« 学校制服の価格 | トップページ | 外交官ホセ・トリージャ氏の見解 »

2025.02.21

サルマン・ラシュディ裁判

 2025年2月、事件から2年半が経ち、作家サルマン・ラシュディの襲撃犯ハディ・マターの裁判がついに始まった。襲撃事件は、2022年8月12日のことだ。米ニューヨーク州のチャウタクアで講演を控えていた作家サルマン・ラシュディが突然聴衆から襲撃を受けた。襲撃者は彼を何度も刺し、ラシュディは片目を失い、左手の指の感覚をほぼ失った。
 ラシュディは1988年の著作『悪魔の詩』を発表した直後、イランの最高指導者ホメイニ師から死刑宣告(ファトワ)を受け、それ以来、命の危険と隣り合わせの生活を余儀なくされ、その人生の大半を過ごした。イラン政府は1998年にファトワを「支持しない」としたが、2006年にはヒズボラの指導者が暗殺を推奨する発言をし、その影響が続いていることがあの事件で証明された。
 2023年に出版されたラシュディの回顧録『ナイフ』には、襲撃の瞬間がこう記されている。「ついに来たか、と思った。私は長年、こうした日が来ることを想像していた。」これは単なる小説家の想像ではなく、彼が実際に抱えていた現実の恐怖だった。言論の自由を守ることは、作家にとって命をかけた戦いであるという事実を、この事件は改めて世界に突きつけた。

信念と暴力
 襲撃事件の背景には、単に個人的な狂信ではなく、明確な政治的・宗教的イデオロギーがある。襲撃犯マターは、米国当局によれば、この事件はヒズボラと関わりがあり、テロ組織とのつながりが指摘されている。ファトワが発令された1989年から30年以上が経過しているにもかかわらず、彼のような人物がいまだにその影響を受け、暴力に訴えるという事実は、テロの持続的な影響力を示している。
 ラシュディの事件は日本社会にも大きな影を落としている。1989年7月に発生した五十嵐一・筑波大学助教授暗殺事件だ。五十嵐氏は『悪魔の詩』の邦訳を担当し、出版に関わった一人である。彼は何者かによって筑波大学のエレベーターホールで刺殺された。犯人は逮捕されることなく、2024年に時効を迎えた。
 日本国内では、この事件がファトワと関連していると広く信じられているが、公式には「証拠不十分」のまま扱われた。事件が時効を迎えたことで、犯人の特定も処罰も永遠に不可能となった。しかし、五十嵐氏の死は、日本においても言論の自由が暴力によって脅かされる現実を如実に示した。ラシュディ襲撃事件が裁判にかけられているのに対し、日本では暗殺が事実上「解決されず」に終わった。この違いは、社会が言論の自由とその脅威にどれほど真剣に向き合っているかの差を映し出している。一言でいえば、日本社会の恥といえるほど向き合っていない。

言論の自由
 ラシュディの事件が突きつける最大の問題は、言論の自由である。彼の著作は、宗教や文化を批評する権利を擁護するものであり、それこそが民主主義社会における自由な討論の基盤である。しかし、今回の襲撃は、「表現には命を奪われるリスクが伴う」という恐怖を現実のものにした。
 言論の自由を脅かすのは、暴力を用いる個人や組織だけではない。国家による弾圧もまた、表現の自由の最大の敵である。ロシアでは、政府に批判的なジャーナリストや作家が次々と暗殺されたり、投獄されたりしている。2023年には、米紙『ウォール・ストリート・ジャーナル』の記者エヴァン・ゲルシコビッチがスパイ容疑で拘束され、いまだに解放されていない。中国においても、政府の方針に反する発言は厳しく取り締まられている。DeepSeekですら、言論弾圧下にある。香港では、民主派メディア『アップル・デイリー』が2021年に強制的に廃刊され、創業者ジミー・ライ氏は国家安全法違反で逮捕された。こうした国家による弾圧と並行して、米国では「キャンセルカルチャー」もまた言論抑圧の文脈で問題視されている。2020年には著名な言論人や研究者らが「反対意見に対する不寛容が広まり、公然と個人を糾弾することが社会の風潮となり、自由な議論が妨げられている」と警鐘を鳴らす公開書簡を発表した。
 国家による抑圧も、社会による排除も、いずれも自由な言論空間を狭める。日本でも「キャンセルカルチャー」の影響はあるが、それよりも、多様な言論を、陰謀論の条件を提示せずに「陰謀論」として排除する動向が懸念される。



|

« 学校制服の価格 | トップページ | 外交官ホセ・トリージャ氏の見解 »