中国の海洋進出がもたらす南シナ海の緊張
フィリピンと中国の対立:サビナ礁を巡る緊張
8月25日のことだが、フィリピンの南沙(英語名スプラトリー)諸島のサビナ礁付近で、フィリピン漁民への補給活動に当たっていた船舶に中国船が突進し放水した。中国が補給活動を妨害するために「攻撃的で危険な行動」を取ったとフィリピンは主張し、これを受けて、中国海警局はこの海域に「不法」に侵入し危険な方法で中国船に繰り返し接近した船舶に対して「抑制措置」を取ったとした。
南シナ海における中国の海洋進出は、特にフィリピンとの間で深刻な緊張を引き起こしている。フィリピンの排他的経済水域内に位置するサビナ礁では、中国の埋め立て活動が明らかになった。フィリピンは巡視船を派遣して対抗しているものの、中国の圧倒的な軍事力を前にして苦戦している。この埋め立て活動は、サビナ礁を実効支配し、南シナ海での影響力を拡大しようとする中国の戦略の一環である。中国の動きに対して、フィリピン政府は国際社会に訴え、日本やアメリカがフィリピンを支持し、中国の行動を非難しているが、その実効性には依然として疑問が残る。フィリピンを支持する声明は出されているものの、具体的な行動や圧力が不足しており、中国の埋め立て活動や軍事拠点化を阻止するには至っていない。
サビナ礁での対立は、単なる領有権の争いを超え、地域の安全保障に直接的な影響を及ぼす。南シナ海は世界の海上交通路として重要な位置を占めており、中国がこの地域での影響力を拡大することは、周辺諸国のみならず、全世界にとっても重大な懸念事項である。この地域の不安定化は、世界の貿易やエネルギー供給に深刻な影響を及ぼす可能性があり、国際経済にも大きなリスクをもたらす。
中国の「九段線」問題
中国の海洋進出は、近年国際社会の関心を集める大きな問題となっており、特に南シナ海での領有権主張が緊張の中心にある。この議論の中核にあるのが、中国が南シナ海で主張する「九段線」である。中国の九段線に基づく領有権主張は、地域の東南アジア諸国との対立、国際法との矛盾、さらには米国など他の大国との戦略的緊張を引き起こしており、国際関係において大きな影響を与えている。
「九段線」(九段権)は、中国が南シナ海の大部分に対して歴史的に主張している境界線である。この線は、日本からすれば常識外れも甚だしく、南シナ海の90%以上を含んでいる。だが、これにはやや奇妙な経緯もある。元はと言えば、1947年に中華民国(現在の台湾政府)によって初めて「十一段線」として描かれたものだ。その後、1950年代に中華人民共和国が2本の線を削除し、「九段線」として確定した。独裁政権下にあった台湾(中華民国)の主張を中国(中華人民共和国)が乗っ取ったような形になっている。その後、国際連合の代表としての「中国」は米国の世界戦略によって、台北から北京に変更されたので、中国としては「九段線」に国際的なお墨付きがついたとでも思い込むことにしている。冗談のような経緯だが、現在九段線は、フィリピン、ベトナム、マレーシア、ブルネイなど、南シナ海周辺国の主張する領海や排他的経済水域(EEZ)を大きく侵害する形になっている。
中国は、この九段線内に対して、こうした経緯から歴史的権利を主張しており、古代からこの地域で漁業や航行が行われていたとする。この主張には具体的な証拠があるわけもなく、国際法に基づく現代の領有権主張とは大きくかけ離れており、他の東南アジア諸国との対立を深める原因となっている。
国際法との対立:UNCLOSと九段線
中国の九段線主張は、国際的なルールである国連海洋法条約(UNCLOS)と衝突している。UNCLOSでは、各国が沿岸から200海里の排他的経済水域を持つ権利が認められているが、九段線はこれを無視し、南シナ海のほぼ全域に対する権利を主張している。この矛盾は、まず、2016年のフィリピンによる提訴において顕著に表れた。
2016年、国際仲裁裁判所(PCA)は、フィリピンが中国に対して提訴した南シナ海領有権問題において、中国の九段線に基づく主張を否定する判決を下した。裁判所は、中国の歴史的権利主張には法的根拠がないと判断し、南シナ海の大部分は国際水域であるとした。しかし、中国はこの判決を認めず、九段線を基礎とした主張を続けている。
この判決は、国際社会において大きな注目を集め、中国の領有権主張に対する強い反発が生まれた。フィリピンはこの判決を支持し、中国の海洋進出に対抗するための国際的な支援を求めるようになり、国際的な法的手段を通じて自国の権利を守ろうとする姿勢は、他の東南アジア諸国にとっても重要な前例となっている。
フィリピンの防衛強化と国際的な反応
国際法は人類叡智の進展を示す理想だが、現実は理想とは異なる。画餅では腹はくちない。フィリピンは中国の圧力に具体的に対抗するために防空能力の強化を進めている。特に次期戦闘機の調達が注目されており、スウェーデン製のグリペンを有力候補として選定している。グリペンは運用コストが低く、整備のしやすさや短い滑走路でも運用できる点がフィリピンの地理的条件に適し、最新の電子戦能力や多用途性能を備えている。フィリピンは南シナ海に面したバラバック島でこの軍用滑走路の建設を進めており、この地域における軍事プレゼンスの強化を図っている。
さらに防空力の強化の一環として、イスラエル製のSPYDER地対空ミサイルシステムを導入している。SPYDERは、迅速な展開と高い迎撃能力を特徴としており、中国の脅威に対抗する上で重要な役割を果たすと期待されている。
体制の面では、フィリピンは、米国との防衛協力強化協定(EDCA)に基づき、両軍が共同で使用できる基地の整備を進めており、中国の行動をけん制するための合同パトロールも実施している。こうして、フィリピン単独では難しい海域での監視を強化し、南シナ海全体での安全保障を向上させようとしている。
日本もこの支援に加わっている。フィリピンは日本からの防空レーダーの供与を受け、航空状況把握能力を向上させた。敵機やミサイルの探知能力を向上させ、中国の進出に対する抑止効果を高めることが期待されている。このように、フィリピンは、米国以外に日本とも防衛協力を深化させ、中国への抑止力を強化する動きが進んでいるが、ひいては日本の防衛にもつながるからである。
東南アジア諸国との対立
九段線問題は、フィリピンとの関係でのみ問われているものではない。中国と東南アジア諸国との領土・資源を巡る深刻な対立の一因ともなっている。南シナ海は豊富な漁業資源や石油・天然ガスを持つとされており、各国がその経済的利益を確保するために競争している。フィリピンに加えベトナムも、中国の海洋進出には強く反発しており、南シナ海での漁業権や資源開発を巡る紛争が絶えない。
対して中国は九段線を強化するためにその域内の岩礁や暗礁に人工島を建設し、そこを軍事拠点として使用することで実効支配を強化している。これらの人工島には滑走路や軍事施設が建設中され、中国の軍事力の投射能力を大幅に向上させている。特に、スプラトリー諸島やパラセル諸島での軍事活動は、東南アジア諸国と米国の懸念となっている。
米国の基本戦略と日本の関わり
中国の海洋進出に対して、米国は組織的な対応策を展開している。その基本戦略は、南シナ海や東シナ海における中国の影響力を抑え、国際法に基づいた秩序と航行の自由を維持することである。南シナ海は世界の貿易の大部分が通過する重要な海上交通路であり、この地域での中国の影響力拡大を放置することは、現状の米国理念からすれば国益に反するものである。具体的に米国の対応にはつぎものがある。
1. 航行の自由作戦(FONOPs)
米国は、中国の九段線に基づく領有権主張を認めておらず、国際法に基づいて南シナ海の海域が誰のものでもない国際水域であるという立場を堅持している。これを示すために、米海軍は定期的に軍艦を南シナ海に派遣し、航行の自由作戦(Freedom of Navigation Operations, FONOPs)を実施している。この作戦は、米国が南シナ海における中国の一方的な領有権主張に反対していることを明確に示すものであり、地域での緊張を管理しながらも、航行の自由を確保するための重要な手段である。
2. 同盟国との連携強化
米国は、南シナ海問題において日本やオーストラリア、インドなどの同盟国やパートナー国との連携を強化している。これには、クアッド(Quad)と呼ばれる日本、インド、オーストラリア(四カ国なのでこの名称がある)との安全保障対話の枠組みも含まれていて、中国の影響力拡大を抑えるための協力が進められている。クアッドは、自由で開かれたインド太平洋地域の実現を目指し、地域の安全保障や災害対応、経済協力など幅広い分野での協力を推進している。
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