1971年の国連決議を振り返る
1972年の記憶——中学生の違和感から始まる
1972年、私は中学生だった。あの頃、テレビのニュースはニクソン訪中や国連の動向で賑わっていた。お茶の間ではその象徴であるパンダの話題も盛り上がった。
あの夜に、国連総会で中華民国(台湾)の代表団が退席する映像が流れた。代表たちの表情は、敗北というより置き去りにされた無念さを湛えていた。世間では「これから中国が変わる」と語られたが、少年の私にさえ違和感があった。日中友好というムードと台湾の思いが、どこかぎくしゃくしていた。
50年以上経った今も、その感覚は変わらない。それに資本の論理への思索が加わった。振り返ろう。1971年10月25日の国連総会決議2758号は、賛成76、反対35、棄権17で可決された。これで、中華民国は常任理事国の席を失い、中華人民共和国が代わりに就いた。この出来事は「中国の勝利」「冷戦の転換点」と語られる。しかし、背景にある西側の思惑は中国市場支配の再編にあった。そして、法的には台湾の地位は未決のままであり、現在の中国のナラティブが正しいわけでもない。
市場アクセスが真の原動力だった
この国連決議の表向きの理由は多岐にわたる。冷戦下でのソ連包囲網、新興独立国の反植民地主義の高まり、ニクソン政権の地政学的転換である。1960年代後半、アフリカやアジアの新興国が国連加盟を急増させ、その多くが中国の援助外交に影響された。米国は「重要問題決議」で共産党中国の加盟を毎年阻止してきたが、1971年には多数派工作に失敗した。
しかし、裏側には経済的動機が潜んでいた。米国商務省の1971年機密メモは、核心を突いている。中国大陸の8億人は潜在的な巨大市場である。日本は1970年に中国輸出5.7億ドル、西ドイツ3.2億ドル、フランス2.1億ドルを記録し、前年比で急拡大していた。一方、米国は貿易禁止法でほぼゼロだ。米国企業、コカ・コーラやボーイング、GMはロビー活動を激化させた。別のNSCメモには、欧州・日本の企業が中国市場を独占すれば、米国の国益に致命的打撃になると記されている。
投票直前の裏取引も象徴的だ。サウジアラビアは中国支持に転換し、中国は石油購入を10倍にすると約束した。アフリカ諸国、タンザニアやザンビアはタンザン鉄道の無償建設、アルジェリアは石油開発権を得た。これらは反植民地主義の綺麗事ではなく、中国市場へのアクセス権をめぐる取引だった。
一連の動きを主導したヘンリー・キッシンジャーは後年、この決議を痛恨の極みと呼んだ。2011年のCNNインタビューで、彼は国連での台湾追放は望んだ結果ではなく、現実がそうさせたのだと語っている。2015年の著書『World Order』では、民主的な同盟国を国際社会から追放した苦い代償だと振り返った。
そもそも決議の手続きにも問題がある。本来、常任理事国の追放は重要問題として3分の2の賛成を要するが、単純過半数で通った。そして、決議文には「台湾」という言葉が一切ない。
米国の対中戦略180年史
米国の中国市場への執着は、19世紀に遡る。1844年の望厦条約は、アメリカ初の対中不平等条約だった。国務長官ジョン・C・カルフーンは議会に、中国の4億人はアメリカ商人のために神が用意した最大の市場であると報告した。1899年から1900年の門戸開放宣言は、列強による中国分割に反対した。表向きは公正だが、実態は欧州が植民地化すれば米国は入れないため、みんなで自由に商売させろという要求だった。
1930年代、フーバー商務長官は大統領就任前、中国を植民地にする必要はないと述べた。鉄道と銀行を握れば十分だ、と。戦後1949年の国務省白書「United States Relations with China」は、国民党敗北の責任を蒋介石に押し付けつつ、中国の市場は依然として巨大であり、いつの日か米国企業にとって開かれるだろうと結論づけた。1971年の商務省メモにも、ほぼ同じフレーズが再登場する。8億人の市場は、神が米国商人に与えた最大の贈り物だ、と。
この戦略の核心は、植民地経営を避ける点にある。植民地は行政コスト、軍事コスト、反乱鎮圧コストが膨大だ。英国は20世紀に入り、インドが赤字だと気づいた。一方、市場開放と金融支配なら、軍隊も行政も不要だ。貿易と投資のルールさえ作れば、資本は儲かる。これが米国型資本主義の究極の勝利形であり、ネオリベラリズムの原型である。
2025年のトランプ政権第二期でも、この論理は健在だ。中国封じ込めを掲げるが、本質は中国市場のグリップを握る交渉ツールである。トランプは関税を武器に脅し、2025年10月のAPECで習近平と会談した。11月5日のホワイトハウス発表によると、中国は2025年末に1200万トン、2026年から2028年まで毎年2500万トンの米国農産物購入を約束した。中国はレアアース輸出制限を1年凍結し、米国はフェンタニル関連関税を10ポイント下げ、一部Section 301措置を凍結した。中国は米国企業への報復措置を全部撤回した。
トランプは「中国は不公平な貿易で米国を食い物にしている」と繰り返すが、枯渇させる意図はない。「中国と仲良くしたい。ただ、公平にしろ」と側近に語る。鷹派のナヴァロはデカップリングを主張するが、トランプは取引型だ。市場では「TACO(Trump Always Chickens Out)」と揶揄されるほど、脅したらすぐ妥協する。つまり、トランプはチキンだ。
中国の一帯一路も、同じ市場支配の論理を逆手に取る。米国はB3Wやグローバル・インフラ・パートナーシップで対抗するが、植民地化ではなくルール作りだ。
台湾の地位は未決
中国は2758号決議を「台湾は中国の一部」と拡大解釈する。しかし、この主張には無理がある。決議文には「台湾」の言及はなく、代表権の問題に留まる。キッシンジャーは2021年のフィナンシャル・タイムズのインタビューで、台湾の最終地位は未決定だと明言した。
中華民国は台湾本島、金門、馬祖を実効支配している。中国は一度も台湾を統治したことがない。国際法の観点からはグレーゾーンだ。国連は代表権しか決めていない。台湾は13カ国とバチカンと国交を維持し、「チャイニーズ・タイペイ」としてWHOやWTOに参加する。台湾外交部は現在も、2758号は台湾の地位を決定していないと主張する。
日本政府の見解も、中国のナラティブとは異なる。日本はサンフランシスコ平和条約(1951年)で台湾を放棄したため、独自に台湾の帰属を認定できないこともある。これは国会答弁書で繰り返し確認されている。1964年の池田内閣答弁書をはじめ、2015年以降の答弁でも、台湾の領土的地位は未定だとする事実認識を維持する。日中共同声明(1972年)では中国の立場を理解・尊重するが、台湾の帰属を明示的に認めていない。これにより、日本は中国の「一つの中国」原則を全面的に支持しているわけではなく、曖昧さを残している。台湾との非公式交流、例えば日華議員懇談会は継続する。日本政府の立場は、地位未定論を事実上支えるものである。
1971年は一里塚に過ぎない
1971年の決議は中国のナラティブでは勝利とされるが、それは都合の良い解釈にすぎない。中国にはそれしかないとも言えるが、真実は資本主義の論理にある。米国は市場支配のためなら、民主主義の同盟国である台湾も切り捨ててきた。その米国の戦略は180年一貫している。領土は不要、金融と貿易のルール支配が目的だ。1971年は始まりではなく、一里塚に過ぎない。これが維持されるのだろうか?
台湾の未来は、厳密には地位未決のまま実効支配と国際参加で存続する。あの1972年のテレビ映像、台湾代表の背中を思い出す。あれから半世紀。彼らが守ったのは領土ではなく、未決の自由だったかもしれない。あの置き去りは、資本のの犠牲である。
しかし、未決のままであることは台湾の強みでもある。市場の論理が渦巻く世界で、台湾は独自の道を歩み続けてきた。今も続けている。中国のナラティブが正しいわけではない。歴史は、資本の影で動いてきた。それがこれらかは、ミアシャイマーの言う、「大国の悲劇」の舞台に変わるかもしれない。
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