メディアのマンネリ感というか循環
死後体外授精で出産された子の父子関係が法的に認められなかったという話題以外、新聞各紙特に新しい話題はない。こうして日々それなりに社説を追っていくと、意外なほど社説執筆者というのが閉鎖されたグループなのではないかと思えてくる。
その死後体外授精の問題だが、読売はルール作りが必要とし、毎日も法整備せよというのだが、そう結論するなら社説に書くこともないだろう。ネタだけは新しいが話は古過ぎる。ではこの問題を社会はどう考えればいいのか? 私は率直なところそんなことはまだ社会問題ではないと思う。たとえば、妻が死んだ夫の子が欲しいとして死後体外授精したとする。それで子供が生まれた。それだけでいいのではないか。それ以上に国家から父子関係を認定してもらいたいという心情を私は理解できない。
他に話題はというと、ブログ回りではTBS系「サンデーモーニング」で、石原慎太郎都知事が韓国併合発言100%肯定しているのではないと発言したのに、その語末の音声をネグった上、逆に肯定したとするテロップを流したとして訴訟問題になるらしい。率直なところ、サヨクや報道関係は字幕ミス程度の話でおしまいとしたいところが、常識的に考えてそんなミスはありえないだろう。語末の音声処理は意図的過ぎる。ここできっちり、この手の阿呆なデマゴーギーに灸をすえたほうがいいだろう。
話は散漫にずれるのだが、私はほとんど民放を見ない。トリビアの泉を見て、世の中をちと覗き見る程度だ。あと健康番組をたまに見るか。たまにと言えば、市川実和子の顔を見なければいけないという強迫に駆られるがNHKのドイツ語講座で事足りる。アンジュは最近どうしているだろうかとはあまり思わない…てな話は冗談であるが。いずれにせよ民放バラエティはつらい。CMがうるさいし、CMつなぎのカブリがイライラするし、なによりあの阿呆なテロップ止めろと思うのだが、あれはいったいなぜなのだろうか。老人向けなのだろうか。あるいはいユニバーサルデザインかというひねくれた皮肉は面白くはないだろう。単純に若い世代にとってああいうウケの間のインフォが欲しいためだろう。ゲバゲバ90分以降、アメリカのバラエティをまねて笑いの音声を足したのの延長だろうと、わざとらに古くさい話を書いてみる。
デマゴーギーと言えば、「噂の真相」がもうすぐ終わりになる。身銭を切って読まなくなって何年経つだろうか、というより、読んでいたのは数年だったか。いつごろか国会で話題になるようなメジャーになってしまったのが運の尽きだったか、岡留も面白くねーなと思っていたのか。面白かったのは本多勝一との分裂であれを延々とやってもよかったのにとも思うのだが。最近では、くらたまのガセネタなんか書くから、彼女はマジこいてSPAで反論しちまったよ。くらたまなんておちょくるタマじゃないよなというあたりの目利きがボケている。日垣隆あたりを文春がらみでくさしてみても、返り討ちに会うほどの威力もない。なんだかなである。
総じていえば、「噂の真相」の意義というものはあったのだろう。それがない日本のジャーナリズムというがますます砂漠化していくだろうなとも思う。2ちゃんねるについて、以前ここでくさしたが、今となってはくさす意味もないし、なんというかあの枯れかたはなんだろう。昔のビックリハウスみたいな感じもしないではない、とまた古くさいことを書く。
歴史の終わり、ってなことをいうまでもないが、世の中のある変動はわからないではないが、表層に出る基本パタンの循環もまた予想可能な域に留まっている。話を無理にまとめるようだが、死後体外授精という日本社会には新しい問題があっても、婚姻の変動とは関連づけずに古い循環システムがオートマティックで答えるようになっている。新聞がまさにその機能しかしていないし、ブログを含め、ネットの雑情報もそうしたニッチを狙っているようでいながら、やはり基本的に同じパタンに収まっているとしか思えない(やや飛躍した言い方か)。じゃ、どうする? さあ。わかんないな。
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