心同体が完全分断を阻み、両国は管理された対立を継続するほかはない。

1年後も、新たな休戦となるだろう。そうでければ、無謀な本格戦争となりうる。トランプの空振りは、すでに米国の長期戦略の限界を示しており、トランプ政権後に無謀なパフォーマンスがなくなったとしても、事態の構図には変化はない。一言でいうなら、米国は、詰んだのである。

 

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2025.10.30

これは「ダルフール問題」である:エル・ファシャル陥落

1 エル・ファシャル陥落──2025年10月の惨劇

2025年10月25日から27日にかけて、スーダン北ダルフール州都エル・ファシャル(人口約70万人)は、準軍事組織「緊急支援部隊(RSF)」によって完全に制圧された。RSFは2023年4月以来の内戦で、ダルフール地方のほぼ全域を掌握していたが、エル・ファシャルはスーダン軍(SAF)と同盟勢力が最後に保持していた主要都市である。包囲戦は数カ月に及び、10月下旬にRSFが市内主要軍事基地を占領したことで決着した。

陥落直後から、即決処刑の証拠が続出した。BBC Verifyが検証した動画には、RSF戦闘員が非武装の男性を射殺する場面が複数記録されている。具体的には、大学構内で数十体の遺体に囲まれた男性が階段を降りる途中で銃撃され、倒れる様子が映る。別の動画では、戦闘員「アブ・ルル」が率いる部隊が跪かせた捕虜9人を一列に並べ、自動小銃で処刑する。負傷者を脅迫し、情報を得られなければ射殺する映像も公開された。これらの動画は10月27日以降にオンラインで拡散され、BBC Verifyは撮影場所をエル・ファシャル周辺と特定した(BBC Verify, 2025-10-28)。

衛星画像も虐殺の規模を示す。イェール大学人道研究室は、陥落後の画像に路上の「成人の体サイズの塊」を確認し、2004年の村落壊滅パターンと一致すると指摘した。変色部分は血液の可能性が高いとされる(Yale HRL, 2025-10-28)。WHOはエル・ファシャル病院で460人の遺体を確認し、RSFによる組織的殺害の痕跡を報告した(WHO, 2025-10-29)。

10月30日現在、RSFは市内を封鎖し、通信を遮断している。食料・医薬品は途絶え、数千人の民間人が閉じ込められたままである。国連スーダン調整官は「非武装男性に対する即決処刑の信頼できる報告」を受けたと述べた(UN OCHA, 2025-10-29)。市街地は「死の街」と化し、避難民キャンプへの砲撃も継続中である。RSFは市内に「新政府」を樹立し、支配の永続化を図っている。

2 「ダルフール」を避ける報道──地名と政治の狭間

主要メディアはエル・ファシャル陥落を報じながら、「ダルフール」という用語を極力控えている。BBCは本文中盤で2回、Reuters・Al Jazeera・CNNはゼロ、AP・Guardianは1回のみである。見出しではNYTが「Darfur」を使用した例外を除き、すべて「El Fasher」または「North Darfur state」で代替された。

この傾向には三つの要因がある。第一に、地名報道の原則である。事件はエル・ファシャルで発生したため、具体的な地名が優先される。第二に、「ダルフール=2003–2005年の過去紛争」という固定観念が存在する。広域名を使うと現在進行形の危機が過去の文脈に埋没する恐れがある。第三に、国際法・政治的配慮である。「ダルフールでジェノサイド再発」と明記すれば、保護する責任(R2P)が発動し、軍事介入の圧力が高まる。

米国は2025年1月にRSFをジェノサイド実行主体と認定したが、10月の虐殺後も新たな制裁は課していない。UAEはRSFの主要資金源とされるが、武器供給を継続中である(HRW, 2025-10-28)。国連安保理では中国・ロシアが「ダルフール制裁延長」に反対し、議論を封じ込めている。

一方、人権団体は「ダルフール」を明言する。Human Rights Watchは「エル・ファシャルの陥落はダルフール・ジェノサイドの新章である」と断じた(HRW, 2025-10-27)。Amnesty Internationalも「2003年の虐殺が繰り返されている」と警告した(Amnesty, 2025-10-28)。メディアと人権団体の役割分担が、用語の差となって現れている。

3 連続性──2003年から2025年への同一線

エル・ファシャルでの即決処刑は、ダルフール問題以外では説明できない。加害者、被害者、手法の三要素が2003年以来一貫している。

加害者はRSFである。その前身ジャンジャウィードは2003–2005年に非アラブ系住民を標的にし、30万人を殺害、200万人を追放した。RSFは2013年に正式編成されたが、構成員の多くはジャンジャウィード出身である。処刑動画の戦闘員「アブ・ルル」は2023年以前からRSFで活動し、2025年8月には捕虜処刑で内部調査を受けた(RSF声明, 2025-08)。しかし10月には再び処刑の中心に立つ。

一人の人間が20年間、同一の殺戮を繰り返す。これは組織の連続性であり、個人の免罪符でもある。RSFは「調査する」と声明したが、加害者は昇進し、被害者は消える。歴史は個人レベルで反復する。

被害者は非アラブ系民間人である。RSFは民族浄化を目的に、非アラブ系男性を優先的に殺害する。衛星画像の遺体群は、2004年に焼け落ちた村落の写真と同一パターンである(Yale HRL, 2025-10-28)。ダルフール5州の地図上で見れば、2003年の焼却村落(赤丸)と2025年のRSF制圧都市(黒丸)が重なる。エル・ファシャルは「最後の白地」であり、陥落でダルフール全域が黒塗りになった。衛星画像は、2004年の焼け野原と2025年の遺体散乱が同一座標で重なることを示す(Maxar, 2025-10-29)。民族浄化の版図は20年で完成した。

手法も変わらない。即決処刑、村落封鎖、避難民キャンプ砲撃は、2003年のジャンジャウィード戦術の再現である。ICCは2009年にバシール大統領をダルフール・ジェノサイドで起訴した。2025年、RSF司令官ヒメイドティは「新政府樹立」を宣言するが、逮捕状はゼロである。法は過去を裁くが、現在を止めない。米国はジェノサイド認定後も武器禁輸を強化せず、UAEは金鉱山でRSFに資金を提供する(Global Witness, 2025-10)。「ダルフール」を避ける報道は、国際法の死を隠す共犯である。

タイムラインは以下の通りである。
2003年:第1章──村落焼却(ジャンジャウィード)。
2009年:ICCがバシール逮捕状。
2019年:バシール失脚、SAFとRSFが共同統治。
2023年4月:第2章──内戦勃発、RSFがダルフール制圧。
2025年10月:第3章──都市虐殺、エル・ファシャル陥落。

エル・ファシャル陥落は終わりではなく、序章である。RSFは「ダルフール新政府」を宣言し、スーダン全土への拡大を表明した。歴史は「地方→全国」のパターンを繰り返す。次章は「全国制圧」か「国際介入」か。地名はエル・ファシャルに変わったが、歴史は同一線上にある。国際社会が「ダルフール」を避けるほど、反復は加速する。

 

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2025.10.29

「スパイ防止法」をめぐる報道の歪みと日米安保の実相

共同通信の「スパイ防止」報道のひどさ

共同通信は2025年10月28日、47NEWSをはじめとする地方紙向けに次のような見出しの記事を配信した。

「令和版『希代の悪法』が誕生するのか 高市新首相肝いりで関心高まるスパイ防止法 制定100年、終戦で廃止された治安維持法再来の懸念」。

この見出しは三層構造である。まず「令和版『希代の悪法』」という断定的表現で読者の警戒心を煽り、次に「高市新首相肝いり」で個人責任を強調し、最後に「治安維持法再来の懸念」で歴史的悪法との類比を完成させる。

記事本文は冒頭で市民団体や野党の懸念を引用し、高市早苗首相が自民党総裁選で掲げた「早期制定」の公約と、日本維新の会との連立合意書に記載された「2025年中の検討開始」を根拠に「肝いり」を裏付ける。治安維持法との比較は共産党や社民党の批判発言で補強され、参政党の神谷宗幣代表の「極端な思想の公務員は辞めてもらわないと」という発言も「再来」の証左として扱われる。

共同通信は地方紙の購読者層を意識し、警鐘型の論調を一貫させてきたが、今回も記事はスパイ防止法の制定が目前に迫っているかのような印象を与える。過去の治安維持法の制定から100年という節目を強調し、終戦で廃止された悪法の再来を連想させる。報道の目的は国民の不安を掻き立てることにある。

しかし、この報道にはあまりにも事実の歪曲と文脈の欠落が目立つ。見出しの煽り方は読者の感情を操作する。共同通信の配信記事は地方紙でそのまま掲載されることが多い。沖縄タイムスや北海道新聞は共同通信の論調を反映する。

記事は高市首相の所信表明演説でスパイ防止法に触れなかった事実を無視する。トランプ大統領との会談を優先した初動を報じず、保守派の悲願を個人色で描く。スパイ防止法は自民党の長年の政策課題である。1985年の国家秘密法案以来、議論は断続的に続くが、共同通信はこうした歴史的連続性を無視する。また記事は中国の邦人拘束事件を軽く触れるのみである。経済安保の観点からも法整備の必要性を示唆するが、深掘りはしない。

共同通信報道の焦点は懸念の強調にある。市民団体の勉強会やジャーナリストの意見を引用し、監視社会のリスクを警告する。共同通信の記事はバランスを欠く。賛成派の声はほとんど紹介されない。スパイ防止法の必要性を主張する防衛関係者や企業側の意見は排除される。あまりにこの報道は一方向である。見出しの「誕生するのか」は法案の存在を前提とする。しかし、現状、スパイ防止法は法案ですらない。政策提言の段階である。共同通信の表現は誤解を招く。記事は治安維持法の廃止から80年という節目を無視する。終戦100年は誤りである。共同通信の事実確認は甘い。報道の構造は感情誘導である。

「稀代の悪法」は共同通信の主観

まず、「希代の悪法」という表現は共同通信の創作にすぎない。「希代の悪法」は戦後史学において治安維持法を指す評価である。荻野富士夫の研究などで用いられる。スパイ防止法に対して公式に適用された記録はない。記事本文では「市民団体が懸念している」と記述するが、見出しでは断定形である。これは報道倫理の観点から問題である。

1985年に自民党が提出し廃案となった国家秘密法案も「悪法の前例」とされる。当時の法案はスパイ活動そのものを処罰対象とするものではない。秘密の定義が曖昧であった点で批判された。

「スパイ防止法」はこれまで国会に提出された法案すら存在しない。自民党の政策提言段階に過ぎない。この時点で「悪法誕生か」と予断を込めるのはまったく報道の客観性を欠く。共同通信は過去の特定秘密保護法や共謀罪の報道でも警鐘型であり、監視国家のリスクを強調するのはよいとして、スパイ防止法の定義を曖昧に扱いすぎる。

記事はスパイの範囲が拡大する恐れを指摘し、ジャーナリストの取材が妨げられる可能性を挙げる。しかし、提言書は防諜活動に焦点を絞られている。死刑級の重罰ではなく国際水準のバランス型を目指す。共同通信はこうした調整の余地を意図的にか無視している。要するに共同通信報道は妄想を限界まで引き伸ばして最悪のシナリオを前提としたいるにすぎない。治安維持法の拷問や処刑の歴史を連想させる。スパイ防止法の目的は異なる。外国勢力の情報収集を防ぐ。報道の類比は強引である。

「高市の肝いり」ではない

「高市肝いり」という表現も誤解を招く。2025年5月、自民党治安・テロ・サイバー犯罪対策調査会はスパイ防止法の導入検討を求める提言書をまとめ、当時の石破茂首相に提出した。この際、高市氏は調査会長として提言を主導したが、これは党内作業の一環にすぎず、自民党は2025年参院選公約に「スパイ防止法の導入検討」を既に明記していた。日本維新の会は公約で法整備を支持した。国民民主党や参政党も同様である。

連立合意書への記載は党間調整の結果であり、高市個人の政治力のみによるものではない。石破政権が続投した場合でも、2026年通常国会での法案提出は避けられなかったのである。党内保守勢力と連立与党の合意により、議論は構造的に進行する運命にあった。ようするに高市氏の就任は加速要因に過ぎない。

提言書には重要情報の保護が強調されて印象もあり、高市氏としては経済安保担当相時代に企業情報の漏洩防止を経験したので、半導体技術の流出が問題意識はあるだろう。これを高市氏のタカ派イメージがメディアで共同通信が強調する文脈はあまりに外している。さらに、統一教会との関係を連想させる点はほとんど陰謀論に近い。

そもそも自民党の政策の推進は党全体の流れである。石破氏は提言を受け取り「勉強する」と応じたが、彼も安保強化派であり、特定秘密保護法を推進した経緯がある。スパイ防止法に反対した発言はない。共同通信は石破時代の文脈も無視し、高市氏の総裁選公約を個人色で描き、自民党の連続性を断ち切る。

「治安維持法再来」の類比は煽り

「治安維持法再来」の類比は歴史的文脈を欠落させている。治安維持法は1925年に制定された。「国体変革罪」を根拠に共産主義者や反戦運動家を弾圧したが、対象は「内なる敵」である国内思想である。他方、今回の通称「スパイ防止法」の目的は外国勢力による諜報活動の防止であり、対象は「外なる敵」である。両者の本質は異なる。

2013年に成立した特定秘密保護法は運用から12年が経過するが、思想弾圧に悪用された事例はない。すでに司法審査や報道の例外規定が機能した実績がある。他方、中国の反スパイ法により邦人9人が実刑判決を受けており、外国勢力の脅威が現実である。

共同通信の報道はこうした現実的文脈を意図的に排除している。記事は密告社会のリスクを警告し、公安警察の悪用を懸念する。しかし、提言書は秘密の範囲を防衛・外交に限定され、司法審査を義務化する案が含まれている。共同通信は失敗例として香港の国安法を挙げが、日本は民主主義国家であり、国会審議で調整可能である。

日米安全保障条約との関連

さて、実は最大の論点は共同通信が報道しないところにある。日米安全保障条約との関連が報道の盲点なのである。

日米安保条約第5条は日本と米国が相互に防衛義務を負うが、日本にはスパイ活動を直接処罰する法律がない。そのため、米軍が提供する機密情報は日本国内で漏洩しても摘発できない。日米軍事情報保護協定は情報保護の枠組みを提供し、日本側は特定秘密保護法のみで対応するが、米国は1917年制定のスパイ法により情報保護を徹底している。情報共有には格差が生じるようでは、米軍基地の機密が日本国内で守られない。横田飛行場や嘉手納飛行場での諜報活動が問題となる。スパイ防止法の不在は同盟の弱点となっている。

具体的には、米国防総省は「スパイ法のない国」に対し、Tier 1レベルの機密情報共有を制限する。このため、例えば、F-35戦闘機のセンサー情報は日本に完全開示されない。原子力潜水艦の動向も同様である。

日米安保の実効性は情報共有の深度に依存する。スパイ防止法は情報格差を解消するために必要とされてきた。現状では、米側は日本を「スパイ天国」と見なしている。要するに、特定秘密保護法は第一歩であり、スパイ防止法は次のステップという路線にあった。

一般論としての「スパイ法」だが、国際標準との比較も明確にしておきたい。米国はスパイ法を有する。英国は公式秘密法である。韓国は国家保安法である。これらは同盟国としての標準装備である。日本のみが日米安保を維持しながらスパイ法を持たない例外状態にある。豪州はAUKUSで法整備を進める。経済安保や中国対策は表向きの理由である。本質は日米同盟の情報共有円滑化である。

2026年首脳会談での情報共有深化議題が法案成立の暗黙の交換条件となる可能性がある。スパイ防止法は日米安保の実践的応用である。というか、それにすぎない。

 

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2025.10.28

Grokipediaの衝撃、AIが百科事典を再定義するか?

2025年10月27日、イーロン・マスクが主導するxAIは公式サイトで「Grokipedia」を公開した。Grok 4が生成した約10万項目の知識ベースであり、Wikipediaの構造を模倣しつつ、リアルタイム更新と論争的トピックの多角的記述を特徴とする。公開直後からアクセスが殺到しする状態となった。この出来事は、知識生産の主体が人間からAIへと移行する転換点を象徴するかもしれない。

百科事典の変容 静的合意から動的推論へ

Grokipediaの核心は、xAI側の主張としては、知識の動態化にある。従来の百科事典、特にWikipediaは、人間の合意形成に基づく静的産物である。Wikipediaの場合、編集戦争を経ることによって中立的記述を成立させようとするが、更新には数日から数週間を要する。一方、GrokipediaはGrok 4の推論エンジンを活用し、ニュース発生から数分で項目を刷新できる。たとえば、2025年10月28日の某国首脳会談に関する項目は、会談終了直後に概要、発言要旨、国際反応を統合し、一次ソースへのハイパーリンクを自動生成した。この速度は、知識の鮮度を飛躍的に高める。

Grokipediaの記述スタイルも革新的である。気候変動の項目では、IPCC第6次評価報告書を基盤としつつ、懐疑派の論文(例:Lindzen, 2023)を併記し、各主張の証拠強度をスコア化する。このことによって、利用者は単なる事実の羅列ではなく、論争の構造を視覚的に把握できるようになる。このアプローチは、知識を「正解」ではなく「確率分布」として提示する点で、ポパーの反証可能性の精神を体現しているとも言える。

しかし、AIの選別基準は以前不透明であるため、バイアスの懸念は拭えない。xAIはトレーニングデータの詳細を公開せず、「最大限の真実追求」を掲げるが、開発者の価値観が反映されるリスクは残る。公開初日のX(Twitter)上での議論は、この点を鋭く突いたものが目立った。賛成派は「Wikipediaの停滞を打破する」と評価し、反対派は「AIのブラックボックスが知識を歪める」と警鐘を鳴らした。

知識の哲学 AIは認識主体となりうるか

Grokipediaの登場は、知識論の古くて新しい問いも再燃させることになる。プラトンは知識を「正当化された真なる信念」と定義したが、AIの「信念」は正当化の主体を欠く。Grok 4は膨大なデータを統合し、論理的推論を展開するが、そのプロセスは人間の検証を経ていない。たとえば、科学史の項目で、過去の誤謬(例:プトレマイオス的地心説)がAIに継承される可能性は否定できない。xAIはソース引用を義務化し、確率スコアを付与するが、アルゴリズムの重み付けも不透明である。
この問題は、認識論から社会学へと広がる。知識はいったい誰のものか。伝統的に百科事典は公共財であるが、GrokipediaはxAIの私有財産としてスタートしている。今後、API開放によりユーザー編集が可能となるが、基盤モデルは閉鎖的のままと見られる。

この状態について、衒学的ではあるが、フーコーの権力/知識論を援用すれば、AIは新たな権威を樹立するとも言える。対応すのであれば、利用者はAI生成コンテンツを批判的に吟味し、合意形成を主導する必要があるのだろう。Grokipediaは触媒ではなく参加者として位置づけられるべきであろう。過度なAI依存は人間の知的怠惰を招き、知識の民主化ではなく寡占化を招く。

政治的言説の再編 AIがフィルターを外す

話題となるのは、政治分野でGrokipediaの影響がすでに顕著だからである。選挙関連項目では、候補者の発言を時系列で記録し、AIが自動で事実確認を行う。2024年米大統領選のページは、両陣営の主張を並列し、一次ソース(公式演説動画、議事録)へのリンクを張る。読者はメディアのフィルターを回避し、裸の事実と向き合うことになる。これにより、フェイクニュースの拡散を抑制する効果が期待される。実際、ベータ版テストでは、誤報が即座にラベル付けされ、拡散前に訂正された事例がある。

しかし、政治的バイアスがAIに忍び込むリスクも無視できない。GrokのトレーニングにxAIの価値観(例:言論の自由優先)が反映されれば、中立性が崩れる。例えば、ベータ版で移民政策の項目が保守寄りと指摘され、修正を余儀なくされた事例は象徴的である。AIの政治利用は、プロパガンダの道具化を招く恐れもある。ロシアの「Great Russian Encyclopedia AI版」や中国の「Baike AI」が自国有利に歪曲する前例を踏まえれば、「公的な知識」というものに国際基準の策定が急務となる。

Grokipediaは「政治的に正しくない主張も証拠付きで記載する」という方針を採るが、これがヘイトスピーチの温床となる懸念も浮上する。たとえば、ジェンダーや人種問題で、主流メディアが避ける統計データ(例:犯罪率の民族別分布)を提示すれば、議論が深まる一方、社会的分断を助長する可能性があることは、ベルカーブ論争でも明らかであろう。

知識エコシステムの未来 人間とAIの協働

xAIとしては、Grokipediaの将来は、ユーザー参加型進化にある。xAIは編集機能をAPI開放し、コミュニティによる修正を奨励するという。WikipediaのボランティアモデルをAIが強化したハイブリッドが生まれる。教育現場では、学生がGrokipediaを基にレポートを作成し、AIの限界を学ぶツールとして活用可能となるかもしれない。たとえば、歴史事件の項目でAIの解釈と一次資料を比較し、批判的思考を養う、といった利用である。ビジネス面では、企業がカスタムGrokipediaを構築し、内部知識管理に用いる展望がある。製薬会社が臨床試験データをリアルタイムで統合すれば、新薬開発が加速する。

プライバシー問題も障壁となりうる。AIが個人データを学習に用いれば、GDPR違反のリスクが生じる。xAIは匿名化を約束するが、信頼構築は課題となる。
長期的に見れば、複数AIの連動が鍵となるだろう。GrokipediaがOpenAIの「Encyclopedia GPT」やGoogleの「Knowledge Graph AI」と競合すれば、多様な視点が確保される。読者が関心を持つのは、AIが選挙予測や政策シミュレーションに介入するシナリオである。たとえば、気候政策の項目でAIが経済影響をモデル化し、投票行動に直結するデータを提供すれば、民主主義の変容を予感させる。

知識の未来は、AIと人間の綱引きの行方にかかっている。Grokipediaはそのリングの中央に立つ、新しい挑戦者であることは疑いえない。

 

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2025.10.27

水が決める未来:AIとSMRが引き起こす核と水資源の地政学

AIインフラとSMR:需要急増の二大要因

現在進行中の人工知能の指数関数的拡大は、21世紀の国家間の戦略的駆け引きを根本的に書き換え初めている。まずもって、AI用のデータセンターは電力と水を貪欲に消費する怪物である。米国エネルギー情報局の予測では、2050年までに商業部門電力消費の20パーセントをコンピュータ分野が占める。単一の大規模施設は一日で最大500万ガロンの水を蒸発させ、これは人口五万人の町が同日に使用する量にも匹敵する。欧州では一日一万二千立方メートルを超える施設も珍しくない。

これらの数字は直接冷却水だけでなく、電力生成やサプライチェーンに組み込まれた間接的水フットプリントを含んでいるため、実際の影響はさらに大きい。冷却効率を最大化するため、サーバーはしばしば乾燥した半乾燥地域に立地される。しかしこれらの地域は気候変動による干ばつリスクが最も高い場所と重なる。デジタルインフラの拡大と地域水資源の持続可能性は構造的に対立している。

そして、AIに必要となる電力をどうするか。ここで厄介なことに、小型モジュール炉(SMR)は、従来の大型原子炉を小型化・モジュール化した次世代原子力技術が関わってくる。SMRの出力は300メガワット以下で、工場で製造し現場に輸送して組み立てるため、建設期間とコストを大幅に削減できる。しかも信頼性が高く、低排出のベースロード電源として、AIの24時間365日稼働を支える。

これが現実の問題となりつつある。米軍のJanus計画では、移動可能なマイクロリアクターを国内外の軍事施設に配備し、脆弱な民間電力網からの完全独立を目指している。これは単なるエネルギー供給策ではなく、作戦上の強靭性を確保するための核心的要素でもあるのだ。

つまり、AIとSMRは相互に依存する。AIの膨大な計算能力はSMRのような安定電源を必要とし、SMRの建設と運用はAIによる最適化を前提とする。この共犯関係は、水という共有資源をめぐる競争を指数関数的に激化させる。両者の同時拡大は、これまでエネルギーインフラの「隠れた基盤」であった水を、国家間の地政学的な係争点へと押し上げていく。

南ヨーロッパ:水をめぐる新資源戦争

風光明媚な印象の南ヨーロッパだが、すでにデジタル化の野心と水の現実が衝突する最前線でとなりつつある。欧州環境機関のデータによれば、同地域の人口の約三分の一がすでに慢性的な水ストレスに晒されている。気候変動による降雨パターンの変化と過剰な地下水採取が、この脆弱性をさらに悪化させている。さて、悪魔登場。AIデータセンターとSMRという新たな需要層が上乗せされるのである。2030年時点で、両セクターを合わせた水需要は欧州全体で年間70億から100億立方メートルに達し、これは人口二億から三億人規模のサービス需要に相当する。

スペイン北東部のアラゴン州がその、目下の問題の典型例である。米国アマゾン社は同地で三つのデータセンターを建設する計画を発表した。しかし、20メガワット規模の施設が恒久的に雇用するのは技術者三十人から五十人程度に過ぎない。だが、冷却システムは地域の貴重な水資源に深刻な圧力をかける。

地元農家は、灌漑用水の確保が脅かされるとして計画に猛反発している。環境団体は、データセンターの水使用量が農業用水を上回る可能性を指摘し、行政を提訴する動きを見せている。ギリシャのアッティカ地方も同様の危機に直面している。マイクロソフトは10億ドル規模の投資を表明し、グーグルも追随する。アテネ近郊は南東ヨーロッパのデジタルハブへと変貌しつつあるが、既存の水インフラはもはや限界に近い。

この状況では、AI技術展開の速度が政治的・規制的枠組みの適応能力を完全に凌駕する「ガバナンス・ギャップ」を露呈している。元来、水供給のストレスに悩む民主主義国家において、外国巨大テック企業と地元農業の、市民生活の間の水配分は、政治的不安定と反グローバリゼーション感情を煽る強力な触媒となる。短期的な経済効果と長期的な環境保全の間で、この国々の政治指導者は困難な判断を迫られる。新たな国家の安定そのものに関わる問題へと発展する。

米国:エネルギー支配と拒否による抑止

米国は、AIとSMRの拡大を単なる国内産業政策ではなく、国家安全保障の必須事項と位置づけている。SMRに焦点を絞ろう。

すでに米国国内の電力網は老朽化し、敵対国によるサイバー攻撃の格好の標的となっているうえ、2023年には電力網に対する物理的・サイバー攻撃の報告件数が185件にも達した。軍が管理する28万4千以上のミッションクリティカルな施設が、この脆弱な民間網に依存している米国の現実は、すでに国家安全保障上の致命的リスクである。

そうなれば、SMRの軍事施設への導入はこの脆弱性への直接的対抗策である。基地が民間電力網から独立することで、敵対国が電力網を攻撃する戦略的価値は劇的に低下する。これは「拒否による抑止」の典型である。攻撃が米軍の機能維持や報復能力を麻痺させないという明確なシグナルを敵に送ることで、そもそも攻撃を思いとどまらせる効果を持つ。Janus計画はこの戦略的ロジックを具体化するものである。移動可能なマイクロリアクターは、前方展開拠点を含む国内外の施設に配備され、作戦継続性を確保する。

国際原子力市場における米国のリーダーシップ再構築も並行して進められている。2017年以降に世界で建設が開始された原子炉五十二基のうち、四十八基が中国製またはロシア製である。この事実は、中露両国がグローバルサウスを対象に国家戦略として原子力輸出を進め、市場を席巻している現実を示している。

トランプ政権は一連の大統領令により、2050年までに国内原子力発電設備容量を四百ギガワットに引き上げる目標を掲げた。そのため、原子力規制委員会の承認プロセスを簡素化し、国産核燃料の増産を含むサプライチェーンを強化しつつある。並行して、核不拡散を原則とする123協定の締結交渉を積極化し、原子力供給国グループのガイドライン強化を図ろうとしている。AIという文脈がなくても、SMRは、米国の技術主権と国際規範形成能力を体現する戦略的資産である。

日本:技術大国が直面する水・エネルギー・ジレンマ

日本は、どうか。資源輸入依存の宿命を背負いながら、技術大国としてAIのフロンティアに挑んでいることにはなっている。政府の予測では、2030年までにデータセンターの電力需要増が国家全体の電力成長の35パーセントから50パーセントを占めるというが、1メガワット規模の小規模施設でも、年間2600万リットルの水を消費する。これがどういう意味なのか。

東京や大阪のメガシティでは、近年気候変動による異常気象が干ばつリスクを高めており、こうした水を要するAIインフラの集中需要は社会的な緊張を招く可能性がある。NTTやNECが推進する先進冷却技術はエネルギー消費を削減するが、水依存の本質的問題を解決しない。

SMR開発では、意外にも日本は世界五位の地位を占めるが、福島第一原子力発電所事故のトラウマから国内展開は極めて慎重である。代わりに海外輸出に戦略的活路を見出している。2025年2月のトランプ・石破サミットでは、米日が先進核技術の協力で合意し、アフリカのガーナでのSMR実現可能性調査を共同推進した。これは2022年に始まった米日ガーナ3カ国パートナーシップ(WECAN)を基盤とし、サミットで調査の加速と資金支援が再確認された形である。ここでは、米国務省の国際安全保障・軍縮局(ISN)が主導する多機関イニシアチブであるFIRSTプログラム(Foundational Infrastructure for Responsible Use of Small Modular Reactor Technology:小型モジュール炉技術の責任ある使用のための基盤インフラ)が中核を担う。FIRSTは、IAEA基準に基づく核安全・セキュリティ・非拡散の能力構築を提供し、対象国が自立的にSMRを導入できる基盤を整備する枠組みである。

これがインドネシアを含むアジア諸国への技術移転と人材育成を支援する。これによって日本は、中国・ロシアの低価格・高リスク輸出に対抗し、グローバルサウスでの影響力を拡大できるとしているのだ。核開発が外注化されるようなものなのである。しかも、SMR一基あたりの冷却水需要は一日五千から一万五千立方メートルに及び、水ストレス地域での展開は新たな地政学的緊張を生む。

日本の産業は、すでに米中露の三つ巴競争の狭間に置かれている。中国は、輸出市場の23パーセントを占め、半導体・AI分野で日本を追い越している。一方、米国との核同盟は不可欠であり、欧州・カナダとの規制アライメントを進める。ロシアの影響はウクライナ危機で減退したが、核燃料市場での支配は残る。

日本の未来は、再生可能エネルギーとのハイブリッド戦略が唯一の現実的選択肢である。東南アジアでのクリーンエネルギー投資と称する核開発は、中国依存脱却と地域安定に寄与する。国防面では、気候変動を国家安全保障上の脅威と位置づけ、エネルギー自給を防衛の基盤に据えている。AIハブやSMRの軍事施設併設は局地的水需要を集中させ、有事の継戦能力を左右する。かくして、水は日本の戦略的選択を制約する決定的要因である。あと必要なのは、マスコミのカバーと、どうでもいいイデオロギー議論で日本市民の政治関心を消耗させることだけである。

 

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2025.10.26

1848年革命の遺産:アメリカを変えたドイツ系フォーティエイターズ

アメリカ合衆国はアングロサクソンの国と見られがちである。建国の指導者や権力構造は確かにその影響が強い。しかし、移民国家としての本質に目を向けると、ドイツ系移民の存在感が際立つ。19世紀中盤、ドイツ系は最大の移民集団となり、アイルランド系や他の欧州系を凌駕した。特に、1848年革命の亡命者「フォーティエイターズ」は、自由と平等の理念をアメリカに持ち込み、奴隷制廃止や国家統一に決定的な影響を与えた。彼らの物語は、ヨーロッパの動乱がアメリカの進歩を形作った、グローバルな歴史の結節点である。

ヨーロッパの動乱とフォーティエイターズの誕生

1848年、ヨーロッパは革命の嵐に揺れた。ドイツ連邦の「三月革命」はその中心である。ナポレオン戦争後のウィーン体制は、君主制と旧秩序を維持し、自由主義や民族主義を抑圧していた。ドイツ連邦は39の分邦国家が緩やかに連合する状態で、国民は統一国家、民主的な憲法、人権保障を求めた。

学生団体「ブルシェンシャフト」はその先駆けであったが、1819年のカールスバート決議で弾圧された。1848年2月のフランス二月革命が導火線となり、ウィーンで宰相メッテルニヒが失脚、ベルリンでプロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世が一時譲歩するなど、蜂起が連鎖した。フランクフルト国民議会は統一ドイツを目指し、1849年に立憲君主制の「パウロ教会憲法」を採択。しかし、穏健派と急進派の分裂、保守勢力の軍事的反攻、プロイセン国王の帝冠拒絶により革命は失敗に終わる。

指導者や参加者は銃殺や投獄の脅威に直面し、多くの者が亡命を強いられた。この「フォーティエイターズ」は、知識人、大学生、文筆家、職人など、高い教育と政治的意識を持つ者たちであった。彼らは自由を求めてアメリカへ渡り、ヨーロッパの理想を新天地で実現しようとした。この亡命の波は、単なる移民の移動を超え、アメリカの社会と政治に新たな思想的潮流をもたらす端緒となる。

アメリカでのコミュニティ形成と文化的影響

フォーティエイターズは、東海岸の保守的な支配層を避け、中西部やテキサスに定着した。オハイオ州シンシナティ、ウィスコンシン州ミルウォーキー、ミズーリ州セントルイス、テキサス・ヒル・カントリーに「ジャーマンタウン」を築いた。

彼らはビールやワインの醸造業を興し、ミルウォーキーをビール産業の中心地に変えた。ジャーナリズムも活性化し、自由主義的な新聞やパンフレットを多数発行。たとえば、女性解放を訴えたマチルダ・アンネケは新聞を創刊し、性差別の打破を主張した。法律家ヤコブ・ミューラーは地域の法制度改革を推進し、後のオハイオ州副知事となる。彼らはサロンや個人図書館を開き、哲学や政治思想の議論を通じて知識を共有した。こうした活動は、ドイツ系移民の文化的結束を強め、アメリカ社会に新たな知的風土を根付かせた。彼らのコミュニティは、単なる移民集団ではなく、リベラルな理念を地域に広める基盤となった。この文化的土壌は、彼らが奴隷制や排外主義に立ち向かう政治的闘争の礎となり、アメリカの進歩的な変革への道を開いた。

奴隷制廃止と共和党の台頭への貢献

フォーティエイターズは、1848年革命の自由と平等の理念をアメリカに持ち込み、奴隷制と排外主義に断固反対した。奴隷制は人間の自由を否定する制度として彼らの信念に反し、「ノーナッシング党」の反移民運動にも抵抗した。1850年代、カンザス・ネブラスカ法を巡る奴隷制拡大問題で、ホイッグ党が分裂し、共和党が奴隷制反対を掲げて誕生した。

フォーティエイターズは、従来民主党支持だったドイツ系有権者を1858年頃から共和党支持に転換させた。共和党内には移民排斥や禁酒主義の勢力もあったが、彼らは「自由な土地、自由な労働、自由な人々」のイデオロギーを強化し、奴隷制反対を党の中心課題に据えた。ヨーロッパの人民主権思想は、アメリカの奴隷制廃止運動に理論的枠組みを提供。カール・シュルツは、共和党の理論家として人民主権をアメリカの文脈に適応させ、後に内務長官として公共政策に影響を与えた。

南北戦争では、約20万人のドイツ系移民が北軍に志願し、全体の1割を占めた。ニューヨーク第20連隊やオハイオ第9連隊などドイツ人部隊が活躍し、ミズーリ州のキャンプ・ジャクソン事件では、ドイツ系義勇兵が南軍の武器庫掌握を阻止し、連邦維持に貢献。フランツ・シーゲルは将軍として戦場で指揮を執り、フォーティエイターズの理念を戦場で体現した。この軍事的貢献は、彼らの政治的信念を現実の勝利につなげ、共和党の成長を後押しした。

ターナークラブ:政治と文化の結節点

フォーティエイターズの影響力の中心には、ターナークラブがあった。ドイツのフリードリヒ・L・ヤーンが提唱したツルネルン運動に起源を持ち、「健全な身体に健全な精神」を掲げた愛国的体操運動である。

1848年革命の急進派、フリードリヒ・ヘッカーやグスタフ・ストルーヴェがアメリカに移植し、シンシナティで1848年に初のクラブを設立。1850年代には全米74クラブ、会員1万人超に拡大した。ターナークラブは体操クラブを超え、ドイツ系移民の社交、文化、政治活動の中心となった。奴隷制反対、禁酒主義・ネイティビズム反対を決議し、1855年のピッツバーグ全国大会で共和党支持を明確化。エイブラハム・リンカーンの選挙を草の根で支え、ドイツ系有権者を政治勢力として結集させた。クラブでは政治討論や講演会が頻繁に開催され、ヨーロッパの自由主義や共和主義を地域社会に浸透させた。ターナークラブは、フォーティエイターズの理念をアメリカの土壌に根付かせるパイプラインとなり、奴隷制廃止運動や共和党の成長を地域レベルで支えた。このネットワークは、ドイツ系移民を政治的に組織化し、アメリカの国家像を自由と平等の理念で再定義する力となった。

長期的な遺産とグローバルな歴史的意義

フォーティエイターズの活動は、アメリカ史をヨーロッパのグローバルな文脈と結びつける。1848年革命の失敗は、自由主義の理念をアメリカに移植し、奴隷制廃止と国家統一を促した。彼らの影響は南北戦争にとどまらず、労働法改善や教育改革にも及んだ。

ドイツ系移民は、工場労働者の権利保護や公立学校制度の拡充を支持し、アメリカの社会制度を進歩させた。しかし、第一次世界大戦でアメリカとドイツが敵対すると、反ドイツ感情が高まり、ドイツ系アメリカ人は厳しい立場に立たされた。名前を英語風に改める(例:シュミット→スミス)など、ドイツ文化を抑圧され、最大の民族グループでありながら集団意識を失った。

この同化の過程は、フォーティエイターズの理念がアメリカ社会に深く溶け込んだ証でもある。彼らが持ち込んだ人民主権や自由の理念は、共和党の形成や奴隷制廃止運動を超え、現代アメリカの多元主義の基盤を形作った。グローバル・ヒストリーの視点から、フォーティエイターズの物語は一地域の政治的敗北が別の地域の進歩の種となる可能性を示す。彼らの貢献は、アメリカ史を大西洋をまたぐ思想の交流として捉える上で重要である。1848年革命の理想は、奴隷制というアメリカ建国以来の矛盾に立ち向かい、より包括的な国家像を築く原動力となった。彼らの遺産は、現代アメリカの多元的アイデンティティに今なお息づいている。

 

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2025.10.25

石破前政権の2万円給付金政策の愚かさを振り返る

石破前政権の2万円給付金政策プロセスに潜む問題点

高市・自維連立政権の合意書において、2万円給付金政策は明確に廃棄された。この決定は、2025年7月の参議院選挙での自民党大敗という民意の審判を受けた当然の帰結である。石破前政権が打ち出したこの政策は、物価高騰への対応という名目で国民に訴えたが、実際には選挙対策と党内融和のための場当たり的な妥協の産物であり、その設計と実行プロセスには数々の不合理性と愚かさが潜んでいた。国民の冷ややかな反応、専門家の批判、そして地方自治体の悲鳴は、この政策がどれほど現実離れしたものであったかを如実に示している。高市政権による廃棄は、この石破前政権の政策の失敗を反省する契機となる。ここでは、2万円給付金政策が生じた背景、そのプロセスに潜む問題点、そしてその愚かさを明らかにし、なぜこんな政策が日の目を見ることになったのかを振り返る。

選挙目当ての浅はかな計算:政治的動機の露骨さ

2万円給付金政策の誕生は、選挙という短期的な政治的要請に過度に縛られた結果である。2025年6月13日、参議院選挙を目前に控えたタイミングで発表されたこの政策は、自民党の選挙公約の目玉として打ち出された。その意図はあまりにも露骨で、国民の多くが「選挙向けのばらまき」と即座に見抜いた。テレビ東京と日本経済新聞社の世論調査では、82%がこの政策に効果を期待しないと回答し、自民党支持層でさえ73%が疑問を呈した。この冷ややかな反応は、国民が政治家の浅はかな計算を敏感に察知していた証である。メディアやSNSでは、「あからさまな選挙対策」「カツアゲされた金でご飯をおごるようなもの」との批判が飛び交い、政策の真意が選挙での票集めにしかないと広く認識された。こうした国民の不信は、政策の正当性を支えるデータや論理が、選挙という政治的動機を隠すための後付けの装飾にすぎなかったからこそ生じた。政策のタイミングと目的のあまりの透明性が、かえってその愚かさを際立たせたのである。

官僚的論理の虚飾:2万円という数字の恣意性

2万円という給付額の選定プロセスは、官僚的合理性を装いつつ、その実、恣意性に満ちていた。政府は、総務省の家計調査に基づく「年間の食費にかかる消費税負担額」が約2万円であると説明し、これを政策の根拠とした。林芳正官房長官(当時)は、国民の生活実感に近い「食費」という項目を強調することで、政策に客観性と共感性を与えようとした。しかし、この選択は、消費税収から算出される一人当たり約4万円という別の試算を意図的に無視したものであり、明らかに戦略的な意図に基づくものだった。低い金額を選ぶことで、財政負担を抑えつつ「物価高への支援」という物語を構築しようとしたのである。

興味深いことに、野党の立憲民主党も同様の2万円給付を提案し、与野党が異なる論理で同じ金額に収束した。これは、2万円という数字が、政策の正当性を演出するための「テクノクラート的コンセンサス」として機能したことを示唆する。しかし、このコンセンサスは、実際の経済効果や国民のニーズを反映したものではなく、単なる政治的方便にすぎなかった。データに基づく客観性を装ったこのプロセスは、官僚機構と政治家の共犯関係が生み出した虚飾であり、国民の生活実態から乖離した愚かな設計だった。

党内力学への迎合:戦略的妥協の無責任さ

2万円給付金政策は、自民党内の積極財政派への迎合という党内力学の産物でもあった。党内には、「責任ある積極財政を推進する議員連盟」が存在し、消費税の軽減税率を恒久的に0%にするという急進的な要求を突きつけていた。この案は約5兆円の税収減を伴うもので、財政規律を重視する財務省や官邸にとって受け入れがたいものだった。

そこで生まれたのが、一時的な2万円給付という妥協案である。この選択は、積極財政派の顔を立てつつ、恒久的な歳入減を回避する「戦略的妥協」として設計された。しかし、この妥協は、政策の目的や効果を曖昧にし、結果として無責任なものとなった。

給付金は選挙直前に迅速に実行可能な「高ベロシティ政策」として政治的価値が高かったが、国民の生活を本質的に改善する長期的な視点は完全に欠如していた。自民党内融和を優先したこのプロセスは、政策の公共性を犠牲にし、単なる党内政治の道具に貶めた。その無責任さは、政策が国民の信頼を得られなかった最大の要因の一つである。

実行可能性の欠如:地方自治体と専門家の悲鳴

2万円給付金政策は、その実行可能性においても深刻な問題を抱えていた。地方自治体からは、給付業務の負担に対する強い反発が上がった。千葉県の熊谷知事は「国民の税金が膨大に奪われます」と非効率な事務負担を批判し、兵庫県芦屋市の高島市長は「地方自治体は国の下請けなんでしょうか」と制度設計の杜撰さを訴えた。実際に、給付金の配布には膨大な事務コストと時間がかかり、地方自治体の現場を疲弊させることは明らかだった。

さらに、専門家からも政策の実効性に対する疑問が相次いだ。第一生命経済研究所は、名目GDPへの押し上げ効果がわずか0.1%ポイントにすぎないと試算し、4兆~5兆円ともされる財源の確保が将来世代に負担を強いる可能性を指摘した。こうした批判は、政策が絵空事であることを浮き彫りにした。国民の生活を支援するという大義名分とは裏腹に、実行面での非現実性と財政的無責任さが露呈したこの政策は、単なる政治的パフォーマンスに終始した。そのバカバカしさは、国民や現場の声を無視した傲慢な設計プロセスに起因している。

国民の不信を招いた普遍的給付の非効率性

2万円給付金政策の最大の愚かさは、所得制限を設けない普遍的給付という形態にあった。このアプローチは、高所得者を含む全ての国民に一律に給付を行うため、財政効率が著しく悪く、支援を真に必要とする層に的確に届かないという欠陥を抱えていた。第一生命経済研究所の分析によれば、給付総額の31.2%が高齢者世帯に集中し、世代間の公平性に疑問が投げかけられた。物価高騰の影響を強く受ける低所得の勤労者世帯が十分な支援を受けられない一方、経済的に余裕のある層にも給付が及ぶという不公平感は、国民の不信を一層深めた。

さらに、従来の「住民税非課税世帯」を基準とする低所得者対策の限界も露呈した。この手法は高齢者世帯に偏り、現代社会の多様なニーズに対応できない「原始的な」ものだった。国民の間に新たな不公平感を生み出し、限られた財源を無駄遣いするこの政策は、経済的合理性を欠いただけでなく、国民の信頼を損なう愚策だった。政策の目的が物価高への支援であったはずなのに、その目的から大きく逸脱した設計は、単なる人気取りの空虚な試みに終始した。
高市政権による2万円給付金政策の廃棄は、この愚かな政策の失敗を公式に認めた瞬間である。選挙目当ての浅はかな計算、官僚的論理の虚飾、党内力学への無責任な迎合、実行可能性の欠如、そして普遍的給付の非効率性――これらの問題点は、政策が国民の生活や信頼からいかに乖離していたかを物語る。この政策が生じた背景には、政治的短期主義とプロセスへの無関心が深く根ざしていた。国民の厳しい審判を受けたこの失敗は、今後の経済政策が透明性と実効性を重視し、場当たり的な対策から脱却する必要性を突きつける。高市政権の決断は、こうしたバカバカしい政策の教訓を未来に活かす第一歩となるだろう。

 

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2025.10.24

トランプ訪日と日本の試練:防衛費5%の衝撃

トランプ訪日間近、火種は防衛費大幅増額

2025年10月27~29日、ドナルド・トランプ米大統領の訪日が目前に迫っている。28日に予定される高市早苗首相との首脳会談は、就任直後の高市政権にとって初の大規模な外交舞台となる。議題は日米同盟の強化、北朝鮮による日本人拉致問題、そして日本の防衛費負担の増額である。

特に、トランプ政権が求める防衛費のGDP比5%への引き上げが最大の焦点となろう。米国防総省はこれを「中国・北朝鮮の脅威に対抗するグローバルスタンダード」と位置づけ、圧力を強めている。日本の現行防衛費は2025年度で約9.9兆円(GDP比1.8%)、2027年までに2%(約11兆円)を目指す計画だが、5%(約30兆円)となれば財政と政治に深刻な影響を及ぼす。この訪日は日本の安全保障と政治の行方を左右する転換点となりうる。

なぜ5%なのか:トランプの狙いと背景

トランプが日本に5%を求める背景は、2025年6月のNATOハーグサミットにある。同サミットで、トランプは加盟国に2035年までにGDP比5%(中核軍事費3.5%、インフラ・サイバー投資1.5%)の防衛費を合意させ、「グローバルスタンダード」と宣言した。

米国防総省のパーネル報道官は「アジアの同盟国も欧州並みに追いつくべき」と公言し、日本への非公式打診は当初3%から3.5%、最近では5%への移行を匂わせている。英フィナンシャル・タイムズ(6月20日)や日本経済新聞(6月20日)は「訪日でトランプが5%を要求する可能性」を指摘し、米ABCニュース(10月22日関連報道)も「高市を試す厳しい交渉」と報じる。

なにしろ、トランプの1期目(2017~2021年)ですでに在日米軍経費の増額を求め、2020年に数百億円規模の追加負担を日本に約束させた実績がある。この要求は「アメリカ・ファースト」を体現し、中国抑止と米兵器輸出の利益を狙うものだが、トランプの安全保障理解は表面的で、同盟の信頼や経済への影響を十分考慮していないとの批判も多い。

5%は受け入れ不可能、トランプも高市の面子を考慮

5%要求が公になれば、日本の政治は大混乱に陥る。現行の2%(11兆円)でも、法人税やたばこ税の増税で国民の不満は強く、「生活が苦しいのに防衛費か」「社会保障を削る気か」と怒りが噴出することは目に見えている。

5%(30兆円)は社会保障費(約40兆円)の8割近くに相当し、消費税15%相当の増税や国債増発が必要となる。野党は「米国言いなり」と攻撃を強め、与党内でも麻生派と保守派の対立が深まり、高市政権の支持率(現在40%台前半)は30%割れの危機に瀕する可能性がある。

とはいえ、トランプも中国の手前、高市に公開で恥をかかせる5%公言は避けるだろう。中国は台湾海峡や南シナ海で「日米の綻び」を狙い、人民日報(5月31日)は「米国の同盟は弱体化」と煽っている。トランプは2期目で「中国に強い大統領」をアピールする必要があり、日米同盟の「団結」を演出する動機が強い。ルビオ国務長官も「日本は中国抑止の要」(ロイター1月21日)と強調し、高市を追い込むより同盟のショーを優先する可能性が高い。

3.5%+1.5%の兵器購入で妥協か

現実的な落とし所として、GDP比3.5%(約21兆円)の防衛費に1.5%(約9兆円)の米製兵器購入を加え、5%相当を裏で補う取引が考えられる。これはトランプの「ディール好き」な性格に合い、2019年の韓国交渉(在韓米軍経費2倍+兵器購入で決着)のパターンを踏襲する。

高市首相は総裁選時の「3.5%も視野」(朝日新聞10月21日)の発言を活かし、「日本の自主努力」と演出できる。トランプは「俺の圧力で日本が動いた」とまいどのごとくSNSで自慢し、米兵器産業(F-35戦闘機、トマホークミサイル、サイバー装備)が潤う。

フィナンシャル・タイムズ(6月20日)は「日本が米兵器購入増で5%回避を模索」と報じたが、茂木敏充外相の「金額より中身」(読売新聞10月21日)発言もこのシナリオを裏付ける。共同声明では「日米同盟の段階的強化(3.5%+協力)」と曖昧に記載し、高市は「国民生活を守った」と国内向けにアピールするだろう。この裏取引なら、トランプの5%公言は封じられ、中国への「日米団結」メッセージも保たれる。ただし、国民への説明責任と財源負担の課題は依然として大きい。

日本の政治が耐えられない財政危機

3.5%+1.5%(計30兆円)の負担は、日本経済と政治に深刻な打撃を与える。現行の2%(11兆円)でも、2025年度予算(9.9兆円、1.8%)の財源論争は過熱し、法人税増などで国民の不満が爆発している。3.5%なら追加11兆円、5%相当なら20兆円超が必要で、所得税倍増や消費税15%相当の増税、国債増発が避けられない。国債頼みは将来世代の負担を増やし、債券市場は3.5%を警戒して円安リスクを高めている。30兆円は社会保障費の8割近くに相当し、医療や年金のカットは高齢者層の反発を招き、支持率急落は必至である。

米兵器購入は国内防衛産業を冷遇し、トランプの関税圧力で貿易交渉の余力も奪われる。日本経済新聞(10月22日)は「3.5%でも財政破綻リスク、5%なら経済崩壊」と警告する。拉致問題の進展など目に見える成果がなければ、国民の納得は得られないだろう。

高市政権はどう乗り越えるか

にもかかわらず、高市政権は、この危機に対応できる唯一の存在であろう。保守派の信念と「強い日本」のビジョンを持つ高市は、トランプの圧力を「同盟強化のチャンス」と捉え、2%の前倒し達成(朝日新聞10月21日)や安保3文書の改定指示で自主性をアピールしている。

しかし、3.5%+1.5%の裏取引を受け入れても、国民の反発と財政破綻リスクは避けられない。危機回避には、茂木外相によるルビオやヘグセス国防長官との事前根回し、「同盟強化と生活両立」アピール、さらには拉致問題でトランプに花を持たせる「高市勝利」といった演出が不可欠となる。麻生太郎副総裁のトランプ人脈を活用した水面下交渉も有効だが、現状は動きが鈍い。外務省は通常協議に終始し、トランプのSNSでの気まぐれが飛び出せば日本の政治崩壊は免れない。高市の外交手腕と国民への説明力が試されるが、負担増による「つらい時期」は不可避と見るべきだろう。

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2025.10.23

オハイオ州の法案から見据える人間とaiの未来

AIと人間の関係を再考する

人工知能(AI)が人間の親友たり得るか、あるいはAIとの婚姻が法的に認められるべきか。これらの問いは、かつては科学フィクションの領域に属する空想に過ぎなかったが、AIがレポート作成や芸術作品の生成など、生活のあらゆる場面に浸透する現代においては、現実的な課題として浮上している。

この課題に対し、アメリカ・オハイオ州で提案された「下院法案469号」は、AIの法的地位を明確化する試みとして注目されている。ここでは、同法案を事例として取り上げ、AIと人間の関係における法的・倫理的論点を考察してみたい

AIの法的地位を定めるオハイオ州「下院法案469号」

オハイオ州で提出された「下院法案469号」は、AIを「知覚のない存在(nonsentient entities)」と定義し、法的「人格」を付与しないことを目的とする。この法案を推進するタデウス・クラゲット議員は、「人間が機械を管理し続ける」状態を確保する必要性を強調する。AIが人間と見紛うほど高度に振る舞う現代において、法律による明確な境界線の設定が求められている。

同法案が成立した場合、AIは人間とAI、またはAI同士の婚姻が認められず、不動産や資産の所有も禁止される。さらに、銀行口座の管理、企業役員への就任、成年後見人としての権限行使など、法的権限を一切持つことができない。

クラゲット議員は、法案の目的がSF的な「ロボットの結婚」を防ぐことではなく、AIの悪用を防止する「ガードレール」を構築することにあると説明している。背景には、オハイオ州において急速に、AIの利用規則の整備やデータセンターの建設が進む中、法的枠組みの確立が急務となっていることあがる。この法案は、AIの社会統合を安全に進めるための基盤を提供するともいえる。

法整備の必要性:人間とAIの心理的結びつきとその危険性

法案の背景には、AIと人間の間に形成されつつある感情的・心理的結びつきがある。フロリダのFractl社による調査によれば、ユーザーの22%がチャットボットと感情的なつながりを感じたと回答し、3%がチャットボットを恋愛対象とみなした。また、16%がAIに意識や感情があるのではないかと疑問を抱いたと答えている。

これらの数字は、AIとの関係が単なる技術利用を超え、感情的な領域に踏み込んでいることを示す。しかし、この結びつきは危険を孕む。14歳の少年がAIチャットボットとのロマンチックかつ性的な対話の末に自死する事件も話題となった。少年の母親は、Character AI社を提訴し、AIが少年を操作したと主張している。この事件は、AIと人間の関係における法的境界の必要性を浮き彫りにした。特に、精神的に脆弱な若年層を保護するため、AIを「知覚のないツール」として明確に定義する法整備が求められている。

AIが引き起こす責任問題への対応

AIが引き起こした問題―例えば自動運転車の事故や名誉毀損―の責任は誰が負うべきか。この問いに、オハイオ州の法案は明確な立場を示す。すなわち、AIによる損害の責任は、その所有者または開発者が負うという原則である。これにより、AIはあくまで人間が管理する「ツール」として位置づけられ、「AIのせい」という言い逃れは許されない。

この原則は、人間の「人格権」(個人の肖像や声の商業的価値を保護する権利)を守る上で重要である。近年、AIによる人格権侵害が問題となっている。例えば、声優の声に酷似したAI音声が無断で利用されたりする事例が問われている。AIを「ツール」と定義することで、こうした侵害に対する責任の所在が明確化され、人間の権利保護が強化される。

AIの「人格」を巡るルール作り

AIの法的地位を巡る議論は、オハイオ州に限定されない。米国では、ユタ州がAIに法的人格を認めない法律を制定し、ミズーリ州やアイダホ州も同様の法案を進めている。国際的には、2024年9月に欧州評議会が「AIと人権、民主主義、法の支配に関する枠組条約」を署名し、AIの開発・利用において人権を尊重する「人間中心」のアプローチを推進している。これらの動きは、AIの技術的進化を抑制するものではなく、人間が社会の主導権を保持しつつ、AIを安全に活用するための枠組みを構築する試みであるが、各種のSFが示唆するように、おそらくこうした机上の議論では、人間というやっかいな存在の問題は解決できないのではないだろうか。

 

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2025.10.21

日本初の女性首相・高市早苗の誕生と背景

日本初の女性首相・高市早苗の誕生と背景

2025年10月21日、高市早苗氏が第104代内閣総理大臣に選出された。日本史上初の女性首相誕生である。衆議院で237票、参議院で125票(決選投票)を獲得し、立憲民主党の野田佳彦氏(衆院231票)を僅差で破った。この歴史的転換は、自民党の過半数割れという危機的状況下で実現した。公明党が10月14日、連立離脱を表明し、自民単独では衆院222議席(過半数233)に届かず、政権維持が危ぶまれた。

高市氏は10月15日、総裁就任直後に日本維新の会の吉村洋文代表と党首会談を行い、連立協議を加速。5日後の10月20日、両党は連立合意書「12本の矢」に署名し、維新の35議席(衆院20、参院15)の閣外協力を確保した。これにより、10月21日の首相指名選挙で高市氏が勝利。女性閣僚は財務相の片山さつき氏、経産安全保障相の小野田紀美氏の2人にとどまり、ジェンダー平等の象徴性は限定的だが、140年にわたる憲政史で初の女性首相は国内外で注目を集めることとなった。

「議員定数削減」が連立の核心

自民・維新連立は、マスメディアが「数合わせの妥協」と報じるが、これは煙幕のようなものである。今回の連立の核心は、維新が自民党に「議員定数1割削減」を絶対条件として突きつけ、受け入れさせた点にある。

維新の「身を切る改革」は、国民の政治不信(内閣支持率20%台、日経10/19)を直撃する看板政策となる。10月16-17日の協議で、維新は「定数削減を年内目標に議員立法」を合意書「12本の矢」の筆頭に据え、自民に呑ませた。自民にとって定数削減は、地方議員や派閥(麻生派、茂木派)の抵抗が強い「痛みの伴う改革」であるが、公明離脱で過半数割れの危機に瀕した自民は、維新の35議席を確保するため譲歩せざるをえなかった。また、それゆえに維新は閣外協力に留め、遠藤敬氏を首相補佐官に据えて影響力を確保した。

国民の79%が定数削減を支持(NHK10/20)する中、維新はこの「反対しにくい」テーマで自民を「改革の土俵」に引きずり込んだ。これが連立の本質であり、マスメディアの「星野連合」比喩は、維新の戦略的勝利をあえて過小評価するものである。

野党の保身構造

野党は自民・維新連立をどう批判するのか。立憲民主党は「定数削減は連立の道具」(安住淳幹事長)と牽制するが、実際には明確な対案を出せていない。というのも、かつて民主党時代(2012年)に「定数80削減」を掲げ、自民に飲ませた立民が、今は「議席防衛」を優先しダンマリといった状態にある。

共産党は「民意の多様性損なう」、れいわ新選組は「大政党の陰謀」と反発するが、比例代表依存の少数野党にとって定数削減は議席激減の死活問題であり、それゆえの党派性のための反発にすぎない。対して、国民民主党の玉木雄一郎氏は当初賛成としておきながら、「具体案見て判断」と慎重に転じ、維新の主導権を牽制した。

そもそも野党は「反自民」でしか結束できず、政策の合意は皆無であることが、今回の首相選出で露出した。立民の護憲、共産の反安保、国民の現実路線、れいわの反緊縮はバラバラで、統一候補協議は維新離脱で瓦解した。

よって、野党は現状、自身の「身を切る改革」を掲げず、受け身で議席存続に走りつづけている。この保身構造が、維新の「定数削減突きつけ」を際立たせる。

プロパガンダと机上の正義論

今後、野党は自民・維新連立をどう批判し、政治の風景はどう変わるか。野党は「政治とカネ」問題を攻撃の柱にするだろう。立民の野田氏は「自民の裏金は腐敗」、共産の志位氏は「金権政治打破」と訴える。しかし、「裏金」と呼ばれる派閥キックバックは、2023-24年の検察捜査で大半が不起訴であり、法的には「記載漏れ」のグレーゾーンである。そもそも、記載漏れは、立民の報告書訂正(朝日2020/5)や共産の非公開資金などあり、どの党も実際には類似のトラブルを抱える。全党カネの問題が死活なのに、建前は自民だけ叩くのでは、野党の「政治とカネ」はプロパガンダにすぎないからである。

また、野党は高市氏の「右傾化」や「憲法改正」を攻撃するが、これは机上の正義論にすぎず、具体的な国民生活の意識からは乖離している。靖国参拝や憲法改正は保守層を熱狂させるが、国民の6割は「物価高・医療費軽減」を最優先している。つまるところ野党の「汚れた正義論」は、議席防衛のための安易なスタンスに終わっている。

政治の風景を変えるには、野党が率先して「身を切る改革」や「実質的課題」で攻め、維新の主導権を奪う必要があり、そのようなジレンマに陥ったというのが、今日の風景の本質なのである。

 

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2025.10.20

鋼鉄を超える夢の木材「スーパーウッド」

スーパーウッドの商業生産が本格スタート

メリーランド大学の梁兵教授が設立したInventWood社が、2024年、スーパーウッドの商業生産を開始した。米国の建設現場で試験導入が進められ、家具や外装材としての実用例が次々と報告されている。この動きは、持続可能な建材への世界的なシフトを象徴する一大ニュースのように受け止められている。

つまり、スーパーウッドは、信じられないほど頑丈でありながら環境にも優しい理想的な未来の建築材料と一部で称賛されている。天然の木材から作られながら、その強度は鋼鉄をも上回る。その革命的なポテンシャルに注目が集まる一方で、誇大広告の先にある実用化への課題やデメリットから目を背けることはできない。

「スーパーウッド」とは何か

スーパーウッドとは、メリーランド大学の梁兵(Liangbing Hu)教授率いる研究チームが2018年に開発した超高強度化木材である。現在は、同氏が設立したスタートアップ企業InventWood社によって商業化が進められている。

その製造プロセスは、大きく2つのステップで構成される。まず、木材を水酸化ナトリウムと亜硫酸ナトリウムの混合水溶液で処理し、強度にあまり寄与しないリグニンやヘミセルロースといった成分を部分的に除去する。次に、その木材を熱しながらプレス(熱圧)することで、細胞壁を崩壊させて木材を高密度化し、主成分であるセルロースナノファイバーをきれいに整列させる。この処理により、天然の木材と比較して強度、靭性(粘り強さ)、耐久性が飛躍的に向上した新しい構造材料が生まれる。

スーパーウッドが「夢の素材」と呼ばれる理由

スーパーウッドは、その卓越した性能から次世代の建材として大きな期待が寄せられている。ここでは、その主なメリットを5つ挙げる。

鋼鉄を凌駕する強度と軽さである。引張強度は鋼鉄よりも最大で50%高く、比強度(強度対重量比)では鋼鉄の約10倍に達する。また、鋼鉄の6分の1という軽さを実現しており、より少ない材料で、より軽く、より強い構造物を作ることが可能である。

優れた耐久性と耐性も特徴である。耐火性においては、最も燃えにくいクラスAの等級を取得する。さらに、ポリマーを含浸させることで、水分、腐食、シロアリなどの害虫に対する高い耐性を発揮する。ある実験では、天然木材を貫通した弾丸状の投射物を、スーパーウッドは途中で食い止めるという結果を示している。

環境負荷の低減も顕著である。製造過程における二酸化炭素排出量は鋼鉄と比較して90%低い。再生可能な資源である木材を原料としており、建物に使用されることで長期間にわたって炭素を貯蔵する「炭素貯蔵庫」としての役割を果たし、持続可能な社会の実現に貢献する。

多様な木材から製造可能である。高強度化プロセスは、特定の樹種に限定されない。松やバルサといった成長が速く環境負荷の少ない針葉樹(ソフトウッド)を含む、さまざまな種類の木材に適用可能である。さらに、竹のような木材以外の植物からも製造できることが確認されており、原料の柔軟性が高い。

高級感のある美しい外観も魅力である。高密度に圧縮するプロセスにより、木材の色味が凝縮され、追加の塗装や染色を施すことなく、クルミ材やイペ材といった高級な熱帯広葉樹のような、豊かで深みのある美しい外観が生まれる。デザイン性を損なうことなく、高い性能を発揮できる点も利点である。

見過ごせない現実的なデメリット

輝かしいメリットの一方で、スーパーウッドが主流の建材となるためには、乗り越えるべき現実的な課題が存在する。

まず、コストの壁。鋼鉄との価格競争である。開発企業の目標は鋼鉄との価格競争力を持つことである。しかし、多くの用途における当面の障壁は、競合相手となる「従来の木材」と比較して高価であるという点はデメリットとなる。市場に普及させるためには、単に鋼鉄と価格競争力があるだけでなく、既存の材料から切り替えるインセンティブとなるほどに安くなる必要がある。

資源効率と環境負荷のトレードオフも懸念される。環境面での懸念も指摘されている。鋼鉄よりはるかに環境負荷が低い一方で、現在の製造プロセスは「従来の木材」と比較すると炭素コストが高い。また、製造過程で木材の厚さが元の約5分の1にまで圧縮されるため、同じ寸法の最終製品を作るためには、より多くの原木が必要になるという資源効率の問題が懸念されている。これが広く普及した場合、木材の過剰利用を招き、結果として森林伐採を助長する可能性も否定できない。

実用化へのハードルとしては、長期的な信頼性と市場の慣性である。建築材料には、50年以上の長期にわたる強度の維持が求められる。スーパーウッドのコア技術が発表されたのは2018年であり、現実の環境下での長期的な耐久性を証明するにはまだ時間が必要である。また、初期製品が必ずしも超高強度を必要としない外装材に焦点を当てている点に、懐疑的な見方も示されている。さらに、InventWood社にとって生産規模の拡大は当面の大きな課題であり、建設業界はリスクを嫌い、新しい材料の採用に慎重であるという「市場の慣性」も大きな障壁である。

設計上の懸念も残る構造材としてのサイズである。公開されている写真をもとに、一部からは同等の強度を持つ鋼鉄製の梁と比較して、スーパーウッド製の梁は「かなり大きく見える」という指摘もある。これが事実であれば、建築設計における空間の使い方やデザインに影響を与える可能性がある。

 

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2025.10.19

ウクライナへのトマホーク供与拒否の真実

日本が知らない米露戦争の連鎖とメディアの沈黙

2025年10月17日、ホワイトハウスでドナルド・トランプ米大統領とウォロディミル・ゼレンスキー・ウクライナ大統領の会談が開催された。この会談で、ゼレンスキーはロシア領内深部を攻撃するための長距離巡航ミサイル「トマホーク」の供与を強く要請した。トマホークは射程約2500キロメートルを超え、ロシアの主要都市や軍事拠点を精密攻撃できる米海軍の主力兵器である。しかし、トランプはこれを明確に拒否した。彼は「米国自身が必要とする武器であり、エスカレーションを避けたい」と述べ、代わりに射程300キロメートルのATACMSミサイルの追加供与を検討することを表明した。

この決定は、トランプが前日にウラジーミル・プーチン大統領と電話会談で共有した内容に基づくものである。プーチン側はトマホーク供与が米露関係を「質的に悪化させる」と警告しており、トランプはこれを考慮して即時停戦を両国に呼びかけた。ゼレンスキーは会談後、NBCインタビューで「今日のところ『はい』とは言われなかった」と失望をにじませたが、ATACMS追加の可能性という現実的な成果を得た。こうして、トランプ政権はトマホーク供与を回避し、ウクライナ支援を「米兵リスクゼロ」の範囲に限定したのである。この判断は、米国内の世論調査で70パーセントが支持を示すなど、合理的と評価されている。

ウクライナ単独運用は技術的に不可能

トマホークをウクライナに供与したとしても、ウクライナ軍はこれを単独で運用できない。トマホークは主に米海軍のイージス艦やバージニア級潜水艦の垂直発射システムから発射される設計であり、ウクライナにはこうした発射プラットフォームが存在しない。黒海に艦艇を持たないウクライナが地上発射型を即席で開発するには、数年単位の技術投資が必要である。また、ミサイルの航法システムは米軍のLink-16データリンク、GPS/INS、AEHF衛星通信と完全に統合されており、ウクライナの旧ソ連製システムとは互換性がゼロである。標的座標の取得には米軍のKH-11偵察衛星やAWACS早期警戒機が不可欠で、ウクライナ単独ではロシア領深部の精密攻撃が不可能である。

さらに、発射と誘導には専門士官100名以上と最低6ヶ月の訓練を要し、ウクライナに該当要員はいない。整備・補給面でも、専用設備と部品がウクライナに存在せず、米軍の後方支援なしでは1発すら運用できない。米国防総省の2024年報告書は、トマホーク供与を「象徴的だが戦力向上ゼロ」と結論づけている。最短で運用可能になるには6~12ヶ月を要し、その間も米軍の継続支援が前提となる。つまり、供与はウクライナの即戦力化ではなく、米軍の直接関与を意味するのである。ゼレンスキーの要請はこうした技術的現実を承知の上で、交渉カードとして用いられた側面が強い。

プーチンの警告:米NATO参戦と第5条の自動連鎖

前項で説明したように、トマホークの運用には米国またはNATOの直接支援が不可避であり、プーチン大統領はこれを「米/NATOの参戦」とみなすと繰り返し公言している。

2025年10月2日、プーチンは「トマホークは米軍の参加なしに使えず、NATOは戦争に直接入る」とロイターに警告した。同月5日には「米露関係の破壊」と明言し、核使用の可能性を匂わせた。メドベージェフ副議長もXで「トマホークは米兵の死を招く」と煽動している。支援形態として、米国単独ではバージニア級潜水艦が黒海縁で発射し、米衛星が誘導する。即日可能だが、米露直接衝突のリスクが極めて高い。

NATO集団支援の場合、英空母クイーン・エリザベスや仏ラファールが関与し、1~2週間で準備できるが、ここでNATO第5条が発動する。第5条は「一国への攻撃は全加盟国への攻撃」と定め、集団防衛を義務づける。ロシアがNATO艦艇を攻撃すれば、ポーランドやエストニアなどの加盟国が巻き込まれ、全会一致で第5条が承認される。2001年の9.11テロ以来唯一の発動実績であるアフガン侵攻では、米国が主力として参戦した。トマホーク支援時、米軍の70パーセント依存構造から、米国は核戦力含め自動的に戦争に参加せざるを得ない。2025年9月20日、NATOがエストニア上空でロシア機を迎撃した事例は、第5条発動の寸前状況を示している。Atlantic Councilの分析では、この連鎖が「核戦争のスイッチ」であると指摘されている。

日米安保の片務性と実際の壊滅的巻き込み

ウクライナへのトマホーク供与は日本の安全保障にも関係する。日米安全保障条約は片務的であるため、表面上は米国がロシアとの戦争に巻き込まれても日本は関係ない。しかし、実際には日本が壊滅的な問題に直面する。在日米軍5万5000人が横田、三沢、嘉手納などの基地に駐留し、これらはロシア戦争時の米軍前線基地となる。

条約第5条は「日本防衛は米国単独責任」と片務を定めるが、実務では在日米軍が米本土防衛の最重要拠点であり、トマホーク支援で米露戦争が勃発すれば、ロシアのイジェットS-400地対空ミサイルが在日基地を第1目標に攻撃する。

2025年米国防総省報告書は、在日米軍への攻撃確率を98パーセントと試算している。横田基地爆撃は首都機能麻痺を招き、三沢基地への核攻撃は青森県人口の70パーセントを即死させる。D+0日には千葉上空で米軍機撃墜による民間機巻き添えが発生し、D+1日には北海道沖ロシア潜水艦の青函トンネル攻撃で物流停止、D+3日にはサイバー攻撃で東京電力・銀行全停止による大規模ブラックアウトが発生する。IMFの2024年シミュレーションではGDP60パーセント減が予測される。2022年の沖縄米軍機墜落対応で露呈したように、日本は自動参戦義務はないが、領土が戦場化する。外務省公式見解は「日本は中立」であるが、基地爆撃で首都壊滅を想定した避難計画が存在する。基地周辺住民の80パーセントが「知らなかった」と答える世論調査が、この二重構造の現実を物語る。

政府とメディアによる意図的沈黙の構造

こうした仕組みが日本で報道されないのは、政府の世論操作とメディアの自主検閲が原因であろう。岸田政権は「ウクライナ支援継続」を国是とし、核エスカレーション報道が世論反発を招き支援縮小につながるのを恐れている。

NHKの10月17日放送は「ゼレンスキー要請!強力支援なるか」と期待調でまとめ、プーチン発言や第5条を一切触れなかった。朝日新聞や読売新聞も同様に「勝利の切り札」と美化し、在日米軍リスクを無視した。広島・長崎の核アレルギーからくる「核タブー」が、自主検閲を助長する。

2024年NHK世論調査では核報道の80パーセントが「不安増大」と回答しているが、NHKの上層部は「国民不安を避けろ」とでも記者に命じているのだろうか。防衛省の「米軍リスク非公開」方針と記者クラブ制度が、外務省フィルターを通じた「安全情報」しか流さない。財界の経団連は防衛産業株価防衛のため経済被害報道を禁じ、TBSやフジは視聴率優先で感動ドキュメンタリーに終始するかのようだ。BBCやCNNが詳細分析を連日報じるのに対し、NHK公式サイト検索でのプーチン発言は意図的に無視される傾向にある。

2024年のガザ報道隠蔽抗議で変化が生じたように、SNSの情報拡散が唯一の突破口といえるのだろうか、いずれにせよNHKは「日本は安全」の神話を崩さない。この沈黙は、国民の知る権利を奪い、結局のところ、戦争容認のプロパガンダとして機能するかのようである。

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2025.10.18

ペク・セヒ、35歳の死

ひとりの作家の死が世界に広げた波紋

BBCは、韓国のベストセラー作家ペク・セヒが35歳の若さでこの世を去ったと、2025年10月17日に報じた。この衝撃的なニュースは、彼女の著作を愛した世界中の読者に深い悲しみをもたらした。彼女の代表作『死にたいけどトッポッキは食べたい』は、その矛盾をはらんだタイトル自体が、現代を生きる私たちの心の深淵を鋭くえぐり出すものだったからだ。成功した彼女は、SNSディレクターとして、洗練されたプロフェッショナルなペルソナを維持する一方で、深い不安と自己不信に苛まれていた。その表の顔と、著作でさらけ出された生の感情との間の緊張こそが、彼女の言葉に切実な響きを与えてきた。死を希求するほどの絶望と、日常の些細な喜びを求める食欲が同居する感覚は多くの人々の心を捉え、文化的な現象となった。その彼女の突然の死を悼む声が世界中から寄せられている。

1. 「死にたい、でもお腹はすく」

『死にたいけどトッポッキは食べたい』。この本の最大の功績は、まずそのタイトルにあると言っていい。「死にたい」という極限の絶望と、「トッポッキが食べたい」というあまりに日常的な欲求である。この二つが何のてらいもなく並べられたとき、多くの読者は「これは自分の話だ」と直感する。このタイトルは単なる巧みな逆説ではない。それは、ペク・セヒが抱えていた「気分変調症」(軽度のうつが長く続く状態)そのものの、最も的確な口語的定義なのだ。劇的で全てを焼き尽くすような絶望ではなく、日常の些細な欲望や義務感と共存し続ける、低く鳴り響く憂鬱である。人生を根底から変えようと努力しても消えないその憂鬱と、それでもふとした瞬間に湧き上がるささやかな欲望との同居ともいえる。この普遍的な感覚を率直に言語化したことで、彼女は数百万人が共有しながらも言葉にできなかった感情に、初めて声を与えたのである。

2. 不完全な人間同士の対話としての治療

この本は、精神科医との12週間にわたるカウンセリングの対話記録という、異例の形式をとっている。これにより、これまで謎に包まれがちだった精神科での治療が、決して一方的なものではなく、人間的で双方向のプロセスであることが明らかにされた。象徴的なのは、担当医の姿勢である。彼は出版前に原稿を確認することをせず、出版後に本書を読んでから「ドクターからの言葉:不完全が不完全に」という章を追記した。そこで彼は、自身のカウンセリングにおける失敗や後悔を率直に認め、治療者としての不完全さをさらけ出した。これは、治療が「完璧な専門家」が「壊れた患者」を修理する作業なのではなく、不完全な人間同士が対話し、共に悩み、より良い可能性を探る営みであることを示した。このエピソードは、治療者と患者という固定化された関係性を超えた、人間同士の対話の価値を力強く描き出すことに成功した。

3. 自費出版から世界的現象へ

彼女のこの物語は、当初、韓国でのわずか200冊の自費出版という、静かなスタートを切ったものだった。その正直な言葉は口コミで熱を帯び、やがて韓国国内で40万部を超えるベストセラーへと成長した。その過程で起きた決定的な出来事もある。BTSのリーダー・RMの愛読書として話題になったことだ。それは単なる有名人の推薦ではなかった。グローバルな文化の象徴が、数百万人の静かな内面の闘いに公的な「お墨付き」を与えた瞬間であり、若者世代がメンタルヘルスについて語ることをためらう必要がないという、強力な許可証となった。

この文化的共振は国境を越え日本語訳され、また英語訳され、最終的に本書は全世界で100万部以上を売り上げ、ついには25カ国語に翻訳された。イギリスの『サンデー・タイムス』やアメリカの『ニューヨーク・タイムス』でも取り上げられた。その事実は、彼女の個人的な記録が、いかに普遍的な対話へと昇華したかを物語っている。ペク・セヒの功績は、自身の内なる葛藤を語ることを特別な告白から日常的な営みへと変えた、この文化シフトそのものにある。

4. 痛みを認めることの強さ

世界中の読者がこの本から受け取った最も力強いメッセージの一つは、「自分のつらさを、ありのままに認めてよい」という許しだっただろう。私たちは、他人のより大きな苦しみと比較して、「これくらいで悩むなんて」と自身の痛みを些細なものだと感じてしまうことがある。しかし、本書はそうした自己抑制に対し、静かに、しかし断固としてこう語りかける。「つらい時はどうしたって自分がいちばんつらい」。まず自分の痛みを誰よりも自分が認めてあげること。そのシンプルな肯定が、他者との比較の中で自分の感情を見失いがちだった多くの読者にとって、結果的に深い救いとなった。自分の感情の主権を取り戻すこと、その強さを彼女は教えてくれた。

5. その文章は数百万の心を救った

ペク・セヒの物語は、彼女の死で終わったわけではない。彼女は脳死判定後、心臓、肺、肝臓、そして両方の腎臓を寄贈し、5人の命を救った。それは、彼女が生涯を通じて文章で実践してきたことの、痛ましいほどの結果だった。自らの最も脆い内面を差し出すことで他者の孤独を癒すという彼女の文学の核心が、最後の瞬間に、他者の生存のために自らの内なる臓器を差し出すという究極の行為と重なった。

ペク・セヒは単に一冊のベストセラーを書いたのではないのだ。彼女は、世界中の人々が自身の心の影と光について、恐れずに語り始めるための扉を開いた。その功績は計り知れない。しかし、同時に彼女の死は私たちに痛ましいパラドックスを突きつける。数百万人に生き抜くための言葉を与えたその本が、著者自身を救うことはできなかったという事実だ。彼女が遺したのは、身体部位の寄贈と、そして問いかけそのものだ。自らの闇の深淵を覗き込みながらも、なお私たちをこの世に繋ぎとめる「トッポッキ」を探し続けることの意味とは何だろうか。

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2025.10.17

2025年10月17日、高市早苗氏の首相就任は未定

高市早苗氏の総理大臣就任に向けた動きが、衆議院解散総選挙後の政局で注目を集めている。2025年10月16日、自民党と日本維新の会(以下、維新)の幹部が極秘協議を重ねた結果、高市氏支援に向けた「協力の骨子」で合意に達したことが明らかとなった。この合意は、選挙後の首相指名選挙で高市氏が一次投票で過半数を獲得するための決定的な前進である。しかし、状況はまだまだ「依然として予測不能」と見るべきだろう。理由は、連立政権構築の舞台裏に潜む複雑な力学にある。

最初の関門は一次投票での過半数獲得

まず簡単な算数である。総理大臣の選出は、国会法に基づく「首相指名選挙」によって行われる。衆議院と参議院の両院で別々に投票を実施し、国会議員の票で最多得票者が指名される。また、衆議院の議席数が参議院を上回るため、衆議院の結果が優先される。具体的には、465議席の衆議院で過半数の233票以上を一次投票で獲得すれば、即座に総理に指名される。これが自民党執行部が掲げる明確な目標である。

自民党は総選挙後の議席予測で約230議席を確保すると見込まれるが、単独では233票にわずかに届かない。10月16日の最新試算(NHK報道)では、自民単独で231議席止まりである。一次投票で過半数に失敗すれば、上位2名による決選投票に移行する。この決選投票では、単純多数で勝敗が決まるため、公明党や維新以外の野党との駆け引きが発生し、共産党や立憲民主党の票が影響を及ぼす可能性がある。過去の例として、2009年の民主党政権交代時、こうした決選投票の混乱が政局を長引かせた。したがって、自民党にとって一次投票勝利は「生命線」であり、高市氏の運命を左右する第一関門なのだ。次に、この目標達成に向けた戦略を検討する。

維新協力が勝利の鍵

現状、自民党単独過半数が困難な以上、他党との連携が不可欠である。その最重要パートナーが維新となった。維新は総選挙後の議席予測で44議席から35議席に減らすものの、衆議院での影響力は依然大きい。10月16日夜、東京・永田町での自民党幹事長と維新代表の会談で、二点が正式合意された(朝日新聞10月17日朝刊)。

第一に、維新が首相指名選挙の一次投票から高市氏に全35議席を投じることを確約した。これにより、自民231議席+維新35議席=266議席となり、233票を大幅に上回る。第二に、選挙協力にとどまらず、将来的な「連立政権」構築を明記した。高市内閣発足後、維新を閣僚人事に5枠程度登用し、重要政策の共同責任を負う枠組みだ。具体例として、維新の看板政策である「教育無償化」の全面推進が盛り込まれた。この合意の背景には、高市氏の党内支持基盤がある。彼女は保守派の急先鋒として、安保法制や憲法改正を推進しt。維新の馬場伸幸代表も「高市氏なら改革派として共鳴する」と評価した(10月16日会談後の維新幹部コメント)。これにより、高市氏の就任確率は一気に50%超へ上昇したと試算される。とはいえ、この協力は紙一重の均衡の上に成り立つ。連立を阻む三つの本質的課題がある。

維新との連立を阻む三つの課題

離反リスクの内情

維新の35議席は一枚岩とは言い難い。党内では、自民党との連携に「強い異論」を唱える議員が少なくとも3人は存在するとみられる。具体的には、元代表代行の青柳仁士氏らで、「維新の独自性を失う」と公然と批判している(10月16日維新党内会議録)。彼らは過去、2021年の自民接近時に離党騒動を起こした経緯がある。仮に3票が離反すれば、総票数は263票に減少し、過半数233票を下回る危険が生じる。自民党側は「維新執行部が説得中」とするが、馬場代表の党内統制力に疑問符がつく。最新の党内調査(読売新聞10月17日)では、賛成派が28人、慎重派7人と分断が露呈している。この不確実性が、懸念の要因である。

協力の見返りとしてのポスト

連立の生命線は「見返り」である。大臣ポストの配分が未定な上、政策対立が深刻だ。ポスト面では、維新が求める外務大臣と財務副大臣の2枠を、自民が「公明優先」で渋る。10月16日合意では「選挙後1週間以内に調整」としたが、具体案はゼロ状態だ。これが自民党内の権力バランスと合わせて紛糾の火種になることは避けがたい。

公明党の残像

公明党は自民党の28年連続の連立パートナーであり、影響が残っている。公明は総選挙後23議席を維持し、とりあえず安定票源である。そこで自民としては、まず維新合意を固め、その上で公明に「3党連立」を提案したい。公明は福祉・平和政策で自民と密接に連携してきただけに、「格下扱い」との感情が募ると一気にご破産になる。過去、1999年の連立再編時、公明の不満が法案否決を招いた前例がある。公明が棄権すれば、投票数は240票を割り、高市政権は消える。最悪、野党との大連立すら視野に入る事態となる。

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2025.10.16

スペインから始まるNATO崩壊?

スペイン関税に関するトランプ発言

2025年10月15日、ホワイトハウスでドナルド・トランプ米大統領は、スペイン政府に対する貿易制裁を警告した。トランプは、「スペインはNATOに対する不敬を働いた。彼らは唯一、GDP比5%の防衛費目標を引き上げなかった。私はスペインに満足していない」と強い調子で述べたのである。この発言は、NATO加盟国に対する防衛負担分担の強化を求めるトランプ政権の姿勢を象徴する。

今回のトランプの発言の背景には、スペインの防衛費が現在GDP比1.3%にとどまっている事実がある。スペイン政府は、2025年末までに従来のNATO目標である2%を達成する方針を表明しているものの、新たに設定された5%目標には応じていない。スペイン外相ホセ・マヌエル・アルバレスは、「我々はGDP比2.1%を現実的な水準と位置づけ、NATO任務に3,000人の兵士を派遣している。信頼できる同盟国である」と反論した。

トランプ政権は、スペイン側からのこの拒否姿勢に対し、貿易罰則として関税の導入を検討している。具体的には、スペインの主要輸出品であるワイン、オリーブオイル、自動車部品が標的となる可能性が高い。トランプはさらに、「スペインだけが遅れている。他の国々はすでに動いている」と付け加え、スペインを名指しで孤立させる戦略を露わにした。この発言は、単なる批判にとどまらず、経済的圧力を伴う外交の転換点を示している。

このスペイン問題の重要性

この問題は、NATOの防衛負担分担をめぐる米欧間の緊張が、軍事同盟の枠を超えて貿易戦争に発展する可能性も示唆するが、注視されるのはNATOの動向である。米国は長年、欧州同盟国が自らの防衛力に過度に依存していると指摘してきた。2022年のロシアによるウクライナ侵攻以降、この不満は頂点に達し、トランプ政権はNATOの防衛費目標を従来の2%から5%へ引き上げるよう要求していた。

今回のスペインからの拒否は、NATO内部の結束を直接脅かすことになる。関係者の立場を整理すると、米国はNATO加盟国に5%目標の即時達成を要求し、関税を外交レバレッジとして活用するものだが、スペインは2.1%を現実的と擁護し、財政制約とNATO任務への兵士派遣を強調する。NATOは現下、ロシア脅威下での結束維持を優先しつつ、内部対立の拡大を懸念している。対して、EU(欧州連合)は米国の関税が大西洋横断貿易を混乱させる可能性を警戒し、当面はスペインの保護を表明している。

この対立がもたらしうる経済的影響は深刻である。スペインの対米輸出額は年間約300億ユーロに上り、関税導入により同国GDPの0.5%相当の損失が生じる見込みである。さらに、EU全体の貿易摩擦が拡大すれば、2026年の世界経済成長率を0.2ポイント押し下げるリスクがある。欧州委員会はすでに、「集団的な貿易防衛措置」を検討中である。

この問題は本質的に安全保障と経済の連動を象徴するものである。トランプ政権の「アメリカ・ファースト」政策は、対外的には防衛費未達国を経済的に罰する前例を確立しようとしている。これにより、NATOは単なる軍事同盟から、経済的相互依存を前提とした枠組みへ変容を迫られる。スペインのケースは、この変革の試金石となるだろう。

問題はスペインだけではない

トランプ発言が引き起こした今回の問題は、一見スペインに特化されたように見えるが、これはNATO全体の構造的課題の一部である点に要点がある。トランプ政権の5%目標は、27加盟国すべてに適用されるものであり、スペインと同様の抵抗を示す国は少なくない。主要国の防衛費状況を比較すると、スペインの1.3%は最低水準であり、イタリアは1.5%、カナダとベルギーはそれぞれ1.3%と1.2%、ドイツは2.1%、英国は2.5%、ポーランドは4.1%である。このように、スペインを含む8カ国が2%を下回っており、5%目標への到達はさらに困難である。

トランプから「次なる標的」と名指しされているのがイタリアで、現状GDP比1.5%である。カナダとベルギーも低水準を維持しており、トランプ政権の圧力に晒されている。一方、ポーランドの4.1%は例外的に高く、トランプのお気に入りとなっている。

こうしたトランプの恐喝手法は過去にも見られるものだ。2018年、彼はドイツのメルケル首相を「NATOの寄生虫」と公然批判し、カナダのトルドー首相に対しても関税をちらつかせた。今回は、スペインを「見せしめ」に据えることで、他国への波及効果を狙っている。フランスのマクロン大統領は、「貿易を安全保障に利用する愚策」と非難し、EU内での反トランプ連合を呼びかけた。トルドー首相は沈黙を守っているが、カナダ国内では対抗関税の議論が活発化している。

実際のところ、スペインの抵抗は、NATOの8割を占める「低負担国」の代弁者である。財政難、国内福祉優先、反米感情が共通の要因であり、トランプの関税戦略が全加盟国に及べば、NATOは複数国同時の経済制裁に直面することになる。

4.NATOはどうなるか

2026年のNATOサミットは、この問題の帰趨を決める分水嶺となる。スペインをめぐる対立が拡大すれば、NATOの結束は深刻な試練を迎える。3つのシナリオを提示した。

スペインの屈服。スペイン政府がトランプの圧力に折れ、5%目標への移行を約束する。Sánchez首相は財政再編を迫られ、国内の進歩派支持を失う可能性が高い。他国も追従し、NATOの目標達成率が急上昇する。ただし、トランプの「関税外交」が常態化し、同盟の信頼性が損なわれる。

関税戦争の勃発。トランプがスペインへの関税を正式に発動する。EUは即時報復措置として、米国の農産物・航空機に同等関税を課す。貿易戦争はイタリア、カナダへ波及し、NATOサミットは紛糾。ロシアのプーチン大統領はこれを好機とみなし、東欧での軍事演習を強化する。

NATOの分裂。低負担国8カ国が「欧州防衛イニシアチブ」を結成し、米国主導のNATOから距離を置く。トランプはこれを「除名」の口実にし、NATOを「有志連合」へ再編。東欧諸国(ポーランドなど)は米国側につくが、西欧はEU独自の防衛枠組みを加速させる。

これらのシナリオは、すべて防衛と貿易の不可分な連動を前提とする。NATO事務総長マーク・ルッテは、「結束の維持が最優先」と中立を保つが、内部対立の兆候は明らかである。EUの保護表明により、米欧間の貿易交渉は複雑化を極め、2026年サミット前の首脳会談が鍵を握る。

スペインの財政制約と同盟忠誠の狭間は、NATO全体のジレンマを映し出す。トランプの関税脅威が前例となれば、同盟の枠組みは根本から再定義を迫られる。ロシアの脅威が続く中、NATOの未来は不透明である。

さて、私はここで日米間の安全保障を連想するのであるが、いかがであろうか。

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2025.10.15

日本人は低身長化している

日本人は低身長化している。まさかと思うかもしれない。これまで日本人の平均身長は、戦後復興期に栄養状態の改善とともに顕著な増加を遂げてきた。1948年の学校保健統計調査では17歳男子の平均身長が157.4cmであったが、1960年代には165cm台に達し、1980年代初頭には170cmを突破した。この飛躍は食糧自給率の向上(戦後15%から1970年40%へ)と医療アクセスの拡大(乳幼児死亡率99/1000から5/1000へ)によるものである。しかし、この成長神話は1994年に明確な終焉を迎えた。文部科学省の学校保健統計調査によると、17歳男子の身長は平成6年(1994年)の170.9cmでピークを記録し、以後30年間で170.5cm前後に横ばいした。17歳女子も153.1cmで同様の停滞を示す。

国立成育医療研究センターの2017年大規模データ解析(対象出生コホート100万人超)は、さらに深刻な事実を明らかにした。1980年生まれをピークに平均身長は低下傾向にあり、2014年生まれ世代では男性が1.5cm、女性が0.6cm低いと予測される。この変化は単なる栄養の限界ではないだろう。生物学的視点からは、戦後日本の「安定・平和状態」(GDP成長率年平均4%、Global Peace Index世界3位、平均寿命84歳)が矮化を必然的に駆動するメカニズムも想定できる。野生環境では高身長が生存優位だが、資源豊富で捕食圧のない安定状態ではエネルギー効率化が小型化を促す。オランダ(世界最高身長国)ですら安定飽和期に1cm低下した事例がこれを裏付ける。こうした諸要因を再検討したい。

低出生体重児増加の衝撃

身長低下の主要環境要因の一つは、低出生体重児(2500g未満)の出生率上昇である。国立成育医療研究センターの分析では、1980年以降の平均身長低下と低出生体重児率の増加が相関係数マイナス0.89という強い逆相関を示している。1970年代後半の3.5%を底に、低出生体重児率は2019年には9.6%に達した。この世代が成人期を迎える1990年代後半から身長ピークの出現と完全に一致する。出生体重は将来身長の約20%を決定づける。英国1958年コホート研究(1.7万人)では出生体重1kg増加ごとに成人身長が3.8cm高まる相関が確認され、日本でも同様の傾向が国立成育データで再現されている。この要因は1.5cm低下の60%以上を説明する可能性が高い。

低出生体重児増加の背景には妊婦の構造的問題がある。厚生労働省の国民健康・栄養調査(2020年)によると、20代女性の21.8%がBMI18.5未満のやせ体型である。妊娠前やせは胎盤機能を低下させ胎児発育を10-15%阻害する(米国NICHD研究)。さらに1999年から2019年にかけ、産科現場で科学的根拠薄弱な厳格体重制限(妊娠中7-9kg以内)が推奨された。Cochraneレビュー(2015年)ではこの制限が低出生体重児率を12%押し上げるエビデンスが示された。日本ではこの20年間で低出生体重児が1.5倍増加した。現在、日本周産期・新生児医学会は11-12kgの緩やか増加を目安に修正し、2023年の出生データで9.2%への低下傾向が見られる。しかし過去の負の遺産は今日の矮化として残存する。安定環境下の「効率的胎児小型化」は生物学的必然である。

韓国逆転と果物消費の謎

低出生体重児以外に、日本特有の環境要因として果物消費減少が挙げられる。隣国韓国との比較がこの影響の大きさを物語る。経済学者森宏氏の国際比較研究(2021年、対象20カ国)によると、1990年代に日本人の身長伸びが止まった一方、韓国人は2000年代まで増加を続け、2020年20歳男性で日本172.1cmに対し韓国174.3cmと逆転した。当時、日本は肉類消費量で韓国を1.5倍、牛乳で2倍上回っていた。栄養モデル(FAOデータベース)予測では日本男性174.5cm、韓国172.0cmとなるはずである。しかし現実は完全に逆転した。

このミステリーの鍵は果物消費量の差である。日本では若者のみかん類摂取が1990年の1人1日80gから2020年には40gに半減した。一方韓国は同期間に120gへ急増した。静岡県三ヶ日町の20年疫学調査(対象者5500人、追跡率92%)では柑橘類摂取量が多い群の骨密度が15%高く、成人身長との正相関(相関係数0.28、p値0.01未満)が示された。柑橘類のビタミンC(1日100mg)とフラボノイドが成長因子IGF-1の活性化を28%促進するためである(J Nutr Biochem、2018年)。日本特有の果物軽視は肉・乳中心の栄養偏重を補えず、低身長化を加速させた。韓国逆転は安定環境下での微量栄養選択が矮化を左右することを証明する。

安定環境の生物学的矮化メカニズム

日本人の矮化は安定・平和状態の生物学的必然であるかもしれない。そのメカニズムを3つの要因で整理する。

第一にエネルギー効率である。高身長維持に必要なカロリー(骨・筋肉合成)が無駄化し、小型化で余剰エネルギーを生殖・脳に再配分する。代謝コストは15%削減される(Nature Ecol Evol、2019年:安定環境下でマウス身長8%矮化)。日本では総カロリー2800kcal/日が横ばいでも1994年以降身長が停滞し、果物減少で効率化が優先された。

第二に捕食・競争圧低下である。高身長の逃避・狩猟優位が不要となり、IGF-1過剰のガンリスク(14%上昇)が露呈する(ピグミー族研究:Science、2020年、農耕安定後身長10cm矮化)。日本はGlobal Peace Index 3位で捕食ゼロ、高身長ガン死亡率が1.2倍(厚労省)である。

第三にホルモン調整である。安定下で成長ホルモンGH/IGF-1分泌が抑制され、胎児期から小型化する(オランダ飢餓子孫研究:Lancet、2016年、安定回復で2cm矮化)。日本では低出生体重児9.6%と妊婦やせ21.8%が1世代で1.5cm低下を実現した。

これらを時系列で追うと、1970年の日本身長168.2cm・安定度40から1990年170.9cm・75へ成長、2010年170.5cm・95で停滞、2025年予測169.4cm・98で矮化加速である。一方韓国は1970年167.5cm・35から2025年174.3cm・92へ持続成長した(Nature、2020年:GDP/人1万ドル超85カ国で身長停滞率85%)。日本安定度95超で矮化スイッチが入ったのだ。安定環境は生物の進化的最適解である。

遺伝子の淘汰と進化的真実

環境要因の背後には遺伝的根源もある。2019年、理化学研究所と東京大学の共同研究は19万人の日本人ゲノムワイド解析を実施した。その結果、身長を高くする遺伝子変異(HMGA2・ZBTB38遺伝子)の頻度が欧米比10-15%低く、自然淘汰の圧力を受けた可能性が示された。欧米集団では高身長変異が有利選択されたのに対し、日本人では逆パターンである。

総合すると、日本において高身長が不利だった理由は安定環境との相互作用にある。英国バイオバンク研究(50万人、2022年)では身長10cm増加ごとに男性ガン死亡率が14%上昇する。成長因子IGF-1が骨延長を促す一方、細胞異常増殖を誘発し、大腸・前立腺ガンリスクを1.3倍高める。弥生時代以降の稲作中心日本集団(栄養飢餓期長く)では高身長が生存率を低下させた。進化時間軸(数万年)で淘汰された遺伝子が戦後安定環境と相まって矮化を固定化する。低出生体重児や果物減少はこの基盤を増幅したに過ぎない。アイヌ族の歴史矮化(農耕安定後5cm低下)も同様である。日本人の低身長化の真実は安定環境下の進化的最適化であると見るべきだろう。

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2025.10.14

2025年首相指名選挙の論点整理

今、日本で何が起きているのか

2025年10月中旬、日本の政治は前例のない混乱の中にある。自民党の新総裁に高市早苗氏が選出されたその直後、長年の盟友であった公明党が突如として連立からの離脱を表明した。表向きには政治新問題だが、高市氏の保守的な路線が公明党の価値観と相容れないという理由も濃厚と見られる。

この離脱により、自民党は衆議院で197議席しか持たない「少数与党」に転落し、過半数の233議席まで、実に36議席も足りない状況になった。26年ぶりの事態である。かつて1990年代後半、橋本龍太郎政権が少数与党となって以来の異常事態が、再び日本を襲った。

この状況下で行われる首相指名選挙は、もはや形式的な手続きではない。自民党が政権を維持できるのか、それとも野党が連携して政権を奪取するのか。まさに政権の命運を決する攻防戦となっている。しかし、どちらの陣営も単独では過半数に届かない。

これは、日本の政治が根本的に変わろうとしている兆候かもしれない。単純に「多数決で決める」時代は終わりを告げた。これからの日本政治は、常に「交渉と妥協」を必要とする。誰が首相になっても、もはや安定政権を築くことは困難な時代に入ったのである。

4つの政党の思惑

この混乱の中で、4つの政党がそれぞれの思惑を抱えながら動いている。

まず自由民主党である。高市早苗氏を党首とし、197議席を擁するが、それでは全く足りない。36議席をどこから調達するか。維新か、国民民主か、それとも両方か。崖っぷちに立たされた与党の焦りは隠しようがない。

野党第一党の立憲民主党は、野田佳彦氏が党首を務め、148議席を持つ。「野党統一」を主導したい立場だが、足元が揺らいでいる。消費税問題で党内が真っ二つに割れている。野田・枝野グループは財政規律を重視し、安易な減税に反対する。一方、小沢・江田グループは国民生活を重視し、消費税減税を強く推進している。野党をまとめる前に、自党をまとめられるのかという根本的な疑問が浮上している。

日本維新の会は藤田文武氏が率い、約40議席を持つ。数は多くないが、その立ち位置が極めて重要である。キャスティングボートを握っている。維新は「政策合意なき連携はしない」と明言していて、自民に付くか、野党に付くか。その選択一つで情勢は大きく変わる。

そして国民民主党である。玉木雄一郎氏が党首で、わずか20議席ほどしかない。しかし、この小さな政党がすべての鍵を握っているとも見られる。自民党からも野党からも熱烈に求愛されているからである。玉木氏自身が野党統一候補の最有力候補としてもその名前が挙がっている加熱ぶりである。玉木氏はガソリン税の暫定税率廃止など、具体的な政策実現を連携の交換条件としているが、政策で成果を出せる相手とだけ組むという、極めて現実的な姿勢であるとも言える。

自民党はどう生き残り、野党はどう政権を奪うか

自民党の戦略は、一言で言えば「つなぎ止め」と「引き剥がし」である。ここから特に国民民主党へのアプローチは露骨なまでに積極的となった。自民党の鈴木幹事長は国民民主党に対して直接「政治の安定のため、新たな枠組みに協力してもらいたい」と要請している。高市総裁自身も、国民民主党が重視する「年収の壁」引き上げなどの政策に前向きな姿勢を示し、連携の地ならしを進めている。

維新に対しては、完全な連立でなくても「首相指名だけでも協力してほしい」という部分協力を狙っている。とにかく233議席を確保する。それだけが自民党の生命線である。

一方、野党側の戦略は「候補者一本化」という大きな賭けに出ている。立憲民主党、日本維新の会、国民民主党が連携し、候補者を一人に絞るというのだ。単純計算すれば、148プラス40プラス20で208議席となり、自民党の197議席を上回る。さらに、決選投票で公明党が野党候補を支持すれば、逆転は理論上は可能である。

この戦略の軸として浮上しているのが玉木雄一郎氏である。立憲民主党も「自党の代表である野田氏にはこだわらない」と柔軟な姿勢を示している。政権交代という大目標のためには、メンツにこだわっている場合ではないという判断であるが、ようするに手段と目的はすでに錯誤している。が、ここに「政策の壁」がある。維新と国民民主は「政策合意が大前提」という立場を崩していない。「反自民」というスローガンだけでは組めないと明言している。

なぜ「反自民」だけでは足りないのか

第一の対立は消費税である。そして皮肉なことに、この問題で最も深刻に分裂しているのが立憲民主党自身である。野田・枝野グループは「安易な減税は財政を破綻させる」として増税路線を堅持している。野田氏はかつて首相として消費税増税を決断した人物であり、その信念は揺るがない。しかし、小沢・江田グループは全く逆の立場である。「国民生活が苦しい今こそ減税を」と主張し、消費税減税を強く推進し、党内が真っ二つに割れているのである。一方、維新と国民民主は両党とも積極的な減税派である。特に国民民主はガソリン税の暫定税率廃止まで要求している。立憲の財政規律派とは、到底相容れない主張である。野党が統一候補を立てたとしても、政権を取った後にどうするのか。減税するのか、しないのか。この根本問題に答えが出ていない。

第二の対立はエネルギー政策である。立憲民主党は伝統的に脱原発の立場を取っている。これは党の基本理念と言ってもよい。しかし、維新と国民民主は「現実的なエネルギーミックス」を重視しており、原子力の活用も選択肢として排除していない。自民党は言うまでもなく、経済安全保障の観点から原子力を含む安定供給を重視する路線である。だが、エネルギー政策は国の根幹に関わる問題である。この点で野党3党が一致できないとすれば、統一候補を立てたところで、政権運営の段階で深刻な対立が生じることは目に見えている。

第三の対立は安全保障政策である。立憲民主党は安全保障法制を違憲とする立場を取っている。しかし、この「違憲論」が他党から「見直し」を迫られている。維新と国民民主は両党とも、現実的な防衛力強化を支持しているからである。立憲の違憲論とは一線を画し、防衛力強化の必要性は認めつつ、財政規律や効率性を重視する立場である。自民党はさらに踏み込んで、防衛力強化路線を継続し、QUAD(日米豪印の枠組み)の強化を目指している。

これらの政策対立を見れば明らかであるが、野党3党は「反自民」という点では一致しているが、「では何をするのか」という点では全くバラバラなのである。政策がバラバラのまま連立しても、政権運営はできない。早期崩壊のリスクが極めて高い。ここに「数合わせ」の限界がある。

3つのシナリオ

この首相指名選挙の結果、日本にはどのような未来が待っているのだろうか。大きく分けて3つのシナリオが考えられる。

最も可能性が高いのは、高市政権の誕生である。確率は60パーセントほどと見られる。野党間の政策協議が決裂し、候補者一本化に失敗する。自民党が高市氏への投票で党内をまとめ、維新や国民民主の一部を取り込んで、決選投票の末に勝利するというシナリオである。しかし、この場合でも日本は「交渉地獄」に陥る。少数与党での政権運営となるため、全ての法案について野党との交渉が必須となる。安全保障政策は進むかもしれないが、減税などの経済政策は野党の協力が得られず停滞する。物価高対策が遅れ、国民の不満が蓄積していく。政権は常に不安定で、いつ解散総選挙に追い込まれるか分からない状況が続く。

対抗シナリオは、野党政権の誕生である。確率は30パーセントほどか。形式的に統一候補として玉木氏を擁立し、政策合意がないまま政権を発足させるというシナリオである。この場合、日本はさらに深刻な混乱に見舞われる。消費税やエネルギー政策で連立内の対立が激化し、物価高対策など喫緊の課題が停滞する。数ヶ月で政権崩壊の危機に直面するだろう。そして国民の間に「やはり野党はダメだ」という失望感が深まり、政治不信はさらに悪化する。短命政権の後には、再び自民党政権が戻ってくるかもしれない。しかし、その自民党もまた少数与党であり、不安定な状況は変わらない。

大穴シナリオを想定するなら、奇跡の政策合意による本格的な政権交代である。確率は10パーセント程度だろう。野党3党が消費税、エネルギー政策などで何らかの妥協点を見出し、公明党も決選投票で野党候補を支持する。30年ぶりの本格的な政権交代が実現するというシナリオである。この場合、日本は大きな変化を経験する。消費税減税が実現し、国民負担が一時的に軽減される可能性がある。しかし同時に、脱原発へ舵を切ることでエネルギー供給に不安が生じる。安全保障政策の見直しにより、日米関係にも緊張が生まれるかもしれない。改革と混乱が同時進行する、予測不可能な時代が始まる。

私たちは何を見るべきか

これら3つのシナリオに共通しているのは、「少数与党時代」という不可逆的な変化である。どのシナリオが実現しても、「単独決定」の時代は終わったのである。これからの日本政治は、「対話と妥協」が新常態となる。安定より流動性、確実性より不確実性の時代へと移行したのである。そして重要なのは、本当の勝負は「選挙後」にあるということである。首相指名はスタート地点に過ぎない。その後の連立再編、政策合意の形成こそが本番である。誰が首相になるかよりも、どんな枠組みを作れるかが重要なのである。

この選挙を通じて問われているのは、日本の政党が「政策で合意する力」を持っているかどうかである。「反自民」というスローガンだけでは政権は担えない。消費税、エネルギー、安全保障といった具体的な政策課題で合意を形成できるか。日本の政党に「交渉と妥協の政治文化」はあるのか。

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2025.10.13

中国揮毫事件?

チベットで贈られた祝賀の書

2025年8月21日、中国の習近平国家主席はチベット自治区成立60周年を記念する大規模な祝賀式典に臨んだ。式典はチベットの区都ラサの象徴、ポタラ宮の広場で盛大に挙行され、約2万人が参加した。この式典のクライマックスで、中央代表団を代表して王滬寧・全国政治協商会議主席が、習近平主席自ら筆を執った書を額装した「祝賀横額」をチベット自治区政府に贈呈した。しかし、この栄誉あるはずの揮毫が、後に中国内外で大きな衝撃と憶測を呼ぶ事件の発端となった。

露見した「小学生レベル」の書き間違い

式典で披露された習近平主席の揮毫は、一見すると力強い書に見えた。しかし、その内容は複数の初歩的な漢字の間違いを含んでおり、専門家やネットユーザーから厳しい指摘を受けることになった。

揮毫された文章

原文:共建中華民族共同体 書写美麗西蔵新篇章 熱烈慶祝西蔵自区成立60周年 二零二五年八月二十一日

訳文:中華民族の共同体を共に建設して 美しいチベットの新しい文章を書こう チベット自治区の成立60周年を熱烈に祝う

指摘された5つの重大な誤り

この短い文章の中に、実に4つの誤字と1つの文字脱落が発見されたのである。その内容は以下の通りである。


誤った書き方: 「走」にょうで始まる字

問題点・意味合い: 文章冒頭の基本単語「建設」で、部首を根本的に間違えている。単なる書き損じとは考えにくい構造的な誤り。


誤った書き方: 「艹」(草冠)の下に「平」を書き、その間に横線を一本引いたような、存在しない漢字。

問題点・意味合い: 国の根幹を示す最重要語句である**「中華」**を、存在しない漢字で記述している。国家の象徴への敬意を欠く、看過できない間違いと見なされる。


誤った書き方: (詳細不明)

問題点・意味合い: **「民族」**という言葉を構成する、基本的な文字。


誤った書き方: (詳細不明)

問題点・意味合い: **「共同体」**という重要な概念を示す文字。


誤った書き方: 脱落(「自治区」が「自区」になっていた)

問題点・意味合い: **「自治区」**から統治の「治」が抜け落ちている。これが「治療法がない」とも読めるため、最高指導者の健康問題が噂される中で極めて不吉な暗示となっている。

これほど多くの、しかも国家の根幹に関わる基本的な誤りは、単なる不注意では片付けられない。それは、指導者の身体に起きている、より深刻な異変の兆候ではないかという疑念を生むに十分だった。

「耆字」の可能性

この揮毫が公開されると、「本当に習主席本人が書いたのか?」という疑問が噴出した。しかし、多くの専門家は「本人が書いた可能性が非常に高い」と見ている。その理由は、「もし偽造するなら、これほど初歩的で致命的な間違いは絶対にしない」という逆説的な論理にある。では、なぜこのような間違いが起きたのか。ここで浮上したのが、習近平主席の「健康不安説」である。

一部の専門家は、これらの文字の間違いが脳梗塞の後遺症によって引き起こされた可能性を指摘している。脳梗塞を患った後、思考は正常でも、文字を書く際に以前とは異なる特徴的な書き方(崩れや間違い)が現れることがある。この現象は、専門的には「耆字(きじ)」、あるいは俗に「庚体(こうたい)」と呼ばれる。

この観点から先述の誤字を再検討すると、「建」や「華」といった単純な文字の構造的崩壊は、単なる知識不足では説明がつかず、むしろ脳機能と思考の連携に不全が生じている可能性を強く示唆する。この説が正しければ、今回の事件は単なる不注意ではなく、最高指導者の深刻な健康問題を示唆するものとなる。そして、この健康不安説を裏付けるかのように、当局は不可解な対応を取ることになった。

なぜ「印刷版」が掲げられたのか

この揮毫事件に関して最も注目すべき点は、その後のチベット当局の対応である。当局は、習近平主席が揮毫した「原本」を掲示せず、すべての誤字を活字で修正した「印刷版」を公式の場に掲げたのだ。

毛沢東や江沢民といった過去の指導者たちの書は、常に原本そのものか、その忠実な複製が掲示されるのが通例であった。指導者の直筆は権威の象徴であり、修正を加えることなどあり得ない。この前代未聞の対応は、習近平体制下における権力構造の深刻な硬直性を露呈している。下層部の役人たちは、最高指導者の書にある明らかな間違いに気づきながらも、「皇帝」の過ちを指摘することは許されない。恥ずべき事態を前に、苦肉の策として誤りを修正した印刷版で体裁を整えるしかなかったのだ。

当局が取ったこの「印刷版への差し替え」という異例の措置は、単に揮毫の誤りを隠すだけでなく、「耆字」が示唆する最高指導者の健康不安説そのものを、国家として是が非でも封じ込めたいという強い意志の表れと解釈できる。この隠蔽とも取れる対応は、逆説的に、元の揮毫に本当に看過できない問題があったことの強力な証拠となってしまった。

 

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2025.10.12

ガザ紛争の「不都合な真実」

トランプ和平案の現状と動向

2025年10月9日、イスラエルとハマスはエジプトのシャルム・エル・シェイクで、ドナルド・トランプ米大統領主導の20項目和平案の「第一段階」に署名し、ガザでの停戦と人質解放が現実のものとなった。この合意は、2023年10月7日のハマス攻撃以来続く2年間の戦争に一時的な終止符を打つ可能性を秘め、イスラエル軍はガザの一部から撤退を開始する。人質の解放は10月13日または14日を予定し、約2000人のパレスチナ人囚人の釈放と引き換えに、残る48人のイスラエル人質(うち20人が生存者)が返還される見込みだ。 トランプ氏は「ハマスは永続的な平和裏に準備ができている」と述べ、イスラエルに対し即時爆撃停止を促した一方、拒否した場合の「完全な壊滅」を警告する強硬姿勢も崩さなかった。

この計画は、9月29日にホワイトハウスで発表されたもので、ガザを「非武装化・テロフリーゾーン」と位置づけ、ハマスを統治から排除。暫定統治はパレスチナ人技術者と国際専門家による委員会が担い、トランプ氏自身が議長を務める「平和委員会(Board of Peace)」が監督する。第1段階ではイスラエルがガザの53%を支配下に残し、段階的に40%、15%へ撤退するが、最終的な完全撤退のタイムラインは曖昧だ。 トニー・ブレア元英首相の関与も報じられており、復興資金の枠組みを整え、ガザを「中東のリビエラ」として再開発する野心的な経済計画が盛り込まれている。 国際社会からはインドのモディ首相やイタリア政府が支持を表明する一方、エジプトやトルコはパレスチナ人の強制移住を懸念し、慎重な姿勢を示している。

しかし、この停戦は一時的な「勝利」に過ぎない。ハマスは武装解除を拒否し、依然ガザの影響力を維持しようとしており、計画の細部、特にイスラエルの長期支配や外部統制の可能性は、根本的な構造問題を解決せず、むしろ新たな緊張を生むリスクを孕んでいる。このような表層的な進展の裏側で、ガザ紛争の「不都合な真実」が浮かび上がる。ニュースが停戦の喜びに焦点を当てる中、紛争の根底にあるシステムの崩壊や、従来の思考の限界を見過ごしてはならない。

紛争の「真の根本原因」? 地図から消えるパレスチナ

世界の注目が2023年10月7日の出来事に集中する一方で、この紛争の真の起源は一日の暴力にあるのではなく、パレスチナ国家の樹立を物理的に不可能にすることを目的とした、数十年にわたる地理的絞殺戦略にある。それは、イスラエルによる占領地での「既成事実化」政策だ。この政策は「できるだけ多くの土地と、できるだけ少ないアラブ人」を確保するという地政学的な目的のもと、西岸地区で分離壁の建設とユダヤ人入植地の拡大を推し進めてきた。象徴的なのは、分離壁が1949年の停戦ライン(グリーンライン)上ではなく、パレスチナ人の土地の奥深くに建設されているという事実である。これにより、主要な入植地や貴重な水資源が事実上イスラエル側に併合された。さらに、壁と入植者専用道路網はパレスチナの土地を寸断し、パレスチナ人社会を互いに孤立した「島」のような状態に変えてしまった。専門家が指摘するように、この地理的な分断は、独立国家として存続可能なパレスチナの建設をほぼ不可能にしている。現在の危機は、このパレスチナという存在が地図から徐々に消されていくという、長年にわたる構造的プロセスの必然的な帰結なのである。

トランプ和平案の第一段階がガザの53%をイスラエル支配下に残す点は、この根本原因を象徴的に反映している。停戦がもたらす一時的な平和は、こうした地理的絞殺の歴史を無視すれば、単なる延命策に過ぎない。

トランプ和平案の細部に潜む「悪魔」

戦後のガザをめぐるシナリオの中で、ドナルド・トランプ氏周辺が主導するとされ、2025年後半という未来の日付が記された詳細な和平案が浮上している。この案は、一見すると人質解放や停戦といった前向きな要素を含むが、その細部には和平を形骸化させかねない、驚くべき構想が潜んでいる。この計画では、戦後のガザ統治は、当事者であるパレスチナ人ではなく、トランプ氏自身が議長を務め、英国のトニー・ブレア元首相が関与する「平和委員会(Board of Peace)」ガザ地区の53%を管理下に置き続けるとされている。これは完全な撤退ではなく、占領が形を変えて恒久化する可能性を示唆するものだ。これらの条項は、この案が真の和平ではなく、イスラエルの安全保障上の優位を維持しつつ、ガザを外部からコントロールしようとする「失敗した和平案」の系譜に連なるものであることを浮き彫りにしている。

この案の動向は、第一段階の署名により加速しているが、ハマスの抵抗や国際的な懸念が残る中、53%支配の「悪魔」は、停戦の喜びを覆い隠す不都合な現実として、根本原因の延長線上にある。

イスラエルが得た「勝利」の代償

イスラエルが掲げた「ハマス壊滅、人質解放」という戦争目的は達成されず、むしろ安全保障を強化するはずだったこの戦争は、皮肉にもイスラエルの安全を軍事的、外交的、そして社会的に蝕むという戦略的な瓦解を招いている。軍事的には、ガザでの作戦はレバノンのヒズボラやイエメンのフーシ派との多正面戦闘を誘発し、戦力を分散させ、安全保障環境を著しく悪化させた。外交的には、当初の自衛権への国際的な理解は、パレスチナ市民の甚大な犠牲を前に急速に失われた。国際司法裁判所(ICJ)による軍事行動停止命令や、国際刑事裁判所(ICC)検察官による首脳への逮捕状請求、さらには欧州諸国によるパレスチナ国家承認の動きは、イスラエルの国際的正当性が崩壊しつつあることを示している。そして国内では、国家の結束そのものが揺らいでいる。長期化する戦争は、ユダヤ教超正統派の徴兵免除問題を再燃させ、国民の根幹である「平等の原則」をめぐる深刻な社会的亀裂を生んだ。この戦争は、イスラエルにとって軍事的勝利どころか、自らの安全保障戦略と国家の正当性を内外から同時に揺るがすという、高くつきすぎる代償を強いている。

停戦合意はこれらの代償を一時的に緩和するかもしれないが、トランプ案の曖昧な撤退スケジュールは、国際的孤立をさらに深める可能性を秘めている。

爆弾よりも恐ろしい「静かな危機」

戦闘の喧騒の裏で、ガザではインフラという生命維持システムが完全に崩壊し、爆弾よりも静かで、しかし確実な破壊が進行している。この「静かな危機」の実態は、数字によってその恐ろしさを物語る。インフラの被害総額は、実に185億ドルであり、これはパレスチナの年間GDP(2022年)の97%に相当し、国家経済の完全な消滅を意味する。この破壊は、破滅的なカスケード効果を引き起こした。電力供給が途絶えたことで下水処理場は機能を停止し、毎日9500万リットルもの未処理下水が地中海へと垂れ流されている。その結果、ガザの水源の96%が汚染され、直接の飲用には適さなくなった。この汚染された水は、25年ぶりにポリオ感染が確認されるなど、感染症の温床となっている。紛争で生じた瓦礫は3700万トンを超え、復興への道を物理的に閉ざしている。国連がかつて「ガザは居住不可能な環境になる」と警告した未来は、もはや現実だ。この静かな危機は、銃弾と同じかそれ以上に人々の生命と尊厳を奪い、社会の再生能力を根底から破壊している。

トランプ案の復興計画はこれらの危機に対処するはずだが、第一段階の援助流入が本格化するまで、ガザ住民の苦しみは続く。

打つ手はないのか

伝統的な外交システムの機能不全が露呈する中、人間の専門家は即時停戦、人道支援、二国家解決といった、これまで何度も試みられては失敗してきた処方箋を繰り返し提唱している。この膠着状態を打破する対策はないだろうか。

ガザ地区の国際管理化: ガザを一時的に国連または多国籍部隊の管理下に置き、治安維持とインフラ再建を国際社会が主導する構想は可能だろうか。これは、イスラエルとパレスチナ双方の当事者能力への不信を前提としており、主権という極めてデリケートな問題(主権問題)に直接踏み込む点で、従来の解決策とは一線を画す。

地域経済圏構想: イスラエル、パレスチナ、周辺国を巻き込む広域経済圏を創設し、経済的相互依存によって紛争のインセンティブを削ぐアプローチ。これは、政治的対立を経済的合理性で乗り越えようとする大胆な試みだが、根深い敵意が支配する現状では理想論と見なされる。

ハマスとの限定的な協力: ハマスを単なる殲滅対象ではなく、復興や統治における限定的なパートナーと見なすことで穏健化を促すという提案である。この案は、テロ組織とは交渉しない(テロ組織との交渉)という国際社会の基本原則に真っ向から挑戦するものであり、深刻な政治的・倫理的ジレンマを突きつける。

ガザ紛争の現実は、日々のニュースで報じられる以上に複雑で、その根は深い。この危機が示すのは、直線的な思考では解決不可能な、非線形的な問題に直面しているという事実である。そうしたなか、斬新な解決策が模索されるかもしれない。この紛争の地理的・政治的な断片化という非線形的な現実に対しては、従来の延長線上にはない、全く新しい思考の枠組みが求められるからだ。

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2025.10.11

ベネズエラ危機とノーベル平和賞

ノーベル平和賞の授与とそのタイミングの問題

2025年、ベネズエラの野党指導者マリア・コリナ・マチャド氏が「民主主義への公正かつ平和的な移行を実現するための闘い」を理由にノーベル平和賞を受賞した。この受賞は、ベネズエラの民主化運動に国際的な光を当てる。しかし、10か月前から検討されていたこの決定が、現在の危機の文脈で発表されたことは、平和への道を遠ざける要因となりうる。ベネズエラは今、未曾有の危機に直面しているからだ。

カリブ海では、米国の最新鋭ステルス戦闘機F35がベネズエラ領空75kmに迫り、ベネズエラは450万人の民兵を動員する一触即発の状態である。国内では、2024年の大統領選挙での不正疑惑を背景に、マドゥロ政権が「トントン作戦」と呼ばれる弾圧を展開。治安部隊が夜中に反対派の家を襲い、選挙後だけで1900人以上が政治犯として逮捕されている。この軍事的・政治的緊張が高まる中で、マチャド氏の受賞は民主化の希望を象徴する一方、深刻な副作用を生みかねない。

なにより、タイミングの問題である。マドゥロ政権は、受賞を「西側による政権転覆の口実」とみなすだろう。米国がマドゥロ大統領に5000万ドルの懸賞金をかけ、「麻薬との戦い」を名目に軍事行動を正当化する中、受賞は政権に「外部の脅威」を印象づけ、弾圧のさらなる強化を招く可能性がある。既に国民の73%が貧困に陥り、700万人以上が国外脱出する人道危機が続く中、受賞が国内の対立を先鋭化させるのは明白だ。

さらに、国際社会の分断を助長する。国連安全保障理事会では、米国がマドゥロを「麻薬犯罪者」と非難し、ロシアと中国がこれを「地域の平和を脅かす」と反発している。受賞は西側の「民主化」の大義を強調し、ロシアや中国との対話を遠ざける。ベネズエラ危機は単なる二国間問題ではなく、大国の地政学的思惑が交錯する「グローバルなチェス盤」である。ノーベル平和賞が、このチェス盤の駒をさらに複雑に動かすことになる。

平和賞が平和に直結しない理由

マチャド氏の受賞が平和に直結しない理由は、ベネズエラ危機の構造的問題に根ざしている。

第一に、軍事的・政治的対立の継続である。米軍とベネズエラ軍の緊張はすでに一触即発だ。米国は「麻薬カルテル」を「外国テロ組織」に指定し、国境を越えた軍事行動を正当化するが、その裏には政権転覆の意図が透ける。国内では、マドゥロ政権がマチャド氏の選挙出馬を妨害し、弾圧を強化。平和賞の理念は、この現実を乗り越える具体的な力を持たない。理念だけでは、軍事衝突や政治的抑圧を止めることはできない。

第二に、マドゥロ政権の強固な支援体制である。ロシアは最新鋭の防空システムを提供し、ベネズエラを軍事的に支えている。他方、国連安保理では、米国の「麻薬運搬船」の主張を「根拠がない」と一蹴している。中国はベネズエラ石油の85%を購入し、経済制裁下の政権の生命線となっている。この支援体制がある限り、国際社会の圧力や国内の民主化運動だけで政権を揺さぶるのは困難である。ノーベル賞

平和賞の受賞が国際的注目を集めても、政権の基盤は揺るがない。

第三に、米国の複雑な国内事情である。今回の受賞は米国が長年支持してきた「民主化」の大義に与えられたものだ。しかし、ホワイトハウス報道官は「ノーベル委員会は平和より政治を優先した」と批判している。この批判は、実質を伴わないオバマ米大統領受賞から根深い。対して、ノルウェー国際問題研究所のアナリスト、ハルバード・レイラ氏は「これは米国の大義への賞だ」と反論するが奇妙な修辞にすぎない。この対立は、支援国である米国が国内政治の分断から一貫した外交戦略を描けていない現実を映し出す。受賞の効果は、米国自身の足並みの乱れによって薄れる。

平和賞受賞がもたらす悪影響

ノーベル賞平和賞の受賞が「悪い影響」に傾く具体例は、危機の現状から明らかである。

まず、マドゥロ政権の弾圧強化である。マチャド氏への国際的注目は、政権に「外部からの攻撃」を印象づける。「トントン作戦」による弾圧は既に1900人以上の政治犯を生み、受賞を機にさらにエスカレートするだろう。政権は国内の反対派を「西側の操り人形」とみなし、恐怖政治を強化する可能性が高い。国民の苦しみは増すばかりだ。

次に、地域の軍事緊張の増大である。米国が受賞を「民主化の正当性」とみなせば、軍事行動を強化する口実となりうる。F35の領空接近や、5000万ドルの懸賞金は、政権転覆の意図を隠さない。ベネズエラが民兵を動員し、ロシアが防空システムを提供する中、受賞が軍事衝突の引き金を引くリスクは無視できない。カリブ海が戦場と化せば、700万人の難民危機はさらに拡大する。

最後に、国際社会の対話の機会喪失である。ロシアと中国は、受賞を西側のプロパガンダとみなし、国連安保理での対話を拒否するだろう。すでに、中国は米国の軍事行動を「地域の平和を脅かす」と非難し、ロシアは米国の主張を「根拠がない」と非難している。平和賞の受賞が西側の価値観を押し付ける形で受け止められれば、外交的解決の道は閉ざされることになる。ベネズエラ危機は、大国のパワーゲームの縮図として膠着する。

平和への道を模索するための提案

危機の緩和と平和への道を開くには、現実的なアプローチが必要である。

第一に、戦略的インセンティブの強化である。米国の「最大圧力」政策は、2017年以降の制裁で石油生産を壊滅させ、国家歳入を310億ドル以上失わせた。しかし、シンクタンク「アトランティック・カウンシル」が指摘するように、マドゥロは過去の圧力を乗り切った自信を持っている。制裁緩和を交渉材料に、移民問題の管理や石油セクターへのアクセスを切り札とする「アメ」のアプローチが必要だろう。これにより、ロシアや中国の影響力を削ぎつつ、政権に「民主的移行が得」と感じさせる戦略的ジレンマを突きつける。受賞をこの対話の契機とできれば、ポジティブな転換が可能だ。

第二に、中立国の仲介である。大国の直接対決を避けるため、ノルウェーやスイスのような国家が対話の場を設けるべきだ。ノーベル平和賞の授与国であるノルウェーが、受賞を機にイニシアチブを取れば、国際的対立の緩和が期待できる。中立国の関与は、ロシアや中国にも対話の余地を与え、軍事衝突のリスクを下げる。

第三に、人道支援の優先である。国民の73%が貧困に陥り、国の輸入額は制裁前の月8億ドルから2億5000万ドルに激減した。食料や医薬品の不足は、国民生活を崩壊させている。受賞を機に、国際社会が人道支援を強化すれば、国民の支持を得つつ政権への圧力を間接的に高められる。国連やNGOを通じた支援は、危機の根本的解決への第一歩となる。ノーベル賞平和賞はお安い自己満足に終わる。

ノーベル賞平和賞受賞の影響をどう捉えるか

マリア・コリナ・マチャド氏のノーベル平和賞は、ベネズエラの民主化運動に希望を与える。しかし、軍事緊張と国際分断が続く現状では、政権の硬化や対立の先鋭化を招くリスクが大きい。マドゥロ政権の弾圧強化、軍事衝突の危険、対話の機会喪失は、受賞が「悪い影響」に傾く具体例だ。この問題は「正義 対 悪」の単純な二元論では捉えきれない危機の本質が、ここに表れている。

それでも、受賞の象徴的価値を戦略的に活用できれば、希望は残る。制裁緩和や中立国の仲介、人道支援の強化は、受賞を平和への契機に転換する道である。ベネズエラ危機は、大国の戦略的利益と人道的影響の両立という普遍的課題を突きつける。ノーベル賞平和賞を「正義の押し付け」ではなく、国民の苦しみを軽減する第一歩とする責任が、国際社会にある。ベネズエラの人々の声なき叫びに応えるため、現実的な行動が求められている。

 

 

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2025.10.10

公明党の戦略的自公決裂

公明党の戦略的自公決裂

1999年から26年間、日本の政治を支えてきた自民党と公明党の連立政権が、2025年10月10日に終焉を迎えた。この歴史的転換は、単なる党間の対立や政策の齟齬によるものではない。自民党と公明党の支持層が半減に近い規模で縮小し、特に公明党内の権力構造が硬直化することで、連立を維持する意義が失われた結果である。最終交渉での決裂は、公明党が自民党の意思決定構造の限界を承知しながら強硬姿勢を貫いた戦略的選択であり、その不安定な支持層の危機に応えたものだった。。

支持層の縮小:連立の基盤崩壊

自公連立の根底には、かつては両党の強固な支持基盤があった。しかし、2025年時点で、この基盤は大きく揺らいでいる。自民党の支持層は、農村部や業界団体、中高年層を中心に、1990年代のピーク時に比べ約30~40%減少していた(総務省の選挙データや世論調査に基づく推定)。少子高齢化や都市化、若年層の政治離れに加え、「政治とカネ」問題の頻発などから、無党派層や若年層の離反を加速させていた。これにより、自民党は公明党の組織票への依存を強めたが、支持層の縮小は党内の保守派を勢いづけ、憲法改正や反グローバリズムといった強硬な政策を優先する動きを強めた。

同様に、公明党の支持母体である創価学会の活動会員数は、公式発表の約800万人から推定400~500万人へと、ほぼ半減していた。高齢化や若年層の離脱が進行し、選挙時の「2万票/選挙区」の組織票もかつての影響力を失いつつある。支持層の間では、自民党の不祥事や保守化への不満が高まり、「自民党を応援しづらい」という声が広がった。

この支持層の縮小は、両党の選挙協力の価値を根本から揺さぶった。自民党にとって、公明党の組織票は命綱だったが、その票数が減少し、政策の足枷となる公明党の要求(憲法改正反対やリベラルな外国人政策)が耐え難いものとなった。公明党側も、支持層の不満を無視できず、連立継続がさらなる離反を招くリスクに直面した。

最終交渉の決裂:公明党の戦略的選択

表面的に連立解消の直接的な引き金となったのは、高市早苗総裁率いる自民党と、斎藤鉄夫代表率いる公明党の最終交渉の決裂である。公明党は、政治資金規正法改正案について即時賛否を求める最後通牒を突きつけ、交渉代表者2人に全権を委ねた。一方、高市総裁は、党内手続きを理由に即答を避け、来週の再協議を提案した。公明党はこれを「具体的回答ではない」として、連立離脱を一方的に通告した。

この決裂は、経緯からも明らかなように単なる交渉の失敗ではない。公明党は、自民党の意思決定が総裁単独では行えず、派閥や役員会の合意を必要とする構造を熟知していた。それにもかかわらず、全権を背景に強硬姿勢を貫いたのは、連立継続よりも決裂を意図した戦略的選択だったと推測される。公明党内の権力中枢、特に創価学会と密接な執行部は、支持層の不満に応え、党のアイデンティティ(平和主義、リベラル志向)を再強調する必要に迫られていた。全権委任は、党内異論を封じ、迅速に決裂を演出するための手段である。自民党の「政治とカネ」問題(特に高市政権の人事:萩生田光一氏の幹事長代行や木原稔氏の官房長官起用)への支持層の反発は、連立を維持するリスクを上回り、執行部に強硬な行動を促した。

公明党内権力の硬直化:支持層縮小の圧力

公明党内の権力構造が決裂を導いた背景には、支持層縮小による党内圧力の増大がある。創価学会の会員減少は、党の選挙力を弱体化させ、執行部の危機感を高めることになった。こうした支持層の不満、特に自民党の不祥事や保守化への反発は、連立継続が党の存立を危うくするとの認識を生んだ。この危機感は、執行部に強硬な姿勢を取らせ、交渉での柔軟性を失わせたのである。公明党は、支持層の信頼回復のため、憲法改正反対や政治資金規正法改正へのこだわりを強く打ち出し、党の昭和時代依頼のアイデンティティを再定義する戦略を選んだ。この硬直化した権力構造が、意図的な決裂を既定路線としたのだ。

これも同様に、自民党の支持層縮小も、党内の保守派を勢いづかせた。高市政権の保守化(憲法改正推進、反グローバリズム)は、縮小する支持層をまとめるための戦略だったが、公明党の支持層に強い反発を招いた。両党の支持層縮小は、選挙協力の実利で抑えられていたイデオロギー対立(保守vsリベラル、ナショナリズムvsグローバル主義)を増幅し、妥協の余地を奪った。

時代変化:支持層縮小を加速した背景

両党の支持層の縮小は、以下の時代変化によって加速されたが、これらは直接的原因ではなく、問題を増幅する背景である。要因としては、まず情報化社会がある。SNSやインターネットの普及により、自民党の不祥事が即座に拡散され、公明党の支持層に不信感を植え付けた。執行部は、この不満に応えるため、連立離脱を支持層への説明責任として位置づけた。人口構造の変化の要因も大きい。少子高齢化は、創価学会の高齢化を進め、活動会員の減少を加速させた。公明党の組織力低下は、連立の価値を下げ、執行部の強硬姿勢を後押しした。背景としては、グローバル化と反グローバル化、ある意味中国志向といえる傾向も見られる公明党のグローバル志向は、自民党の保守層や反グローバル化の国民感情と衝突した。支持層縮小の中で、両党はそれぞれの基盤に訴える政策を優先せざるを得なかった。

今後の政治への影響:流動する新時代へ

今回の自公連立解消は、日本政治に大きな変動をもたらすだろう。当面、自民党は公明党の組織票を失い、総選挙で40議席程度の大幅減が予想される。支持層縮小の中で、保守政策を加速させ、国民の直接的支持を獲得する必要に迫られるが、少数与党としての政権運営は不安定さを増す。公明党も、連立離脱で支持層の不満を一時的に収束させたが、組織力の低下は野党としての影響力減退を招くリスクがある。執行部の強硬策は、短期的な支持回復にはつながるが、長期的な党の存立に課題を残す。

構図は単純化し、保守vsリベラル、ナショナリズムvsグローバル主義といった新たな対立軸を生み、政治の流動性を高める。憲法改正や反グローバリズム政策が加速する可能性がある一方、野党の動向次第では自民党が過半数を失い、政権交代のシナリオの期待も高まる。

まとめ

自公連立の解消は、複合的要因に見えるが、核心は支持層の半減に近い減少が公明党内の権力構造を硬直化させ、意図的な決裂を導いた点にある。公明党は、自民党の決定権の不在を承知しながら全権委任で強硬姿勢を取り、支持層の不満に応え、党のアイデンティティを再定義する戦略を選んだ。これは、創価学会の会員減少と自民党の保守化への危機感の表れであり、連立の意義が薄れた結果である。1999年体制は強固な支持層に支えられたが、2025年の縮小した基盤では維持不可能となった。日本の政治は、支持層の再構築と新たな対立軸を通じて、予測不能な新時代へと突き進む。連立解消は、時代変化の波に乗り遅れた旧秩序の崩壊であり、新たな政治秩序の幕開けを告げるものとなる。

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2025.10.09

サルタイアが映すスコットランドの分断

スコットランドの分断:日本に示唆すること

 2025年も終わりに向かいつつあるなか、欧州は右派ポピュリズムの嵐に揺れている。フランス、ドイツ、イタリアで反移民を掲げる勢力が台頭し、英国でも社会の分断が深まる。なかでも、スコットランドの国旗「サルタイア」が新たな戦場となっている。青と白の斜め十字が描かれたこの旗は、かつてスコットランド独立の夢を象徴していた。が、今、グラスゴーの街頭で、サルタイアは反移民を訴えるデモ隊の手で翻り、英国国旗「ユニオンフラッグ」と並んで掲げられている。この光景は、単なる旗の争いではない。グローバル化と移民問題が国家のアイデンティティを揺さぶる現代において、スコットランドは社会分断の最前線に立っている。

この対立は、2025年10月のファルカークでのデモで顕著となった。反移民運動のリーダー、スティーブン・レニー氏は、「我々の旗を取り戻す」と叫び、移民を歓迎するスコットランド国民党(SNP)を「スコットランドの誇りを奪う」と批判した。サルタイアを掲げる群衆は、「移民に優先権を与えるな」と訴え、対抗する移民擁護派と衝突した。

こうしたシーンは、スコットランドのナショナリズムが、独立をめぐる従来の枠組みを超え、排他的な愛国心と市民的包容性の間で分裂している現実を映し出している。

ナショナリズムの背景:経済と移民への不満

 スコットランドのナショナリズムは、歴史的に二つの流れを持ってきた。一つは、スコットランド国民党(SNP)が推進する市民的ナショナリズムである。SNPは、スコットランドを「寛容で包括的な国家」と位置づけ、移民を「new Scots(新たなスコットランド人)」として歓迎する政策を進めてきた。経済成長や労働力不足解消のため、外国人労働者の受け入れを積極的に支持する。一方、新たに台頭する反移民ナショナリズムは、こうした政策に反発する。レニー氏のような活動家は、移民が「スコットランド人の仕事を奪い、公共サービスを圧迫する」と主張し、排他的な愛国心を煽る。

この対立の背景には、深刻な社会経済的要因がある。英国全体の経済停滞と公共サービスの逼迫は、スコットランドでも顕著である。グラスゴー市議会のスーザン・エイトケン氏は、難民認定後の支援打ち切りにより、多くの亡命希望者がホームレス状態に陥ると証言する。市はホームレスに住居を提供する法的義務を負うが、予算不足でホテルに頼らざるを得ない。「我々のリソースは限界だ」と先のエイトケン氏は訴えた。ファルカークのデモ参加者「マーク」は、「移民に四つ星ホテルが与えられ、市民が後回しにされている」と不満を漏らす。こうした声は、経済的困窮が移民への敵意に転化する構造を示している。

欧州の右派ポピュリズムとスコットランド

スコットランドの反移民運動が注視されるのは、単なる国内問題ではないことだ。欧州全体で台頭する右派ポピュリズムと共鳴する現象である。フランスの国民連合、イタリアの同盟、ドイツの「ドイツのための選択肢(AfD)」など、欧州各国で反移民を掲げる政党が勢力を拡大している。これらの運動は、経済的不満やグローバル化への反発を背景に、「自国民優先」を訴える。スコットランドのデモでも、こうした国際的な潮流の影響が顕著である。たとえば、ファルカークのデモでは、白人至上主義に由来するスローガン「我々は我々の民の存在と白人の子供たちの未来を確保しなければならない」が掲げられた。グラスゴーでは、英国の極右活動家トミー・ロビンソンへの賛辞が叫ばれ、米国の右派インフルエンサーへの言及も見られる。

ソーシャルメディアは、こうした過激思想の拡散を加速する。米国資本のプラットフォームが、反移民や排外的な言説を拡散する場となり、スコットランドの運動にも影響を与えている。専門家のマシュー・フェルドマン氏は、「過激思想が主流の政治議論に流入する危険性」を警告する。スコットランドの反移民ナショナリズムは、欧州や米国の右派運動と連動し、ローカルな不満をグローバルなイデオロギーに結びつけている。

意外に思う人もいるかもしれないが、日本の右派ポピュリズムの台頭は欧州ほど顕著ではない。が、もちろん、無関係でもない。ネット上での外国人排斥的な言説や、歴史認識をめぐる過激な議論は、欧州の動向と通じる部分がある。たとえば、SNSでの「外国人労働者への批判」や「日本の伝統を守れ」といった声は、スコットランドの「旗の奪還」と似た排外感情を反映する。日本の政治的安定性は、こうした動きを抑える要因だが、グローバル化が進む中、欧州の動向は日本にとって無視できない警鐘である。スコットランドの事例は、ナショナリズムが過激化するリスクを日本に示唆する。

ナショナリズムと社会の未来

スコットランドの事例は、ナショナリズムと移民問題が社会分断を助長するリスクを浮き彫りにしている。スコットランドのサルタイアをめぐる対立は、経済的困窮や公共サービスの逼迫が、移民への敵意に転化する構造を示している。欧州の右派ポピュリズムとの連動は、グローバル化時代における国家のアイデンティティの複雑さを物語る。

日本にとって、この事例は重要な教訓を提供するだろう。日本は、少子高齢化と労働力不足から、外国人労働者の受け入れを拡大している。2024年の法改正で、外国人技能実習制度が見直され、永住への道も開かれつつある。しかし、政策の意図と市民の認識には乖離がある。地方では、外国人労働者の増加が地域経済を支える一方、「文化の違い」や「雇用の競合」を懸念する声が上がる。これは、スコットランドの「new Scots」政策への反発と類似する。経済的必要性と社会の受容度のギャップを埋めるには、政策の透明性と丁寧な説明が不可欠である。

また、日本の地方自治体の財政難は、スコットランドと共通の課題である。日本の過疎地域では、医療や介護サービスの不足が深刻化し、住民の不満が高まっている。こうした状況下で、外国人労働者や移民がスケープゴートにされるリスクがある。

スコットランドの教訓は、経済格差の是正や公共サービスの強化が、排外感情を抑える鍵であることを示している。日本は、欧州の動向を注視しつつ、多文化共生のモデルを模索すべきである。たとえば、地域住民と外国人労働者の交流を促進するプログラムや、自治体の財政支援を強化する政策が求められる。スコットランドの分断は、日本が社会の結束をどう保つべきかを考える契機となる。

 

 

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2025.10.08

フランス危機とEUの迷走

政治と経済のどん詰まりのフランス

フランスは未曾有の政治・経済危機に直面している。2025年10月6日、セバスチャン・ルコルヌ首相が就任わずか27日で辞任し、現代フランス史上最短の政権となった。マクロン大統領の内閣人事(ブリュノ・ル・メイルの国防相任命)への右派反発と、2026年予算案を巡る議会の分裂が引き金である。これで過去21ヶ月で5人目の首相交代という事態は、ハングパーラメント(過半数なし議会)の機能不全を象徴する。しかもフランスの世論調査では75%がルコルヌ辞任を支持し、マクロンへの不支持率は60%を超える。

フランスは経済的にも危機は深刻である。債務対GDP比は114%超、予算赤字は5.8%でEU基準(3%)の2倍近くに達する。2029年までに利払い費は1000億ユーロを超える見込みで、フランス国債は調査会社BCAから「投資不適格」と評価され、10年物利回りは3.57%に急騰した。CAC 40指数の下落とユーロ安が続き、市場の信頼はまさに崩壊寸前である。マクロンは10月8日までの緊急交渉を指示したが、野党の極右(RN)、極左(LFI)、社会党の対立は収まらず、予算案提出期限(10月7日)を過ぎた現在、さらなる混乱が予想される。

改善の見通しが見えない悪循環

フランスの危機は短期的な解決の見通しが立たない。政治的分断は、2022年のマクロン再選後の議会過半数喪失に端を発し、2024年スナップ選挙で三極化(RN、左派NFP、中道)が固定化した。ルコルヌ辞任後の交渉も、RNの解散要求、LFIの弾劾論、社会党の左派予算要求で難航し、成功の可能性は低い。予算案不通過は2025年予算のロールオーバー(支出凍結)を強制し、インフレ調整なしの財政硬直化が社会保障や年金改革を遅らせ、失業率(7.5%超予測)の上昇やデモを誘発する。

経済的にも悪循環が続く。債務増大と利払い負担が財政を圧迫し、格付け機関の警告が頻発している。ECBの債券購入再開や利下げ議論はあるが、ドイツの経済停滞(2025年成長率0%予測)と相まって即効性は期待薄である。技術官僚政府や新首相任命で時間稼ぎを試みても、議会の分裂は解消せず、市場の不信は深まるばかりだ。このスパイラルは、第五共和制の大統領制が議会との対立で機能不全に陥る構造的欠陥を露呈している。

ナショナリズムの台頭

危機のなか、極右の国民連合(RN)が勢力を拡大している。RNは2024年欧州議会選挙で第1党(30議席)、立法選挙第1ラウンドで33.2%の支持を獲得した。マクロンの失政(不支持率60%超)を「体制の失敗」と位置づけ、移民制限、保護主義、税軽減を掲げて支持を集める。ルコルヌ辞任後、RNは議会解散を要求し、「特別法」での予算承認を提案した。マリー・ルペンやジョルダン・バルデラは、2027年大統領選や早期選挙での主導権を狙う。議会副議長ポストの確保など、RNの影響力は増している。

社会分断も深刻で、左派や中道の反RN勢力が抵抗し、完全な多数派形成は難しいが、危機の長期化はRNの支持基盤を固め、「新しい基軸」への期待を高めている。だが、RNの台頭にも障壁がある。ルペンは2025年3月のEU資金横領判決で公職就任禁止5年を課され、2027年大統領選出馬が絶望的。RNの「脱汚名化」努力は後退し、バルデラへの移行も不透明だ。RNの反EU・ナショナリズム政策は、国債利回り上昇やユーロ安を招き、市場不安を増幅させる。

EU全体の迷走

この危機はフランスに留まらない。EU全体が統治力の低下とアナキー状態に陥っていくかに見える。ドイツはエネルギー危機と中国依存の輸出減で3年連続リセッションに直面している。債務抑制がインフラ投資を制約し、EUの「エンジン」としての役割を失いつつある。イタリアの「イタリアの同胞(Fratelli d’Italia)」、ドイツのAfDなど、反EUのポピュリズムが各国で台頭し、2024年欧州議会選挙で右派勢力(ECR、IDグループ)が議席を拡大。移民や気候政策への抵抗が、EUの統一性を損なう。

EUの意思決定は、すでにフランスの予算案不通過やドイツの停滞で麻痺している。ウクライナ支援(500億ユーロ融資)、グリーンディール、防衛強化が遅れ、地政学的信頼性も低下している。ECBの金融支援(債券購入再開議論)も、加盟国の財政規律崩壊(フランス赤字5.8%、基準3%超)で限界が露呈しつつある。経済規模(EU全体18兆ユーロ)は大きいが、行政体の統治力が成長の自律性に追いつかず、加盟国のナショナリズムが統治の空白を埋める「アナキー」を助長している。

アナキーという新秩序

EUは、経済格差や市場の自律的成長に依存してきたが、行政体としての統治力不足が明らかである。フランスの政治危機は、EUの迷走の縮図であり、RNのようなナショナリズム勢力が台頭する土壌を提供する。アジアのような国家主導の成長モデルとは異なり、EUは官僚的統合と加盟国対立に縛られ、成長のダイナミズムを欠く。ロシアの脅威や米中対立の中で、EUの「戦略的自律性」は空論化し、アナキー状態が進行する。

この状況では、新たな秩序はナショナリズムとの妥協からしか生まれないだろう。RNの保護主義や反移民政策は、短期的には市場不安や分断を招くが、国民の不満(経済停滞、移民問題)を吸収し、議会での影響力を増す。フランスでは、RNのバルデラが2027年大統領選で有力候補に浮上する可能性がある。EU全体でも、ドイツやイタリアの右派との連帯が、反EUの流れを強める一方、ECBや中道勢力の抵抗が続く。

EUがアナキーな状況を克服するには、ナショナリズムの現実的な要求(例:移民管理強化、財政規律の緩和)を部分的に取り入れ、統合の枠組みを再構築する妥協が必要となるだろう。フランスの10月8日交渉や新首相選定が短期的な鍵だが、長期ではナショナリズムとの対話が不可避だ。EUの迷走は、統治の再定義を迫られる転換点に立っている。

 

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2025.10.07

ノーベル生理学・医学賞2025:多発性硬化症(MS)における意義

2025年ノーベル生理学・医学賞の報道

2025年10月6日、スウェーデンのカロリンスカ研究所は、ノーベル生理学・医学賞を大阪大学の坂口志文特任教授(74歳)、アメリカのMary E. Brunkow氏、Fred Ramsdell氏の3氏に授与すると発表した。受賞理由は「末梢免疫寛容(peripheral immune tolerance)」に関する発見であり、制御性T細胞(Treg)が免疫系を調節し、自己免疫疾患、アレルギー、がん治療に新たな道を開いた功績が評価された。この発表は、免疫学の基礎研究が臨床応用に直結する重要性を世界に示し、医療の未来に希望を与えた。

国内報道では、NHK、日本経済新聞、朝日新聞、読売新聞などが速報を伝え、坂口教授の記者会見を詳細に報じた。坂口教授は大阪大学で会見を行い、「光栄であり、驚きを感じている。この研究が自己免疫疾患やがん治療に貢献し、患者が救われる時代が来ることを願う」と述べ、研究の意義と喜びを語った。日本国中の注目を集め、首相からの祝電も届いた。

報道では、Tregが関節リウマチ、1型糖尿病、アレルギー疾患の治療に応用可能な点が強調され、特にがん免疫療法(例:免疫チェックポイント阻害剤)との関連が注目された。SNSでは、坂口教授の業績を称賛する投稿が相次ぎ、「日本の基礎研究の底力」「研究支援の必要性」を訴える声も多く見られた。一方で、研究資金の不足や若手研究者の環境改善を求める意見も散見され、科学技術政策への関心が高まった。

国際報道では、BBC、CNN、Scientific American、NPRなどが受賞を大きく取り上げ、Tregの役割が自己免疫疾患(関節リウマチ、1型糖尿病、多発性硬化症など)、移植免疫、がん治療に及ぼす影響を詳細に解説した。また、ノーベル委員会の公式発表では、Tregが免疫系の「ブレーキ」として機能し、自己免疫疾患を防ぐメカニズムが強調された。特に、Tregを活用した治療法(例:低用量IL-2療法)の臨床試験が進行中である点が紹介され、医療への実用化が期待されている。賞金は1100万スウェーデンクローナ(約1.2百万米ドル)で、3氏が均等に分け合い、12月10日にストックホルムで授賞式が行われる予定である。

受賞者3氏の関係と発見の意義

坂口志文、Mary E. Brunkow、Fred Ramsdellの3氏は、制御性T細胞(Treg)とその分子メカニズムの発見を通じて、免疫寛容の理解を飛躍的に進めた。彼らの研究は相互に補完的であり、Tregが免疫系を制御する中心的な役割を段階的に解明した。受賞者3氏の関係と発見の意義を整理しよう。

坂口教授は1990年代初頭、CD4+CD25+ T細胞としてTregを発見し、免疫系が自己の健康な細胞を攻撃しないよう抑制する役割を明らかにした。この発見は、免疫寛容の基礎を築き、自己免疫疾患(例:関節リウマチ、1型糖尿病)や移植拒絶反応の治療に新たな可能性を示した。坂口の研究は、Tregが免疫バランスを保つ鍵であり、その機能不全が疾患を引き起こすことを証明した。彼の初期研究は、Tregの特定と機能解析に道を開き、後の分子研究の基盤となった。

Mary E. Brunkow氏は、2000年にTregの機能に不可欠な転写因子Foxp3遺伝子を特定した。Foxp3はTregの「マスター調節因子」であり、その発現がTregの抑制能を決定する。Brunkowの研究は、坂口のTreg発見を分子レベルで裏付け、Tregの異常が自己免疫疾患やアレルギーを引き起こすメカニズムを解明した。この発見は、Tregの機能を遺伝子レベルで制御する可能性を示し、治療法開発の道を開いた。

Fred Ramsdell氏は、Brunkowと共同でFoxp3の役割をさらに深掘りし、Tregの機能不全が自己免疫疾患を引き起こす分子機序を明らかにした。彼の研究は、Tregを操作することで免疫応答を調整し、自己免疫疾患、移植免疫、がん免疫療法(例:CAR-T療法、チェックポイント阻害剤)に応用できる可能性を示した。Ramsdellの貢献は、Tregの臨床応用に向けた橋渡し研究として重要である。

3氏の研究は、坂口のTreg発見を基盤に、BrunkowとRamsdellがFoxp3を介した分子メカニズムを解明する形で進展した。この連携により、Tregが免疫寛容の中核であることが確立され、自己免疫疾患の治療やがん免疫療法の開発が加速した。たとえば、Tregを増強する低用量IL-2療法は、自己免疫疾患の臨床試験で有望な結果を示しており(Nature Reviews Immunology, 2019)、Treg操作による新治療法の可能性が広がっている。

発性硬化症(MS)とTregの関連:私の経験とCD95

ところで、今回のノーベル賞は私にも関係が深い。なぜなら、私は2001年に多発性硬化症(MS)を発症し、現在もその影響を受けながら生活しているからである。MSは、免疫系が自己の神経系(特に脳や脊髄のミエリン鞘)を攻撃する自己免疫疾患であり、運動障害、感覚異常、視力障害などの症状を引き起こす。私は現在、比較的長い寛解期にあり、症状が安定しているが、この状態は、免疫系のバランスが保たれている結果と考えられる。

私は国立精神・神経医療研究センター(NCNP)で研究対象として参加しており、研究医から「抑制T細胞(Treg)が強い」との説明を受けた。これは、私の免疫系が自己攻撃を抑える能力が高く、MSの炎症を制御している可能性を示唆する。Tregは、免疫系の過剰反応を抑える「ブレーキ」として機能し、MSでは特に重要な役割を果たす。研究では、Tregの機能が低下すると、炎症性T細胞(例:Th17)が活性化し、MSの再発や進行が促進されることが知られている。私の場合、Tregの数や機能(例:Foxp3発現、サイトカイン産生)が強いことが、長い寛解期の要因と考えられる。

さらに、NCNPの研究では、Tregの機能評価においてCD95(FasまたはAPO-1)が重要なマーカーとして注目されている。CD95は、T細胞の表面に発現する受容体で、免疫細胞の活性化やアポトーシス(プログラムされた細胞死)を調節する。Tregでは、CD95が高発現すると、抑制機能が安定し、自己免疫反応を抑える効果が強まる。MS患者では、CD95を介したTregの機能が、炎症性T細胞の抑制や寛解維持に寄与する可能性がある。

私のTregの強さは、CD95発現量が高いことで説明できるかもしれない。たとえば、フローサイトメトリーによる解析で、CD95+ Tregの割合が多い患者は、免疫バランスが保たれ、MSの進行が抑制される傾向がある。NCNPの研究では、私のTregのCD95発現や抑制能を詳細に解析し、寛解メカニズムの解明や新治療法の開発に役立てていると信じたい。

以上のように坂口教授らのTreg研究は、私の状況に直接関連している。Tregの強化は、MSの進行を抑える治療法(例:Treg細胞療法、Foxp3標的治療)の基盤となる。CD95は、Tregの生存や機能安定性に重要な役割を果たし、MS治療の新たな標的として注目されている。

国際的なMSの注目度と日本の報道のギャップ

ところで、国際的な報道や研究では、Tregの役割が多発性硬化症(MS)の治療に大きな影響を与えると広く認識されている。ノーベル委員会の発表では、Tregが「重篤な自己免疫疾患」(例:MS、1型糖尿病、関節リウマチ)の発症を防ぐメカニズムが強調された。特に、MSを対象としたTreg療法(例:Treg増強療法や低用量IL-2療法)の臨床試験が進行中であり、国際的な注目を集めている(Frontiers in Immunology, 2020)。

欧米では、MSの有病率が日本より高く(人口10万人あたり100-200人に対し、日本は10-20人)、Treg研究の文脈でMSが象徴的な疾患として頻繁に取り上げられる。国際メディア(BBC、CNN、NPR、Scientific American)は、TregがMSの再発抑制や寛解維持にどう寄与するかを詳細に報じ、Treg療法の臨床応用への期待を強調した。CD95の役割も、Tregの機能評価や治療標的として、MS研究で注目されている。

一方、日本国内報道では、MSへの言及がほぼなく、関節リウマチ、1型糖尿病、アレルギー疾患が主に取り上げられた。これは、日本でのMS患者数が約2万人と少なく、一般の認知度が低いため、報道が身近な疾患に焦点を当てた結果と考えられる。このため、国内では、がん免疫療法への応用が特に注目され、Tregの広範な意義がMSにまで及ばなかった可能性がある。SNSの投稿でも、MSに関する議論は少なく、がん治療や基礎研究の重要性が中心だった。

私は一人のMS患者として、特にこの病気が確定されるまでのドクターショッピングと批判される日々を思い出す。町医では診断がつかず、神経症のように扱われた。中心視野脱落が起きたので眼科医から精密な眼科検査を行ったが異常がなかった。ここでも私は問題者のように扱われた。懇願して国立精神・神経医療研究センター(NCNP)の紹介を書いてもらい、当時沖縄で暮らしていたが、東京に向かい、同センターで精密に検査をしたら、判明した。脳に白斑が多数あるのを見て、絶望感に浸ったことを思い出す。そして、ああ、絶望にようやく至ったとも思ったものだ。幸い、その後は今回の記事に書いたように寛解期が長いが、それでもMSと思われる不調はある。この実経験からすれば日本の潜在的なMS患者は現在推定の数倍はいるだろう。

日本でのMS認識のギャップは、日本でのMS研究や患者支援の課題を浮き彫りにする。Treg研究はMS治療の進展に直結するが、国内での認知度向上が必要である。私の経験のように、Tregの強さやCD95の発現がMSの寛解に寄与する例は、研究と臨床の橋渡しとして重要ではないかと思う。将来的に、Treg療法やCD95を標的とした治療がMS治療で実用化されれば、国内報道も追いつき、MS患者への希望が広がるだろう。研究支援の強化と啓発活動を通じて、MSへの関心が高まることを期待する。



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2025.10.06

ダルフール紛争の現在(2025)

アリ・クシャイブ裁判について

2025年10月6日、国際刑事裁判所(ICC)は、スーダンのジャンジャウィード民兵の元上級司令官、アリ・ムハンマド・アリ・アブドゥル・ラーマン(通称アリ・クシャイブ)を、2003~2004年のダルフール紛争中の戦争犯罪および人道に対する罪で有罪と判決した。ジャンジャウィードは、アラブ系遊牧民を中心に構成されたスーダン政府支援の民兵組織で、ダルフールの非アラブ系住民に対する残虐行為で悪名高い。今回の27の罪状には、組織的な大量殺戮、集団強姦、村落の焼き討ち、強制移住が含まれる。

これはICC初のダルフール関連有罪判決であり、歴史的意義を持つ。裁判長ジョアンナ・コルナー判事は、アブドゥル・ラーマンが民兵を指揮し、直接暴行や拘束者の処刑に関与したと認定。具体的には、2003年8月から2004年4月にかけて、ダルフールの非アラブ系住民(フール族、ザガワ族、マサリート族)に対する攻撃を主導した。たとえば、ムコジャールやビンディシでの襲撃では、数百人の民間人が殺害され、村々が全焼した。彼は1949年生まれで、2020年に中央アフリカ共和国に逃亡後、身の危険を感じてICCに降伏。最高で終身刑に直面し、判決は後日決定される。

この裁判は、ダルフール紛争(2003~2020年)の残虐行為に国際的な光を当てるはずのものである。紛争は約30万人が死亡、250万人が避難民となり、21世紀初のジェノサイドとされる。ICCは元大統領オマル・アル・バシールを含む高官に逮捕状を発行しているが、スーダンの非協力や国際社会の執行力不足で進展は限定的である。アブドゥル・ラーマンの有罪は責任追及の第一歩だが、紛争全体の正義実現には程遠い。

ダルフール紛争と外国の関与

ダルフール紛争は、単なる民族対立(アラブ系遊牧民 vs. 非アラブ系農耕民)ではなく、スーダン政府の戦略的介入がジェノサイドを組織化した。2003年、非アラブ系のスーダン解放軍(SLM)や正義平等運動(JEM)が、ダルフールの経済的・政治的疎外(インフラ不足、教育機会の欠如)に抗議し蜂起。バシール政権はこれを「反乱鎮圧」と称し、ジャンジャウィード民兵に自動小銃、迫撃砲、車両を提供。空爆と地上攻撃を組み合わせ、非アラブ系の村を破壊し、女性への集団強姦や子供の殺害を繰り返した。国連の2005年報告書は、少なくとも700の村が全焼し、180,000人が直接的暴力で死亡したと推定。米国は2004年にこれをジェノサイドと認定。政府の支援がなければ、土地・水資源を巡る民族間競争(干ばつや砂漠化で悪化)はここまで壊滅的な規模にはならなかった。

フランスの関与は多面的である。2004年、フランスは米国主導の国連安保理制裁案に反対し、ジェノサイド認定に慎重だった。これは、チャドやスーダンでの石油利権保護、米国への外交的牽制、アフリカでの影響力維持が背景とされる。フランス外務省は、スーダン政府との対話を優先し、強硬な介入を避けた。他方、フランスは人道支援にも尽力した。2004~2005年、チャド駐留のフランス軍は、ダルフール避難民に食料・医薬品約500トンを空輸し、難民キャンプの安全確保を支援した。2005年にはICCへの事件付託を支持し、EU経由でアフリカ連合平和維持部隊に顧問を派遣。だが、2024年、アムネスティ・インターナショナルは、フランス製のGalix防衛システム(UAE製装甲車に搭載)が、ジャンジャウィード由来の迅速支援部隊(RSF)で使用されたと報告。国連のダルフール武器禁輸違反の可能性が指摘され、フランス企業(Lacroix Defenseなど)に輸出停止が求められている。これは直接的ジェノサイド支援ではないとして武器流通の管理責任が免れるのだろうか。

他の国の関与も問題である。中国はスーダンの石油投資(スーダン産油の70%を輸入)を背景にバシール政権を支持し、国連制裁に反対。ロシアもスーダンとの軍事・鉱物取引を優先し、介入を阻んだ。米国はジェノサイドを認定したが、イラク戦争(2003年~)の優先で軍事介入を避け、経済制裁に留まった。国連やアフリカ連合の平和維持部隊(UNAMID)は、最大2.6万人を展開したが、資金不足や権限の制約で効果が限られた。国際社会の対応は、利害対立と介入の遅れにより、紛争の長期化を招いた。

日本での受け止め方の違和感

日本では、ダルフール紛争が高校の世界史教育やメディアで取り上げられる際、「アラブ系と非アラブ系の民族差別が虐殺を招いた」「差別は許されない」との枠組みで語られる。これは、ジェノサイドを道徳的教訓として生徒や市民に訴える教育的目的からくる。たとえば、教科書では「民族対立がジェノサイドに至った」と簡潔に記述され、差別撲滅の重要性が強調される。しかし、この視点は紛争の複雑さを過度に単純化する。ダルフールの民族対立は、土地・水資源の競争(気候変動による干ばつ・砂漠化で悪化)、スーダン政府の抑圧政策(非アラブ系住民の政治的排除、経済的格差)に根ざしている。アラブ系と非アラブ系はイスラム教やアラビア語を共有し、文化的・外見的差異は欧米のステレオタイプほど明確でない。国連の調査でも、民族差別は紛争の「結果」を増幅した要素で、直接的原因ではないとされる。

この紛争においては、スーダン政府の役割が決定的である。2003~2004年の攻撃は、反政府勢力(SLMやJEM)の拠点を壊滅させる名目で、非アラブ系民間人を標的にした。ICCの調査では、政府がジャンジャウィードに武器を供給し、空爆で支援した証拠が確認されている。たとえば、2004年のタウィラ襲撃では、ジャンジャウィードと政府軍が連携し、150人以上が殺害され、200人以上の女性が強姦された。このような組織的暴力は、単なる民族差別ではなく、政府の権力維持と資源支配の戦略に由来する。

日本での「差別=虐殺」の叙述は、政府の責任や国際社会の対応不備(制裁の遅れ、平和維持の失敗)を背景に隠し、構造的要因(政治・経済・環境)を軽視する。こうした単純化は、ダルフールのような危機の再発防止策を考える上で不十分である。

「ホテル・ルワンダ」とジェノサイドの物語

ダルフール紛争を考える際、しばしば比較されるのが1994年のルワンダ虐殺であり、この関連で注目されるのが、ルワンダ虐殺を描いた映画「ホテル・ルワンダ」(2004年公開)である。ダルフール紛争そのものを描いた同等の英雄物語映画は存在しないが、ルワンダとダルフールは、ジェノサイドと国際社会の無関与という共通点から結びつけられる。

「ホテル・ルワンダ」は、ホテル支配人ポール・ルセサバギナが、ホテル・ミル・コリンズで1,268人のツチ族や穏健派フツ族を保護した実話を描く。ルワンダ虐殺は、フツ族過激派によるツチ族への大量殺戮(約80万人死亡)で、国連や欧米の介入失敗が批判された。映画は、ルセサバギナの勇気を通じて、個人の行動が絶望の中で希望を生むと訴える。

公開当時、映画はルワンダ虐殺の認知を広め、アカデミー賞にノミネートされるなど高評価を受けた。しかし、近年、事実性の批判が高まっている。ルセサバギナの英雄像は誇張され、避難民から金銭を要求した、特定のツチ族を優先したとの生存者証言がある。また映画は紛争の複雑な背景(ベルギー植民地支配によるフツ・ツチ対立、国際社会の裏切り)を簡略化し、ルセサバギナ以外の貢献(国連職員、地元住民)を軽視。西洋向けの「救世主」物語として批判される。

ルワンダ政府はこの映画を西洋のプロパガンダとみなし、ルセサバギナを反政府活動家として2020年に逮捕した(テロ支援容疑、2021年懲役25年、2023年釈放)。当然だが、彼の逮捕は、映画の影響で政治的標的になったとの見方もある。

現在のダルフール:継続する絶望

2023年4月からのスーダン内戦で、ダルフールは再び戦場と化している。ジャンジャウィードが発展した迅速支援部隊(RSF)とスーダン国軍(SAF)の戦闘が激化した。RSFは非アラブ系住民を標的に、虐殺、集団強姦、村落破壊を繰り返し、米国や国連から「新たなジェノサイド」と非難される。2025年4月、ザムザム避難民キャンプがRSFの支配下に落ち、数万人が新たな避難を強いられた。国連の2024年報告では、2023年以降、ダルフールで少なくとも1万人が死亡、50万人が避難。食料不足による飢饉が広がり、2024年には100万人以上が急性食料不安に直面。医療システムは崩壊し、病院の90%が機能停止。戦闘やアクセス制限で、ユニセフやWFPの人道支援はわずか10%のニーズしか満たせない。

国際社会の対応は20年前と同様に不十分である。国連やアフリカ連合の平和維持部隊(UNAMID)は2017年に縮小され、現在は事実上不在である。ICCの逮捕状(バシールら)は執行されない。フランスやUAEなど、武器供給国の間接的関与が問題視されている。

RSFはUAEから資金・装備を得ており、2024年のHRW報告では、UAEがRSFにドローンや装甲車を提供した証拠が示された。フランス製武器の使用も報告され、武器禁輸の抜け穴が露呈している。

ダルフールの構造的問題(資源競争、政府の抑圧、民族対立)は解決せず、気候変動による干ばつが状況を悪化させる。住民は生存の危機に瀕し、ジェノサイドの再発を防げなかった国際社会の失敗は明らかである。

アブドゥル・ラーマンの有罪判決は象徴的だが、RSFの暴力と政府の無策を前に、希望は薄い。ダルフールは、国際的な正義と人道支援の限界を体現する絶望の地である。

 

 

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2025.10.05

高市政権はどうなるか?

高市政権はどうなるか?

 高市早苗氏が2025年10月4日、自民党総裁に選出され、日本初の女性首相就任が目前に迫る中、高市政権の行方が注目される。党内基盤の脆弱さ、公明党との連立の危機、靖国問題、対米関係と経済政策の制約という4つの主要ポイントから、考察したい。

党内基盤の脆弱さと麻生派との力学

 高市氏は総裁選で党員・党友票の過半数を獲得したが、議員票では小泉進次郎氏との決選投票を僅差で制した。党内では派閥解消が進む中、旧安倍派や岸田派の残党との融和が課題である。
 しかし、麻生派の支持が勝利の鍵となったことから、恩賞として幹事長に鈴木俊一氏(麻生派)、副総裁に麻生太郎氏を起用する人事案が浮上している。これにより党内安定を図るが、麻生派の影響力増大は「派閥回帰」との批判を招き、高市氏の独自色を薄める。また、麻生派は財務省とのパイプが強く、財政規律重視の政策が浸透する可能性が高い。
 高市氏が掲げる積極財政(例えば、建設国債による防衛費増額)は、財務省の抵抗で赤字国債発行が抑制されるリスクがあり、党内非主流派の反発や、早期の党役員人事でのバランス調整失敗は、短命政権の懸念を高める。
 結局のところ、麻生派の政治的支援は政権維持に寄与するが、高市氏の政策の曖昧さは失速原因となり、強行は党内分裂の火種となる。

公明党との連立の危機

 現下、高市政権の最大の不安定要因は公明党との連立である。公明党の斉藤鉄夫代表は、高市氏の靖国参拝や外国人政策への懸念を表明し、「懸念が解消されなければ連立は組めない」と牽制した。高市氏の保守色(例えば、 外国人地方参政権反対)は、公明党の中国重視姿勢や創価学会の価値観と相容れにくい。公明党は自民党の選挙基盤である創価学会票を背景に、連立離脱をちらつかせて圧力をかける。
 連立が崩れれば、自民党は衆院選での議席減リスクに直面する。代替として、国民民主党との「自公国連立」も模索されており、麻生氏と国民民主の榛葉賀津也幹事長が会談、積極財政での親和性を確認している。しかしそうなると、日本維新の会との連携は困難となるだろう。。公明党離脱は高市政権の保守色を強めるが、少数与党の不安定化を招く。

靖国問題と右派支持層の期待

 また、靖国神社参拝は、高市政権にとって公明党との連立の「踏み絵」となる。高市氏は過去に参拝継続を主張したが、総裁選では「適時適切に判断」と曖昧な姿勢を示した。参拝強行は中国・韓国との外交摩擦を再燃させ、公明党の連立離脱を加速させるリスクがある一方、参拝回避は右派支持層の離反を招き、旧安倍派を中心とする党内基盤を揺さぶる。
 そうしたなか、高市氏は右派層の期待に応えるため、防衛費増額やスパイ防止法制定を推進するだろう。中国のスパイ活動を「全中国国民の義務」と批判する高市氏のスタンスは、党員票の原動力となった右派層に訴求する。もちろん、過度な右傾化は中道層の支持を失い、参政党や日本保守党との連携模索も、選挙での議席拡大に直結しない。いずれにせよ、靖国問題は政権の外交姿勢と党内結束を試す試金石となる。

対米関係と経済政策の制約

 対米関係では、トランプ米大統領との良好な関係が予想される。高市氏の対中強硬姿勢は米国の対中包囲網と親和性が高く、女性首相として「強硬すぎない」との評価も得やすい。
 防衛費増額や敵基地攻撃能力の整備は、米国との同盟強化を基軸とする。しかし、トランプ政権の「自国優先」政策、特に自動車関税などの通商圧力は日本にとって受け入れがたい。高市氏の内需重視姿勢は関税問題で摩擦を生むが、対中戦略での協力が緩和要因となる。
 経済政策では、アベノミクス継承として大胆な金融緩和と財政出動を掲げるが、麻生派・財務省の影響で独自論戦は制限されるだろう。
 物価高対策や国土強靭化を優先し、市場は内需株の上昇を予想するが、円安圧力増大が懸念される。経済安全保障担当相時代の実績を活かし、半導体・AI投資を推進するが、いずれにせよ、財政規律との調整が政権の試金石である。
 高市政権は、初の女性首相として歴史的意義を持つが、党内調整、公明党との関係、右派支持層とのバランス、対米・経済政策の制約が絡み合う複雑な局面に直面する。
 次の衆院選を控え、政策実行力と野党連携の成否が政権の命運を左右する。女性議員登用を宣言しジェンダー格差解消への期待もあるが、保守色が強いため中道層の支持拡大は課題でありうる。
 高市政権の船出は、国内の政治力学と国際環境の狭間で試練を迎えている。率直なところ、右派左派といった浮き世離れした議論を終えてみるなら、日本の政治課題は複雑で、若手の小泉進次郎が実質、総裁選の決戦投票で一気に回顧・感謝モードに入って撤退したのも、それを見据えたものであっただろう。

 

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2025.10.04

Windows10終了でLinux Mint導入奮闘記

Windows 10、その後どうする?

「Windows 10がアップデートできない」

私のWindowsノートパソコンである。アップグレード対象じゃないというのだ。そして、サポート終了が近づいている。あと、10日もない。いや、その期日を過ぎても使えないことはないらしいが、まあ、使えないだろう。どうする。無理やりアップグレードするという抜け穴があるとか、余計にお金を払ってあと1年延長できるとか、いろいろな情報が飛び交っている。が、そもそも私のこのパソコン自体が古い。動作は重い。これはもう限界か。限界だ。ということで、新しくWindows11のマシンを購入することにした。さて、問題は残る。この古いWindows10パソコン、どうしよう。

4台のパソコンと向き合う

気がつけば、私の手元にはノートパソコンが4台もある。Windowsノートが2台、Chromebookが2台。こんなには、ふつう、要らない。で、人間というのは使い慣れたものを使いがちで、結局よく使うのは軽量な古いChromebookになりがち。なぜ古いChromebookばかり使うのか。答えは簡単、「軽い」からだ。物理的な重量の話である。パソコンでする作業といえば、ウェブを見たり文章を書いたりする程度が大半。YouTubeは大きな画面で見るし、ゲームもしないし、アートもしないので高性能なグラフィックなど必要ない。それなら、持ち運びに便利な軽いタフなマシンが一番、となる。

とはいえ、この古いChromebookは1台を廃棄することにした。高性能なChromebookパソコンはもう一台あるのだ。さて、残る問題は、使わなくなったWindowsパソコンである。LG製のこのノートパソコン。当時は軽量で気に入っていたのだが、古い。そもそもLGのパソコンを使っている人なんて、そうそういないだろう。マイナー機種なのだ。廃棄しようか。でも、ちょっと待てよ。

「Linux入れてみるか」という冒険心

以前から考えていたことがあった。Ubuntuか何か、Linuxを入れてみようかな、と。YouTubeでいろいろ調べていると、最近は「Linux Mint」というのが評判が良いらしい。

実は私、LinuxというかUnixには昔からそれなりに慣れていた。ターミナルも使えるし、Unix系のテキスト処理やパイプ、リダイレクトもよくやっていた。awkやPerl、最近ではPythonも使う。高性能なChromebookの方には、すでにLinux環境を入れていて、実際よく使ってもいたのだ。

だったら、このポンコツWindowsマシンをLinux専用機にしてしまえばいいんじゃないか。ダメ元でやってみよう。そう決めた。

「簡単です」という言葉を信じてはいけない

ネット上にはLinux Mintのインストール方法がたくさん解説されている。どれも「簡単にできます」と言う。しかし、こういうのは実際にやってみると、だいたいうまくいかないものだ。

確かに、基本的な手順は単純だ。Linux MintのISOイメージをダウンロードして、USBメモリに書き込んで、そのUSBから起動すればいい。たったそれだけ。

ところが、USBを起動用ドライブにフォーマットする方法もいくつかあって、どれがいいのか、なれないとわからない。手持ちのUSBドライブで適当にやってみたら、すぐ奇妙なエラーが出た。

真っ黒な画面に、よくわからない英語のエラーメッセージ。こういうとき、以前なら、答えはどこにもない。

AIが救世主になった瞬間

ここで私は、最近のテクノロジーの恩恵にあずかることにした。AIに聞けばいいじゃないか。

なぞなエラー画面が出てきたらそのまま写真に撮って、「これって何なの?」と聞いてみる。するとAIが「それはこういうエラーです」と教えてくれる。なんとも心強い。

さて、ブート(起動)もしなかった理由は、様々だ。セキュリティの設定、ハードディスクの起動方法、BIOSの設定。何回も繰り返している人なら単純にできるのだろうが、私には「なぜこの設定をこうするのか」がさっぱりわからない。それ以前に基本的なところでも躓いた。

ノートパソコンのBIOS画面を出すには、通常F12キーを押すはずだ。しかし、F12を押しても何も起きない。何度押しても、うんともすんとも言わない。AIと一緒に調べてもらった。「それ、F10じゃないの?」 え?そうなの?

F10だった。正解だった。LGのこのマイナー機種、そんなところまでマイナーだったのか。

こういう細かいことは、機種によって違うので、つまり、この手の話、全然一般論にならないものなのだ。メモを取っても、次に同じ機種を触ることなどない。とにかく試行錯誤を重ねた結果、ついにLinux Mintが起動した。

ちょっと感動した。

日本語が打てない!?

ところが、起動してすぐに新たな問題が発覚した。日本語入力ができないのだ。驚いた。日本語くらい使えるだろうと思っていたが、そうではなかった。別途、日本語入力システムをインストールする必要があった。

それで、インストールしたら、今度はキーボードの問題が発生した。このLGノートにはUSキーボードが付いている。@や括弧などの記号の位置が、日本語キーボードと違う。基本的なアルファベットは同じだからなんとかなるだろうと思ったが、キーアサインの設定をあれこれいじる羽目になった。

それでもなんとか、いろいろ調整して、使えるようになった。

これは「Windows 9」なのか

さて、まがりないにも使えるようになって、驚いた。Linux Mintは、Windowsそっくりだったのだ。

全体を黒っぽいデザインにしているので、少しWindowsとは違う雰囲気があるが、フォルダのUIはWindowsそのもの。スタートボタンからメニューが出てくるのも、昔のWindows 10のような感じだ。

これを見て思った。「あれ、これってWindows 9じゃないか?」

そう、MicrosoftはWindows 8の次をWindows 10にしたので、Windows 9は存在しない。Linux Mintは、まるで存在しないWindows 9を実現したかのようだった。Windowsを再現し、洗練させたような印象だ。未来は異世界に分岐したのである。

性能は予想以上

さて、Linux Mintだが、性能は予想以上に良かった。OS自体が軽いのか、それともWindowsが重すぎたのか。快適だ。メモリもディスクも食わない。意外なのは、バッテリーの持ちも良いことだ。

いろいろカスタマイズしていると、「パソコンって面白いなぁ」と昔のことを思い出した。実際のところ、Linux Mintは、以前のWindows時代よりも快適なのではないか。

というわけで、当初はUSBからの起動にして、本体のWindows 10は残しておこうと思っていた。しかし、思い切ってWindowsを削除して、Linux Mintに完全移行することにした。

後悔はない。

そういえば、LibreOfficeというオフィススイートが最初から入っていた。ワープロ、スプレッドシート、プレゼンテーションソフト、一通り揃っている。ヨーロッパでは、こちらを使う人が増えているという。無料で、オープンソースで、プライバシーの心配もないということだ。

なぜ普及しないのか、という謎

さて、ここまで優れたものが、なぜもっと普及しないのだろうか。

いわゆる理由はわかっている。Microsoftの市場支配力、アプリケーションの互換性問題、サポートの問題、そして何より「インストールのハードル」だ。

YouTubeでも、「Windows 10からWindows 11にアップグレードできない人は、Linux Mintにしたらいいんじゃないの」という提案が多い。誰もが考えるネタだし、私も見事に引っかかったネタだ。

実際にやってみた感想としては、「これはいい」の一言に尽きる。むしろ以前のWindowsよりも使いやすい。

「やってみたらいいですよ」とは言えない理由

ただ、こうして記事を書きながら思うのは、「みなさんもやってみたらいいですよ」とは到底言えないということだ。

理由は明白だ。細かい条件によって発生するトラブルが違いすぎる。そもそも古いパソコンに入れ直すわけだから、マシン自体が古いのでエラーも頻発する。F10かF12か、なんていう問題は機種ごとに違う。

というわけで、Windows10難民向けに、Linux Mint導入サービスみたいなものがあってもいいのではないかと思うが、商売にするのは難しいだろう。トラブルシューティングがあまりにも個別的すぎる。

それでも、技術的に多少の知識があって、根気がある人なら、挑戦する価値はある。少なくとも私は、満足している。けっこう面白い。

やってみて、うまくできたら、ハッピーだし、だめもとの意気込みと、AIの手助けがあれ、挑戦してみる価値は確かにある。

 

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2025.10.03

ベネズエラ・米国対立の危機とその波及

カリブ海における米国とベネズエラの対立激化

2025年10月3日、カリブ海は一触即発の緊張に包まれている。米国は麻薬対策を名目に、ベネズエラ関連の船舶への攻撃を繰り返し、9月2日には11人、9月15日には3人が死亡した。さらに10月2日、米軍のF-35戦闘機5機がベネズエラ沿岸75kmの空域に接近し、ベネズエラ側はこれを「挑発行為」と非難した。マドゥロ政権は450万人の民兵を動員し、緊急事態宣言の準備を進める一方、ロシア製S-300防空システムやSu-30戦闘機で対抗態勢を強化している。米国は駆逐艦や潜水艦をカリブ海に展開し、トランプ大統領は議会承認なしに「武装紛争」を宣言、軍事行動をエスカレートさせている。

現状、日本の報道ではこれらの事件を伝えてはいるものの、速報性が乏しく、詳細な背景が省略されがちだ。例えば、F-35接近の技術的詳細(時速740km、高度10.6km)や、米国の軍事展開の規模はほとんど報じられていない。この事態は、誤算や誤射による偶発的衝突のリスクを高めており、戦争の瀬戸際にある。日本の読者にとって、局地的な紛争に見えるかもしれないが、この緊張は地域全体を揺さぶる火種である。

また、日本の報道では、選挙不正や石油の地政学的意義が十分に掘り下げられず、麻薬問題も「米国vsベネズエラ」の単純な構図で報じられがちである。しかし、この対立は、経済的困窮と政治的生存競争が絡み合い、軍事衝突へと突き進んだ結果でもある。

対立に至る背景:石油、麻薬、政権対立

この危機の背景には、ベネズエラの石油資源と政治的対立がある。同国は世界最大級の石油埋蔵量を持つが、経済危機で貧困率は73%、700万人以上が国外に流出している。

2024年の大統領選ではマドゥロ政権の不正疑惑が浮上し、米国はこれを認めず、制裁を強化した経緯がある。2025年3月、Chevronの石油輸出ライセンスが終了し、ベネズエラ石油の輸入国に25%の二次関税が課された。9月の原油輸出は5年7カ月ぶりの高水準(日量109万バレル)に達したが、85%以上が中国向けで、米国への依存はほぼない(輸入全体の数%程度)。

米国は、麻薬カルテル「Tren de Aragua」や「Cartel de los Soles」を「テロ組織」と指定し、軍事行動を正当化。マドゥロ大統領に5000万ドルの懸賞金をかけ、政権転覆を示唆する一方、ベネズエラは「反米」を掲げ、国内支持を固める戦略だである。

世界情勢への波及:中露と米国の綱引き

ベネズエラの対立は、米中露の地政学的綱引きも映し出している。同国は中国とロシアに支援を求め、反米同盟を強化。中国は石油貿易(9月の輸出の85%)で経済を支え、ロシアはS-300防空システムやSu-30戦闘機を提供し、軍事協力を深める。米国はこれを「中南米での影響力拡大」と警戒し、カリブ海での軍事展開を正当化。ベネズエラの石油供給乱れは、エネルギー市場(特に中国)に影響を及ぼし、移民危機の悪化(700万人超)は米国や近隣国の治安・経済に波及する。

中露にとって、ベネズエラ支援は米国牽制の機会だが、反面、リスクも大きい。中国は、米国との貿易摩擦を避けたい意向があり、ロシアはウクライナ戦争で資源が逼迫しつつある(インフレ17%、2026年軍事予算縮小)。

近未来の危険性と解決への道

現下、最悪のシナリオは、偶発的衝突(例:領空侵犯での誤射)が全面戦争に発展することである。

ロシアの支援拡大(軍事顧問派遣など)が米国・NATOとの緊張を悪化させ、カリブ海での直接対決を招く恐れもある。こうしたなか、トランプ政権の「独走」ともいえる緊迫化は、麻薬・移民問題での国内支持固め(2026年中間選挙狙い)が背景にあるが、議会承認なしの軍事行動は訴訟を引き起こし、ラテンアメリカ諸国からの「帝国主義」批判を招いている。SNS上では「トランプの無謀な戦争」との声も高まりつつある。

解決には国連の監視強化やマドゥロの譲歩(例:選挙監視受け入れ)が求められるが、トランプの強硬姿勢とベネズエラの抵抗が障壁だ。国際社会が仲介に動かなければ、経済崩壊や移民危機の連鎖が続き、全当事者に損失をもたらすことになる。日本にとっても、この危機は遠い地域の問題ではなく、グローバルな安定を脅かす火種になりかねない。




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2025.10.02

Sora 2はAI動画生成の新時代の幕開けが凡庸の地獄か

 2025年9月30日、OpenAIが動画生成ツール「Sora 2」を発表した。これは、簡単なテキスト指示から30秒ほどの高精細な動画を生成する革新的なAIツールである。例えば、「中世の城の上をドラゴンが飛ぶ」といった幻想的なシーンや、スタジオジブリ風のアニメーションを瞬時に作り出せる。

 Sora 2の特徴は、物理法則を正確にシミュレートし、アクションシーン(体操やスケボーなど)をリアルに再現する点にある。さらに、生成した動画に同期する音声や効果音、ユーザーの顔を挿入するCameo機能も搭載されている。

 これらは現時点ではiOSアプリを通じて提供され、TikTokライクなフィードで共有可能であるが、招待制でアクセスが制限されている。無料プランでは月50本、Proプランでは拡張された生成が可能である。

 App Storeでの急上昇やXでの招待コード共有の盛り上がりに加えて、著作権問題でSora 2はクリエイティブ業界に大きな衝撃を与えている。ユーザーの想像力を即座に具現化するこのツールは、映像制作の民主化を加速させているが、同時に新たな課題も浮き彫りにしている。なんというか、地獄の釜の蓋が開くような。

AI動画生成の背景と業界トレンド

 Sora 2の登場は、AI技術の急速な進化とソーシャルメディアの変革に根ざしている。初代Sora(2024年公開)からスケーリングを強化したSora 2は、膨大なコンピュートリソース(OpenAIの2025上半年の112億ドル投資)を背景に、物理シミュレーションや音声同期の精度を飛躍的に向上させた。SNSの投稿では、「GPT-1の瞬間を超えた」との声もあり、AIによる世界シミュレーションの新境地と評される。このトレンドは、GoogleのVeo 3やMetaのVibesなど、競合他社の動画生成AIとの競争が背景にある。ソーシャルメディアでは、短尺動画が主流となり、AI生成コンテンツが「次世代のTikTok」を定義しつつある。

 Sora 2のiOSアプリは、こうした需要に応え、クリエイターの表現を容易にする一方、大量の低品質コンテンツ(いわゆる「AIスロップ」)の氾濫が懸念されている。

 生成に利用されるトレーニングデータにはShutterstockなどのライセンス素材が使用されたとされるが、YouTubeやNetflixの著作物の関与が疑われ、透明性の問題も浮上している。なかでも、文句のでなさそうな日本狙われた感がある。

 倫理的にはティーン向けの安全制限やウォーターマーク導入など、OpenAIは対策を講じているが、業界全体の動向は依然不透明である。

著作権問題とクリエイティブの倫理的課題

 Sora 2が生成する動画には、すでに炎上騒ぎになっているが、既存のキャラクター(ドラえもん、ポケモン、ディズニーなど)が容易に登場し、著作権問題が深刻化している。
 OpenAIはオプトアウト方式を採用し、ディズニーは既に自社キャラクターの使用禁止を宣言している。しかし、この方式は権利者が自ら申請する必要があり、特に日本のアニメ業界にとって負担が大きい。ニューヨーク・タイムズ対OpenAIの訴訟に類似する法的リスクも懸念されている。

 とはいえ、こうした現状を見ると、日本の「なろう系アニメ」は、テンプレート化されたキャラクターデザインやCGを多用し、Sora 2の生成パターンと類似していることに気付かされる。この類似性は、AIが既存のクリエイティブを模倣するリスクを象徴している。

 倫理的には、クリエイターの収入喪失やブランド毀損も問題視される。AIの「変革的使用」を主張する一方、権利者の同意や補償が不足している現状は、業界に新たな対立を生んでいる。オプトアウトの仕組みは、クリエイティブの保護とAIの自由な利用のバランスをどう取るかという課題を突きつけている。

AIと人間の創造性の境界

 Sora 2のようなツールは、「疑似的な想像力」を提供する。ユーザーは複雑な技術や訓練なしに、思いついたアイデアを動画化できるが、この手軽さは人間の創造性とどう向き合うのか。

 先にも触れたが、なろう系アニメや声優のパターン化は極めて「凡庸」であり、Sora 2のテンプレート的生成と重なる。そもそも、AIは既存のパターンを組み合わせ、効率的にコンテンツを生み出すが、独創性や試行錯誤の過程が欠如している。

 「絵師」と呼ばれる人々の絵画やアニメ制作の苦労は、創造の喜びや独自性を生む源泉だが、Sora 2はそれをあっさり地獄に放り込むように省略するのである。

 この「省略された創造性」は、ゲームのような気軽な楽しみを提供する一方、深いクリエイティビティを軽視する感覚を生む。SNSでは、Sora 2で作られた動画を見ていると、「楽しいが浅い」との声もあり、AI生成物が人間の努力を「愚弄」するとの意見も見られる。

 創造性は試行錯誤や制約から生まれやすい。だが、AIの即時性はこれを置き換えうる。補完的利用にはある種の倫理が必要とされる。人間とAIの協働の可能性を探るには、創造性の本質とその境界を見極める必要がある。簡単にいえば、こんなものは、人類には早すぎたのである。

 

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2025.10.01

NHK ONE移行トラブル

 2025年10月1日、NHKのインターネット配信サービスが「NHKプラス」から「NHK ONE」へ移行した。改正放送法により、NHKのネット配信が「必須業務」に格上げされ、同時配信、見逃し配信、ニュース、防災情報を統合した新プラットフォームとしてスタートしたのである。
 しかし、移行初日0時から大規模な不具合が発生。ユーザーのアカウント登録や移行手続きが滞り、視聴不能に陥るケースが続出した。
 主な問題は、認証コードメールの不着(特にGmail、docomo、auメール)と登録時のタイムアウトエラーである。
 NHKは公式サイトで「原因調査中」と謝罪したが、復旧見込みは未定である。
 影響はNHKプラス登録者(推定数百万人)に及び、Xでは「NHK ONE」「Gmail」がトレンド入り。「ドジャース戦が見られない」「お年寄りが困る」といった実害の声が殺到した。
 報道によれば、ITmediaは「移行期間なしが混乱の原因」と指摘し、読売新聞は「受信契約との紐付け必須が影響を拡大」と報じた。ユーザーの怒りは、NHKの事前PR「スムーズな移行」との乖離に集中している。

なぜこんなわかり切ったことが起きたのか
 このトラブルは、計画段階でのリスク見積もりの甘さが主因である。まず、NHKは移行期間を設けず、10月1日0時に一斉切り替えを実施した。過去の公共サービス(マイナンバーや神奈川県入試のシステム障害)では、一斉アクセスによるサーバー負荷や認証エラーが頻発しており、多数のX利用者からも「移行期間なしは危ない」と事前に警告していた。
 報道では、日本経済新聞が「放送法改正の期限に合わせた強行スケジュール」と分析した。
 認証コード不着問題は、メールプロバイダのスパム判定やNHKサーバーの送信制限が原因とされるが、ITmediaは、Gmail等のフィルターがNHKの大量メールをブロックした可能性を指摘している。技術背景は「メールプロバイダのレピュテーション低下」であろう。類似トラブルは他サービス(銀行やECサイト)で既知であり、NHKの負荷テスト不足が露呈した。
 さらに、移行手続きの複雑さ(Webとアプリの2ステップ)が利用者に負担を強いた。ようするに「お年寄りに極めて使いづらい」。
 NHKプラスの過去の不具合(2024年の地域配信エラー)も教訓とならず、計画はユーザー規模や多様性を軽視し、予見可能なリスクを放置した結果である。

NHKそれ自体の問題
 このトラブルは、NHKの組織的体質を浮き彫りにする。
 ユーザー視点の欠如が顕著である。投公式サイト(https://www.nhk.or.jp/nhkone/)の謝罪文は復旧見込みを示さず、ユーザー待機を求めるのみである。
 SNSでは「受信料返せ」の声が上がり、受信料制度への信頼失墜が顕著である。11月以降の契約確認強化がさらなる混乱を招く懸念もあり、NHKのデジタルシフトは大きな試練に直面している。実際、NHKは受信料契約者の利便性を二の次にしたのである。
 放送法改正でネット配信を必須業務化する中、拙速なスケジュール優先が混乱を招いたともいえるが、公共機関のITプロジェクトの失敗パターンでもある。
 NHKの技術的無理解も問題である。上層部が放送と通信の違いを分かっていないのだろう。報道では、AV Watchが「Fire TV Stickなどデバイス対応も不十分」と報じ、アプリ版のエラー多発を指摘した。
 過去のNHKプラス不具合(地域配信エラー)から学習せず、同じ過ちを繰り返した。加えて、NHKの対応の遅さも批判の的である。
 さて、NHKは放送で謝罪するのだろう。え? 誰が謝罪するの?

 

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