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2025.02.27

ホワイトハウス記者団の席決めゲーム

 2025年2月、トランプ政権がホワイトハウスの記者席を「自分で仕切る」と宣言した。レストランのオーナーが「今日の客は俺が選ぶ」と言い出したような印象がある。これまで記者団の構成を握ってきたホワイトハウス記者協会(WHCA)を脇に押しやり、今後はホワイトハウス自身が取材陣を管理する方針に切り替えるという。門戸を広げて新たなメディアにもチャンスを与えると謳う一方で、「公平さ」がどこまで担保されるかは未知数だ。
 バイデン政権時代を振り返れば、記者席の整理に血眼だった時期がある。2023年、ホワイトハウスへの常駐記者証(ハードパス)の更新ルールを厳しくした結果、1,417人いた記者が975人にまで減らされた。「過去3か月にホワイトハウスに来ていない記者が40%もいた」と当局は胸を張ったが、地方紙や独立系の記者から「取材費がない我々にどうしろと?」と恨み節が漏れた。合理化の名のもとに、不都合な声が締め出された可能性は否めない。

ホワイトハウス記者協会(WHCA)って何者?

 この話に出てくるホワイトハウス記者協会(WHCA)とは何なのか。WHCAは1914年に設立された記者たちの集まりで、ホワイトハウスを取材するメディアの利益を守るのが目的だ。大統領の記者会見や移動取材に誰が同行できるか、どのメディアがプレスルームに席を確保できるかを決める、いわば「報道の門番」的な存在だ。ただし、この門番、完全な中立とは言い難い。CNNやニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポストといったリベラル寄りの大手メディアが幅を利かせてきた歴史があり、保守系や独立系のジャーナリストは「席がない」と肩身の狭い思いをしてきた。特にトランプ初代政権時代には、WHCAとホワイトハウスの対立が火花を散らしたものだった。トランプは「WHCAは偏ったメディアの既得権益を守るクラブだ」と公然と批判し、会見をすっぽかしてSNSで直接国民に語りかける場面もあった。確かに、WHCAの顔ぶれを見ると、「報道の自由」を掲げつつも、ある種のエリート意識が漂うのは否定できない。

バイデン流「整理整頓」の裏側

 バイデン政権が2023年に打ち出したハードパスの見直しは、一見すると「ホワイトハウスの取材をスリム化する合理的改革」に見えた。だが、蓋を開けてみれば、排除された440人の中に地方メディアや政権に批判的な記者が目立ったという指摘もある。例えば、ある中西部の地方紙記者は「年に数回しか来られない我々を切り捨てるのは、首都圏の大手優遇と同じだ」と嘆いた。ホワイトハウス側は「セキュリティと効率のため」と繰り返したが、結果的に政権に都合のいい報道環境が整ったのではないかと疑う声は根強い。効率化は大事だが、ホワイトハウスは国民全体のための場所である。首都から遠く離れた小さなメディアが締め出されるのは、「多様な声」を聞くべき政府としてどうなのか。公平さを装いつつ、都合の悪い質問を避けたかっただけでは?と勘繰られるのも無理はない。

トランプの「門戸開放」?

 翻って、トランプ政権の新方針はどうか。「WHCAの独占を打破し、もっと多くのメディアにチャンスを」と言うのは聞こえがいい。確かに、保守系メディアや新興の独立系ジャーナリストがホワイトハウスにアクセスしやすくなる可能性はある。トランプはかつて、フォックス・ニュース以外のメディアを「フェイクニュース」と切り捨ててきただけに、自分の味方を増やす意図がないとは言い切れないが、それでも多様性が増すなら悪くない話だ。
 とはいえ、ホワイトハウスが直接記者を選ぶとなると、リスクも見えてくる。政権に批判的な記者が「リストから漏れる」なんて事態が起きれば、バイデン時代以上に露骨な「報道操作」と批判されかねない。トランプが「俺のルールでやる」と豪語する裏で、どれだけ透明性が保たれるのか。そこが鍵だろう。
 ここで一歩引いて考えてみたい。そもそも、ホワイトハウスの報道なんだから、ホワイトハウスがそのルールを決めるのが筋じゃないか? WHCAが長年仕切ってきたとはいえ、彼らはあくまで民間の記者クラブだ。大統領が国民に語る場を、特定のメディア団体が牛耳るのはおかしくないか。レストランに例えるなら、シェフがメニューを決めるより、オーナーが「この料理を出す」と決める方が自然だろう。もちろん、政府がメディアをコントロールしすぎると「報道の自由」が危うくなる。だが、WHCAだって完璧に公平とは言えない歴史がある。いずれにせよ、大統領が誰を取材させるか自分で決め、その選択に責任を持つのだから、「この政権はこういうメディアを重視するんだ」と判断するしかない。

公平さは幻想か

 この事態の本質は「誰が仕切るか」ではなく、どうやっても完璧な報道の公平さなんて実現できないだろうという疑問だ。バイデン時代は「合理化」の名のもとに不都合な記者が消え、トランプ時代は「開放性」を掲げつつ政権寄りの顔ぶれが並ぶかもしれない。WHCAに任せても、リベラル系のエリートクラブ臭が漂う。どうすればいいか。 一つのアイデアは、記者団の選定を完全に公開プロセスにすることだろう、応募制にして選考基準を明示し、国民がその妥当性をチェックできるようにする。あるいは、大統領がSNSで直接語れる時代なんだから、記者団自体をスリム化して「国民の質問コーナー」を増やすなんて過激な案もあり得る。しかし、それこそがうまくいかない。話が循環するが、米ドラ見てもわかるように、ホワイトハウスの報道自体が結局のところ、政治そのものなのだ。



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