中国の暗号資産地下金融はなぜ消えないのか
オフィスで見つかった「証拠」
2024年4月のある平日、中国証券監督管理委員会・科技監管司の司長、姚前は、自分のオフィスで身柄を拘束された。彼はそのとき、なお「金融テクノロジーの専門家」という肩書きをまとっていた。中国人民銀行デジタル通貨研究所の初代所長を務め、金融フォーラムでデジタル通貨の未来を語ってきた人物、いわば、中国のデジタル通貨政策の「顔」の一人だった。
捜査チームが彼のオフィスの引き出しから見つけ出したのは、一個のハードウェアウォレットだった。後に公開された反汚職ドキュメンタリーによれば、捜査員たちは事前にこう確認していたという。家宅捜索でまず押さえるべき物は二つ、ハードウェアウォレット本体と、規則性のない文字列(復元フレーズ)が走り書きされたメモ用紙である、と。暗号資産の世界では、この二つさえ手に入れれば、ウォレットの中の資産を支配できる。
姚前のケースは、暗号資産が単なる投機商品ではなく、規制権限と専門知識に結びついた汚職の道具になり得ることを、生々しく示している。
この一件を入り口に、中国における暗号資産問題が、なぜ「禁止」だけでは消えないのかを考えたい。結論を先に言えば、問題の核心は暗号資産という技術そのものではなく、それが複数の制度的空白をまたぐことで、追跡を著しく困難にする点にある。
禁止が生んだ地下空間
中国は世界で最も厳格な暗号資産規制を敷いてきた。2017年以降の取引所規制、2021年の取引およびマイニングの全面禁止――しかし、これらの禁止措置は暗号資産取引を消滅させたわけではない。公式金融システムの外側へ押し出しただけである。
現在、中国国内の暗号資産利用は、OTC取引、P2Pネットワーク、自己管理型ウォレット、ステーブルコインを組み合わせた非公式な資金移動手段として存続している。そして、この地下化した取引の中心にあるのが、米ドル連動型ステーブルコインのUSDTだ。価格変動が小さく、取引所やOTC市場で流動性が高く、国境を越えて迅速に動かせる。中国国内の人民元資産を外貨建て価値へ変換する、実務上の媒介である。
問題は、これが個人の資産防衛にとどまらない点にある。USDTを軸とする地下金融は、地下銀行、詐欺収益、違法賭博、汚職資金、越境犯罪の決済インフラと結びついている。姚前のハードウェアウォレットは、その氷山の一角にすぎない。
なぜ中国人は資産を動かしたがるのか
中国の地下金融を理解するには、まず「なぜそこまでして中国人は資産を動かすのか」という需要側から見る必要がある。
中国では、個人の外貨購入枠や海外での現金引き出しに厳しい上限が設けられている。この資本規制は、人民元の急激な流出を防ぎ、金融システムの安定を保つための制度だ。ところが、国内の景気減速、不動産市場の低迷、政策の不確実性が高まる局面では、富裕層、企業経営者、そして公職者の間で、資産を国外へ移したいという需要が一斉に強まる。コストとリスクを払ってでも動かしたい。その圧力こそが、地下金融という産業を成り立たせている。
従来、この需要は貿易価格の操作、海外不動産の取得、代理購買ネットワーク、親族や留学生名義の送金などで処理されてきた。しかし、銀行取引や不動産取引への監視が強まるにつれ、古典的な資本逃避の手法は使いにくくなった。そこで台頭したのが、人民元を国内で支払い、海外側で外貨や暗号資産を受け取る地下金融ルートである。暗号資産はここで、資金の保管手段であると同時に、国内外の資金プールを調整する決済手段として機能する。
地下銀行である銭庄の仕組み
地下銭庄と呼ばれる中国系の地下銀行は、公式な銀行送金を一切使わずに、価値を国境の外へ移す。からくりは、意外なほど単純だ。
国内の依頼人が、人民元を国内の指定口座へ振り込む。すると海外側の協力者が、依頼人の指定する口座、現金、学費、不動産関連の支払いといった形で、外貨を払い出す。注目すべきは、このとき人民元は一円たりとも国境を越えていない、という点である。国内には人民元の資金プールが、海外には外貨の資金プールが、それぞれ残ったままだ。
つまり地下銭庄は、お金そのものを動かしているのではない。国内外にある資金プール間の「貸し借りの関係」を調整しているだけなのだ。中国国内で人民元を受け取ったノードは、海外のノードに「この依頼人に相当額を払え」と指示を出す。海外ノードは自前の外貨プールから支払い、後で別の取引や暗号資産送金を通じて残高の帳尻を合わせる。表面的には、国内送金と海外支払いという無関係な二つの取引が発生しただけに見える。だからこそ、通常の外為送金として検知されにくい。
そして、この「帳尻合わせ」にうってつけなのが、USDTである。価格が米ドルに連動しているため、ビットコインやイーサリアムより短期の値動きリスクが小さい。換金しやすく、国境を越えた移転も短時間で済む。とりわけTron上のUSDTは手数料が安く送金も速いため、東アジア・東南アジアの非公式金融ネットワークで重宝されている。
「追跡不能」という誤解
ここで一つ、よくある誤解を解いておきたい。USDTやTronを使えば資金は追跡不能になる――これは正しくない。
姚前のケースが、その何よりの証拠である。捜査チームはブロックチェーン技術を用いて、2018年に2000枚のイーサリアムが贈賄者のウォレットから姚前のウォレットへ流れた経路を特定した。さらに2021年、姚前がそのうち370枚を売却して1000万元の資金に換えた記録まで、丸ごと復元してみせた。オンチェーンの取引には記録が残る。誰でも、いつでも、任意のアドレスの入出金履歴を閲覧できる。暗号資産は隠蔽性と公開性という、相反する二つの顔を持つ。
姚前が引き出しに隠していたものを思い出してほしい。彼は自分の銀行口座をきれいに保っていた。表面上、本人名義の口座に不審な点はなかった。しかし捜査チームは、他人名義で開設された複数の「ダミー口座」が実は彼の支配下にあることをビッグデータの突合で見抜き、そのうちの一筆、1000万元の資金を四層にわたって遡った末、出どころが暗号資産取引業者の資金口座であることを突き止めた。その1000万元は、ほどなく北京の高級住宅の購入代金に消えていた。物件は親族名義で登記されていたが、購入資金はすべて姚前のダミー口座から出ていた。
つまり、暗号資産を「現実世界で使おうとした瞬間」に、資金は必ずどこかで姿を現す。つまりこの問題の本当の難しさは、暗号資産が追跡不能なことではないのである。取引が自己管理型ウォレット、OTCブローカー、名義貸し口座、複数国の決済業者をまたぐため、捜査に必要な情報が各所に分散し、各国当局の協力なしには全体像をつかめないということ、そこにある。
跑分という群衆を使ったマネーロンダリング
地下金融のもう一つの主役が、「跑分」と呼ばれる分散型のマネーロンダリング手法である。
仕組みはこうだ。違法資金を細かく分割し、多数の個人名義口座やQRコード決済アカウントを経由させて移動させる。オンライン詐欺や違法賭博で得た資金は、一つの口座に集めるのではなく、一般人、留学生、名義貸し口座、決済アプリのアカウントを通じて、少額ずつばらまくように流す。一件一件の取引は、日常的な小口決済にしか見えない。金融機関も決済サービスも、異常を検知できない。
この跑分は、見事に分業化されている。頂点には、マッチングシステムや通信基盤を運営するプラットフォーム事業者がいる。中間には、犯罪組織と末端をつなぐ仲介ブローカーやリクルーターがいる。そして末端では、口座やQRコードを差し出した「ランナー」たちが、指示されるまま入出金と送金を繰り返す。違法資金は、こうして無数の一般人の手を経由しながら、姿をくらませていく。
跑分のようなオンライン型の洗浄と並行して、対面型の現金回収・換金部隊も動く。海外のカジノ、高級ホテル、大学周辺、不動産取引、留学生の学費支払い。そうした場面を通じて、暗号資産と現金、現金と銀行預金が交換される。高級品の購入、不動産関連口座への入金、学費や生活費の肩代わり。一見すると合法的な支出が、洗浄プロセスの一部として組み込まれていく。
ここで決定的に重要なのは、オンチェーンの暗号資産移転と、オフチェーンの現金・銀行取引が接続される点だ。ブロックチェーン上ではUSDTが動いているだけに見えても、その裏で現金の受け渡し、銀行口座への分散入金、第三者名義の支払いが進行している。だから暗号資産犯罪の分析には、オンチェーンデータだけでは足りない。銀行取引、通信記録、現地の人的ネットワークを組み合わせた捜査が要る。
東南アジアという接続点
中国系の地下金融が国際社会にとって厄介な問題なのは、中国国内だけで完結しているわけではないためだ。
ミャンマー、カンボジア、ラオスの一部地域には、詐欺コンパウンド、違法賭博、オンライン投資詐欺、カジノ、非公式決済業者が結びついた犯罪インフラが形成されている。こうした拠点では、ロマンス投資詐欺や偽の投資サイトを通じて被害者から暗号資産を巻き上げ、保証型マーケットプレイスやOTCブローカーを介して洗浄する事例が指摘されている。
ここでもUSDTが中心的な役割を果たす。被害者から受け取った暗号資産は、複数のウォレットや非公式決済プラットフォームを経由し、最終的に現金、不動産、銀行預金、別の暗号資産へと姿を変える。東南アジア側で生まれた犯罪収益と、中国国内の資本逃避需要が、USDTという共通言語を通じて接続される。こうして地下金融ネットワークは、単なる中国の国内問題ではなく、国境をまたぐ犯罪収益移転のインフラへと育っていく。
汚職のかたちが変わる――姚前と肖毅
さて冒頭の姚前事件に戻ろう。彼の事件が画期的だったのは、汚職の「かたち」そのものが変わったことを示したからだ。
従来の賄賂は、現金、高級品、不動産、親族名義の利益供与といった形を取ってきた。ところが暗号資産による収賄では、便宜供与を求める側が、公職者の自己管理型ウォレットへ直接送金できる。銀行口座を通らない以上、通常の金融監査では捕捉しにくい。
姚前の事件は、その典型を見せてくれる。2018年、暗号資産業界の経営者・張某が、仲介役を通じて姚前に自社のトークン発行への協力を依頼した。姚前はある暗号資産取引所に「口添え」をし、その会社はトークン発行で2万枚のイーサリアムを調達することに成功する。返礼として張某が姚前に贈ったのが、2000枚のイーサリアムだった。評価額は、最も高い時で6000万元を超えたとされる。中央規律検査委員会が「暗号資産を用いた権力と金銭の取引」という表現を、失脚した官僚の処分通報で用いたのは、この姚前事件が初めてだったという。
仲介役を務めた姚前の部下は、後にこう供述している。当初は自分が直接手渡すつもりだったが、面倒に巻き込まれるのを恐れ、「中継アドレス」を一つ設けた。贈賄者にはそこへ暗号資産を送らせ、中継アドレスを経由して姚前個人のウォレットへ移した、と。受け取った暗号資産はすぐには換金されず、しばらくウォレットに寝かされる。その後、海外取引所、第三者名義口座、OTCブローカーを通じて、段階的に法定通貨へ換えられていく。複数のウォレットと借名口座が挟まれば、実質的な受益者を特定するのは難しくなるというはずだった。
そして、姚前と並んで語られるのが、肖毅の事件である。この性質はやや異なる。肖毅は江西省政協の元副主席であり、抚州市委書記時代に、暗号資産マイニング企業を保護した人物だ。マイニングは大量の電力を食う。2017年から2020年にかけて、彼が肩入れした一社のマイニング機器約16万台は、抚州市全体の電力使用量の10%を消費していたという。肖毅は実態を隠すため統計の専報を捏造させ、電力の分類を調整させ、政府機関にこの企業への担保・融資を違法に取り付けさせた。その額は24億元あまりに上る。2023年8月、肖毅は受贈賄1.25億元あまりと職権濫用の罪で、無期懲役を言い渡された。
姚前が「暗号資産そのものを賄賂として受け取った」事例なら、肖毅は「暗号資産産業が地方権力と癒着した」事例である。マイニングは地方政府の電力配分、企業誘致、産業政策と結びつきやすい。肖毅事件は、暗号資産産業が地方権力と結びついたとき、資源配分と行政権限の腐敗を引き起こし得ることを示した。
国境を越える犯罪収益
国際的にも、中国発の犯罪収益が暗号資産を通じて移転された事例が確認されている。英国で摘発された大規模なビットコイン洗浄事件では、中国国内の投資詐欺で得られた資金が暗号資産に転換され、海外で不動産、高級品、生活費などに換金されていた。
この種の事件で、暗号資産は犯罪収益を一時的に保管するだけの容れ物ではない。国境を越えて価値を持ち出す手段そのものである。犯罪収益がビットコインやUSDTに変換されると、資金は銀行送金よりも速く、複数の管轄区域をまたいで移動できる。その後、海外で不動産、信託口座、高級品、企業口座などに換金されることで、犯罪収益は表向き合法的な資産へと「漂白」される。中国国内の経済犯罪、暗号資産、海外不動産、国際的な資金洗浄、これらは一本の連続した構造を持ち得るのだ。
法制度とデジタル人民元
当然ながら、中国政府も手をこまねいているわけではない。法制度面では対応が強化されている。2024年、最高人民法院と最高人民検察院は、マネーロンダリング事件に関する司法解釈を改訂し、仮想資産を用いた取引をマネーロンダリングの手法として明確に位置づけた。暗号資産を使った犯罪収益の移転、換金、隠匿を資金洗浄として扱う法的根拠が、以前より明確になったのである。
2025年に施行された改正反マネーロンダリング法は、国外の事業者であっても、中国国内の金融秩序や市民に影響を与える場合には規制対象となり得る、と射程を広げた。中国国内の利用者にサービスを提供する海外の暗号資産業者、OTC業者、非公式決済業者に対して、当局が制裁や執行を試みる根拠になり得る。ただし実際の執行には、国外当局との協力、取引所の情報提供、ブロックチェーン分析能力が欠かせない。
そしてもう一つの対抗策が、デジタル人民元(e-CNY)である。中国人民銀行は、中央銀行デジタル通貨を通じて、国内決済データの把握、資金移動の監視、マネーロンダリング対策、資本流出管理を一挙に強化しようとしている。e-CNYは「可控匿名(コントロール可能な匿名性)」を掲げる。少額取引では一定の匿名性を認めつつ、大口取引や不審取引では実名情報と結びつけられると、そういう設計思想だ。
とはいえ、e-CNYには普及上の壁がある。第一に、現金のデジタル代替として設計されているため、保有しても利回りがない。第二に、WeChat PayやAlipayといった民間決済サービスがすでに深く根を張っており、消費者がe-CNYに乗り換える明確なメリットに乏しい。第三に、中国の資本勘定が閉鎖的である限り、e-CNYを国際的な自由決済インフラとして開放することには、資本流出のリスクがつきまとう。e-CNYは国内統制には有効でも、暗号資産型の越境地下金融を即座に代替・排除できるわけではない。
全面禁止の限界、そして本当の課題
ここまで見てきて、一つの逆説が浮かび上がる。禁止を強めれば強めるほど、中国の地下金融は見えにくくなるということだ。
禁止によって公式の取引所や銀行チャネルが閉じられるほど、取引はP2P、OTC、暗号化通信、自己管理型ウォレット、非公式決済業者へと移っていく。結果として取引の可視性は下がり、利用者はより閉じたネットワークや海外拠点へと潜る。全面禁止は一定の抑止効果を持つ一方で、取引を地下化させ、より複雑で分散的な資金移動ネットワークを生み出すという副作用を抱えている。
だとすれば、暗号資産規制の本当の課題は、取引を禁止すること自体ではない。地下化した取引をどう発見し、資金の流れをどこで止めるかにある。実務的には、オンチェーン分析、銀行口座の異常検知、OTCブローカーの監視、決済アプリの不正利用対策、国際的な情報共有を組み合わせる必要がある。
そして、優先順位をつけるなら、その鍵は「出口」だ。姚前を破滅させたのは、彼が暗号資産を受け取ったことそのものではない。受け取ったイーサリアムを売却し、そのお金で北京の高級住宅を買おうとした、その瞬間だった。暗号資産は、現実世界で使おうとした途端に姿を現す。彼が買った別荘は、内装が終わらないうちに彼を「現像」してしまった。彼自身は、二度とそこに住めなかった。
自己管理型ウォレットの中に資産が眠っているうちは、それは単なる文字列にすぎない。それが取引所や銀行口座、不動産へと「戻る」出口を監視すること。そここそが、最も費用対効果の高い一手である。
中国における暗号資産問題は、単なる金融規制や投機規制の話ではない。資本規制、地下銀行、越境犯罪、東南アジアの詐欺産業、違法賭博、国家公務員の汚職、そして中央銀行デジタル通貨による統制強化が、幾重にも重なり合った複合的な問題だ。暗号資産は、完全な匿名空間ではない。だが、複数の制度的空白をまたぐことで、追跡を困難にする。国家による統制と、地下金融の技術的適応との競争は、今後も続いていく。引き出しの中のハードウェアウォレットは、その競争がまだ終わっていないことの、静かな証拠である。
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