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2025.02.28

ジェフ・ベゾスがワシントン・ポストを変える

 2025年2月28日、ワシントン・ポストのオーナー、ジェフ・ベゾスが下した決断は、アメリカのメディア界に衝撃を与えた。同紙の意見ページを「個人の自由と自由市場」を支持する方針にシフトすると発表したのだ。これまでリベラル寄りの論調で知られ、特にトランプ政権時代にはその反対を旗印に掲げてきた同紙にとって、これは大きな方向転換とも言える動きであり、他の米国メディアも注目している。
 事態の発端は、このブログでも触れたが(参照)、2024年11月の大統領選挙直後である。そして、ドナルド・トランプが再選を果たし、多くのリベラルメディアが予想した「バイデン政権の延長」は崩れ去った。この結果に、ワシントン・ポスト内部でも動揺が広がった。選挙直前、同紙はカマラ・ハリスへの支持表明を見送り、その決定に反発した編集スタッフの一部が辞職。さらに、長年のリベラル読者が購読をキャンセルし、社内は混乱に陥った。そんな中、ベゾスが12年間の沈黙を破り、ようやく新方針を打ち出したのである。
 なぜ今なのか? 2013年にベゾスがワシントン・ポストを2億5000万ドルで買収して以来、彼は経営再建には力を注いだものの、編集方針にはほとんど介入しなかったものだった。オバマ政権への穏やかな支持、トランプへの激烈な批判など、同紙がリベラル路線を突き進む中、彼は噂に反して静観を続けた。それが、2025年2月に突然の「方針転換」である。この決断は、単なる経営戦略なのか、それともメディアの役割を見直す大胆な一手なのかに関心が集まるのも当然だろう。

オバマ時代から始まったメディアの「偏向」

 この転換を理解するには、ワシントン・ポストの近年の動向を振り返る必要がある。その起点は2008年、バラク・オバマが大統領に就任した時点に遡る。当時、アメリカのリベラルメディアはオバマを「変革の象徴」として持ち上げ、彼の政策への批判を控えた。2008年の金融危機後の経済混乱、オバマケア導入時の混乱、2011年以降のシリア内戦への対応の遅れなど、これらは本来、報道機関が厳しく追及すべき課題だった。だが、ワシントン・ポストを含む主要紙は、政権との「蜜月」を優先してしまった。端的に言えば、オバマ政権の失態をリベラル系のジャーナリズムは十分に追求してこなかった。
 右派メディアであるFOXニュースのチャーリー・ハートは、「ワシントン・ポストが狂気に走ったのは2016年から」と批判する。それは、おそらく半分しか正しくない。2016年のトランプ当選後、同紙が反トランプの急先鋒となったのは事実だが、その土壌はオバマ時代にすでに整っていたと見るべきだろう。そして、トランプ政権一期では、ワシントン・ポストは事実検証よりも感情的な論調を強め、「トランプは悪」という前提で記事を量産した。2017年の就任直後から2021年の退任まで、トランプ関連の報道は異常なまでに偏り、読者に「考える余地」を与えなかった。
 この偏向の代償が、2024年の選挙で明らかになった。リベラルメディアはバイデン政権の経済失策、つまり、インフレ率の上昇、ガソリン価格の高騰、国境管理の失敗を軽視し、他方、トランプの復活を「民主主義の危機」とイデオロギー的に大げさに警告した。有権者の関心はもっと現実的だったのである。生活コストの上昇、治安の悪化、仕事の不安がそこにあった。市民はリベラルな理想論ではなく、具体的な解決策を求めていた。高級紙と言われるワシントン・ポストの読者層も例外ではなく、リベラル路線への不信感が募っていた。

ベゾスの賭け

 ベゾスの「個人の自由と自由市場」という新方針は、この状況への答えと見るべきだろう。彼は、リベラル偏向がワシントン・ポストを国民の実感から遠ざけたと見抜いたのだろう。2024年の選挙後、イーロン・マスクがXで「ブラボー、@jeffbezos!」と称賛したのは、単なる政治的応援ではない。マスクは、リベラルメディアが「偽善」と「現実逃避」に陥っていると繰り返し批判してきた。ベゾスの決断は、その指摘に応えるものだった。
 だが、この転換が何を意味するのかは、まだはっきりとはしない。ベゾスは、私の見解ではあるが、「中立」を目指しているわけではない。むしろ、特定のイデオロギーに縛られず、現在の社会の意識変化、つまり経済的自立や政府への不信感に寄り添おうとしている。彼の根底にあるのはビジネスモデルの基本であり、これは新聞のビジネスモデルとも直結する。デジタル時代に広告収入が激減した今、ワシントン・ポストは購読者頼みの経営を強いられている。リベラルな読者層だけに依存するのではなく、保守派や中間層にも門戸を開く必要があるのは、実は明白なことだ。
 問題は、今回の方針転換が成功するかどうかだ。過度にリベラルな偏向を除き、自由な論点を掲げることで、トランプ支持者や経済重視の読者を引き寄せられるかもしれない。だが、リベラル派からは「裏切り」と見なされ、新たな偏向と批判されるのも当然だろう。すでに社内では反発が起き、編集者の辞職が続いている。ベゾスの賭けは、メディアが「国民の声」を映す鏡となるか、それともまた別の歪んだレンズに変わるかにかかっているとも言えるが、大きな潮流はすでに変化しているのである。
 現実的には、2025年2月28日時点で、ワシントン・ポストの未来は、その経営という視点からは、不透明だ。ベゾスは、リベラルメディアが失った「現実とのつながり」を取り戻そうとしているのか、それとも、単に生き残りを図る経営判断なのか。あるいは、より本質的な問いに答えるほうがいいかもしれない。新聞は誰のために存在するのか。何のために存在するのか。いや、そもそも新聞が存続するということはどういうことなのか。



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