一九二三年十一月十一日、二〇〇五年十一月十一日
生涯を振り返って、その少年が忘れることができない一日となったのは、一九二三年の十一月十一日だった。誕生日を一週間後に控えた十三歳の少年は、奇しくも正確に八十二年後、死んだ。
場所はウイーン。その日はオーストリア共和国の記念日だった。五年前、オーストリア・ハンガリー帝国皇帝カール一世が退位し、以降共和制を祝う日となった。
その日は市中の交通は止ることになっていた。街に行列が行き交うからだ。学生たちも行列を作り、赤旗を掲げ革命歌を歌った。その行列の先頭に少年がいた。が、少年はふと立ち止まった。行く手を遮る大きな水たまりを見たからだ。
立ち止まったのは少年だけだった。行列は進み、彼はうしろに残された。なぜかもう行列に戻る気にはならなかった。
その行き先にあるものを少年が直感したからではなかった。自分の人生はこれから始まる激動の時代を見つめる証人(bystander)になると感じたからだった。そしてそのとおりになった。長く生きて歴史を見つめた。
激動の時代を見つ続けた彼は後に自分は作家(a writer)と呼ばれたいとも言った。生涯に二冊ほど小説を書いたが、それが彼を世界的に有名にしたものではなかった。小説は人の精神の苦悩を表現していたが、医学生として直接フロイトの講義を受けた母の気質も継いでいたかもしれない。
少年の家はオーストリアということもあり音楽にも関係が深かった。祖母はシューマンの弟子でもあった。父はザルツブルク音楽祭の創始に関わる政府高官だった。オーストリアの豊かな感性は、変貌しつつあるドイツの世相を受け入れるはずもない。
その日から四年後ギムナジウムを終え、青年となった彼はハンブルクの輸出会社で書記見習いとして働いたが、その間に書いた経済論文が注目され、その縁でオーストリア・エコノミストの編集長カール・ポランニと知り合い、その家族とも親交を深めた。ポランニの思想は青年の心に引き継がれていった。
![]() 明日を支配するもの 21世紀の マネジメント革命 |
彼はそこで実務家として成功を感じ、そして苦悩した。最晩年の著作「明日を支配するもの」(参照)で彼は当時の自分をこう語っている。
よくできること、とくによくできること、おそろしくよくできることが、自らの価値観に合わない。世の中に貢献している実感がわかず、人生のすべて、あるいはその一部を割くに値しないと思えることがある。
私自身も若い頃、成功していたことと、自らの価値観の違いに悩んだことがある。一九三〇年代の半ば、ロンドンの投資銀行で働き、順風満帆だった。強みを存分に発揮していた。しかし、資産管理では世の中に貢献しているという実感がなかった。
私にとって価値あるものは、金ではなく人だった。金持ちになることに価値を見いだせなかった。大恐慌のさなかにあって、特に金があるわけでも、他に職があるわけでも、見通しがたっていたわけでもなかった。だが私は止めた。正しい行動だった。
彼は経済記者となった。そのころ彼は恋もしていた。金よりも価値観を選ぶという情念は恋にブーストされていたのかもしれない。一九三七年、若き伴侶は物理学を専攻していた。そのころ彼女がメガネをしてたかについてはよくわからない。
二人は新世界へ移った。
![]() 「経済人」の終わり 全体主義はなぜ 生まれたか |
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コメント
日本では経営の神様扱い。ビジネス本の類。
しかし、この人のマネジメントの意味を理解できている人は実は少なかったのではないだろうか
30年前に断絶の時代を読んだ否、読まされた。
近年では、すでに起こった未来に勇気づけられ、明日を支配するものに希望を感じた。
トフラーのように体制の側つかず、カーンのような異能でもない。
まさに哲人というべき人であった。
投稿: | 2005.11.13 02:28
ドラッカーの著作を初めて読もうと思うのですが、非常に数が多く、とても全ては読めません。なので、これだけは読んでおけというようなものがあれば、教えていただけると助かります。
投稿: ココ | 2005.11.13 16:11
何が目的か?によるけど、finalventさんが
紹介してるのを読んでごらんなさいよ
投稿: | 2005.11.14 23:42
↑の人に同意。
とりあえず、ココさんが経営関係の学生さんだったり、社会人として働いているのであれば、『マネジメント-基本と原則(エッセンシャル版)』が手軽で内容も濃いので良いと思う。
それ以外の本を挙げるとすれば、『断絶の時代』とか。
あと、もし金に余裕があるのであれば、初めて読むドラッカーシリーズ4部作の内、最初の3部(『プロフェッショナルの条件』『チェンジリーダーの条件』『イノベーターの条件』)辺りを全部読むとかでも良いかも。(3冊足して分厚い本(『断絶の時代』とか)1冊半くらいの分量ですし)
投稿: ケンチャナヨ | 2005.11.17 23:26
「傍観者の時代」ですよね。
以下引用
本書の登場人物は、どの時代にもいるような人たちである。ところが、その彼らが、過ぎ去ったあの時代の本質を伝えている。私が偉大な作家の真似をできると思ったわけではない。私には、人物を創作する能力はない。しかし私は、報告することはできるかもしれないと考えたのだった。
中略
私は、私の心を打った人たちを登場させた。それぞれが、それぞれの話をもつ人たちであって、しかも、観察と解釈と価値のある人たちだった。そして何よりも、社会とは、多様な個と、彼らの物語からなるものであることを教えてくれる人たちだった。
(新版への序文より)
引用終わり。
私はこの本を最初に読むことにしました。(というかもうよんでるけど。)
投稿: ggg123 | 2008.08.04 16:32