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2025.05.13

英語力強化を求める英国移民政策

 2025年5月12日、英国政府が発表した移民政策の厳格化は、記録的な移民流入への対応として、英国内にとどまらず国際的な注目を集めている。英語力要件の大幅な引き上げや永住権取得期間の延長など、抜本的改革は国内の不満を抑える狙いだが、経済への打撃や他国への影響も議論となる。日本人にとっては、英国での就労や留学のハードルが上がり、英語力強化の要求が高まる。日本の英語教育体制はこれにどこまで対応できるのかも懸念の一つだ。

英国移民政策の厳格化

 英国政府は2025年5月12日、キア・スターマー首相率いる労働党政権の下、「移民白書(Immigration White Paper: Restoring Control Over the Immigration System)」を発表し、移民制度の全面見直しを表明した。この政策は、2023年6月までの純移民数90.6万人(英国家統計局、2024年11月)という記録的流入に対応するもので、住宅危機、NHS(国民保健サービス)の逼迫、物価高への国民的不満を背景にしている。ブレグジット後のポイントベース移民制度(2020年導入)以降、留学生(特にインド、ナイジェリア)、香港BNOビザ、ウクライナ難民、介護職労働者が急増し、2025年5月の地方選挙で反移民の右派ポピュリスト政党リフォームUKが躍進したことが、政府に危機感を与えた。スターマー首相は記者会見で「国境管理を回復し、英国人労働者を優先する」と強調している。
 今回の新政策の柱は英語力要件の強化である。英語力で敷居を高くする。すべての主要ビザ(就労、家族、留学)で、申請者にCEFR B2レベル(IELTS 5.5〜6.5相当)の英語力を要求し、扶養家族にも段階的な証明を課す。CEFR B2レベルについては後述するが、日本の英語教育では対応できない。
 今回の措置で、初回申請時はCEFR A1(IELTS 2.0〜3.0)、ビザ延長時はA2(IELTS 3.5〜4.0)、永住権申請時はB2を求める。試験は内務省承認のSecure English Language Test(IELTS for UKVI、Pearson PTE、Trinity College London)で実施され、英語力の「経時的向上」を評価する仕組みを導入する。永住権(Indefinite Leave to Remain)の取得期間は5年から10年に延長され、経済的貢献度の高い申請者に限りポイントベースで早期取得が可能となる。他方、就労ビザでは、技能労働者ビザの基準をRQF6(学士号レベル)に引き上げ、介護職ビザを新規申請者に対して閉鎖する。国内訓練を条件とする「一時的不足リスト」を設け、低スキル労働者の流入を抑制する。留学生向けには、卒業後滞在ビザ(Graduate Route)の期間を2年から1.5年に短縮し、扶養家族の帯同を大学院研究コースや政府奨学金受給者に限定する。不法滞在者の強制送還も強化され、2024年7月以降2.4万人が送還済みで、第三国(西バルカン)に「リターンハブ」を設置する(Sky News, 2025年5月12日)。これらの措置は、2025年末の議会承認を経て段階的に施行される予定である。

英国での反響:賛否の分断と経済リスク

 英国国内では、今回の政策への反応が賛否両論に分かれている。賛成派は「英国人優先」と「統合促進」を支持する。YouGov世論調査(2024年)では、国民の60%が「移民過多」と感じ、55%が英語力強化を評価している。Xの投稿では「国境管理の回復」と歓迎する声が目立つ。英語力要件は、移民の地域社会への自立や搾取防止に寄与すると期待されていることが伺える。保守層や地方有権者は、物価高や公共サービス圧迫の原因を移民に帰する傾向が強い。
 反対派は経済的リスクを強く懸念している。介護業界は外国人労働者(インド、フィリピン、ナイジェリア出身者が20〜30%)に依存し、ビザ閉鎖は壊滅的だ。外国人労働者関連では、スタッフ不足でサービスの崩壊が起きると警告の声が上がっている。2024年の社会福祉セクターの欠員数は13.1万人で、国内訓練だけでは埋まらないからだ。大学については、留学生学費(年間400億ポンド)の減少を恐れている。留学生の滞在期間短縮と扶養家族制限は、英国留学の魅力を下げ、国際競争力の低下を招くことにつながる。リベラル系のガーディアンは「短期的には不満を抑えるが、経済的自滅」と批判的論調である。実際、低スキル労働者の排除は、飲食、農業、建設でコスト増や供給不足を引き起こすだろう。内務省は5千万ポンドを投じたCare Certificate訓練を推進するが、効果は2026年以降と見られる。Xでも、NHS(国民医療サービス)が崩壊するのではとの懸念が散見される。

国際的な波及効果:英語力競争の加速

 英国の政策は、英国内にとどまらず、グローバルな移民制度に影響を及ぼすと見られる。オーストラリアとカナダも、ポイントベース移民制度で既にIELTS 6.0〜7.0(CEFR B2〜C1)を要求している。英国のB2基準はこれに追随したものともいえる。オーストラリア移民局(2024年)によると、英語力スコアが高い申請者は永住権ポイントが最大20点加算され、技術職や医療職で優先されている。カナダもExpress Entry制度で、IELTS 6.0以上が事実上の最低基準となる。英国の新基準は、この「英語力競争」をさらに加速させることになる。事実上のスタンダードとなる可能性が高い。
 当然だが、EU諸国でも類似の動きがある。ドイツは労働力不足に対応し、2024年から英語力証明(CEFR B2)をITや医療職ビザに導入した。オランダでは留学生ビザでIELTS 6.0を要求する大学が増加している。余談だが、私の息子はロッテルダム大学に留学したのだが、英語の対応は厳しそうだった。
 こうした動向から、非英語圏の移民は不利となり、インドやアフリカの一部の英語圏や英語教育が進むアジア諸国が優位に立つことになる。アジアでは、シンガポールが就労ビザでIELTS 6.5を標準化し、香港もBNOビザ以降、英語力基準を強化している。日本の近隣では、韓国のグローバル人材ビザが2024年にCEFR B2を導入し、企業採用で英語力の高いインド人やベトナム人を優先する傾向が強まっている。
 比較として、日本国内の特定技能制度(介護や建設)は日本語力(JLPT N4〜N2)を重視するが、英国の動向は英語力の併用を議論する契機となるかもしれない。2024年の経団連の報告では、グローバル企業の人材採用で英語力としてTOEFL iBT 80以上が求められる割合が70%に上昇している。これは、CERFR B2の中位より上程度なので、このあたりに日本のグローバル企業の、日本の大学制度への忖度がありそうだ。このあたりですでに、グローバル人材市場では、英語力の低い日本人が競争で後れを取っている兆候が見える。

日本人への要求と英語教育の限界

 英国の新政策は、日本人の英国就労や留学に直接影響することは述べたが、もう少し内実を見ていこう。Youth Mobility Scheme(YMS、18〜30歳、2年間滞在可)は、従来英語力証明が不要だったが、2025年中にCEFR B2(IELTS 5.5〜6.5)が求められる可能性が高い。IELTS 5.5は英検準1級、6.5は準1級をやや上回るレベルで、MARCH(明治、青山学院、立教、中央、法政)レベルの大学入試免除基準(英検準1級、IELTS 5.5〜6.0)に相当する。日本の高度スキル人材(例:Skilled Worker Visa)も同様の英語力証明が必要となり、扶養家族の帯同にはA1〜B2のハードルが課される。
 言うまでもなく、日本の英語教育は、この要求に応えるには不十分である。文部科学省の調査(2023年)によると、中学校卒業時の英語力はCEFR A2未満(英検3級相当)、高校卒業時はB1(英検2級)が平均である。B2(英検準1級)は進学校の上位5%に限られ、日本英語検定協会(2023年)では高3生の準1級取得率が約5%にとどまっている。MARCHレベルの学生はB1〜B2に近く、英検準1級やIELTS 5.5〜6.0を達成するが、IELTS 6.5にはスピーキングとライティングの強化が必須となるだろう。IDP Japan(2024年)のデータでは、日本の大学生のIELTS平均スコアは5.5で、スピーキング(5.0)とライティング(5.2)が低い。日本人の課題は、スピーキングの流暢さ(IELTSは12〜14分の対話形式)とライティングの論理的構成(250語エッセイ)にあるとも言える。
 学校体制の対応力も限定的であり、率直にいって、展望も見えない。2021年改訂のカリキュラムは「聞く・話す」を重視するが、教師の英語力(CEFR B2以上の割合は30%未満、JETRO調査2023年)や授業時間(週3〜4時間)が不足している。ALT(外国語指導助手)やオンライン英会話の導入は進むが、都市部に偏り、地方公立校では実践が遅れる。そもそも、ALTの活用実態が意図的には不明である。大学では、MARCH以上の英語授業はリーディング中心で、IELTSのスピーキングやライティングに対応するプログラムは限られる。立教大学や上智大学のようなTOEFL/IELTS対策講座は例外ともいえ、一般的な学部では自主学習に依存するしかない。民間の英会話スクールやIELTS対策コース(ブリティッシュ・カウンシル)は月5〜10万円の費用がかかり、経済的負担が大きい。というか、ここでは家計がものを言う。
 




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