金木犀とセイタカアワダチソウの秋
今年は金木犀が遅い。遅いというのは、「ああ、どこからか金木犀の香りがする」と感じる季節が、なんだか、2週間くらい遅れている気がする。金木犀ばかりではない。さまざまな植物の生育が、長い真夏日の連続のせいか、狂っているように思える。そんな思いで散歩していると、セイタカアワダチソウを見かけた。ちゃんと背が高い、セイタカアワダチソウだった。近年見かけるセイタカアワダチソウは背が低いことが多い。これは気象異常だけのせいでもないだろう。この植物は「アレロパシー」といって、根から毒を出して近くに育つ植物の成長を抑制するらしい。そして、この毒に結局自分もやられてしまうという。まさに自業自得という感じがする。
セイタカアワダチソウは私が若い頃、40年前かな、あちこちに咲いていた。奈良の薬師寺を川のほうから見ると、なんとも美しい光景で、全景が真っ黄色に染まっていた。セイタカアワダチソウの群生が黄色い花を咲かせていたのだ。他の場所でも、同じような風景が見られた。
散歩で見かけたセイタカアワダチソウは3メートルほどあったが、花はまだ咲いていなかった。そろそろ咲く時期かと思っていたが、これも遅れているようだ。
セイタカアワダチソウは食べられる?
その日は昼どきで、なんとなくセイタカアワダチソウは食べられるのではないかと思い、調べてみたところ、実際に食べられることがわかった。根から毒が出るので他の部分にも毒があるのではないかと思ったが、あるにはあるものの、食べることは可能とのことだ。いくつかレシピも見つけた。
セイタカアワダチソウの食用可能性について調べてみると、どうやら春に出る新芽が特に美味しいことがわかった。天ぷらや胡麻和え、お浸しなどに使われることが多いようだ。天ぷらにするとサクサクとした食感が楽しめ、胡麻和えにすると少しワイルドな香りが魅力的だという。お浸しにすると春菊に似た風味があり、少し青臭さも残るらしい。さらに興味深いのは、新芽を使ってジェノベーゼソースのようにも加工できるということだ。イタリアの味と日本の野草の出会いは、なんだか面白い組み合わせだ。なんだか、春が待ち遠しいぞ。
お茶としても利用できるという。毒も薬となるではないが、健康茶としての効果が期待されているようだ。乾燥させた葉や花を使ったハーブティーは、リラックス効果があると言われている。どんな味か試してみないとわからないが、セイタカアワダチソウの厄介者としてのイメージを変える可能性がある。一度、野草茶にして秋の夕暮れに飲んでみたい。これは間に合うかな。
アメリカではセイタカアワダチソウは意外にも人気があるようだ。ハチミツの蜜源としても利用され、地域によっては食材としても親しまれている。しかし、日本ではその特有の臭いが嫌われることが多く、食卓に並ぶことは稀なのだろう。自分も知らなかったしなあ。独特の香りは、人によって「臭い」と感じられるが、逆にこの香りを工夫して料理に取り入れることで、春菊みたいなものかな、新たな味覚を楽しむことができるかもしれない。そうえば、春菊は名前のとおりキク科だが、セイタカアワダチソウもキク科なので、キク科植物にアレルギーのある人は食べるなんてもってのほかということだろう。まあ、アレルギーは人それぞれで、お蕎麦でも死者が出ることがある。気をつけたほうがいい。
セイタカアワダチソウの食用利用が再評価されることには、なんか微妙な希望が感じられる。この植物が食卓に並ぶことで、これまで厄介者とされてきた存在が、実は自然からの贈り物とかだ、と気づくのかもしれない。セイタカアワダチソウを料理に使うことは、季節の彩りを料理にもたらすだけでなく、自然との新たな共生の形を象徴しているようにも思える、なんて大げさだが。
人間社会もなあ
セイタカアワダチソウは北アメリカ原産で、日本には、意外にも観賞用として導入された。が、その後あっという間に野生化し、在来種と競合するようになった。特にススキなどと土地を奪い合う形で繁茂し、時には在来植物の生育を妨げるまでに至った。この植物はさっきも言ったけど、「アレロパシー」と呼ばれる現象を持ち、根から周囲の植物に有害な化学物質を出して他の植物の成長を抑制する。皮肉なことに、このアレロパシーのためにセイタカアワダチソウ自身の繁殖力も低下し、最終的には自分自身の成長も阻害するという循環に陥る。
このアレロパシーの現象は、私たち人間社会にもどこか似ている。他者を排除し、自らの安全を守ろうとする姿勢が、結果的に自らの持続可能性を失わせるという点だ。人間社会の競争や排他的な態度を彷彿とさせる。企業間の過剰な競争が新しい市場を独占しようとする結果、最終的には市場全体の活力を失わせる。持続可能な成長を犠牲にして短期的な利益を追求する姿勢は、セイタカアワダチソウの自己抑制のように見える、なんてことはないか。セイタカアワダチソウが土地を支配しようとする一方で、最終的にはその土地の豊かさを奪い、自分自身も成長できなくなる姿は、現代の社会問題を反映している、まあ、そんな無駄話もセイタカアワダチソウの天ぷら摘んで酒のさかなになりそうだ。
捻くれ者の秋の風景
秋の風景には、自分のような捻くれ者には、このセイタカアワダチソウの黄色い花が欠かせない。秋の終わりを告げるように咲き誇るその姿は、どこか哀愁も帯びていて、寂れた川べりようなものも感じさせる。特に今年のように気候の影響で花が遅れていると、どこかにないかなと気になってしまうのだ。普通ならばもう咲いていてもいいはずの花々が、まだ咲かない。異常気象かあ。
金木犀とセイタカアワダチソウの両方が遅れている。植物たちの生育が狂うことで、私たちの生活リズムもどこか影響を受けている。季節の異変を感じ取ることで、改めてその大切さに気付かされる。もうすこし、風景に立ち止まり、自然にじっくりと向き合いたいと思う。金木犀の香りがようやく漂い始めた今、季節の移ろいを感じたい、年取ったしなあ、自分。
| 固定リンク




