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2025.07.06

伊東市長の学歴問題から考えること

 伊東市の田久保眞紀市長の学歴詐称問題が報じられ、世間を騒がせている。この話題について、「なぜこれほどまでに騒がれるのか」という疑問を感じている者も少なくないのではないか。社会通念上、学歴詐称は問題とされるだろうが、この件について、私なりの考えを述べたい。

「除籍」と「中退」の違い、そして社会の評価

 この問題でまず想起されるのは、作家の五木寛之氏の例である。彼は早稲田大学を学費滞納から「除籍」となっていたそうだが、後に大学からの連絡もあり、後年なっても学費を納めることで「中退」扱いになった、というエピソードをエッセイで語っていた。「除籍」と「中退」は似ている面と異なる点がある。いずれにせよ、「除籍」は在籍記録が抹消されるため、学歴としては認められにくい傾向にはあるだろう。今回の田久保市長のケースも、東洋大学を「除籍」であったにもかかわらず、「卒業」と偽っていたことが問題視されている。公職選挙法上の瑕疵はないとのことだが、公的な立場にある人が社会的に学歴を偽ることは決して許されることではないが、「除籍」と記すことにはためらいものあったのだろう。

学歴以上に価値を持つ「30年以上の社会的実績」

 とはいえ、田久保市長は現在55歳で、すでに市長という要職に就いている。それなりに市民の評価もあった。それはどのようなのかについて、報道にはないが、Wikipediaによると、配達員やカフェ経営を経て市民活動家になったとあり、これが正しければ、彼女には30年以上の社会経験と実績があるということだ。学歴ももちろん重要だが、これだけの長きにわたる社会経験と、その中で培われた実績こそもまた、市長という立場においてより重要なのではないだろうか。
 一般論としても、高校卒業後、特定の大学に在籍したものの卒業に至らなかった場合、その経歴をどのように表記するかは確かに難しい点かもしれない。「東洋大学除籍」と正直に書くか、あるいは「高校卒業」を最終学歴とするか。このあたりの線引きは、個人の倫理観や社会の風潮によっても受け止め方が変わるデリケートな問題である。また、「除籍」と「中退」でも異なるものだろう。

「中退」は「失敗」ではなく新たな可能性への扉

 私自身の経験からも、「中退」に対する世間の認識と、個人の受け止め方にはギャップがあると感じている。私自身、若い頃に大学院を中退した経験がある。当時は「失敗して終わった」という感覚が強く、行き詰まってカウンセリングを受けたこともあった。その時カウンセラーから言われたのは、「中退はちゃんとした学歴ですよ。そのための手続きはしなさい」という助言であった。この助言のおかげで、私はきちんと「中退」という形で学歴を残すことができた。その後、私の人生は、大学院とは直接関係なく進んだが、62歳になって再び大学院で学び、修士号を取得することができた。この経験を通じて、「中退」は決して「失敗」ではなく、文字通り「途中で辞める」というだけのことであり、いつでも学び直し、新たな道を切り拓くことができる可能性を秘めているのだと考えるようになった。
 思い出すのだが、女優の秋吉久美子さんの例も示唆に富んでいる。彼女は女優時代は高校卒業が最終学歴であったが、個別の入学資格審査を経て早稲田大学大学院に入学し、見事に修士号を取得されている。これは特例かもしれないが、高卒であっても、学び続ける意欲があれば、大学院教育の道も開かれていることを示している。

学問へのコンプレックスがもたらしたもの

 自分の思い出話に戻すと、若い頃に大学院を中退した私は、学問やアカデミズムに対し、ある種のコンプレックスを抱えるようになった。つまり悩んでいた。しかし、そのコンプレックスが逆に、「常に学び続けなければ」というモチベーションにも繋がり、結果として社会に出てからも最新の知識を追い求める原動力となったともいえるだろう。アカデミックな学問の世界は奥深く、探求すればするほど、人類の知識の最先端に立つような、広大な地平が開ける瞬間があるものだ。それは、生きている間にその境地に辿り着けるのかという絶望と、それでもなお進み続けたいという希望が混じり合った、不思議な感覚である。つまるところ、学問をするということの意味はそこにあるのかもしれない。
 今回の伊東市長の学歴問題に戻れば、学歴の「真偽」だけでなく、社会における学歴の価値や、個人の努力と実績をどう評価すべきかについて、私たちに問いかけているように思う。田久保市長も、もし再び大学で学びたいという意欲があるならば、市長業の傍ら大学生をやり直すことだって可能である。そうした姿勢を掲げる地方政治家がいたら、私は心から応援したいと願う。



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