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2024.10.16

令和の裏金問題は本当に重大なのか?

 衆議院選挙を前に、メディアで「裏金」の問題が大きく取り上げられている。しかし、これが日本の政治にとって本当に重大な問題なのだろうか。この問いかけから、今回の裏金問題を見つめ直すことで、日本の政治における本質的な課題を考えてみたい。

今回の「裏金」問題とは
 日本語で一般的に使われる「裏金」とは、通常、帳簿に記載されていない不正な金銭や、賄賂を指す。例えば、企業や公共機関が架空の経費を計上したり、記帳せずに金銭を隠したりする行為が含まれる。今回の「裏金問題」の「裏金」とは、自民党の派閥が行っていた政治資金パーティーの収益の一部を、正規の収支報告書に記載せず、議員にキックバックすることで生じた不正資金を指している。この収益の一部は派閥や議員の収支報告書に記載されない形で議員に還流されており、これが問題視されている。確かに、個人議員の視点では、帳簿に記載されていない不正な金銭だから「裏金」なんだろうが、キックバックの元銭である献金の総額はしかし、自民党レベルでは把握されており、その資料も隠されてはいないのだから、完全に「裏」と言えるようなものではないだろう。
 とはいえ、自民党の派閥が政治資金パーティーで得た収益のうち、議員にキックバックされた金額は正式な収支報告書に記載されておらず、違法な形で議員に還流されていたのは確かだが、このキックバックされた金額は、2018年からの5年間で総額5億7949万円で、85人の議員に分配されていた。さて、これを一年間で一議員あたりに計算すると、136万円。議員事務所バイト一名分か、ちょとしたパーティのお膳立てで消える額である。今回の「裏金」問題は、過去の大規模な汚職事件と比べると規模も小さく、「裏金」という言葉の意味合いも異なっている。
 あと、今回の「裏金」問題の時系列を見ると、なんとも評し難い。2022年11月に共産党機関紙「しんぶん赤旗」の報道が発端となり、最大派閥「清和政策研究会」(安倍派)をはじめとした自民党の複数の派閥で政治資金パーティー券の不適切な扱いが報じられた。その後、2023年11月には東京地検特捜部が派閥の事務担当者らへの任意の事情聴取を進め、事件は大きく進展した。2024年1月には、政治資金規正法違反で複数の会計責任者が在宅起訴されるに至った。そのあと、自民党内での清和会粛清の動きは、昔の言葉で言えば、香ばしい。

過去と現在の裏金問題
 令和の時代になって、また、コロナ騒ぎを経てからなのか、単に世代意識の交代はこうして起きるものなのか、昭和や平成の実経験の記憶が忘れられていく。過去にも、「裏金」を巡る大規模なスキャンダルが存在した。
 2010年に発覚した陸山会事件では、元衆議院議員の石川知裕や小沢一郎の秘書らが、政治資金の収支報告書に約20億円の虚偽記載を行ったとして、実刑を含む重い処罰を受けた。石川氏を含む関係者は起訴され、秘書たちに対しては禁錮刑が言い渡された。2020年代に起こった自民党二階派の裏金事件では、元会計責任者が約2億6千万円の虚偽記載を行い、禁錮2年(執行猶予付き)の判決が下された。二階派の二階俊博元幹事長が、今回キックバックで3,526万円を受け取っても、彼がそんなこと気にする政治倫理なんか持っているはずもないのだ。昭和の香りが残るリクルート事件も企業と政治家の間での賄賂に絡んだ大規模な裏金問題が発覚した。まあ、この話は感慨深すぎるからやめておく。
 今回の「裏金」問題の規模を考える際には、日本の2024年度の国家予算を考慮するのもいいだろう。国家予算は約112兆円に達し、国会議員一人あたりの権限に換算すると約200億円に相当する(でいいかな)。一人の国会議員はいずれにせよ、膨大な金額を扱う。今回の裏金問題で動いた5年間で総額5億7949万円は0.5%であり、銀行金利と比較すれば些細だとは言わないが、有能な政治家を狙い撃ちのように始末する問題ではないと、自民党が考えているのも当然だろう。それがいいとはまったく思わないが。

汚職と国民生活への注力
 自由主義国家において汚職を完全に根絶することは非常に難しい。不正はなくすべきだが、政治システムが大規模である限り、ある程度の汚職が生じることは避けられない現実がある。スウェーデンやデンマークなど、汚職発生率が低いとされる国々でも、時折不正が発生する。政治学者の小室直樹は、汚職は民主主義のコストだ、とまで言った。
 発生した不正に対して透明性を持ち、適切な処罰を行うことで、政治全体の信頼性を維持することは確かに重要だろう。が同時に、今回の「裏金」問題を重大な政治的スキャンダルとして連日取り上げ続けることは、必ずしも建設的ではない。というか、随分とお安い正義なのである(結果はお安くないが)。
 むしろ、このような問題に過剰に注目することで、国民生活に直結する重要な政策議論が後回しになる。実際、今回の衆議院選挙で、具体的に国民に選択が問われる政策が掲げられているだろうか。お金さえ出せば改善できる「理想」を与党も掲げて、その分は見えにくい増税に転換されているだけなのだ。
 国家安全保障、経済政策や社会保障制度の充実、教育や医療の改善といった、国民の生活を向上させるための政策にこそ、政治家はエネルギーを注ぐべきである。汚職を防ぐための仕組みは確かに必要だが、それ以上に重要なのは、国民の幸福を追求するための政策である。
 汚職や不正の問題に適切に対処しつつも、国民生活を豊かにする政策を推進することが、令和の時代における日本の政治のあるべき姿ではないだろうか。

 

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