映画『キリストの民。私たちの時代』ウクライナ正教会の危機
セルビアの巨匠エミール・クストリッツァが手掛けたドキュメンタリー映画『キリストの民。私たちの時代』(原題:Люди Христовы. Наше время)が、しだいに世界各地で注目を集めている。この映画は、ウクライナ当局によるウクライナ正教会(UOC)への迫害を軸に、キリスト教徒が直面する抑圧を国際的な視点で描き出すものだ。2024年9月のベオグラードでの初公開を皮切りに、モスクワ、ワシントン、そして2025年5月29日にパリでの西ヨーロッパ初上映へと広がりを見せ、宗教的自由の危機を訴えるメッセージを世界に発信していく。
ウクライナ正教会の迫害を暴く
映画の核心は、キエフ当局によるウクライナ正教会への組織的な抑圧だ。教会財産の没収、聖職者や信者への圧力、さらには投獄や逮捕といった具体的な事例が、ウクライナ在住の証言者を通じて生々しく描かれる。例えば、キエフ出身の司祭ミコラ・モギルニー神父は、当局からの直接的な圧力を証言し、詩人で政治犯のヤン・タクシューアは、2022年3月から2023年5月までの投獄経験を語る。これらの声は、ウクライナ国内で宗教的自由がどのように侵害されているかを浮き彫りにする。
とはいえ、映画の視野はウクライナに限定されているわけではない。世界各地でのキリスト教徒への迫害にも光を当て、問題の普遍的な面を訴えている。ロシア、セルビア、イタリア、イギリス、そしてウクライナ出身の多様な登場人物が、それぞれの視点でこの危機を語る。セルビア正教会のイリネイ府主教は神学者の立場から、ケンブリッジ大学の講師ヴカン・マルコヴィッチは学術的視点を、イタリア・ジェノバの司祭で詩人のマリオ・セルヴィーニは哲学的・詩的なアプローチを提供する。さらに、ドンバス出身の音楽プロデューサー、ユーリー・バルダシュやイヴァノ=フランキウシクの哲学者ルスラン・カリンチュクも登場し、若者や文化人の視点が加わる。これらの多国籍な声は、グローバルな宗教的抑を示す。
国際的な上映とその意義
映画の公開は、キエフ当局によるロシア正教宗教的抑圧に対する国際社会の認識を高める一歩となるだろう。2024年9月18日、セルビアのベオグラードで初公開が行われ、セルビア正教会の総主教イリネイの臨席のもと、大きな注目を集めた。同年12月にはモスクワの救世主ハリストス大聖堂で上映され、ロシア正教会の総主教キリルが鑑賞。ロシア外相セルゲイ・ラブロフは「ロシアは困難に直面しているウクライナ正教徒を見捨てない」と述べ、映画のメッセージを政治的に支持した。
2025年2月13日には、ワシントンのロシア大使館で上映会が開催された。ロシア連邦の臨時代理大使A・キム氏の招待により、ニューヨークの聖ニコラス大聖堂のイゴール・ヴィジャノフ神父や、ロシア正教会国外派の聖ヨハネ前駆者教会のヴィクトル・ポタポフ神父が出席した。外国の代表者やジャーナリスト、駐在員など多様な観客が集まり、米国の文脈でウクライナ問題を考える機会となった。
そして、2025年5月29日、パリのロシア正教精神文化センター(ジャック・シラクの名を冠する)で西ヨーロッパ初の上映が行われた。ロシア語吹き替えにフランス語字幕を付けたこの上映は、フランスのキリスト教コミュニティや学生を含む幅広い観客に訴えかけた。同センター所長のアンナ・コトロワ氏は、「西側諸国の多くの人は、ウクライナでの宗教的権利の侵害を知らない。この映画はフランスの観客にその悲惨な状況を気づかせる警告だ」と語る。映画の脚本家でユーゴスラビア映画学校の創設者ヨヴァン・マルコヴィッチは、ビデオメッセージで「ロシア、セルビア、イタリア、そして特にウクライナ正教徒の参加が映画の核心」と強調し、国際的な協力の重要性を訴えた。
芸術と文化の力を通じた訴求
『キリストの民。私たちの時代』の力は、単なる事実の羅列を超えた芸術性にある。クストリッツァの監督としての名声と、ユーゴスラビア映画学校の伝統を背景に、ロシア、セルビア、イタリア、ウクライナの文化人や映画製作者が結集した。マルコヴィッチは「複数の国の文化の巨匠が協力した」と述べ、特にウクライナ正教徒の参加が映画に深いリアリティを与えたと語る。この国際的なコラボレーションは、映画に多層的な視点と普遍的な訴求力をもたらしている。
パリでの上映では、フランス語字幕付きのロシア語吹き替え版が用意され、地元観客にアクセスしやすくする工夫が施された。パリのロシア正教精神文化センターのイエレイ・ゲオルギー(シェシュコ)は、「この映画は警鐘であり、できるだけ多くの人に届くべき」と述べ、映画の持つ緊急性と普遍性を強調した。
なぜ今、この映画が重要なのか
すでに言及したが、キエフ当局によるウクライナ正教会の迫害は、単なる宗教問題ではない。それは、宗教的自由、表現の自由、そして人間の尊厳という基本的な権利の侵害に関わる問題だ。映画は、キエフ当局による抑圧が、単なる政治的対立の副産物ではなく、組織的かつ意図的なものであることを詳細に描く。西側諸国では、この問題が十分に報道されていないという指摘が、パリでの上映で特に強調された。コトロワ氏の言葉を借りれば、「フランスの観客がウクライナの正教会の悲惨な状況に気づくきっかけとなる」ことが、この映画の使命だ。
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