中国企業を外資が買って制御できるか
今日発売のニューズウィーク日本版のPeriscopeに「株式市場改革で外資流入歓迎」という短い話があった。この四年間低迷していた上海総合指数が昨年末から四〇%上昇したのは、株式市場改革が完了したからだというのだ。
改革というのは、記事によれば、中国企業の大半を占める中国国有企業の非流通株が流通するようになったこと。先週は新規株式公開(IPO)も再開したという。再開理由は、大企業が香港やニューヨークの市場に逃げることに、中国当局が危機感を抱いたとしている。
そうなのだろうか? よくわからないが、先日ラジオで聞いた評論家田中直毅の話を思い出した。
田中の話では、私の記憶違いかもしれないが、上海株ではなく香港株が上昇しているのは、中国が自国内の企業統治(コーポレートガバナンス)をいっそ外資に任せた方いいと中国当局が判断したからだというのだ。
なぜ香港でかというと、上海では自由にできないからとかいうことだったように話を記憶している。が、このニューズウィークの話によれば、上海でも大筋ではそうなるということなのだろう。
中国政府が企業統治のために外資をあえて呼び込んだというのは、面白い話かもしれないが、いずれ外資が入れば結果論的にそうなるし、現状の世界の仕組みからしてそうなる以外の選択もないのだから、あらためて考えてみるとどうということでもない。
だがなんとなく、そうか中国国営企業が外資に買われ、経営されるようになるのか、それって昔のマルクス・レーニン主義的には帝国主義とか言われるようなものではないか……とつらつら考えるのだが、どうも悪い洒落でも練っているようでもある。
マスメディアでもネットでも何かと理由があって、嫌中・親中の議論があるようだが、実際のところ、もはや中国というのは外資を導入することでその企業の形態を外部的に制御するしかどうしようもないのだろう。ただ、中国共産党とか人民解放軍とかがその上澄みを吸い込むために外国勢力を利用しているように扱っているなら、どっかで立ち行かなくなる地点があるだろうし、いずれ生産力が上がり民衆に富が配分されていけば民主化というのは必然的な流れになるだろう。すると、現状のような政治体制は必然的に自壊していくのだろう。西洋のような革命という形で壊れることもないような気はするが。
国家という単位で見ていくと、外資というと国の富が外国に奪われる的な発想を取りがちだが、日本の自動車産業はもうすぐ米国のそのセクターを食うだろうし、日本板硝子がピルキントンを買うみたいな展開もある。というわけで、日本も傾向とすれば同じと言えないこともないようだ。
ただ、なんか違うな。文化・歴史のしがらみを捨象した経済学的なお利口さんの理想論のようには行かないような感じがする。というか、最終的な国富を形成する鍵は結果としての経済学的な図柄になっても起因とはならないんじゃないか。
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コメント
>友愛と公的な痛みにある。そこがどうブログに展開できるのだろうか。
私には、友愛と庶民の痛みがあるけど…、なんか難しいなぁ。
今のニホンに友愛を体にもっているオトコはいるのか?
どちらかというと、中国や外資の方が、金目的であっても、ベースには友愛の結びつきは強いぞ。
公的な痛みについては、それぞれの体験が見え隠れするけど、友愛は、そもそも、友愛は、うん、どちらかというと、キリストそのものだし。
なぜ、中国の方がといえるのは、Maoさんのブログで、中国の留学生の方が私の言葉が最終的には入っていた。友愛を感じられたからで。行為としての言葉を評価する土壌が彼等にあるのだなと。
確かに、切隊くんのブログに名無しさんで参加していると、名無しさんたちが、よく読んでいることを実感したけど、今ひとつのところ、よくわからない。友愛になっている感じが希薄だし。つまり、行動につながっていかない。誤った行動でもいいのに。
なので、長期保留じゃ。
投稿: noneco | 2006.05.24 23:05
>確かに、切隊くんのブログに名無しさんで参加していると、名無しさんたちが、よく読んでいることを実感したけど、今ひとつのところ、よくわからない。友愛になっている感じが希薄だし。つまり、行動につながっていかない。誤った行動でもいいのに。
それはさぁ。自分がそれなりの行動を示さないからでしょ?
隗より始めよ、じゃん。
投稿: 私 | 2006.05.24 23:50
なんとなく思う(素人考えなのですが)
中国は外資であろうと無かろう最速で人を育てるための方法を取っているのだと思う。
技術とノウハウを持った人さえ育てば、その後に外資を追い出さなくてもパクリ企業を造って競争できる。
国にとって一番の財産は国民の成長であると長期的な考えになっただけのような気がする。
外資が制御できたとしても人が育てば、同業他社が新たにでき、最終的には外資もたいして活躍できないのではと思ってしまう。
サムスンみたいな会社が出来て既存の企業のなかで淘汰されたり、サンヨーみたいに一時的に没落していくのかなと思えた。
全く話がずれるのですが、極端な視点を持つと人は地球にとっての癌であると考えがあるらしいのですが、どちらかといえばエボラウィルスのほうが近いように思える。
中国が資本主義に変貌していく中で、中国共産党という細胞膜を破いて、世界中に流入していく中国人はどのような変化を世の中にもたらすのでしょうか。
投稿: YO | 2006.05.25 03:24
nonecoさんへ。コメントはできるだけ自由にと考えていますが、できれば、エントリのテーマに関連するものだけとしてください。できるだけ、コメント欄での情報も他の閲覧者にとって有益であるべきだと思うのです(きちんと私が論破されというのも有益です)。
私の知るかぎり、nonecoさんははてなユーザーもあるので、雑談的な話は日記のコメント欄へどうぞ。
投稿: finalvent | 2006.05.25 08:52
恣意的な行政介入や国有化という手段が残されて、外資側がそれを阻止するための有効なカードを持ち得ないならば、外資の導入自体は安全装置付きでしょう。
投資側ならポートフォリオ偏重・過大な投資とか、現地政府行政権の行使を外国軍事力や物資禁輸などで麻痺させてしまうとか、なかなか近年そういう事はリスクが高くてできませんからね。
相互にそういう心配をする必要が無い様にすれば、もともと企業活動は国境を越えるコスモポリタン的生理があるモノですし、あとは生活習慣や習俗的な所謂「心」問題かな?と匂わせているのは概ね正しいと思う。
生活文化>経済>政治という価値の強弱関係は重低音で人社会を多分永遠に覆うモノなので、生活文化を蔑ろにしてまでの一時的な政治経済ヒステリーを起こし得る事態とその結果には今後も注意が必要だろうなーと、たぶんエントリーをなぞるだけのコメントをする今回の私であった。
投稿: トリル | 2006.05.25 15:51
http://www3.jetro.go.jp/jetro-file/search-text.do?url=010011300302
これを見る限りでは、中国資本の会社を外資が買収するのは未だに不可能です。もちろん将来的には開放すると中国政府は言っているわけですが、ロードマップは全く明示していません。
我が国の歴史を振り返って見るに、現在のように外資系が日本国内の経済活動において一定のプレゼンスを持つようになったのは金融ビックバン後の、それも期間にすれば今から8年前の出来事にすぎません。しかもその原因は、日本国内の生産性を上げるためではなく、逆に現システムではバブル崩壊の後遺症を治癒させることができない、と判断されたためです。
このことを考えると、中国国内の企業買収が解禁になるのは中国の経済成長率が低下し、外資に本格的に介入してもらう以外に経済活性化の方策がたたなくなったときしか考えることができません。
投稿: F.Nakajima | 2006.05.25 21:47