なるほどアメリカリスクか
恭賀新年
私事だが昨日は早々に寝た。テレビも見ない。代わりにはつひを見た。赤いはつひをほんのりと受ける富士山も美しかった。不思議なことに人生のいろいろな年に見たはつひはなんとなく忘れない。10年前は地中海のただ中にいた。10年後は東京にいる。
元日の新聞各紙社説は期待するだけ間抜けだろう。朝日は反米、産経はポチ保守。読売は老害ラッパ。日経は…おやおや、ラッパだ。が、意外に毎日新聞社説「アメリカリスク対応が鍵だ 心配はイラクより国政 」に共感した。
世界が今抱えるリスクの中で自然災害を除き一番大きいのは圧倒的に米国そのものである。米国がとる政策や事情変更は直ちに世界中に影響する。影響は戦争であったり、飢餓や貧困、環境破壊、株安や銀行システムの崩壊あるいはテロ勢力の反作用的な拡大であり、それらすべての逆であったりする。大きすぎる米国の悲劇でもある。
半年前なら、そこまで言うかと思ったことだろう。私はネオコンに近い思想もある。が、年頭にあたり「アメリカリスク」という以外はないかという気持ちにはなる。半年近い極東ブログでも、なんとか粘り技でアメリカと対峙できないものかと考え続けてきたように思う。
個人的なことだが、アメリカには複雑な気持ちを持つ。好きでも嫌いとも言えない。私のアメリカの原形的なイメージは、ウィリアム・サローヤンであるが、その話をしてもしかたない。
いろいろ偶然もあって、たぶん一般的な日本人よりなにかとアメリカの文化に巻き込まれてしまった。振り返ってみると日常生活のなかで英語をしゃべらないわけにもいかないという状況から外れたのは昨年1年だけだった。英語は得意ではないが、このご時世あるていど勉強し続けないといけないなとは思う。副作用はある。思春期のころただの洋楽にしか聞こえなかったビートルズの歌が、今ではかなり普通の言語に聞き取れて不快だ。字幕の映画もきらいだ。そこの訳語のコノテーションは違うなどといちいち考えさせらるのが嫌だ。口語は聞き取れない。始めて、"You, piss me off"とか言われたときは、わからなかった。
話を毎日の社説に戻そう。共感したのは、例えば、イラク派兵についての次のようなくだりだ。
自衛隊派遣の選択は基本的に同意する。対米追従以外に戦略を持たない現状では、行かない選択がもたらすリスクが大きすぎる。しかしそれは主体的な選択ではない。
そういうことだ。そして私は沈黙してしまう。むなしいなと思う。朝日新聞の反米や産経新聞のポチ保守の背景にも同じ感性が潜んでいるのだろう。
もっともそれは政治では払拭しきれないものではないだろうか。
自衛隊派遣を国民が支持し切れない最大の理由がその体たらくにある。自衛隊の派遣で国民が抱く不安の根源はイラクにではなく政治の現状、政治家への不信にある。
毎日がそう言っても、それも空しい。昨年の衆院選をみれば、この国をこう選択しているのは日本国民である。日本国民が間違っているぞと息巻いても空しい。啓蒙ではなく、大衆の側の知を覚醒させるような知の言葉の可能性をためらいながら、模索するしかない。と、いうものの悲観的になるのだが、極東ブログは気まぐれでいつまで続けられるのかと思う。
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