自衛隊イラク派遣は話題か
日々主要紙社説を読みながら未だに社説というがわからないと思うことがある。今朝などそうだ。各紙こぞって石破防衛庁長官の派遣命令を話題にしているが、この話のどこに話題性があるのだろう。まるで理解できない。朝日新聞社説は「陸自本隊に派遣命令――『ここまで来たら』を排す」は標題から連想されるものを越える内容はない。もともと、自衛隊を合憲としたのは、自民党政権ではなく、おまえさんたちのお友達村山富市だったのをお忘れ無く。そして、なんか極東ブログもサヨかよと思われるかもしれないが、言っておいたほうがいいのかもしれない。今回の派兵は、日本国憲法をあの成文法と見るなら違憲だ。そもそも派遣ですらなく「派兵」だ。
自衛隊を派遣する以上、憲法や法律に沿わない事態になれば、首相は活動の停止や撤収もためらうべきではない。国会や国民に対して活動内容や現地の治安状況などを十分に知らせる務めもある。
日本憲法を成文法と見るなら、すでに違憲だ。だが、実質日本の憲法は解釈改憲を経ているのであり、とすれば、日本国憲法など歴史文書でしかない。原典すらきちんと確認されていないという考証を読んだことがある。古典文書なら伊勢物語から偽書である古事記に至るまで各種異本というのがあり、校訂作業が必要になる。日本国憲法の原本は存在するのか端的に疑問だ。もちろん、国立公文書館所蔵のは知っているが、あれがそうなのか。いずれにせよ、憲法というは概念であって成文法である必要ない。この議論が余談に逸れすぎた。
朝日をくさす意図はないが、現地状況を十分に知らせる勤めと朝日新聞が言っている意図がわからない。例の報道規制だろうか。文脈をなしていないよ、この文、と思う。
忘れてならないのは、理を後回しに、既成事実の積み重ねで国の針路を決めてはならないことだ。問われているのは、この国の民主主義と法治なのである。
私はまったく違うと思う。戦後日本の歩みそのものがは成文法の憲法の「理」を踏みにじってきた。それが私たち日本国民の歴史であり経験なのだ。そしてそれがどれほど「理」からそれようが、それが私たちの姿である以上、そこからしか進むことができない。全てのファンダメンタリズムは歴史性を無視なり偽装した「理」(アルケー)から始まる。そしてそれが何をもたらすかを歴史は教えてくれる。歴史は人が愚か者であってはいけないことを映し出す鏡だ。
他紙について、毎日は朝日と同じ。読売と産経も読むまでもない内容。馬鹿馬鹿しいといえば馬鹿馬鹿しいが、防弾チョッキすら兵器と見なす日本に見合った馬鹿馬鹿しい光景なのかもしれない。
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