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2025.07.25

タイとカンボジアの国境衝突

 2025年7月24日から、タイとカンボジアの国境地帯で激しい武力衝突が続いている。衝突が発生した地域は、タイのウボンラーチャターニー県とスリン県、カンボジアのオッダーミエンチェイ県で、すでに少なくとも16人が死亡した。タイでは14人の民間人と1人の兵士が犠牲となり、10万人以上が避難している。カンボジアでは1人の民間人死亡が確認され、約1,500世帯が避難している。
 戦闘はロケットや砲撃を伴い、2日目に突入し、スリン県のスポーツ施設は避難所となり、子どもや高齢者が収容されている状況にある。特に1980年代のカンボジア内戦を経験した高齢者からは、今回の戦闘が過去最悪との声が上がる。
 衝突の発端についてだが、両国が互いを非難している状態であり、タイはカンボジア軍がドローンでタイ軍を監視したと主張し、カンボジアはタイ軍がクメール・ヒンドゥー寺院(タ・モアン・トム寺院)付近で両国間の合意を破ったと反論している。タイの暫定首相プムタム・ウェチャヤチャイは「戦争に向かう可能性」を警告し、事態の深刻さを強調している。衝突は、歴史的領土問題とタイの内政不安が絡み合い、ASEANや国際社会の注目を集めている。

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歴史的背景とタイの内政の文脈
 今回のこの紛争の根は、19世紀後半から20世紀初頭のフランス植民地時代に遡る。カンボジアがフランスの保護領だった時期、1907年の仏暹条約で国境が画定されたが、プレアビヒア寺院やタ・モアン・トム寺院周辺の領有権は曖昧なまま残された。1962年、国際司法裁判所(ICJ)はプレアビヒア寺院をカンボジア領と裁定したが、周辺地域の帰属は未解決の状態である。2008年と2011年の衝突では、両国で数十人が死亡し、緊張が繰り返されてきた。近くは、2025年5月、カンボジア兵が死亡する事件が起き、両国関係は過去10年で最悪の状態に陥っていた。
 現下、不安定なタイの内政は、この紛争のエスカレーションに大きく影響している。2024年8月、セター・タビシン前首相が倫理違反で失職し、2025年7月時点でパエトンタン・シナワトラ首相が汚職疑惑で停職中である。この暫定政権下では文民統制が弱まり、軍が主導権を握っている。2025年度のタイの国防予算は前年比15%増の約2,200億バーツ(約66億米ドル)に達し、軍は国境での強硬姿勢を強化している。当然というべきか、軍主導のナショナリズムも高揚し、プレアビヒア寺院を「タイの遺産」とする国民感情が軍事行動を後押ししている状況にある。
 タイは経済的には、2024年のGDP成長率が2.7%にとどまり、2025年8月からの米国による36%関税が輸出産業を圧迫している。経済不振もタイの暫定政権への不満を高め、ナショナリズムを煽ることで国内の団結を図る動きが見られる。

中国と米国の関与
 関連大国の動向も気になる。現状、中国と米国は直接的な軍事介入はないが、両国との経済的・軍事的関係を通じて紛争に影響を与えるだろう。中国はカンボジアの最大の支援国であり、2023年に供与したKS-1C地対空ミサイルや、リアム海軍基地の改修(中国海軍艦船の寄港が可能)を通じて軍事協力を強化した。また、中国はタイに対して、バンコク-昆明間の高速鉄道(総額約5,000億バーツ)などインフラ投資で影響力を拡大している。中国外務省としては今回の事態に「対話による解決」を求め、調停役の可能性を示唆するが、どちらかというとカンボジア寄りの姿勢はタイの警戒感を招いている。タイの軍や保守派は、中国の地域覇権拡大を懸念し、バランスを取るため米国との関係を重視する傾向があり、注視される。
 米国はタイと1954年のマニラ条約に基づく軍事同盟を維持し、毎年実施される「コブラゴールド」演習(参加国20カ国以上、2025年は約7,000人の兵士参加)でタイ軍を支援している。しかし、トランプ政権下の保護主義政策、特に2025年8月からの高関税はタイ経済を圧迫し、反米感情を一部で醸成。米国務省は「即時停戦と民間人保護」を求めるが、タイの内政混乱は米国の影響力を制約している。両大国の関与は、ASEANの非干渉原則や調停能力の限界を浮き彫りにし、地政学的競争が紛争を複雑化させている。その他、EU、オーストラリア、英国も和平を求めるが、直接介入は控えている。

今後の展開と日本の役割
 戦闘は収まる兆しがない。タイの内政不安とナショナリズムはさらなるエスカレーションを招くリスクが高い。軍事衝突が国境全域に拡大すれば、ASEANの経済圏(2024年の域内貿易額は約3.7兆米ドル)や観光業(タイの2024年観光収入は約400億米ドル)に打撃を与える。避難民支援は急務で、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は食料や医療物資の不足を報告した。
 ASEAN議長国のマレーシア(アンウォール・イブラヒム首相)は停戦を呼びかけるが、両国の硬直した立場が障害となる。国連安保理は7月25日に協議し、カンボジアのフン・マネット首相は「タイの侵略阻止」を求めたが効果があるとは見られない。というのも、過去の紛争では、一時的な停戦が実現しても領有権問題の未解決が再燃を招いてきた。長期的な和平には、ICJやASEANを通じた領土交渉の枠組みが必要となるが、その基盤はない。
 日本はASEANのパートナーとして、停戦交渉の支援や人道支援で貢献できるはずである。1990年代のカンボジア和平プロセスで日本は資金援助やPKO派遣を行った実績があり、JICAを通じた復興支援や対話促進が有効だ。国連安保理での発言を通じ、平和的解決を後押しすべきである。ただ、現実、日本の首相の顔を浮かべてその期待を持てる人がいるだろうか。

 

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