着床前診断をどう考えていくべきか
生殖医療技術の発展に伴い、着床前診断(Preimplantation Genetic Diagnosis: PGD)の利用が増加している。この技術は、遺伝的リスクを抱えるカップルが、健康な子どもを持つ機会を広げるために用いられている反面、PGDの普及は多くの倫理的な問題を浮き彫りにしている。どこまでその使用を認めるべきかという議論は、日本のみならず、すでに世界中で展開されている。
まとめ
- 着床前診断は体外受精によって作成された胚から細胞を採取して、遺伝的異常を検査する技術であり、本来は遺伝性疾患を回避するために用いられる。
- 着床後の検査との違いとしては、着床前診断は胚が母体に着床する前に異常を確認でき、中絶のリスクを回避できるため、心理的負担が少ないとされる。
- 着床前診断の普及には倫理的懸念が伴い、各国で規制や議論が異なる。日本でもその利用拡大が進む一方、倫理的な議論が必要とされている。
着床前診断とは何か
着床前診断(PGD)は、体外受精(IVF)によって作成された胚から細胞を採取し、その遺伝情報を解析することで特定の遺伝的異常の有無を確認する技術である。遺伝性疾患のリスクが高いカップルにとって、将来生まれてくる子どもが健康であるかどうかを確かめる重要な手段となっている。
PGDの具体的な手順としては、まず体外受精でいくつかの受精卵を作り、その受精卵がある程度成長した段階で一部の細胞を取り出し、遺伝的検査を行う。その結果、異常がないと確認された胚のみが子宮に移植され、妊娠を目指す。このプロセスにより、遺伝的疾患を回避する可能性が高まり、特定の疾患を持つリスクが大幅に低減する。
着床後の検査との違い
着床前診断は、胚がまだ母体に着床する前に遺伝的異常を検査できる点で、着床後の検査とは大きく異なる。胎児診断や新型出生前診断(NIPT)などの着床後の検査では、胚が子宮に着床し、妊娠が成立した後に胎児の遺伝的異常を確認する。着床後の検査で異常が見つかった場合には、妊娠を継続するか中絶するかという重い決断を迫られることが多く、心理的な負担が大きい。
一方、PGDは着床前に異常のある胚を排除できるため、妊娠後に中絶の選択を避けることができる。このため、倫理的な観点からも一定の支持を得ており、中絶に対する懸念が強い社会では特に注目されている。しかし、それでも生命を「選別」する行為であることには変わりなく、倫理的な問題は避けて通れない。
日本における着床前診断の現状と課題
日本では、着床前診断の導入は他の先進国と比べ比較的遅れているとも言われ、現在でもその利用は慎重に行われている。日本産科婦人科学会は、着床前診断の利用を厳しく審査しており、2023年には過去最多の72例が審査された。そのうち58例が承認され、3例は条件を満たさず不承認となった。
この背景には、2022年には、PGDの対象となる遺伝性疾患の定義が拡大されたことがある。従来は「成人になるまでに日常生活に深刻な影響を与える病気」が対象だったが、この定義が「原則」として柔軟に解釈されるようになり、成人後に発症する疾患も対象に含まれるようになった。これにより、より多くのカップルがPGDの対象となる可能性が広がったものの、倫理的な基準は依然として曖昧であり、審査基準の客観性と透明性についての改善が求められている。
加えて、日本におけるPGDの認知度はまだ低く、情報が十分に行き渡っていないのが現状である。PGDを知らないカップルも少なくなく、選択肢として考慮することさえできないケースもあるという。この情報不足が原因で、あるカップルは遺伝性疾患のリスクを知らずに子どもを授かり、後悔の念を抱くという悲劇的なケースもあるようだ。
他国の状況と比較
世界各国におけるPGDの取り扱いは、それぞれの国の文化や倫理観、法制度によって大きく異なる。こうした各国の状況は今後の日本での議論にも参考になるだろう。以下に、主要な国々のPGDに関する状況を紹介しよう。
アメリカ
アメリカではPGDの利用が非常に広範に認められている。遺伝的疾患の予防だけでなく、性別選択など親の希望に基づく目的でも利用されることがある。アメリカ社会は個人の自由を重視しているため、親が望む特定の遺伝的特徴を選ぶことも可能であり、技術の商業化も進んでいる。しかし、この自由度の高さから、「デザイナーベビー」(受精卵の段階で遺伝子操作や精子バンクや着床前診断などによって親が望む外見や知力や体力などを備えた子ども)の懸念が生じ、遺伝的特徴を選別することが不平等を助長するリスクが指摘されている。
イギリス
イギリスでは、PGDはヒト受精および胚培養局(HFEA)によって厳格に管理されている。利用には事前にHFEAへの申請が必要で、特定の重篤な遺伝性疾患に限ってPGDの利用が許可される。この規制により、技術の乱用が防がれつつも、遺伝的疾患の予防に対する適切な活用が進められている。また、HFEAは情報の透明性を確保することで、社会的な信頼を築く努力を続けている。
フランス
フランスでは、PGDは厳格な法規制のもとで行われており、重篤な遺伝性疾患を回避する目的に限って許可されている。倫理委員会の審査を経て個別に判断され、公平性が重視されている。さらに、公的医療保険が一部適用されるため、経済的なハードルが比較的低い点も特徴だ。フランスでは、命の選別や技術の不平等性に対する社会的な議論が盛んであり、政府も倫理的な側面に対して非常に敏感に対応している。
ドイツ
ドイツでは、PGDに対して非常に慎重な規制が敷かれている。2011年に連邦憲法裁判所がPGDの一部利用を認めたが、それでも許可されるのは重篤な遺伝性疾患のリスクがある場合に限られている。ドイツにおいては、過去の優生思想に対する強い反発から、生命の選別に対する倫理的な懸念が根強く、社会的に慎重な姿勢が取られている。
北欧諸国
スウェーデンやデンマークといった北欧諸国では、PGDに関して比較的厳しい規制が設けられているものの、遺伝的疾患のリスクが高い場合には一定の許可が下りることがある。これらの国々では、社会的支援や倫理的な審査が非常にしっかりしており、医療制度が充実しているため、技術の利用は公正かつ慎重に進められている。
PGDを禁止している国
スイス、オーストリア、イタリアなどでは、PGDが禁止されている、もしくは非常に厳しい条件下でのみ許可されている。これらの国々では、生命の選別に対する倫理的懸念や宗教的背景が強く影響しており、技術の利用に対する社会的な支持が限られている。特に、命の選別に対する懸念や家族のあり方に関する議論が深く関わっており、技術の普及が進みにくい状況だ。
展望
着床前診断の利用は、世界各国の動向から日本でも要望が高まり、今後広がる可能性が高い。その利用がどこまで許容されるべきか、倫理的な議論は困難を極める。PGDは遺伝性疾患の予防に大きな貢献をしている一方で、命を「選別」する行為に対する抵抗感も依然として強い。この記事は市民ブローがによる視点でまとめたものだが、医療技術の進展と倫理的な枠組みのバランスを保ちながら、日本社会でも広く議論を興していく必要があるだろう。
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