フセイン捕獲は吉兆だろう
サダム(サダーム)・フセインが捕まった。私は、昨日、10時少し前、HDDレコーディングが終わっているだろうNHKのスペシャル番組「文明の道」がこのニュースで飛ばされていてむっとした。そのくらい、フセインの逮捕には最初関心がなかった。私にはモンゴルの歴史の話のほうが重要なのだ。
時間ズレした「文明の道」を録画しなおして、それから深夜NHKのニュースを呆然と見ていた。特に、関心がわき起こるわけでもなかった。ブッシュが画面にどんと出てくると、センター試験以降の世代は知らないだろうお囃子「よっ、大統領」と思い出した。思い起こせば、この戦争はフセインをとっ捕まえる戦争だったのだ。「そんなの意味のない大義さ」という人も多いだろうが、開戦時、フセインが亡命すれば戦争は回避できた。そのことを私はふと忘れていたことに気がつく。
それからざっとブログだのネットを見回した。面白い見解はなかった。いや、面白い見解しかなかった。ブログとはそういうものなのだ。それでも、日本から「独裁者」というものの感触が消えているのではないかと訝しく思った。そんなもの戦中から存在しなかったともいえるかもしれない。現在の日本のあちこちにプチ独裁者はいるが、それはあくまで比喩に過ぎない。戦時の日本は、象徴的な独裁者(天皇)のもと、独裁政治があった。そういえば、英語に「dictatorship」という言葉がある。「独裁政治」と訳されるが、ニュアンスはやや違うようにも感じる。そのニュアンスを日本人は失っているのだ。「よっ、大統領」やそのもとにあるアメリカ人がFree!というときの感覚も実はdictatorshipの感性がなければそもそも通じないものかもしれない。
フセインの捕獲に銃撃戦もなかったという。映像にはハリーポッターにでも出てきそうなぬぼっとした顔面髭の濃い男が出てきた。まったりとしている。映像を見ながら、そんなものかと思ったものの、違和感はある。これもまたセンター試験以降の世代は知らないだろうが、横井庄一さんや小野田寛郎さんが発見されたときのイメージを、私はつい持ってしまう。だが、彼らは兵卒だったからなのかもしれない。
フセイン捕獲の状況についてはメディアからはある程度わかりある程度わからない。情報は限られている。イラクでは祝砲が鳴り渡るようでもある。それも事実は事実だ。その少ない事実から即座に様々な解釈の言葉が溢れ出す。面白い世界だ。
日本では、概ね「これで終わりではない」というのがウケがよさそうだ。たしかに、フセインがほぼ無防備で穴に潜んでいたというのでは、これまでのテロが彼の直接指示だったとは考えにくい。すでにフセインなきテロは続いていたともいえる。
だが、私はイラク治安の混乱は概ね、局在化していると見ている(でなければ農産物ができるわけがない)。フセイン体制が温存されなかったことへの反感が旧体制側の人民にあり、それをベースにアルカイダなどの外国勢力が乗っているのだろう、と私はシンプルに見る。だとすれば、その反抗勢力にはアノミーが起こるだろう。
イラク国民の大半にしてみれば、早くまともな国の体制になって欲しいというのが本音だろう。反米の意識もあるだろうが(それは間違いない)、大衆は反米などというイデオロギーが行動の一義にはならない。ここでふと、8日極東ブログに書いた太宰治の「十二月八日」を思い出す。開戦に酔うファナティックな主婦の意識の裏には普通の生活が滑稽でもあり淡々でもあり描かれていた。イラクも同じだろう。大衆は生活が優先されるし、私は市場のようすから察するのだが、各地域的にはその地域社会には決定的なアノミーが起きているわけでもない(だからこそ分割が必要かもしれないのだが)。
日本を含め、アジア(ちなみにアジアとは古典的にはトルコを指す)には反米の思いが強い。だが、その思いをイラクの混乱に仮託することは知性のある人間のすることではないと思う……と、休刊日のうちに明日の朝日新聞社説に投げかけておこうかな。
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