2025.11.18

習近平が掘った巨大な墓穴

四中全会の影に潜む異常事態

2025年10月20日から23日まで、北京の京西賓館で開かれた中国共産党第二十期中央委員会第四回全体会議、通称「四中全会」は、表面上はいつも通りの儀式的な集まりに見えた。公式コミュニケは「第十五次五カ年計画(2026~2030年)の建議を採択し、習近平同志を核心とする党中央の指導を断固擁護する」と、定型文を繰り返すだけであった。しかし、この会議の裏側に潜む事実は、識者に衝撃を与えた。異常なのである。

中央委員会の正式委員は205名、補欠委員171名で構成されるが、正式委員に焦点を当てると、人民解放軍(PLA)出身者は本来44名存在する。この数字は2022年の第二十回党大会で決定されたもので、ロケット軍司令官周燕興、戦略支援部隊司令官巨乾生、海軍司令官胡中明、空軍司令官常丁求、東部戦区司令官林向陽といった、中国の核戦力、ミサイル技術、海洋進出を担う最重要ポストの責任者たちが名を連ねている。これらの軍人中央委員は、党の軍に対する絶対指導を象徴する存在であり、四中全会のような場で党の政策を軍に反映させる役割を果たしている。

ところが、今回の会議の出席者名簿と写真を丹念に検証したBBCやフィナンシャル・タイムズの記者たちは、衝撃的な数字を導き出した。実際に会場に姿を見せた軍人中央委員はわずか15名。出席率は34%にすぎない。残る29名は欠席扱いであり、その多くが国防部の公式発表で「規律違反」で党籍剥奪・軍籍除名されたことが判明したのである。

中央軍事委員会副主席の何衛東、政治工作部長の苗華、ロケット軍政治委員の張鳳中、海軍政治委員の袁華智、東部戦区政治委員の劉青松、北部戦区司令官の黄明、これらの名前は、習近平が2017年の第十九回党大会以降、自ら抜擢し、福建・浙江時代からの腹心として信頼を置いていた人物たちである。それが消えた。

彼らが一夜にして「巨額の職務関連犯罪」を犯した「腐敗分子」に転落した事実は、単なる反腐敗キャンペーンの延長線上にあるものではない。これは軍の指揮系統そのものがもはや崩壊している証左と化している。

元来、四中全会は、党の最高意思決定機関である中央委員会が一堂に会し、重要人事の調整と政策の大枠を決める場である。通常、軍の最高責任者である中央軍事委員会主席(現在ではすなわち習近平)が軍を代表して出席し、軍人中央委員が党の指示を軍に伝達する役割を果たすものだ。これが、主要軍人の7割が欠席するという事態は、毛沢東時代以来、かつてなかった異常事態である。しかも、欠席者の多くは「病気」や「海外出張」といった表向きの理由ではなく、政治的失脚であることが、海外メディアのリーク情報や中国人事観察から伺われる。

この異常事態の深刻さは、さらに全体の出席率からも読み取れる。中央委員全体の出席は82%(168名出席、37名欠席)で、欠席者のうち1名は自然死、10名は党籍剥奪が公式発表されたが、残りは軍関連の失脚が大半を占める。BBCの分析でも、この数字は「軍の機能不全」を示し、党内の権力バランスが崩壊寸前であると指摘された。もちろん、中国国内では情報統制が厳しく、こうした数字は公式に報じられないが、海外の衛星画像や内部文書の流出から、会議の雰囲気が異様に緊張していたことが推測されている。

経済失策の連鎖がもたらした焦り

何が起きたのか。習近平が自分で墓穴を掘ったのである。そしてその穴は、想像以上に深く、広大である。

彼の権力基盤は、2012年の総書記就任以来、「反腐敗キャンペーン」を武器に築かれてきた。このキャンペーンは「老虎もハエも一緒に叩く」と称され、数百万人の党員を粛清し、江沢民派(上海閥)の周永康や薄熙来、胡錦濤派(共青団派)の孫政才を根こそぎ排除した。2022年の第二十回党大会では、異例の三期目を強行し、後継者を排除して2027年の四期目を視野に入れた。しかし、2025年に入り、その基盤が揺らぎ始めた。

最大の原因は、経済失策の連鎖である。中国経済は、2010年代の「奇跡的成長」から一転、「四重苦」に陥っている。第一に、不動産バブル崩壊である。不動産セクターはピーク時(2021年)のGDP比25~30%を占めていたが、2025年には7%にまで縮小。新築住宅着工数はピーク時の70%減を記録し、恒大集団や碧桂園の破綻が連鎖的に地方財政を破綻寸前に追い込んでいる。地方債務はGDP比96%を超え、銀行システム全体の安定を脅かしている。第二に、若年失業率の爆発である。16~24歳の失業率は公式発表で15.8%(2025年4月時点)だが、実態は20%を超えると推定される。大学卒業者数の急増と雇用のミスマッチが、社会的不満を蓄積させている。第三に、消費の冷え込みとデフレ圧力である。新型コロナ感染ゼロ政策の失敗(2022年の上海ロックダウン)が消費者信頼を失わせ、2025年の小売売上高成長率は前年比2%未満に低迷した。第四に、人口減少の加速である。高齢化率が20%を超え、労働力人口の減少が構造的な成長阻害要因となっている。

これらの失策は、習近平の政策選択に起因する。「共通繁栄」を掲げたテック企業規制(アリババやテンセントへの罰金総額数百億ドル)と不動産規制(三紅線政策)は、短期的なイデオロギー優先を招き、投資家離れを加速させた。IMFの2025年予測では、中国の成長率は、危険水域とされる「5%」を割り、4%台に低迷し、かつての「8%成長神話」は完全に崩壊した。経済成長が失われるとき、中国共産党は「経済成長=党の正当性」という方程式を失う。国民はもはや「党が豊かにしてくれる」と信じなくなる。
2022年のゼロ・コロナ政策への不満に端を発した白紙革命(A4革命)は、政府不満による中国市民による最初の大規模爆発だった。2025年に入っても不満の動向は維持され、北京や上海で反体制スローガンがレーザーで投影される事件が相次ぎ、中でも若者たちの不満は限界に達している。SNSでは「躺平(寝そべり族)」の投稿が急増し、党のプロパガンダを嘲笑する声が広がっている。ガス抜きの必要性も増していた。

習近平はこの危機を「外部の敵対勢力の陰謀」と決めつけ、イデオロギーと恐怖政治で乗り切ろうとしたが、恐怖と威嚇だけでは忠誠は生じない。それがもたらすのは不信と裏切りである。経済低迷が党大会(2027年)前の正当性を脅かす中、習近平は「成果」を示すために、あろうことか軍という最後の牙城にまで手を突っ込み、結果、自分の足元を崩した瞬間が、四中全会だったといえる。反腐敗の名の下に自ら任命した側近を粛清したのは、党内の不満を抑え込むための焦りの表れだったが、この焦りは、軍の機能不全を招き、政権全体の脆弱性を露呈させることになった。

軍部の真空状態と権力闘争の深淵

人民解放軍は元来「党の軍」であり、国軍ではない。「習近平の軍」でもない。そして今や、人民解放軍の命令系統は崩壊したに等しい真空状態に陥った。

中央軍事委員会副主席の張又侠は、唯一の生き残りとして注目されているが、彼は胡錦濤時代の残党と目され、習近平に対する不満を隠さない。張又侠は陝西省出身の「陝西軍閥」の代表格で、軍内の実利派を束ねる存在である。四中全会直前、人民日報に掲載された彼の寄稿「軍の即応力強化」には、習の「強軍目標」に対する皮肉が込められていると解釈されている。ロケット軍(核・ミサイル担当)では、司令官の王厚斌が失脚した後任は未だ不明で、政治委員の張鳳中も調査中である。装備発展部(兵器調達)では、調達腐敗が横行し、ミサイル部品の偽造や横領が国家安全保障を脅かしていた。戦略支援部隊(サイバー・宇宙・電子戦)も同様で、衛星技術の腐敗疑惑が浮上している。

人民解放軍内が全体的に不安定化している。現場では、「上官が明日消えるかもしれない」という恐怖が蔓延している。かくして命令系統は乱れ、誰が誰に忠誠を誓っているのかすら不明瞭となった。このため、2025年10月の台湾周辺での演習は規模を縮小し、おかげでADIZ侵犯の回数は前年比で20%減少した。つまり、これは単に「控えている」のではなく、「できない」からなのである。米国防総省の衛星監視によると、中国軍のミサイル発射訓練は中断状態で、核戦力の信頼性が急落している。

中国内部の権力闘争の構図は、しかし、単純な二項対立ではない。習派(福建・浙江系太子党)対反習派(江沢民派残党、胡錦濤派残党)という表層の下に、軍内の「地域派閥」と「実利派」の対立も潜んでいる。習近平が自分で作った「習派」を自分で壊した結果、残ったのは誰も信用できない真空状態だけである。崇禎帝の故事のようだ。
結局、人民解放軍は中国共産党の道具ではなく、党を脅かす存在に変わりつつある。クーデター未遂説(張又侠が第82集団軍を動員して北京を包囲したという噂)も囁かれるが、党長老の反発を象徴している。この真空状態は、当然ながら、2027年の中国共産党全国代表大会(党大会)までに政権転覆の火種となり得る。

台湾有事の遠景と潜在リスク

皮肉なことに、中国軍のこの混乱は、台湾有事を遠ざけている。

習近平は2027年までに「台湾を取り戻す能力を持つ軍」を作ると豪語し、「建軍100年目標」を掲げてきた。しかし、ロケット軍の指揮系統が崩れ、核戦力の信頼性が揺らぎ、台湾方面を担当する東部戦区の幹部が次々と消えている状況では、大規模な上陸作戦など夢物語である。

米国防総省の2025年中国軍事力報告書は、「PLAの即応力は大幅に低下した。台湾侵攻の準備は少なくとも2年遅延」と明記した。台湾国防部の四半期防衛報告(QDR、2025年10月版)も、「中国軍の曖昧侵攻兆候は見られるが、実行力は脆弱」と評価。中国はグレーゾーン作戦、すなわち中国海警局(CCG)の金門島侵入(2025年9月4回)、普塔ス島周辺の漁船嫌がらせ(3回)、軍機のADIZ侵犯(10月222回、前月比減少)を続けるだろうが、本格的な封鎖や上陸は不可能である。ウクライナ戦争の教訓(兵站の脆弱性、ハイブリッド戦の失敗)を中国軍が取り入れようとしても、上層部の混乱で演習すらまともにできない現状である。当然、行き場の内怒りは蓄積される。

もちろん、油断は禁物である。軍が再構成されたとき、すなわち、人事補充が2026年3月の全国人民代表大会で完了し、指揮系統が回復したとき、習近平は「成果」を示すために台湾を冒険の舞台に選ぶ危険性がある。これは、2027年党大会がそのタイミングであり、四期目の正当性を台湾統一で飾ろうとするだろう。

意外なことに、台湾の武器調達遅延(米からの売却未納額21.5億ドル、2025年9月時点)も、台湾内の準備期間となり防衛力を質的に向上させると見られているうえ、中国が想定した台湾有事シナリオに大幅な変更を迫ることになり、新たなシナリオ構成が難しくなる。

高市発言の戦略的深層と日本国民への示唆

この微妙なタイミングで、高市早苗首相が台湾有事について踏み込んだ発言をしたのは、決して偶発的なものではないのではないか。2025年11月7日の衆院予算委員会で、立憲民主党の質問に対し、高市首相はこう答えた。
「例えば中国が戦艦を使って台湾を海上封鎖し、武力の行使も伴うものであれば、これはどう考えても存立危機事態になりうるケースだと私は考える。その場合、海上封鎖を解くために米軍が来援をする。それを防ぐために武力行使が行われる事態も想定される。こうした事態が起これば、我が国の存立が脅かされる明白な危険が生じると考えられる。」

つまり、中国が台湾を海上封鎖し、米軍が来援した場合、存立危機事態に該当し得る。自衛隊の集団的自衛権行使を検討するということで、歴代首相が慎重に避けてきた「曖昧戦略」を崩す異例の踏み込みである。安倍晋三元首相は2013年の施政方針演説で「台湾有事は日本有事」と言い、高市自身も安倍政権時代に総務大臣として一貫して強硬姿勢を貫いてきた。しかし、在任中の首相が国会答弁でここまで明言したことは、戦後外交史上で初めてである。この発言の真意は、日本国民にとって極めて重要である。それは、現在、日本のマスメディアや言論界隈であたかも中国に誘導されたかにように語られる枠組みとはことなり、中国軍の現状に壊滅的状況を正確に読み取り、その「脆弱な窓」を最大限に利用した戦略的抑止である可能性がある。

あくまで推測ではあるが、高市首相がこのムーブを採用したのは、10月末から11月初旬にかけて韓国・慶州で開催されたアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議において、高市早苗首相が台湾の頼清徳総統の特使である林信義・元行政院副院長(総統府資政)との会談が背景にあるのかもしれない。現下の中国側の「怒り」は構図としては、事実誤認の言いがかりの日本の台湾有事対策の変更だが、元来はAPECにおける高市と林の密接な関係の表明であった。この怒りを日本側に焚きつけるように舞台を変えたのが今回の「怒り」であり、実際のところ「台湾有事」に関する日本の政策変更がないことは中国側が理解しないわけでもない。つまり、高市と林の密接な関係の表明それ自体が、中国側への牽制が企図されていた可能性がある。

また、日本政府としても、四中全会の異常な出席率、軍高官9人の失脚、指揮系統の崩壊は把握していた。米国防総省の中国軍事力報告書、台湾国家安全局(NSB)の内部報告、CIAの分析が日米台間で共有され、「今が中国軍の最も脆弱な時期であり、抑止を明確化する好機」との方向性はあった。繰り返すが、今回の高市発言は、これら情報を基に、米日同盟の信頼性を高め、台湾の士気を維持する狙いがあったと見られる。11月10日の追及に対し、高市首相は「政府の従来見解に沿ったもの」と堅持しつつ、「今後は慎む」と柔軟性を示したが、これは、国内世論の二極化を考慮したバランス感覚であり、むしろ、喧伝されるタカ派とは異なる。

以上の文脈を想定するなら、日本国民にとって、この高市発言の意味は二重となる。一方で、経済的副作用、中国の渡航自粛勧告による訪日中国人観光客減少(推定損失数兆円、GDP0.5%押し下げ懸念)が身近な痛みとして感じられる。ブルームバーグの11月17日分析では、日中貿易摩擦の再燃が懸念される。だが、他方で、これは中国の内政的弱さを世界に曝け出す効果を上げた。

中国外務省の林剣報道官は「悪質な挑発」と非難し、駐大阪総領事の薛剣はXで「その汚い首は一瞬の躊躇もなく斬ってやるしかない」と投稿(即削除)、国民に日本渡航自粛を呼びかけたが、これは中国内部の焦りを隠すための虚勢にすぎない。現実問題として軍が使えない以上、外交とプロパガンダで強がるしかない。薛剣の過激さは、習近平派の「戦狼外交」の典型で、胡錦濤時代の低姿勢から一転した習政権の特徴であり、弱体化する習近平側への忠誠の賭けでもあるだろう。また、全体構図としては、中国のお家芸ある「反日」による不満のガス抜きと自身の政策失態の糊塗である。

今後の展望と日本国民の備え

中国軍の混乱は、日本の安全保障にとっては思いがけない好機である。少なくとも2027年までは、本格的な台湾有事が起こる可能性が極めて低い。この「小康状態」を緩慢に過ごすことは許されない。

中国軍の再構成は、2026年3月の全国人民代表大会で人事補充が完了し、中期的に1~2年で指揮系統が回復する見込みだが、経済低迷が軍投資を圧迫し、完全機能回復には3年かかる可能性が高い。ISW(戦略国際研究所)の10月報告では、「PLAの台湾作戦は米介入前提で、2027年目標は遅延」と予測されている。それでも、準備期間は2年と想定すべきだろう。

日本側に必要な備えは三つである。第一に、防衛力の抜本的強化である。特に南西諸島のミサイル網(12式地対艦ミサイルの配備拡大)、対艦・対空能力の増強(イージス・アショア代替の整備)、弾薬・燃料の備蓄(3ヶ月分から6ヶ月分へ)は急務である。第二に、台湾との実質的な安全保障協力を深めることである。日台漁業協定の推進、半導体サプライチェーンの連携、共同演習の拡大が求められる。第三に、経済安全保障の観点から、中国依存からの脱却を加速させることである。半導体(TSMC熊本工場第二期の早期稼働)、サプライチェーン(インド太平洋経済枠組みの活用)、レアアース(オーストラリアとの共同開発)など、命脈を握られている分野を一つずつ取り戻す必要がある。

習近平は自身でせっせと巨大な墓穴を掘り続けている。その穴が深くなるほど、中国の脅威は遠のく。しかし、その穴が崩れ落ちたとき、飛び出してくるゾンビの正体は誰にもわからない。軍部の暴走、無政府状態、核の管理の混乱、こうした最悪のシナリオも想定しなければならない。その兆候を聞き逃してはならない。中国共産党の崩壊は、必ずしも平和な形で訪れるとは限らない。歴史は時に大きなブラックスワンの到来がもたらす。

 

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2025.11.17

1971年の国連決議を振り返る

1972年の記憶——中学生の違和感から始まる

1972年、私は中学生だった。あの頃、テレビのニュースはニクソン訪中や国連の動向で賑わっていた。お茶の間ではその象徴であるパンダの話題も盛り上がった。

あの夜に、国連総会で中華民国(台湾)の代表団が退席する映像が流れた。代表たちの表情は、敗北というより置き去りにされた無念さを湛えていた。世間では「これから中国が変わる」と語られたが、少年の私にさえ違和感があった。日中友好というムードと台湾の思いが、どこかぎくしゃくしていた。

50年以上経った今も、その感覚は変わらない。それに資本の論理への思索が加わった。振り返ろう。1971年10月25日の国連総会決議2758号は、賛成76、反対35、棄権17で可決された。これで、中華民国は常任理事国の席を失い、中華人民共和国が代わりに就いた。この出来事は「中国の勝利」「冷戦の転換点」と語られる。しかし、背景にある西側の思惑は中国市場支配の再編にあった。そして、法的には台湾の地位は未決のままであり、現在の中国のナラティブが正しいわけでもない。

市場アクセスが真の原動力だった

この国連決議の表向きの理由は多岐にわたる。冷戦下でのソ連包囲網、新興独立国の反植民地主義の高まり、ニクソン政権の地政学的転換である。1960年代後半、アフリカやアジアの新興国が国連加盟を急増させ、その多くが中国の援助外交に影響された。米国は「重要問題決議」で共産党中国の加盟を毎年阻止してきたが、1971年には多数派工作に失敗した。

しかし、裏側には経済的動機が潜んでいた。米国商務省の1971年機密メモは、核心を突いている。中国大陸の8億人は潜在的な巨大市場である。日本は1970年に中国輸出5.7億ドル、西ドイツ3.2億ドル、フランス2.1億ドルを記録し、前年比で急拡大していた。一方、米国は貿易禁止法でほぼゼロだ。米国企業、コカ・コーラやボーイング、GMはロビー活動を激化させた。別のNSCメモには、欧州・日本の企業が中国市場を独占すれば、米国の国益に致命的打撃になると記されている。

投票直前の裏取引も象徴的だ。サウジアラビアは中国支持に転換し、中国は石油購入を10倍にすると約束した。アフリカ諸国、タンザニアやザンビアはタンザン鉄道の無償建設、アルジェリアは石油開発権を得た。これらは反植民地主義の綺麗事ではなく、中国市場へのアクセス権をめぐる取引だった。

一連の動きを主導したヘンリー・キッシンジャーは後年、この決議を痛恨の極みと呼んだ。2011年のCNNインタビューで、彼は国連での台湾追放は望んだ結果ではなく、現実がそうさせたのだと語っている。2015年の著書『World Order』では、民主的な同盟国を国際社会から追放した苦い代償だと振り返った。

そもそも決議の手続きにも問題がある。本来、常任理事国の追放は重要問題として3分の2の賛成を要するが、単純過半数で通った。そして、決議文には「台湾」という言葉が一切ない。

米国の対中戦略180年史

米国の中国市場への執着は、19世紀に遡る。1844年の望厦条約は、アメリカ初の対中不平等条約だった。国務長官ジョン・C・カルフーンは議会に、中国の4億人はアメリカ商人のために神が用意した最大の市場であると報告した。1899年から1900年の門戸開放宣言は、列強による中国分割に反対した。表向きは公正だが、実態は欧州が植民地化すれば米国は入れないため、みんなで自由に商売させろという要求だった。

1930年代、フーバー商務長官は大統領就任前、中国を植民地にする必要はないと述べた。鉄道と銀行を握れば十分だ、と。戦後1949年の国務省白書「United States Relations with China」は、国民党敗北の責任を蒋介石に押し付けつつ、中国の市場は依然として巨大であり、いつの日か米国企業にとって開かれるだろうと結論づけた。1971年の商務省メモにも、ほぼ同じフレーズが再登場する。8億人の市場は、神が米国商人に与えた最大の贈り物だ、と。

この戦略の核心は、植民地経営を避ける点にある。植民地は行政コスト、軍事コスト、反乱鎮圧コストが膨大だ。英国は20世紀に入り、インドが赤字だと気づいた。一方、市場開放と金融支配なら、軍隊も行政も不要だ。貿易と投資のルールさえ作れば、資本は儲かる。これが米国型資本主義の究極の勝利形であり、ネオリベラリズムの原型である。

2025年のトランプ政権第二期でも、この論理は健在だ。中国封じ込めを掲げるが、本質は中国市場のグリップを握る交渉ツールである。トランプは関税を武器に脅し、2025年10月のAPECで習近平と会談した。11月5日のホワイトハウス発表によると、中国は2025年末に1200万トン、2026年から2028年まで毎年2500万トンの米国農産物購入を約束した。中国はレアアース輸出制限を1年凍結し、米国はフェンタニル関連関税を10ポイント下げ、一部Section 301措置を凍結した。中国は米国企業への報復措置を全部撤回した。

トランプは「中国は不公平な貿易で米国を食い物にしている」と繰り返すが、枯渇させる意図はない。「中国と仲良くしたい。ただ、公平にしろ」と側近に語る。鷹派のナヴァロはデカップリングを主張するが、トランプは取引型だ。市場では「TACO(Trump Always Chickens Out)」と揶揄されるほど、脅したらすぐ妥協する。つまり、トランプはチキンだ。

中国の一帯一路も、同じ市場支配の論理を逆手に取る。米国はB3Wやグローバル・インフラ・パートナーシップで対抗するが、植民地化ではなくルール作りだ。

台湾の地位は未決

中国は2758号決議を「台湾は中国の一部」と拡大解釈する。しかし、この主張には無理がある。決議文には「台湾」の言及はなく、代表権の問題に留まる。キッシンジャーは2021年のフィナンシャル・タイムズのインタビューで、台湾の最終地位は未決定だと明言した。

中華民国は台湾本島、金門、馬祖を実効支配している。中国は一度も台湾を統治したことがない。国際法の観点からはグレーゾーンだ。国連は代表権しか決めていない。台湾は13カ国とバチカンと国交を維持し、「チャイニーズ・タイペイ」としてWHOやWTOに参加する。台湾外交部は現在も、2758号は台湾の地位を決定していないと主張する。

日本政府の見解も、中国のナラティブとは異なる。日本はサンフランシスコ平和条約(1951年)で台湾を放棄したため、独自に台湾の帰属を認定できないこともある。これは国会答弁書で繰り返し確認されている。1964年の池田内閣答弁書をはじめ、2015年以降の答弁でも、台湾の領土的地位は未定だとする事実認識を維持する。日中共同声明(1972年)では中国の立場を理解・尊重するが、台湾の帰属を明示的に認めていない。これにより、日本は中国の「一つの中国」原則を全面的に支持しているわけではなく、曖昧さを残している。台湾との非公式交流、例えば日華議員懇談会は継続する。日本政府の立場は、地位未定論を事実上支えるものである。

1971年は一里塚に過ぎない

1971年の決議は中国のナラティブでは勝利とされるが、それは都合の良い解釈にすぎない。中国にはそれしかないとも言えるが、真実は資本主義の論理にある。米国は市場支配のためなら、民主主義の同盟国である台湾も切り捨ててきた。その米国の戦略は180年一貫している。領土は不要、金融と貿易のルール支配が目的だ。1971年は始まりではなく、一里塚に過ぎない。これが維持されるのだろうか?

台湾の未来は、厳密には地位未決のまま実効支配と国際参加で存続する。あの1972年のテレビ映像、台湾代表の背中を思い出す。あれから半世紀。彼らが守ったのは領土ではなく、未決の自由だったかもしれない。あの置き去りは、資本のの犠牲である。
しかし、未決のままであることは台湾の強みでもある。市場の論理が渦巻く世界で、台湾は独自の道を歩み続けてきた。今も続けている。中国のナラティブが正しいわけではない。歴史は、資本の影で動いてきた。それがこれらかは、ミアシャイマーの言う、「大国の悲劇」の舞台に変わるかもしれない。

 

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