トランプ関税の90日間停止
2025年4月10日、トランプ大統領が発動したばかりの「相互関税」をわずか24時間で一部停止するという発表が世界を駆け巡った。停止期間は90日間とされ、日本やEUが対象に含まれた。この急転直下の動きは、トランプの貿易政策がもたらす不確実性と、同盟国との関係の複雑さを改めて浮き彫りにしている。
事の発端は4月9日、トランプが米国への輸入品に対して一律10%の関税を課す「相互関税」を発動したことだ。特に自動車関連には25%という高い税率が設定され、対象国には日本、EU、カナダなどの同盟国も含まれていた。具体的な税率として、イギリスには10%、EU全体には20%、日本には24%が課されたとされる。この差別的な税率設定は、特に日本に対する厳しい姿勢を示しており、トランプが日本を「経済的な脅威」と見なしつつ、「押さえつけられる相手」と軽視している可能性を浮き彫りにした。
発動直後の市場の反応は激しかった。米国債の10年物利回りは一気に4.49%まで急上昇し、ダウ平均も下落。市場では、「日本や中国が報復として米国債を売却するのではないか」という憶測が広がり、投資家がリスク回避に動いた。日本にとって、24%の関税は深刻な打撃だ。日本の対米輸出は年間約1400億ドル(2024年実績)で、その約40%が自動車関連。トヨタやホンダなどの企業はコスト増や競争力低下を強いられるため、経済全体への影響が懸念された。
だが、トランプは一夜にして方針を転換した。4月10日の90日間停止発表では、自動車関連の25%関税は維持されたものの、一律10%の関税は一時的に棚上げされた。市場はこれに反応し、利回りは4.29%に下がり、ダウ平均も持ち直した。トランプはこの停止について、「同盟国との交渉を進めるための猶予」と説明したが、市場の混乱や同盟国の反発を抑えるための「戦術的後退」との見方が強い。
この90日間停止の背景には、トランプの関税政策がもたらすリスクが浮上したこともあるだろう。特に、日本が米国債保有額で最大の外国保有国(2025年1月時点で1兆0793億ドル)であることを考えると、報復として売却に動く可能性は市場の悪夢である。今回の関税騒動は、単なる貿易政策にとどまらず、米国債を巡る日米関係や、経済的な駆け引きの複雑さを改めて示したと言える。
日本への24%が示す軽視
トランプが設定した関税の税率は、イギリス10%、EU20%、日本24%と差別的だった。この税率設定は、トランプの意図を読み解く上で重要なポイントとなる。
イギリスに対する10%は、Brexit後の関係強化を背景に、トランプが優遇した可能性がある。EUに対する20%は、NATOを通じた安全保障協力があるものの、貿易摩擦を抱える中間的な扱いと見られる。一方、日本に対する24%は、イギリスやEUと比べて明らかに高い。トランプは、日本の対米貿易黒字(約600億ドル、2024年実績)を問題視し、「日本は米国からもっと買うべきだ」と繰り返し主張してきた。この高い税率は、日本に圧力をかけて譲歩を迫る意図があったと見られる。
しかし、この税率設定からは、トランプが日本を「押さえつけられる相手」と軽視していた可能性も見て取れる。日本は日米安保条約に基づく同盟国であり、米国市場への輸出依存(年間1400億ドル)も大きい。トランプは、日本が米国との関係を重視するため、「多少厳しく扱っても離反しない」と高を括っていた節があるだろう。過去のトランプ政権(2017~2021年)でも、日米貿易協定の交渉で日本が自動車関税を回避するために譲歩した経緯があり、トランプは「日本は強く出れば言うことを聞く」と学習した可能性がある。
この軽視は、しかし誤算である。市場の動揺(利回り急騰)は、おそらくトランプの予想を超えるものだった。4月10日の関税停止は、トランプが日本の反発や市場の反応を抑えるために譲歩せざるを得なかった面もある。
日本と中国の米国債保有額の推移
日本が米国債売却で米国を牽制する可能性を考える上で、日本と中国の米国債保有額の推移は重要な背景となる。以下に、2000年から2025年までのデータを基にした折れ線グラフの概要を説明する。これは、横軸に年号(2000年、2005年、2010年、2015年、2020年、2025年)、縦軸に保有額(単位:十億ドル)を設定し、日本(青)と中国(赤)の推移を示したものだ。
- 2000年: 日本は約3000億ドル、中国は約600億ドル。日本の保有額が圧倒的に多い。この時期、日本はバブル崩壊後の経済停滞の中で、米国債を安全資産として買い増していた。一方、中国は輸出主導の経済成長が始まったばかりで、米国債保有はまだ少なかった。
- 2005年: 日本は約7000億ドルに増加、中国は約3000億ドルに急上昇。中国が輸出主導で外貨準備を増やし、人民元管理のために米国債を買い進めた時期だ。リーマンショック前のグローバル経済の拡大も、中国の保有増を後押しした。
- 2010年: 日本は約8800億ドル、中国は約1兆1600億ドル。2011年頃、中国が日本を抜き、最大の外国保有国となる。中国の急激な保有増は、人民元の下落を抑える為替介入や、外貨準備の拡大戦略によるものだ。
- 2015年: 日本は約1兆1000億ドル、中国は約1兆2700億ドル。2013年頃、中国の保有額はピーク(1兆3000億ドル超)に達していた。この時期、米中関係は比較的安定していたが、中国は米国債依存を減らす動きを始めていた。
- 2020年: 日本は約1兆2600億ドル、中国は約1兆0600億ドル。米中貿易摩擦の激化(2018年以降)で中国が売却を進め、日本が再び首位に。2016~2017年に再逆転した形だ。中国の売却は、トランプ政権との対立や、金・ユーロ建て資産へのシフトが背景にある。
- 2025年: 日本は約1兆0793億ドル、中国は約7608億ドル。日本の保有額は安定、中国は減少傾向が続く。2025年1月時点で、日本の保有額は外国保有分(7.9兆ドル)の約13.7%を占め、影響力は大きい。
このグラフから、中国が2011年頃に日本を抜いて首位に立ち、2013年頃にピークを迎えた後、2016~2017年に再逆転し、日本が首位を奪還した経緯が分かる。中国の売却傾向は、米中対立や外貨準備の多様化が背景にある。一方、日本は為替介入や安全資産としての需要から、米国債を安定的に買い増してきた。2025年現在、日本は米国債の最大の外国保有国であり、トランプ関税の文脈で「米国債売却」という究極のカードを持つ理由となっている。
1997年の橋本発言ショック
日本が米国債売却で米国を牽制する可能性を考える上で、1997年の橋本龍太郎首相の発言は重要な歴史的教訓となる。この事件は、現在の若い世代にはあまり知られていないかもしれないので説明しておきたい。
1997年6月23日、当時の橋本龍太郎首相は米国のコロンビア大学で講演の際、講演後の質疑応答で、橋本は「米国債を大幅に売りたいという誘惑に駆られたことがある」と、うかつにも発言した。具体的には、「ミッキー・カンター(元米通商代表)とやりあった時や、米国が国際基軸通貨としてのドル価値にあまり関心がないように見えた時、米国債を売って金(ゴールド)で外貨準備をしたいと思った」と述べたのである。さらに、「もし日本が米国債を一気に売却したら、米国経済に大きな影響を与えるのではないか」と続け、米国に対して為替の安定への協力を求めた。この発言はジョーク交じりだったとされるが、市場は深刻に受け止めた。
当時、日本は米国債の外国保有分の約25%(約3000億ドル)を占めており、売却噂の影響力は大きかった。発言直後、NYダウは192ドル下落し、1987年のブラックマンデー以来の大幅な下げを記録した。米国債の利回りも急上昇し、ドルが売られるなど、金融市場は大混乱に陥った。米国政府は強く反発し、「経済的な宣戦布告と見なす」と警告。ロバート・ルビン財務長官が日本側と緊急協議を行い、事態の収拾に動いた。
橋本首相はすぐさま発言を修正し、「売却する意図はない」「米国債を売る計画はない」と火消しに追われた。日本政府も財務省(当時は大蔵省)を通じて、「外貨準備の運用方針に変更はない」と声明を出し、市場の不安を抑えた。この事件は「橋本発言ショック」として知られるようになり、日本が米国債売却を匂わせるだけで市場がどれだけ動揺するかを示した。
この背景には、1990年代の日米間の貿易摩擦があった。米国は日本の対米貿易黒字に不満を持ち、円高誘導や通商交渉で圧力をかけていた。橋本の発言は、米国に為替の安定への協力を求める意図があったとされるが、市場の反応は予想以上だった。米国にとって、日本が米国債市場で持つ影響力は脅威であり、以降、日本は外貨準備の運用について慎重な姿勢を取るようになった。
米国債売却で牽制する戦略的可能性
トランプ関税停止の裏で、日本が「米国債売却」を交渉カードとして使うかもしれない悪夢が再浮上した可能性がある。グラフで見た中国の動向(2018年以降の売却傾向)を見ると、中国が米国債売却を「報復の武器」として使う可能性は市場で囁かれている。日本も同様の手段で米国を牽制することは、理論上可能だ。
日本が米国債を売却すれば、米国債市場に供給過多が生じ、価格が下落(利回り上昇)する。2025年現在、日本の保有額は1兆0793億ドルと大きく、売却のインパクトは1997年当時の数倍になる可能性がある。1997年の橋本発言が発言だけで市場を混乱させたことを考えると、実際に売却すれば米国経済に深刻なダメージを与える。しかし、当然だが、日本が米国債を売却すれば、自身にも大きなリスクが伴う。円高による輸出産業の打撃、外貨準備の価値下落、金利上昇の波及、日米関係の悪化などが懸念される。日米経済は相互依存関係にあり、米国経済が混乱すれば日本の輸出産業(年間1400億ドル)も打撃を受ける。1997年の教訓から、日本は米国債売却に慎重な姿勢を取ってきた。
それでも、「密かにちらちらと売却を示唆する」という戦略なら、リスクを抑えつつトランプ政権を譲歩させる効果を上げられる。2025年4月9~10日の関税発動と停止のタイミングで、市場が「日本が売却するのでは」と憶測し、利回りが乱高下したのは、この戦略が機能する可能性を示している。この戦略は公言せずに裏ルートや市場を通じてプレッシャーをかけることで、トランプに「日本を怒らせるな」というシグナルを送る効果が期待できるものだ。
実際に今回の自体の裏でなにが生じたか。あるいは生じなかったか、それは不明だが、結果的には、今回の騒動を通じて、「日本を怒らせるな」というシグナルは米国に伝わっただろう。日本の米国債保有額が示す影響力や、報復関税の検討を通じて、トランプは日本を過小評価するリスクを再認識すべきである。1997年の橋本発言が米国を動揺させたように、2025年現在も日本が持つ「経済的な武器」は、米国にとって無視できない。
日本が米国債売却で米国を牽制する戦略は、表向きにはリスクを伴うが、「密かにちらちらと示唆する」形でなら効果的である。今回の関税騒動でも、日本は公言せずにプレッシャーをかけ、トランプに「日本を怒らせるな」というシグナルを意図せずかもしれないが結果的に送ったことになる。
| 固定リンク




