2004.03.30

Froogleの潜在的な破壊力

 昨日Googleに編成替えがあり、デザインが変わるとともに、価格比較検索のFroogleが正式追加になった。私は通常、英語版のGoogleを使っているので、気になって日本語版を見ると、日本語側のほうではまだサポートされていない。英語版のほうのFroogleで試しに日本語表示で検索サイトも日本語に設定にしてみると、結果を日本語で表示したが、商品はドル表示に限定されいることと、検索精度がまだまだ実用的ではないことがわかる。なーんだという感じだ。
 と、そこで、そういえば、自分が使っているサプリメントをいつもとは違うサイトで購入してみるか、安いところはないかと、Natures'WayブランドのTru-OPCsで検索して、結果にぎょっとした。こ、これは使える。同じ製品が安い順にきれいに整列されているのだ。Froogleをこれまで試しに使ったことがあるが、自分が購入しようというインセンティブを持って使ったのは、実は初めてだった。そしてそうした状況で使うと、これはものすごいものだと得心した次第だ。
 幸いというのか、Tru-OPCsにはポテンシーと数量にいくつかバリエーションがあるので、ポテンシーの点からどれが本当に安いのかなかなか判別しづらいのだが、ざっと見た感じ、Froogleの評価は正しい。ポテンシーと数量の比較をやっているのか、あるいはディスカウント・パーセントをアルゴリズムに組み込んでいるのか。あるいは、PageRankかそれに類する仕組みで結果的にこうした表示が出てくるのか。まだ、はっきりとはわからない。
 Googleはサイトの評価をすでに初期のPageRankとは別の仕組みで行っているようだ。もちろん、PageRankがまだまだ重要であることは未だに稚拙なGoogle Bombが効くことでもわかる。が、少なくとも、Fresh crawlを決定するアルゴリズムはPageRankとはかなり独立しているようだ。極東ブログがその面で、どうもGoogleの覚えめでたい印象を受けるのは、アレだなと思うことがある。当たり前のことだが、SEOのかたもまだ明白に指摘してないので、ちょっと秘密にしておこう。
 いずれにせよ、Froogleの上位には価格が反映されるようなのだが、これが独自アルゴリズムによるのか、PageRankのような要素で決定しているのか、気にはなる。米人の場合、「破壊的イノベーション」理論ではないが、かなり生活に根ざしたコストパフォーマンスの消費行動を取る。売る側もそれに最適化された情報を露骨ともいえるほど提供する。つまり、そうした米人の消費行動自体がFroogleを最適化しているのだろうかという疑問だ。
 もちろん、アウトラインの説明などには、人工知能的な要素が加味されているだろうし、内部的にもセマンティックWeb的な再統合がされているには違いない。そのあたりの技術というのは、ちょっと溜息が出る。セマンティックWebなんてものは、ティムが考えるように公開の仕様にする必要はないんじゃかと思ったが、逆かもしれない。こうした技術を公開に引き出すために標準化があってもいいのかもしれない。
 話を、私の、びっくりしたぜ、に戻すと。これが日本で実現したら、とんでもないことになるなという感じだ。もちろん、私の生活人としての感性はかなり古いので、米人のような消費行動は取らない。また、ネックとなるのは、恐らく日本の場合、流通だ。つまり、流通という過程で介入してくる隠蔽された国家だ。ここをどう突破できるかが日本での問題になるだろう。簡単な話で言えば、送料と納期の問題である。
 Tru-OPCsの例で上位サイトの日本へのIntenernational shippingについて少しサーベイしてみると、どうも状況がかなり変わった。DrugStore.comあたりでも昨年の時点で日本が解禁されていたので、こうした流れはあるなと思っただが、この傾向はいわゆる大手ショップだけではないようだ。
 また、決済がどうもショップと分離されている面もありそうだ。このあたりは、まさに、IT化っていうものだろう。もう一点、Shippingのための配送作業などがどう標準化されているのか、そのあたりの労働力はどのように分散されているのかも気になる。自分の実感としては、顧客対応に女性が多いことと、アジア系の名前が多いので、もしかすると、こうした対応センターはすでに「雇用流出」なのかもしれない。大げさに書いたようだが、なにかが確実に変わっている実感はある。
 先に日本では、ということを書いたが、問題が流通ということになれば、単純に、個人輸入の敷居を下げればいいのではないかとも思える。下げる最大のポイントは、やはりコストだろう。と、Shipping Cost面の情報を見ていくと、これも意外なほど米国の対外的な対応がシステム化されていることがわかった。以前なら、Shipping Costは、お任せコースみたいなものだったのだが、そうでもない。世界の国がわかりやすくランク分けされている。このランク分けは以前から知っていたつもりだったのだが、ざっと見て、驚いた。韓国と日本に隣国とは思えないランク差がある。また、オーストラリア・ニュージーランドも日本より差がある。当たり前と言えばそうなのかもしれないが、日本は、かなり米国に近いようだ。メキシコの沖といった雰囲気であろう。
 もちろん、以上のShippingはAir(空輸)を想定していて、Surface(船便)ではない。米国から物を買うとき、大きなメリットが出るのはSurfaceなのだが、このあたりの手順は、ネットから見るに、まだまだ従来通りだ。個人輸入代行というと、ゴマ臭い商売ばかりだが、Surfaceをメインに在庫調整するビジネスがあれば面白いのではないかと思う。が、当方、邱永漢老ほど腰が軽くない。

2004.03.30 in ネット | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

2004.03.17

ココログプロへアップデート

 昨日、ココログプロの公開に合わせて、極東ブログのアップデートをした。ココログもようやくMT並に使えるようになってきたなという感じだ。むしろ、パチなサーバーのPerlを頼るMTよりはいいのかもしれない。パチ・サーバー(「あっパチ」、じゃないよ)のMTがTypePadサービスに移動してくるか?
 アップデートとはいえ、極東ブログのなるべく見た目は変わらないように配慮した。というか、なーんだなんも変わってねぇか。もうちょっといじりたかったが、ブログシステムに対する自分の知識が足りず、まだ、十分に変更できない。特に、固定リンクページのカスタマイズがよくわからん。
 今回のアップデートで一番嬉しかったのは、容量が150MBに増えたことだ。ちょっと前まで、ココログは上限容量がキツイので、このままいくと秋までは持つまいと懸念していた。熱死したらインフォシークでMTを動かすのが無難かとも思って、再度移転サイトの構築もできてはいたのだが、問題はMTっつうより、サーバーとPerlの能力なのでためらっていた。現状、極東ブログはそれほどトラフィックがあるわけでもないのだが、なんかあってトラフィック面でぽちゃんというのもなんだしな。が、これで、当分の間は大丈夫か。毎度の弱音をちらと吐くと、自分がいつまでブログを続けられるものかいなのほうが問題か。
 トラフィックといえいば、ココログプロでようやくアクセス解析機能がついた。といっても、お笑いレベルだ。細かいIPデータははない。Analogに食わせるわけにもいかん。が、そこまで情報があっても当方重要ではない。せめて「はてなダイアリー」やtDiary程度にリファラをディコードして整理してくれるといいのだが、現状の機能ではあまり役に立たない。というわけで、自前のリファラログがまだ撤去できない。ただ、総アクセス数みたいのがわかるようになって、あれ?とか思った。リファラで取る三倍くらいある。え゛っみたいな感じだ。誰が読んでいるのでしょうか?
 ココログのアップデートはどのくらい日本のブログの世界に影響を与えたのだろうか。ちらと見回してもよくわからない。ココログルで検索してココログの中をざっとみたけど、特に際だった変化はない。お値段が高いぜ、という意見がやや多いか。しかし、6月まで無料ということでその間に画像とかで30MBを越えさせるように仕向けるあたり、@niftyさん、ようやく商売の勘を戻しましたね。それにしても、この5年くらいの@niftyの経営の阿呆さにはイライラしたものな。
 日本も、これで本格的にブログのインフラをサービスできる状態になった。むしろ、米国の場合は、iBlogみたいな、なんだそれみたいなものも多いし、日本でもこの手のオフライン型が流行るかとも思ったのだが、その目は低いのではないか。と、iBlogにケチを付けると、ウンコ飛んできそうなので、やめとこ。iBlogはトラバだってできるぞぉ。
 いずれにせよ、これで日本のブログ文化も構造的にはかなり強化されることになる。あとは書き手だ、と言いたいところだが、この面で先行している「はてな」を見るに、そんな心配は無用なようだ。いい書き手はごろごろしているように思う。極東ブログなども、このペースで進みながらも、よい書き手の群れに埋もれて、もっとマイナーな爺ぃ臭いものになっていくだろう。いいことだよ。
 今回のアップデートでは、ブログ運営で複数ライターも可能になった。スラッシュドットみたいなことが可能になるっていうか、同人誌なども可能になるわけだ。そういう兆候がいつ頃でてくるだろうか。かく言う極東ブログも、ジャーナリズム的に見るなら、私が一人で書いてないで、得意分野を分散したほうがいいし、実際経済分野など、私より有能なコメントで支えられている状態だ。が、私がえっへんというわけではないが、どうも極東ブログは個人的な思いが強くなっていて、私がネックです。実際的な点でいうと、私はあまり編集には向かない。このあたり、あまり語らないことにしているのだが、編集の能力というのは書き手とは別だ。きちんと編集が存在しているなら、ブログ間の寄稿でいいジャーナリズムができそうな感じもする。

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ネットは新聞を殺すのか
 かくして、ようやく「ネットは新聞を殺すのか」の話が日本でも法螺っぽくなくなってきた。この本の内容は、米国の現状っていう点では、もうちょっと情報が古いのだが、実際に自分自身こうしてブログってみて、しかもアフィリエイトも貼ってみると、なるほどと同書にルポされている部分が実感される。読みづらい本だし、書き手の感性がちょっとなと思う面があるのだが、この本のリアリティはもう少し読まれてもいいかもしれない。読んでない人でこうしたことに関心ある人はお薦めときますよ。
 「ネットは新聞を殺すのか」という本についでだが、タイトルはとりあえず、「新聞」がキーワードになっているが、日本の巨大新聞に対応するものでもあるまい。むしろ、広義にジャーナリズムと関連するだろう。話が前後するが、日本の場合、どうしても、日本人の国民性にあった「2ちゃんねる」的な情報をどう扱うが問題だ。2ちゃんねる的な情報の世界とブログの情報の世界をどう連結させるか。連結というからには文章になっていないといけない。すると、その書き手と編集の問題かなと思う。そういう点でみると、「はてな」にごろっとしているグッド・ライターズは、個的な興味の連帯に閉じる傾向がありそうなので、ジャーナリズムという点では細いかなという印象もある。
 また、同書では新聞というよりアフィリエイトというか、P2P的な広告が重視されるという示唆が重要だ。現状それが、うざったいアフィリエイトかというとよくわからない。同書はこんな未来を描いている。

書籍販売大手のアマゾン・ドット・コムや、日本の価格比較サイトの価格・ドットコムのように、消費者の書評や感想などの情報を掲載するサイトが増えてきている。IDC社は、今後こうした消費者の意見が社会全体の消費行動を大きく左右するようになり、2008年には900億ドル相当の個人消費が、ほかの消費者の発信する情報をもとに行われるようになると予測している。買い物に出かけて電子手帳や携帯電話で商品のバーコードを読み取ると、その商品に関するほかの消費者の意見を読むことができる。そんな時代がもうすぐくるというわけだ。ただそのためには、質の高い意見を集めたり、コンパクトに情報をまとめる仕組みが必要になる。

 余談めくが、極東ブログでも貼り付けているGoogle AdSenseだが、クリックされないと、儲けという点ではあまり意味はない。が、そのユーザビリティ悪すぎ。だらっとした文章の多い極東ブログなのにトップに貼れば無視されること必定。ま、無視してもいいです。

2004.03.17 in ネット | 固定リンク | コメント (3) | トラックバック

2004.02.25

個人情報漏洩雑談

 ヤフーBBの契約者情報流出の問題が、なんとなくピンとこない(参照)。無防備に率直な印象を言うと「孫さんのところだからなぁ」である。そういう言い方は誹謗に聞こえるかもしれないが、そんな意図はない。自分としては、そんなものだよなというだけの感じである。その感じをもう一歩踏み込んで考えてみようと思うのだが、なんだかぼんやりした感じがする。そして、「ああ、この問題っていうのは世間ではセキュリティだの右翼だのという物語で理解されているのかな」と思う。そういう話も、実はちょっとついていけない。
 この件で、切込隊長BLOG(参照)が面白いといえば面白かった。90万件もの解約者がいるのだろうとしてこう言う。


 この数字は驚くべきだ。つーか、解約率高すぎ。インフラビジネスの基本から言って、携帯電話も含めたキャリアクロスはせいぜい年率でいって4%とかその辺のはずだ。累積で20%近い解約者を出しているというのはなんぼがなんぼでも酷すぎる。

 私にはビジネスセンスがないので、通常の解約率の感覚が働かない。だが、街中で見かけるヤフーBBの人々を見ながら、このビジネスが成り立つのは、解約しづらいっていう日本人的な心性を逆手にしているからだなという印象は持っていた。むしろ、みなさんちゃんと解約してよかったねという感じもしないではない。という言い方にすでにくぐもっているのだが、こういうビジネス攻勢のしかたはある意味に日本的ではないとも言えるし、日本をよく知っているとも言えるという点で、またしても、孫さんが思い浮かぶ。
 私は、そういいつつ、孫さんが嫌いではない。ADSLのアネックス関連の英文の仕様をちと仕事がらみで読んだことがあるが、これは孫さんふうに押してもいいのかもしれないとも思ったものだ。いや、率直言えば、電話網というコモンキャリアさえしっかりすれば、他の通信路など乱戦でいいじゃないかというやけっぱちな感じでもある。
 話を戻す。今回の事件でもう一点、ぼんやりとした感じがするのは、その個人情報ってなんだ?ということだ。自分もこうしてネットにつながっているということは、末端のプロバイダなり企業なりにぶら下がっているのだが、それにあたってはなんらかの契約がある。ヤフーBBでもそうした契約内容が漏れた、と類推する。で、困るのはなんだろう?
 クレジット番号? 私はすでにクレジット番号をハッキングされたことがある。やられたのは私の落ち度ではなく、恐らく通販などで使っていた米国の企業だ。ハックしたやつらはロシア人だった。被害がほぼなくて済んだのはクレジット会社の人的な機転だった。不思議といえば不思議だったのが、私はどうすればよかったのか? 対処はない。せいぜい、通販にクレジットカードを使うな、くらいだろう。しかし、通販経路でハックされたわけでもなく、このハッキングは、詳細は忘れたが、米国ではかなりの事件だった。やや例外かもしれない。いずれにせよ、クレジットカード情報は、やる気になら飲み屋でも漏れる。
 と言って、個人情報漏洩なんてたいしたことはないと言いたいわけではない。むしろ、たいしたことない情報の漏洩がネットや電子媒体で累積していくうちに、その検索性の良さという点から、なにかができつつあるなという気がする。
 昨日、このブログにスパムを打ち込んだ厨房がいた。JavaScriptは切っていたので、確信犯なのだろうが、あまり手は込んでいなかった。ふと、この手の厨房についてのTypePadのヘルプでも書こうかなとちょっと思った。まだそんなニーズはないだろう。今後は増えるだろうか。トラックバックなども実はMT仕様さえ守ればどっからでも打てるのでスパムになる。すでに極東ブログのトラバの一部はそれ臭い。一般的にIPの検知自体はJavaScriptなんかなくてもWebビーコンとか作れば簡単にできる。が、当方Webビーコン風のものはまだ設置していない。する気も当面ない。ログを見るのも面倒くせえという感じだ。とはいえ、私はこのサイトではリファラは取っている。どっかのサイトで晒しとか加熱した話題になるのは嫌だなとか、人は何に関心があるのだろうとか、思うからだ。
 でIPについてだが、そんなの串で偽装できるともいえるし、偽装するなら多段串にするかもしれない。が、そこまでするのかなと思う。そこまでやられたらめんどくさい(手間暇かけて追いつめるしかない)。IPさえ割れれば、逆探知的な情報収集はかなり楽になってきた。これにCookieに仕込まれたGUID的なキーがわかれば、ほとんど特定人物のプロファイリングは終わりだ。
 情報化とは変な世界だなと思う。私についてもすでに大量の情報がすでに漏れている。と、ここで思うのだが、なにより大量な情報はこの極東ブログであるはずなのに、おそらく、それは他者に意味のある情報ではない。私にとって意味を持たせたい情報は、情報として意味がなく、私を社会のなかでピン留めする情報が、私のメタ情報としての意味がある。個人情報というのはそういう機能(社会に固定し自由を奪う)をもった情報なのだ。

2004.02.25 in ネット | 固定リンク | コメント (10) | トラックバック

2004.02.03

Gravity in eight minutes

 ちとわけあってわかりづらく書く。わかんねーよの御懸念御無用之事、っつうか、ある意味たいした話じゃないので、なんだコレという方、気にせず、次行ってみよう!である。
 で、G八分(参照)の話題だ。この話題は極東ブログ向きではないとも思うので、軽く扱うのだが、例の悪摩尼(参照)関連はすごいことになっている。そのすごさには、スラッシュドット ジャパンの記事のほうがわかりやすいか(参照参照)、というわけで、当方は、ちと曖昧に書く。が、日本もそういう時代かぁと思うべきか、米国ではそうでもないので、これって日本ならではのことか、どっちかな。訴訟自体は覚悟さえすればそれほどのことではない。いしかわじゅんの名著「鉄槌」を参照すべし、である。

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鉄槌
 ちなみに、現状、八分の元になるこの手のフィルタの状態なのだが、アクセスのIPにかけていた。ので、海外の風呂串をかますと、けろっと抜ける。あれま、である。DB側は変わっていない。日本サイドの技術の動向がちと気になるところだが、もともと、商売の売りはDBよりフィルタ技術なのかもしれない。が、ふーんである。
 問題のもう半面、つまり、とばっちり、と言うのとも違うが、「はてな」の動向というか、その受け止め方も気になる。自分もまだ「はてな」に片足突っ込んでいる状態なので、あのコミュニティさのある種の健全さというか正義感は、この件についてどう影響するのだろうか。
 こうした問題の全体については、当初問題提起された「圏外からのひとこと」の一連の見解が妥当だとは思うし(参照)、あまり私が付け加えることはない、どころか、かくぼかしているわけだ。
 問題の視野をもう少し広げると、クローラーは「はてな」やココログをかなり高く評価しているが、2ちゃんねるブログはどうかな、という問題もある。他にもポータル(infoseekやexciteなど)がこぞってブログサービスでもある。
 「はてな」やココログの層というのはかなりマーケット的に美味しい、はずだ。この層の人間群は今後のネットの世界の先行モデルにもなる。が、この先行性をどう活かすかは、そう簡単でもない。ブログ側の課題としてみれば、この層の自己表出は、どう商業主義と折り合うのか、ということになる。単純に商業主義反対!とは言えないというか言えるほど、もはや平坦な世界ではない。
 てなこともあり、当方もちとアフィリエイトをプロービングに使っている。面白いといえば面白い。自己表出が結局、商品化され(まるでマルクスのいう労働の自己疎外のようでもある)、その商品のブログ表出がコミュニケーションになるのだ。簡単にいうと、おれっちこんな面白い本を読んだぜ、DVD見たぜ、というのが自己表出のフォルム(形式)にならざるを得ないのだ。とはいえ、当方、現状では、腰が据わってないので、儲ける気がねーという動機の不在のため、いまいちわからん。極東ブログである、そのあたりの商業主義との兼ね合いが難しい。
 この層のポジションニングもすでに思いがけないほど上位だ。あえて曖昧に言うのだが、この極東ブログなど、ありがちなSEOは使っていないが、Googleアルゴリズムの背後にある米人の発想がなんとなくわかるので、そういうチューンを多少しているせいか、特定のトピックについては、予想外のポジションをゲットしている。ので、これが、ちと怖い。このままだとマスメディアに衝突するかも(しないか?)。それほど、ふんどしを締めているわけでもないので、そのあたりの間合いが難しい事態になるだろうか。
 話が散漫だが、個別の悪摩尼や、今後のG八分だが、ふと思ったのだが、こうした傾向が進むほど、実際のところ、日本の言論を守るのは、2ちゃんねる、になる。という揺り戻しになるのではないか。悪摩尼が検索できない世界を想起せよ、である。
 逆に、悪摩尼など、特定のサイトはすでにポジションをゲットしているのだから、内部にナマズでも飼うといった装備をすれば問題は解決する。それだけの話かもしれない。つまり、Googleな世界よGoodbye、である。

2004.02.03 in ネット | 固定リンク | コメント (5) | トラックバック

2004.01.29

週刊文春お薦めソフトというお笑い

 週刊文春2004年2月5日号「達人たちが薦める『無料で使える』ラクラクソフトを全紹介」がお笑いだった。というか、コケにしようと思う。リストは以下。URIは、んなものぐぐれである。


●必須ソフト
OppenOffice1.1.0
GIMP
+Lhaca
●あれば便利
壁カレ
デスクトップカレンダー


NSアウトライナー
CLCL
まめFile2
Adobe Reader 6.0
Googleツールバー
窓の手
●趣味のソフト
ViX
Exif Reader
ラベル屋さん21
iTunes
●上級者向け
MySQL
FFFTP
RemapKey
●ブラウザ
ネットスケープ7.1
マイクロソフトインターネットエクスプローラー6
モジラ1.6

 まず、なんでこれが必須なのかあきれる。OppenOffice1.1.0、GIMP、+Lhaca。誰が薦めているのかと思ったら東大教授國井利康名誉教授。あれま。なんでこんな爺に取材しているのか。OppenOfficeですか。貧乏人のOffice。使いたい人はどうぞだな。でも、何に使うのか。ワープロユース?なわけないよね。エクセル代わり、かな。これはしかたないか。でもだったらエクセル使ったほうがいいと思うが。
 GIMP、論外。文春のあるデザイナー曰わく「九万円以上する『フォトショップ』と機能は変わらないほどで、プロでも十分に使えます」。確かにバージョン2からはCMYK分解できるんだけど、使うか、プロが? プロっていうのは、ソフトに習熟していて、ジョブの連携ができるやつのことをいう。つまり、仕事って一人で完結しないぜ。そのフローのなかでGIMP使うかね? んしても、文春の記事でGIMPにやらせている色調整ならGIMP使うまでもないんだけどな。なにより、GIMPが必須かね?
 +Lhacaがなんで出てくる? 何を解凍したいのか? LZHか。今時誰が使っているのだLZH。ちなみに、私のお薦めは、eo。LZHを使うならLhaz。でも、必須か?
 あれば便利が不可解。壁カレとデスクトップカレンダーを並べる必要はあるのか。ま、どっちかは人によっては便利か。フツーの卓上カレンダーがあればいいんじゃないか。ちなみに、私のお薦めは"Phase of the Moon"、旧暦で暮らしているのでね。
cover
Wzエディター
 「紙」はたしかに便利。でも、名称は「紙copi」ではないか。こっちはフリーじゃないからか。ちなみに、作者の洛西さんは、シュタイナー学校卒業。その体験記をCD-R出版で1000円で販売している。「風」はどうかな、これはわかんない。クジラ飛行机さんもメーラーを新種の作っていたがどうなのだろう。NSアウトライナーは、あれです、Actaですね。世界で一番優れた民族…じゃないか。薦めているのは吉岡忍ですかぁ、アウトラインプロセッサーだったら…と思うのだが、フリーにこだわるのか。なんでもそうだけど、この手のソフトは独自形式やハンドリングの悪い形式使わないほうがいい。ちなみに、私は、昔からWzです。あ、昔はVzだっか。
 CLCLやまめFile2は、率直に言って、なぜ便利なのか皆目わからん。便利だと思う人はいると思うが、なぜこのリストに掲載されているのか、が、わからん。
 Adobe Reader 6.0とGoogleツールバーなんて掲載するなよ、恥ずかしいなぁ。GoogleツールバーはPageRankのプロトコルがハックしづらいので使うしかないんだけど、これってスパイソフト。
 「窓の手」、これは確かにあれば便利だと思う。
 趣味のソフトという分類がわからない。が、ViXは優れもの。有料にして使う人を減らして欲しいほどだ。Exif Readerはスタパ斎藤が薦めているのだが、フツー要らないよ。なんか推薦が間違っている。Exif情報をキーに検索・管理するなら、AbleCVがいいと思う。フリーではないが。
 ラベル屋さん21については特に言及なし。ご勝手に。iTunesは、ま、便利か。m4uで使わないことですかね。
 上級者向けがわからない。MySQLなんて薦めてどうする? コマンドラインベースだぜ。なにかフロントを加えないと使えないよ。FFFTPもスタパ斎藤のお薦めなのだが、わかんねーなと思う。フツー要らないはずだけど。RemapKeyについては、この手のソフトはマシンを不安定にするから余程必要でなければ、やめとけ、と思う。AltIMEで十分ではないのか。
 ブラウザのお薦めは馬鹿丸出し。ネスケとモジラを並べるなよ。IE6はリストにする意味なし。Operaがないだけましか。でも、Mozillaはいい。CSSの設計には不可欠。バグもあるようだが、IEでCSSチェックしちゃだめ。ちなみに、世の中、centerタグはいかんとかいう馬鹿が多いよなと思う。DIVのalign属性のエイリアスだと考えればいいのに。文書タイプ宣言で4.01Trにしとけば別になんら問題ない。

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2004.01.13

RFIDはマトリックスの社会を作るか

 このところ、文化系ブログっていう感じの極東ブログだが、で、それで別にいいのだが、ちと、RFIDの話を書いて、墓穴でも掘ってみよう。RFIDなど、ネットではすでに話題でもなんでもなくなっているのではないか。
 RFIDとはなにかついて簡単な説明をするのがめんどくさい。定訳語すらないのはなぜなのだろうかとも思う。RFID技術が世間に出回るときは、ICカード、ICタグ、IDタグ、などいろいろなものになる。が、ようは、非接触型の認識装置だ。海外旅行の際、現状では、バッグに紙のタグを付けるが、これにICタグにすれば、いちいち紙を取って読み取る必要はなくなる。手荷物検査のトンネル通過中に、誰の持ち物でどこ行きなのか自動的に識別ができる。他に、本に埋め込んでおけば、万引きされそうになっとき、出入り口で未購入品の所持者がわかる。本の流通でいえば、誰がグロスで中古市場に流しているかといった物流の闇が可視になるといったさまざまの「メリット」がある。
 反面、そんなのプライバシー侵害だという問題提起がある。この手の問題提起にありがちなのだが、とても「危険視」される。そうした類型として話題になった例には「固定IDは"デジタル化された顔"――プライバシー問題の勘所」(参照)がある。まあ、読んでミソっていう感じだ。それにつられて湧いてきた話題の一連リンクもすでにある。「RFID反応リンク集」(参考)だ。けっこうある。おなかいっぱいです。ご苦労様です。どの意見が重要かとグレーディングしていないところがいいのかもしれない。
 ざっと各意見をザップすると、「RFID技術が危険だとかいうのは技術がわかってないんじゃないのぉ」というのが目立つ、ような気がする。この手の問題すべてに言えることだが、そう言われると素人は黙る。あるいは、いや技術的にこう問題だという展開になって、どっちも、見上げてごらん夜の星をといったことになる。すでにそうなっているみたいだ。
 極東ブログがこれに加えることはあるのか。巻き込まれたいのか。うーむ、といった感じだ。白黒つけろっていうなら、私は、RFIDは潜在的に危険だ、である。で、どうしたらいいかだが、どうしようもない、である。問題になってから騒ぐしかないんじゃないか。技術っていうのはそういうものだ。やってミソ、である。
 と、のんきなトーンが漂うのは、RFIDタグ(と仮に呼ぶ)は、検知器が電波を出して、それに反射した電波の情報を読み取るというしかけなので、いずれ電波に晒さられる。しかも、1m以内の至近でだ。最初に言っておくが、電波が危険だとかいう「と」はここでは論外にする。それだけ至近で、周波数が限定された電波など、ちょっとした、アクセサリで検出できる。できなきゃRFIDなんか実用にならない。というわけで、社会でRFIDが少し問題が健在化されたら、「プライバシー守護神」といったダサイ名前の携帯電話のストラップとか根付けとかが出回るようになる。面白いぞぉ。あっちこっちでぴぴぴとなる。おや、こんなところでなんの情報を検出しているのでしょう、ちびっ子のみんな、探してみよう、っていうことになる。プライバシー問題以前に笑うっきゃない世界になるだろう。
 と笑いつつ、先のリンク集を舐めながら、もう一点、気になったことがある。RFIDとか非接触とか言いつつ、私の読みがザップすぎるのか、書き込み系と読み出し専用のRFIDを分けて考えていないのでは?ということだ。RFIDとしてみれば、書き込みもできるが、プライバシー問題で典型的に「見えないところで情報が漏れる!」と話題になるμチップのようなヤツは読み出しだけだ。読み出しても128ビットくらいしか情報が書かれていないというか、基本的にバーコードのタグとたいして変わらない。産業レベルでみるなら、バーコードのほうがまだまだ重要だ。そう、バーコードのほうが重要です。そのあたりの産業の現場の感覚がRFID議論に抜けているなぁ、みなさん、雲上人やなである。
 でだ、SUICAやEDYのようなソニーFelica系の書き込み可能なICカードってどうよ、なのだが、当然、じゃ、ハックしよう、と思うじゃないですかぁ。パソリとか使うと、ばっちし中が読めるのだから、書き込みしてみたいな、と。電子マネーにも使えるなら、自分で金銭書き込めば、日銀がなくても大衆ベースでリフレ政策ができるという万々歳なシロモノです、か。
 だけど、どうも誰もトライしていないというかうまくいっていない。理由は簡単で、末端のカードの情報はただ参照しているだけのもので、実際の情報はセンター側で蓄積管理されているからだ。ICカードは無くしても安心とか言われているのはそのせいだが、なーにが安心だよと思う。というあたりで、それなら、別にカードに記録できなくても情報はセンター側で一元管理すればいいじゃないかと思うのだが、なぜなのだろう。
 というあたりで、RFIDのプライバシー問題というのは、非接触型で、知らないうちに情報が盗まれるというのなら、まぁ、お好きなかたはがんがん議論してくださいなのだが、極東ブログとしては、問題はそういう情報管理化社会のあり方だろう。そういう一般論に逃げ込むのはひどいよと言われそうだが、問題の本質はそっちだ。
 国民背番号制についてもあれこれ議論され、私にも、「どう思いますか」と訊かれたことがあるのだが、問題はあれがリレーションのキーになることですよ、と答えても通じない。誰も通じねーのかと思ったら、宮台真司が同じようなことを言っていた。誰が仕込んだのだろう。私の意見が回っていたった?まさか。そんなの誰でもわかると思う。
 情報がかくして完全にリレーション化されるとどうなるか。まさにマトリックス的な世界の恐怖とか、そう話を展開したいかたはどうぞ。
 私はといえば、もちろん、恐怖もある。いずれ「生活習慣病」として、「病気なのはおまえの生活習慣だから国は知ったことか」という政策が行き詰まり、やっぱ遺伝でしょ、デブは、ハゲは、チビは、ブスは、高血圧は、糖尿病は、ということになる。もちろん、遺伝的傾向なのだが、その傾向は数値化される。ぞっとするしかないのだが、その問題はさておく。
 私は、当面、先のリレーションからできあがる世界は、やはりお笑いだと思う。すでにその兆候が見えている。アマゾンのお薦め本だ。どうしてこんなくだらない本ばかり薦めるのだろうかと思って、少し私の好みの情報を入れてトレーニングしてみたら、らだ、ますます阿呆になった。技術的には、お薦めプログラムのアルゴリズムが阿呆だな、あるいは書籍の属性が足りないな、というお笑いなのだが、いや、そうじゃねーぞと思うに至った。
 あのですね。私たち社会に生きている人間っていうのは他人と向き合っているわけで、で、それほど向き合っても他人というものはわからない。わかるかのようにやっていけるのは、同じ世間に暮らすのだから、そのくら妥協するとか幻想持っているからだ。
 私はなにが言いたいのか。アマゾンのお薦めアルゴリズムさんは、私を理解できないのだ。それは誰だって私を理解しないというのと本質的に同じ。それだけのことなのだ。
 話が錯綜して見えるかもしれないので、まとめる。RFIDなどでどれだけ情報が収集されても、そのシステムの他者である私をシステムは理解しないだろう。いや、理解するということ自体が妥協と幻想のアルゴリズムを含まざるを得ないのに、そのレベルが低すぎるということでもある。
 もちろん、人間個人というのは類型化できる。情報からある類型が描けるし、それらをマーケット動向に活かすことはできるだ。問題は、その度合いなのだとも言える。これを他者理解の妥当性の度合いとしよう。
 だが、私が言いたいのは、それを認めるとしても、システムが理解した他者としての私の象に私が不満なのだ。欲情しないのだと言っていい。私は、本当は、システムに理解されたいのだ。アマゾンさん、私の読みたい本を出して!なのだ。だが、システムは理解してくれない。という、幻想の度合いなのだ。
 技術的にはその幻想の度合いもアルゴリズム化できるようにも思う。だが、私は本質的にできないと思う。というのは、私たち社会の構成員が他者を本当は理解していないし、理解はつねに必要に迫られての近似でしかない。どんなシステムでもその近似性を真似るしかない。なのに「私」が求めているのは私の欲情の鏡象なのだ。私が理解されたい欲望はシステムからするっと抜けるか、本質的に抜けていくしかないものなのだ。
 って、書くから文系ブログなんでしょうかね。

2004.01.13 in ネット | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

2003.12.16

ボイン・ボイン

 「ボイン」が「はてな」で話題である。ん? そうか。そう、「ボイン」だ。「母音」でも「拇印」でもない。「ボイン」だ。あと数日の、期限付きの話題だ。ところで「はてな」ってなんだ? ぁぁそれを言っちゃ話にならないなっと。で「はてな」の日記では分野を特定すれば、勝手に書いた日記からキーワードが自動的にリンクになる。「バカ女(ばかじょ)」とかいう言葉を日記を書いていて、「これを私はキーワードにしたい」と思ったら登録すればいい。登録は簡単。「はてな」の会員なら誰でもできる。ちなみに「はてな」で「胡錦涛」をキーワードに登録したのは私だ。こうしておけば、他の人の日記に胡錦涛が登場したとき、それがリンクなるから、「ほほぉ、極東ブログ以外に胡錦涛に関心をもっている人がいるのか」とわかる。みんな今の胡錦涛をどう思う? どうどう? ちなみに、1万人を越えると言われる「はてな」の日記で胡錦涛と書いたのは、私ともう一人だけ。しかも、もう一人のかたはニュースのコピペだった。なーんだ胡錦涛って「はてな」に情報はないのかぁ。もしかして「はてな」って、もしかして、そこに集まっている人って、もしかして……なーんて考えてはいけない。考えるべきは「ボイン」だ。そうだ。ボイン。ボインは有意義なキーワードなのか。もちろん、工学的に考えれば、GoogleのPageRankが参考になる。そう考えると「ボイン」は有意義なキーワードに違いない。「胡錦涛」よりましだ。で、なんで「ボイン」なんだ。そりゃ、当然当然、ボインといえば月亭可朝師匠(65)でしょ。そりゃ、当然(参照)。月亭可朝師匠と言えば、自由連合でしょうな。ハレンチ学園の身体検査の巻(映画)の高松しげおのヒゲとボイン、じゃないヒゲゴジラはこの際、お呼びじゃないでしょう。やっぱ、お父さんがインド人のマリアンでしょうね。フランスのニース生まれでDOSユーザーとして有名だったクロード・チアリ(参照)の娘さんでなぜか英語を教えているクリステル・チアリさんみたいなものですな。ああ、話がそれてしまひました。問題は……ボインだ。ボインといえばナインという言葉もありました。ナインももしかしてこっそり「はてな」のキーワードになっているかと見ると、ちゃいました。あるのは「ナインストーリーズ」です。ちなみに、そのキーワード解説のページを見ると、「作者:J.D.サリンジャー」はいいとして「作者:野崎孝(訳)」ですかぁ。時代ですなぁ。野崎孝は訳者として悪くはないし、今回の春樹のキャッチャー騒ぎでは野崎孝訳のほうがええとか抜かす団塊さんとかいて醜いのだけど、あの訳はあんまりよくないです。文庫では、他に集英社の中川敏訳と講談社の沼澤洽治(聖心女子大学教授)訳のほうがだんぜんいいです。っていうか、原文読むのでなければ、野崎孝訳のナインストリーズなんか読んでも文学的な意味なんかないですってそこまで言うか。ましかし、もうそんな訳本は入手不能。時代だからな、世の中変わるのだ。変わらないのはボインだ。違うか。ナインか。そうナインだ。ナインといえば、小鹿ミキだ。ちょっとだけよぉだ。荒野の干し葡萄だ。そうスタインベックだ。違う。小鹿ミキといえば大阪の女(アクセントはお「ん」な)。ああ、知らないですか。現代でいったら池脇千鶴ですかね。おせいさんの最高傑作短編「ジョゼと虎と魚」の映画化でナインを堪能したかたも多いはず。やっぱツウはナインです。舶来ならシャーロット・ランプリング、ま、違うという意見もありましょうが。

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Google爆弾が可能なのはGoogleがアホだから

 昨日は新聞休刊日だった。一昨日フセインが捕獲された。当然、今朝の社説はそればっかのハズである。当たり。そして壊滅的につまらなかった。どれも単につまらないのである。天声人語はまたシェークスピアだった。もうそれやめとけ。
 今朝のネタは、どうしようかなと思ったのだが、Google bomb(グーグル・ボム)の話。英語版のGoogleで"miserable failure(目も当てられない失敗)」を検索すると「Biography of President George W. Bush(ブッシュ大統領の履歴)」(参照)が検索される。まぁ、ちょっとした洒落というか悪意だというふうに解釈されてブログのネタになる。ああ、極東ブログもそのネタかよって、そんなつまらない話はしない。というか、こんな話だけではボツネタだ。
 日本でのこのネタの出所を探ってみる。どうやら極東ブログがよく参照する韓国紙中央日報の日本語版の記事「グーグル『惨めな失敗』でホワイトハウスホームページにリンク」だ(参照)。そう疑わせるのは「惨めな失敗」という訳語。これをキーワードにして日本語版手抜きGoogleを検索するとブログで使い回している今回のネタが出てくるが、「悲惨な失敗」など他の訳語では出てこない。つまり中央日報の孫引きでBBCからのネタではない(BBCの話はこちらを参照)。Newsdayはそれより早く6日(参照)だが、BBC同様、Googleのトリックの解説に終始して浅薄な記事で終わっている。ABCでは米国時間で8日このネタを「Bush Whacked Online Search Engine Trick Lists President as‘Miserable Failure」で扱っている(参照)が、さすがにこちらの記事を読むとこのイタズラの背景がわかる。日本のブログの扱いは? なんつうか、浅薄だなぁという感じがする。
 ちなみにこのイタズラはしょーもないSEOテクニックなのだが、SEOを関しているサイトには薄い話しか掲載されていない。ちなみに、SEOがなんだかわからない人はこれを参照するといい。この記事中「それとも、何らかの見えない『力』がブッシュ大統領への怒りを表す為に Google を利用しているのだろうか。。。」というのはちょっと脱力。意図的なものです。その勢力もはっきりしています。
 それにしても今回の話はネタ的には古過ぎた。"weapons of mass destruction"でもうお腹いっぱいです(参照)。なのに出てきたのは亜流だからだ。
 今回の背景は、どっちかというとABCは火消し側に回っているが、端的な話、これは大統領選のための民主党ゲッパート陣営の選挙工作(参照)と見るべきだ。


"This is not a political statement from Google, but rather a reflection of a recent Web phenomenon," says a spokesman for Google in Mountain View, Calif. "In this case, a select group of Web masters used the words [miserable failure] to describe and link to George Bush's Web site."

 もちろん、Google側の政治的な声明であるわけはないが、単なるWebの現象というわけにもいかないのは、それを画策した集団がいたからだ。
 ちなみに同じようなことは日本でもこそっと「ゲーム脳」というキーワードでも行われている。「ゲーム脳」をキーワードに日本版Googleを引くと、ゲーム脳を批判している「斎藤環氏に聞く ゲーム脳の恐怖」ページが出てくる。これは意図的になされたものだ。この上位ランクのページはサイトがwww.tv-game.comでわかるようにゲームっていいじゃぁんのサイトだ。確かに、『ゲーム脳の恐怖』(森昭雄/NHK出版)はと学会レベルで批判できるような内容なのだが、これは結果として1兆円産業となったゲーム業界の政治な運動だと見ていいだろう。というのも、なにも「と」に目くじら立てて正論はこうだ!なんてやるのは「と」の楽しみに反するじゃないか。
 さて、この話の締めだが…この手のネタは「お腹いっぱい」のころになって大衆的に広がるから、今後も話題になるのだろう。なんかそれってムゴスギとか思うがしかたない。大衆文化とはそういうものだ。問題はGoogleにもあるんじゃないか? という議論はネット擁護派にバカにされるだろうか。だとすると、バカ返しだな。私はGoogleの技術がはやりまだレベルが低いのだろうと考えるからだ。前回、W3Cのオントロジーの取り組みをくさしたが「オントロジーのW3C規格化は無駄」(2003.11.2)、確かにW3Cが規格化というシマを作る必要もないものの、ネットの社会にはいずれそのレベルの技術が必要になるだろうと考える。「あ、おバカな人たちがおバカことやっているな」と意味を理解するお利口なGoogleが必要になるのだ。

2003.12.16 in ネット | 固定リンク | コメント (2) | トラックバック

2003.12.11

シュレディンガーの猫を巡る愚考

 れいの儀礼的無関心という話題の派生なのだろうが、「圏外からのひとこと」の「波動関数的な欲望」(参考)にシュレディンガーの猫の話が出てきて、些細なことなのだけど、あれ?とか思って、ドツボってしまった。こういう話だ。


「見せたい」と「見せたくない」という矛盾する二つの状態が同時に両立する、という問題も現代物理学に似たような問題があって、シュレーディンガーの猫と言います。これは、空想の話ではなくて、まさにこの世界の話、この物質の話です。この猫は、生きてると同時に死んでいる、両方の可能性がこの世に同時に存在しています。
(中略)
 シュレーディンガーがそういうことを言っても信じない人がいて、サイクロトロンという直径何キロメートルもあるでかいメガネを使って見てきたそうですが、物質というものは矛盾する複数の状態が重ねあわされて存在していて、「観測」するとそのうちのひとつに心を決めるわけです。リンクされないサイトも「見せたい」と「見せたくない」が両方重なった波動関数的な欲望の元に存在していて、ヲチスレからのリンク等の「観測」という事象によって、その欲望の形が決定されるわけです。その結果、一定の確率でサイトが閉鎖されます。

 シュレディンガーの猫はあくまで話の例えとして出てくるので、「波動関数的な欲望」という話題の論旨とは関係ない。なんというか、山形浩生が浅田彰のクラインの壺にツッコミ入れるような話なのだが、私の場合はさらに、批判的な意図などまるでないです。
 シュレディンガーの猫がなにかと説明するのは面倒くさいので割愛なのだが、この話、つまり、量子力学の観測問題っていうのは、観測というイベントで波動関数が収束するっていう話だったっけかな、あれれ? つまり、観測者が収束の原因になるのか? もちろん、その手の理解はあるけど、それって、けっこう初歩的な誤解じゃなかったか。つまりつまり、観測によって波動関数が収束が起こったという話は典型的な誤解だったように思うのだが。つうか、波動関数がいつ収束するかではなく、観測は常に収束の状態ということではなかったか。つまりつまりつまり、「波動関数がいつかの時点で収束する」っていうことのパラドックスだったのでは?
 と、あれれの心持ちでぐぐっみると、なんだか観測原因説みたいのもぞろぞろ出てきて、ちょっと泡吹いちゃいました。ぶくぶくぶくぅ。書架を一別するとそんなときに限って町田茂の「量子力学の反乱」があって、めくったけど、確か町田茂は並木美喜雄の一派で、なんだかなぁの人たちだったのだっけか。
 ぐぐったついでに、けっこう多世界解釈がネットで幅をきかせる時代になっているのを発見して、驚き(参考)。多世界解釈というと、ほとんどバシャールの世界で、なんか冗談とユーモアの心の広さが必要になるような気がするが、ま、いいや。
 で、結局最初のあれ?はどうなったかというとどうにもならない。じゃ、話にもなんにもならないので、「圏外からのひとこと」の「波動関数的な欲望」について考えてみたが、これも、わからん。
 私の欲望は確率的に存在しているのか。たとえば、お茶碗が欲しいな(私はお茶が趣味なのである)と思ってヤフオクを見ている。おお、いろいろ茶碗がある。どれでも所定金額以内なら選べるぞぉ=波動関数的な欲望。で、粉引茶碗1000円を落とす、というところで、私の波動関数的な欲望は収束したのか? つうか、結果からみれば、それが欲しかったことになるから、よって、それを決める前には欲望があったということか。うーむ。なんだか違うような気がするなぁ。って、反論ではないが。欲望とその指向性はそういうのじゃないような気がする。
 と気がするばかりで、まるでわからん。例えば、私はある種の粉引茶碗が欲しい。だから、ヤフオクのチョイスをその欲望の系列で見ていく。その系列に散在する個々の欲望はどれでも、むしろ、欲望を確率にした存在だ。この茶碗2000円なら40%の満足っていう感じだ。そういう多数の系が、波動関数的に存在する、ということはありうる。で、実際になにかを買う、というのは、収束なのか? 単なる最適化じゃないのかな。物理学的なモデルではなく、経済学的なモデルのほうが、欲望には合いそうだな。

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2003.12.09

外交官遺体写真掲載問題について

 ちょうどmuse-A-museさんからもご質問があったが、外交官遺体写真の掲載問題について触れておきたい。最初に結論を言うと非難を浴びるかもしれないのでぼやかしたい気持ちもあるが、それでも私の考えを先に言うと「掲載するなとは言えない」となる。なぜか。
 それは、ロイターやAPが、世界の報道レベルで流しているものは、それに著作権の問題があるとはいえ、事実上、すでにニュースバリューとして意味があるからだ。すでにニュースとされているものを、「アレはなかったことにしてね」と言っても始まらないと考えるからだ。
 では、そうしたロイターやAPの態度をどう考えるか。これもズバリ言っておこう。日本人への人種差別が潜んでいるし、そうでなくても人種差別を助長するメッセージになることへの配慮がない。なぜそう考えるか。理由は簡単で、あの写真は、日本の勇気ある外交官を、フセインの息子のウダイやクサイと同じレベルに貶めるものだからだ。
 だだ、ここが難しいところだが、もし米国の高官が同じように殺されたらどうなるだろうか。もし、そこにジャーナリスト(フォトジャーナリスト)がいたなら、是非は問わず撮るだろう。それが事実だからだ。そして撮ることはより大きな含みを持つ。今回の例でも、週刊現代や掲示板転載の馬鹿者たちの意図を越えて、その写真はディテールにおいて複雑な意味を将来に持つ可能性がある(死因の真相を語るかもしれない)。繰り返すが、なぜならそれが事実だからだ。同じように、それがもし、米国の高官であっても、写真にされ、ロイターやAPが垂れ流すかもしれない。
 すでに外務省から抗議を受けた週刊現代の態度だが、もともとこの雑誌はポストにためはってちょっとサヨが入っている。サヨたちは恐怖をもって大衆を恫喝するものなのだ。私としては、週刊現代のプチサヨがやっているなという感じがする。ただ、気になるのは、この写真は正式にAPなどから銭を払って転載しているかだ。
 以上の流れからわかるように、週刊現代の意図は見え透いているが、それに抗議をする外務省は問題の目をむしろ、ロイターやAPに向けるべきだろう。と、いう点で外務省は、なるほど、抗議はしているようだ。朝日新聞のニュースではこうだ(参考)。


 外務省によると、同省に数多くの抗議が寄せられ、遺族感情も考慮して在外公館を通じて配信した各社に異例の抗議をした。「今後は配信をしない」と答えた社もあったという。また、同省は写真を掲載した夕刊紙や週刊誌にも抗議した。

 率直に言えば、この手ぬるさはなんだろう。もっと怒りをあらわにすべきだ。そうできない裏がなにかあるのだろうと思う。恐らく、報道社の力学やネットワークの問題だろう。
 この手の掲載者の小物としては、ネットの掲示板などに転載されているケースだが、なんというか、ただの愉快犯のようなものだろうと思う。そうすることで自分の誇り(decency)を失うのだという感覚が無くなっているのだ。哀れよのぉ。
 最後にmuse-A-museさんの質問の文脈になる。つまり、遺体写真をことさらに転載する人間について、「こういうのやる人間の精神構造」だ。muse-A-museさんはこう項目分けする。

(1)弱さを克服できないのを自己肯定するために、そういった連中が傷の舐めあいっていうか・・くっついていってる
(2)匿名性をかさに来て、親族への遠隔攻撃を狙っている(匿名性だけを理由とするギロンってのは好きじゃないんですが・・)
(3)いろいろな理由で暗いところを好むようになった人間が、そういう情報を欲したり、発することを好むようになっている

 率直な意見を言うと、私は、そういうふうに見てもしかたがないんじゃないかと思う。もうちょっと言うと、muse-A-museさんの立場はわかるし、自分もそれに近い。だが、そういう立場で彼らに向き合ってもただの、ありがちな枠にはまるだけだし、さらに言えば、その枠のなかでは、彼らのほうが強い、ある意味、正義なのだ。なんでそんなのが正義かよと思う人もいるかもしれないが、実際にその枠のなかで熱くならずに議論していけば、彼らのある正義が見えるだろう(例えば、我々に潜む偽善が露呈するかもしれない)。
 ちょっとうがった言い方だが、それが2ちゃんねるというものの強みだし、すでにそれを日本のネット社会と限らず、社会が必要としてしまっている現状がある。
 それを打開するなら、きちんと自分の意見として拠点をもって提示できるMTベースのブログの連携が必要になる。それができれば、その枠を越えていくことだろう。2チャンネルを以前、単純にくさしたが、総合としてみれば巨大な知でもあることは確かだ。
 単純な話、ネットをザップする人がその掲示板より、私のブログに目を留めるようなるか、ということが、具体的な側面では問われている、と私は考えている。といって、自分を尊大にしたいわけではない。その価値をオープンにネット社会に開こうと思うだけだ。その結果、オヤジ説教たれまくるじゃんかとなれば、それだけのことだ。

2003.12.09 in ネット | 固定リンク | コメント (4) | トラックバック

さらにPSX、で売れないと思う

 前回PSXの話を書いた(参考)。ぼよ~んとした話になった。今回も似たような話なので、最初にごめんなさいである。
 あれから、PSXの仕様や評判などを読みつつ、うかつだったなと思ったことがある。暗黙のキマリがあるのだ。つまり、「現状のアナログテレビレベルの低解像度映像をさらに圧縮で劣化した映像品質なら別にDVDに焼いてもいいよ~ん」ということだ。裏返しに言えば、それ以上の画質はだめよ~んというわけなのだな。ちょうど、CDからMDにATRACで劣化させるならOKざんす、というソニー的な解決なわけだ。というわりにPSXはATRACとは関係なさそうだし、MP3もできない。音楽関係はナーバスということか。
 DVD+RW非対応については、特に政治的(企業戦略的)な問題でもなさそうだ。今後の対応になるらしい。もちろん、DVD-RAMに対応しないのは当たり前といえば当たり前だが、このあたりのDVDの再書き込みメディアの規格はどういうふうに統合されるのだろうか。いずれWindows XPの世界と整合を取らなくてならないはずなのだが。
 うかつだったぜ話のついでだが、私はClip-onユーザーなので、後継のCocoonには関心をもっていたが「スゴ録」にはあまり関心がなかった。どうやら「スゴ録」ならテレビ番組からHDDプール、そしてDVDメディア出力がそれなりにうまく行くようだ。とすれば社会的なニーズとしてはこれで終わりだと思うのだが、いまいち売れてなげだったのは、価格設定の問題だろうか。安いが一番でっせの東芝だの松下(パナソニック)だのが売れていたようだし。しかし、これらの機種は、どっちかというとVHSからDVDへのツナギっていう位置づけの機種だろうがと思う。こんな機械じゃ、EPG→HDDのテレビ視聴ノンリアルタイムでCMかっ飛ばしという世界の変貌は見えてこない。
 てな、流れでPSXを見ると、PSXっていうのは、つまり、

     PSX=(PS2+スゴ録)×0.6

という感じなのだろう。
 だとすると、すでにPS2を持っているユーザーには不要。これからPS2を買う人にも値段のハードルが高い。それと「スゴ録」の売れが頭打ちを破るほどの価格かというとちと、なんとかクリアかもしれないが、東芝や松下製品と比べて性格付けが曖昧、っていうことは市場はどこだ。ない。ということになるんじゃないか。つまり、売れないんじゃないのぉ。
 ついでに知ったのだが、Cocoonにしてもスゴ録にしても、EPGに広告が付くのだな。それはちょっと惨いなという感じがする。低機能だがClip-onにはEPGに広告は付かない。それなりに編集機能すらある。Clip-onをリニューする気にはなれないな。
 以上、またもぼよんとした話だが、どうして、Clip-onの廉価版が出せないのだろう。というか、それが出れば、リモコンによるザッピング革命に継ぐ、CMカットのノンリアルタイム視聴という革命になるのに。そうなれば、視聴率が無意味になるのだ。面白い世界になるぜ、わはは、とか思うのだが、もちろん、多分に冗談だ。
 そういう世界をソニーを含め、デジタル家電の業界は恐れているのだろうというのが現状なのだろう。
 長期のパースペクティブで見るなら、現状のCMベースのテレビ放送というのはこのまま低迷し、迷走し、ディグレードしまっくて、お下劣の均衡状態になるのだろう。というか、なっているか。で、そんなもの見る意味ないから、結局、ペイに意味のあるクオリティメディアが必要になる、と言いたいのだが、そうなるにはNHK規模でないとダメだし、WOW WOWも綱渡りというか、映画などの再放送に特化しているだけで、展望はない。結局、意外に現状はだらだらと続くのだろうが、知性を満足させるようなものを見たいというなら、映画になるか、NHKになるか、DVDを買うかという選択だけになるのだろう。DVDを買うという目が一番伸びてほしいとは思う。

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2003.12.08

ネットピープルたぁ俺のことか

 ネットの人々を分類した「ネットピープル分類学 その傾向と対策」(参考)が面白い。私はどの分類か。全部あてはまるような気がする。 自分がそういうネットピープルの典型、というか、ずばりそのもんかぁ。「とにかく貴様らシュッ・シュッのヤバさをもっと知るべきだと思います」ですね。


蘊蓄系
たしかに私は蘊蓄系の話が多く居丈高、偏屈、嫌み、尊大。みなさん、おいしい知識だけザップしてくださいませ。
昔話系
「当然edでしょう」そりゃedに決まってまんがな。私はMASMでedコンパチのラインエディタ全部組んだことあるものね。みなさん、歴史の話は読まないように。
軽薄系
「あの高林さん」「今話題の全文検索システムNamazu」とかね。この手のカルチャーにはまらないように。
謎めき系
自分を謎めかして書く(だってバレると自由がないんだもの)。ほのめかして書く(ずばりかくと四方八方からうんこが飛んでくるんだもの)。深読みしないでね。
粘着系、説教系、電波系、複合系など
「癲癇系」はないの? ないのかぁ。クレチマーの話と違う?

 というわけで、オヤジに合ったら、さっさとこのように分類して自分の回りにバリアを張ってしまいましょう…ってマジに取るなよ、こんな糞ジョーク(←説教系)

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iTuneとキャット・スティーブンス

 ネットを見回していて、iTuneの話題が多いな、やはりWindows対応のせいか、タダモノは強いなと思っていた。私はiMacも持っていて、アドベントになればiTuneでクリスマスソングを流すのだが、XPのほうにインストールする気はなかった。どうせQTのエンジンとの関連をこっそりドライバレベルで入れるだろうし、RealOneなどともタメ張ってるだろうから、スパイウェアみたいなものもこっそり入れられるのだろう。たまったもんじゃない。Windows版のQTにもなにかとひどい目にもあっている(のわりにちゃんとレジストしているがね)。というのが実感なのだが、世の趨勢である。山本夏彦も言っていたように流行には乗るものだ。
 で、入れてみた。糞と思うことは二、三あったが、それほどはひどくはない。ライブラリのフォルダも謙虚にWindowsの指針に従ってマイフォルダの下にある。標準のエンコーディング形式がm4aというのも、いろいろ裏も知っているので理解できないことはない。が、早々にmp3に設定を変える。
 mp3のエンコーダーはなんだろと手元の簡単な解析ツールEncSpotで覗くと、FhG。ホントかよ。このツールはけっこう阿呆なのでもっとマジこいて調べなくちゃなと思うが、うっとおしい。しかし、ディフォルトでビットレート160kbpsなんだからこれに耐えられるのはFhGしかないだろう。それにしても、160kbpsかよ、と思う。ハードディスク食うなぁと思う。iMacのほうはもう家電用に使っているからいいけど、XPのほうで音楽のプールはしたくない。
 それにしてもXP公開時のときは、未公開版にFraunhofer IISのタダモノを付けておきながら、公開時には56kbpsという「使えねー」にしてくれたが、あの時はライセンスがたがたでどうしようもなかった。Appleは解決しているのだろうか。とま、この間、日本では「午後」を正義のネットワーカーさんたちがバトルを繰り広げてくださったけっか、結果はなんだかなになってしまったが、欧米ではLame標準だし、ま、それほど悪くはないということになった。ふと思うのだが、日本人ていうのは自分たちの乱れで制限を作るのが好きですなぁ。
 iTune自体はすでに使っていたので、どってことない。ラジオはLive365歩のマーチだ。PeerCastとか使いやすいWinAmp2.91のほうが「良い」のだが、まぁ、これもどうでもいいだろう。総じてどってことないなと思ったのだが、うかつでした。私っていうのは、うかつだ。人にそう指摘されたくはないけど(←ユーモアです)。
 ミュージックストアがスゴイのだ。って、日本人は購入できないのにスゴイっていうのはなんだが、試聴できるだけで、こりゃ極楽ですね。私みたいに60年代から90年代までのポップソングが脳のなかで腐りまくっている人間にとっては最高のデータベースだ。チャイニーズ系のポップスに対応していないのはしかたないとして、この試聴は嬉しい。試聴すると、つい買いたくなるじゃないですかぁ。っていうところにジョッブス様のありがたさが身にしみますな。日本の糞な音楽業界はどうなるのだろう。これが解禁になれば、お陀仏だろうなと思う。が、うーむ。若者は現実には貧乏だし、iPodは買えないというか、iPodを使うには母艦が必要なのにそれを持つことが日本の若者の大半は無理無理無理。って若者に奮起を促したいが、現実は変わらないだろう。ケータイにさらっと落として使うというマーケットがあればいいのだが、日本はダメだろうなぁ。
 ジョブスはそう、スティーブン・ジョブズ。スティーブンといえば、キャット・スティーブンス(Cat Stevens)という阿呆な引っ張りでiTuneのストアを検索するとありますね。ユスフ・イスラム(Yusuf Islam)のアルバムではなく、キャット・スティーブンスこそ欧米の音楽界では、もはや、彼が昔好きだったブッダにちなんで、お陀仏と相成っているのだが、懐メロの星として、ミュージックストアを見ると燦然と輝いているっていうほどではないが、きちんと殿堂入り。で、今一番売れているキャット・スティーブンスの曲は…おい、まじかよ…「Father and son」、うううぅぅ泣けるじゃないですか、この詩がさ。口ずさんじゃいますよ。
 …息子よ、今はまだ変革の時じゃないんだ、まぁ、座れ、慌てるんじゃない、おまえさんはまだ若い、若いっていうことが欠点になるんだよ、もっと経験しなきゃいけないことがいっぱいある、そうだな好きな女の子でも探して、家を持つんだ、結婚も悪くない、わたしを見なさい、老いたがこうして幸せでいられる…
 泣ける。なにが泣けるか。かつてそうした息子であった自分がオヤジの側になってこの心情のほうに揺れてしまう。ってゆーか、こんな曲がキャット・スティーブンスのベストになっているのだ、おい、老けたな、ベイビーブーマーズ。
 ちとトリビア的な話で終わりたい。キャット・スティーブンスの本名はStephen Demetre Georgiou。ロンドン生まれ。名前でギリシア人とわかるが父親はキプロス人(母はスェーデン人)。亡命だろうか。1971年あのMorning Has Broken…が世界的なヒット。トルコ人を恨むこと宿命として育ったことで、逆の思想を辿る。1968年過労から結核。長期入院生活語、翌年トルコ女性と結婚し、イスラム教に改宗。名前をユスフ・イスラムとする。ちと変な名前だなという感じもするが、イスラムの布教を生涯の仕事にしたのだ。音楽活動で得た金でロンドンのイスラム教徒の学校を援助している。以前は「悪魔の詩」の作者ラシディに死んじまえとか言い出して物議をかますが、9.11以降はイスラム原理主義とは違いった視点のイスラム信仰の代表者として平和主義の立場に立つ。だもんで、坂本龍一とかのカモになって「非戦」なんかにも出てくる。
 今でもイスフは公式サイトを見るとわかるように政治的な活動している(参照)。岡林信彦とは違って、請われれば昔の唄も歌っているようだ。井筒俊彦とか読み過ぎると、日本人もイスラム改宗者が出そうなものですが、若い世代はおフランスのデリダ様から動物と言われてわいわいするのが好きでも井筒とかは読まねーんでしょうね。うー、なんて荒っぽい世界(Wild World)なんだろう。

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2003.12.05

米国のブロガー調査を小説風に

 「ところでファイブ」彼は僕のことをそう呼ぶ、「君は、どうしてアメリカ人の僕がブログを書いているか知りたいって、パーティのときに訊いてたよね。」
 「そうだったっけ。忘れたな。でも、それは確かに知りたいね。」
 「模範解答みたいに答えてみよう。まず、ブログなんて日記さと思っている人が多い。毎日1度書いて終わり。でも4人に1人は1日に何度も書いている。仕事場でも書いているからね。それと、アメリカ人のブロガーっていうのはブログを複数もっている人が少なくない。君が日本語を試していたブロガー・コムだって、ブログが複数できる。MTだってTypePadだってそういう仕様だしね。」
 「そこをもう少し訊きたいんだけど、アメリカのブロガーってMTなのか?」
 「MTは少数派だよ。TypePadはさらに少ない。半数近くがブロガー・コムのユーザーさ。でなけりゃGoogleが買収しないよ。」
 「アメリカ人ってAOLとか使っているものな」、僕が苦笑する。
 「AOLもブログだ」、彼も苦笑する。
 「ブログのネタはやっぱりニュースにコメントっていう形式なのか?」
 「そうだとも言えるし、そうでもないとも言える。ネタのソースは一つとは限らないが、半数近くのブロガーは既存のメディアからネタを取ってくる。でも、半数はブロガーは他のブログからネタを取ってきているんだ。」
 「それって循環にならないのか?」
 「ファイブ、そうだよ。循環だ。ブログの話は信頼性なんて関係ない。」
 「友達とのだべりみたいものか?」
 「そうかもしれない。チャットの延長。ブログ仲間っていう感じがいいのかな。ブログなんて趣味というわけさ。でも、ニュース系が濃いヤツラは一種の正義感みたいなのを世界に向けて言いたいものなんだよ」、君がそうなんだろと言いたかったが、それは彼を傷つけるかもしれない。
 「サカイ・タナカみたいなんだな。」
 「サカイ、誰?」彼は少し驚いた。
 「日本にいる国際的ジャーナリスト。」
 「国際ジャーナリストってなんだ? ジョーク?」
 「もちろん。彼のジョークは面白い。イラクでアメリカが苦戦している理由はなんだと思う。」
 「興味ないね。もうブログの質問は終わりか?」
 「失礼。ちょっと仕事がらみの質問もしていいかな?」
 「かまわないよ。」
 「ブログが話題になっているのは、ようするにビジネスになるかていうことだよね。企業がどう先行的な人間を囲い込むかって話だ。となるとアマゾンで始まったアソシエイトとブログの関係っていうことになるのか?」
 「アソシエイトはアマゾン用語。アフィリエイト。ま、同じだけど。一般のブログではそれほど普及していない。というか、そんなの嫌だというブロガーのほうが多いのさ。」
 「ブログはマーケティングにも使えるとかほざくやつがいるけど、どうよ?」
 「企業側にそういう色気はあるみたいだが、まだ実態はそれほどでもない。ただ、こういう製品ができたんだけどと訊かれたら答えるというブロガーは多い。自分のテイストを主張したいのだろうね。」

Blogging Survey Results(参考
1 更新頻度
  Once a Day 28.9%
  More than once in a day 23.9%
  2-4 Times a Week 33.6%
  Once a Week 8%
  Less than Weekly 5.6%
2 ブログを書いている場所
  At work 4.8%
  At home or at leisure 47%
  At both home and work 48.2%
3 もってるブログ数
  One blog 56.2%
  Two blogs 22.8%
  Three blogs 11.3%
  Four blogs 5.1%
  Five or more 4.6%
4 ブログにアフィリエイト広告を付けているか。
  Yes 13.4%
  No 86.6%
5 ブログに広告を付けてないのはなぜ?
  I want to, but I do not know how 15.7%
  My free blog host does not allow it 10.1%
  Do not want to 43.5%
  Blogs and advertising do not mix 15%
  Other reason 15.7%
6 商品リサーチのコメントを求められたことがあるか?
  Yes 9.3%
  No 90.7%
7 商品リサーチをメールで求められたらブログに書く?
  Yes I would 5.2%
  Yes, if the product or organization was
   relevant to my blog content 26.9%
  I would review their organization or product and
   blog my thoughts on them, good or bad 41.8%
  No, I do not blog about companies that email
   or contact me 26.1%
8 使っているシステムは?
  Movable Type Hosted on own domain 15.4%
  WordPress hosted on own domain 4.1%
  PMachine hosted on own domain 2.5%
  Blogger hosted on own domain 12.8%
  Blogger Blogspot hosted blog 39.5%
  Blog-City hosted blog 4.4%
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10 ブログする理由は?
  For fun 73.6%
  To write 66.6%
  To reach out to the world 55.9%
  To cope 23.4%
  For work 12.6%
  For money 7%
  Other 20.8%

2003.12.05 in ネット | 固定リンク | コメント (3) | トラックバック

ようこそ、Googleクローラーさん

 新・極東ブログにGoogleのクローラー(スパイダー)さんが来るのは、以前の旧極東ブログ感じだと、だいたい5日から10日後くらい。だから今回もそのくらいでリンク辿って来るだろと思った。来週かなぁ、と。でも、ココログのトップは早々に来ていらっしゃるだろうと、そのキャッシュ状況を見た(もちろん来ている)。そのついてで、このサイトのキャッシュ状況を見たら、げっすでにこちらもキャッシュされているぜ。昨日来たようだ。やるなぁ、Google。早いなぁ。日本語用になんかチューンしているのだろうか。
 「はてな」は、ま、率直にいうと事実上リンクファームなんであっという間にPageRankがそこそこに上がる(といっても3から4)。クローラーも早く来る。有名どころはすでにフレッシュクロールだものなと思うのだが、の、わりに、はてなの情報が薄い(読ませという点ではね)。もちろん、はてなだって書き手によりけりなんだが、総じてうすーいとは言えるだろう。もっとも、旧極東ブログみたいに1ページあたりのキーワード情報が多いと、けっこうむちゃくちゃで当たる。検索している人にしてみると、いずれにせよそれも薄いの部類だ(ごめんな)。そのあたり、Googleがなんらかの補正を始めるかなとも思うのだが、よくわからない。やりそうだなという感じはする。
 それにしてもGoogleっていうのはクローリングにどういうアルゴリズムを使っているのか。クローリングに選択・戦略がかかっているような気がするのだ。SEOなんかでもPageRankを重視するのは確かにもう古いっていう感じはあるな。
 極東ブログについていえば、できるだけ日々の更新と行きたいのだが、米国流の薄いザッパ用のブログにする気はないし、SEO狙う気もないので、あまりGoogleにへいこらしたくはないなと思うが、うーむ、ちょっと言葉につまる。こういう技術が面白いとは思うし、ちとちょっかい出していたい気はする。SEOの基礎はわかるので、やってみたい気もする。が、SEOってやるだけ阿呆なんだよな、やっぱし文字コンテンツだよな。
 ココログのほうも、クイック投稿はできるし、またMTならではトラックバックもできるのだが、なんつうか、あまりザップな情報をトラックバックしてもなぁ、私ぁ、こういうザップな世界はつらいんですよね。
 といいつつ、こんな雑文ってザップ用だよな。2行で十分。嗚呼。

2003.12.05 in ネット | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

儀礼的無関心という話題

 ブログって面白いなと思うケースでもあるのだが、一部で儀礼的無関心というのが話題になっている(参考)。話は、ま、どってことないというか、面白いページがあってもリンクなんかしないでおきませう、っていうようなことだ。
 でだ、私は、この話題自体、まるで面白くもなんともない。リンクを繰っていろいろ読んでみるのが、なぜそれが話題になっているのかまるで理解できない。と、言っておきながら、冒頭で「面白い」と言ったじゃないか。そうそう。
 面白いのは、こういう、つまんねぇ話題が祭りになる、と書いて、「つまんねぇ」は余計だなというのはわかる。ま、いいじゃないですか。ようは、ブログを持っていたら、つい言いたい話題ですね。
 リンクについては、我らが山形浩生が(「我らが」というのは冗談ですよ)「リンクするなら黙ってやれ!」(参考)が面白い。だが、面白けど、なんか、あれ?こういう考えも古いなと思う。
 やっぱし、儀礼的無関心っていうのでわいわいするのがブログなんでしょうね。少なくとも古いっていう感じはしねーし。
 ついでに、「ブログ用語集(政治的)」(参考)も面白かった。とはいえ、こういうタクソノミックなギークな傾倒っていうのはアメリカ臭くてたまりませんな。
 話がずっこけるが、「生産性は計測不能」(参考)という話題も実は、話としてはよくわかるのだが、こういう話題っていうのがブログ的なんじゃないだろうか。もっとも、儀礼的無関心のような祭りにはならいだろう。
 なんとなくだが、たしかに2ちゃんねるは終わったなという感じがする。山崎渉は寝ているのがいいのだろう、って書いてても、はてなじゃないから、キーワードの自動リンクはないか。「はてな」だとつい、書くときキーワードに色気が出ますね。ま、ポスト2ちゃんねるは「はてな」。そして、わいわいブログっていう構図ですかぁ。
 ついでに、平成サブカルチャー年表をめっけ。これは、おおおおぉぉっ!ものですね。平成サブカルチャー年表(参考)。なんか、これを話題にしたらとまらないでせふ。
 と思ったけど、やめ。それにしてもサブカルチャーっていつからTVや出版になってしまったのだろう。それ以外は風俗? インターネット以前のネット系や技術系もサプカルだったし、ニューアカもサブカルだったが、ま、どうなんでしょうね。
 

2003.12.05 in ネット | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

2003.12.03

「はてな」からココログ(TypePad)へ

 昨日、「はてなダイアリー」からこちらに引っ越しをした。ブログを開始する当初、MTにするかちと悩んでいたが、やはりブログの主流はMTになるだろうから、MTベースがいいだろうと考えていたので、早々に移転した。リファラや統計の情報は得られないが、仕事でもないしいいだろう。ちょっと残念なのは、はてなの旧「極東ブログ」でPageRankをある程度まであげ、もう一歩でフレッシュクロールかというところだったが、それが消えることだ。しかし、もとからはてなのほうはキーワードリンクが多く、Googleにひっかかりやすいリンクファームの趣が強いので、それはそれでこのあたりで引き上げておいたほうがいいのだろう。あまり有名になってもろくなことはないという感じもする。それにしても、特に意味もなく保持していたニフティの会費がこんなところで生きるとはねである。
 MT移行については、ちと「うざったいコメントが嫌になったか」とも思われたようだが、そのあたりの心情は漠としている。もともと掲示板(フォーラム)でがんがんやってきた古くさいネットワーカーなので2ちゃんねるように荒れていなければ、対話は嫌いではない。だが、どうも荒れてなくても、若い人と話が通じないなというのは多くなった。
 そういえば、はてなでは先月、東浩紀がはてなに持っていた日記がコメントで荒れたため閉鎖するという「事件」があった。閉鎖前には次のように言っていた。(参考


基本的にははてなで続けるつもりですが、別のシステムでも実験してみるべきかもしれません。結局MTを採用するような予感もします(笑)。

 MTだからってどうという違いもないだろうと思ったが、東浩紀のような有名人の場合はコメントというか掲示板的な機能がブログについているとどうしても「荒れ」対策が必要になるのかもしれない。それに対して、MTがいいソリューションなのかはよくわからないが、現状のはてなダイアリーでは特定日のコメントが長くなると話題のほうが見づらくなるという欠点は確かにある。と、書いていたら、ご本人の新規MTサイトにご本人の弁があった(参照)。ふーんという感じだ。余談だが、ちとPerlの動作がトロいような気がする。それと、誤解されるかもしれないが、私は哲学の文脈以外では東浩紀にはほとんど関心がないので、この話はこれまで。
 話を戻して、はてなとココログだが、なにかと話題の感度の高いはてなのほうでは、ココログという大衆化したMT(正式には機能限定のTypePad)をどう受け止めているかと思ってみたら、すでにキーワードが立っていた(参考)。こういうところが、はてなはすばらしいと思う。これを読んでみると、関心はあっても、私のように、さらっと移行した人はいないようだ。はてなに魅力を感じている人が多いのだろう。ざっと見ても、これだけはてなに魅力がある。(1)キーワード機能で話題が共有できる。(2)CSSのカスタマイズ性がいい。(3)Googleに強い。と、実は3つとも同じことでもあるのかもしれない。
 TypePadのほうもCSSくらいはいずれ調整できるようになるだろう。が、昨日私が始めたときは、ちと文字の小ささにまいった。私は眼がよくないので、できればでかい字がいいなとは思う。ただ、慣れはあるようだ。昔のMacのような感じもする。
 話がちと前後しかねないが、はてながちとまいったなと思うことがあった。コメントの問題ではない。もともと私のブログなどコメントはたいしてない。まいったなというのは、はてなが村化していることだ。私という人間はどこにいても一匹狼的な人間なのだが、そう言って気取っているわけではないことは、どっかおちゃらけのサービス精神のようなものがあって、他人の目が気になるのである。また、回りの環境に馴化しやすいこともある。というわけで、どうしてもはてな村の雰囲気やはてな文化に影響を受ける。これが良い面もあるが、疲れる面もある。4か月はてなでブログしてみて、そこで物を書く人間の大半がセンター試験以降の世代になったのだと知って愕然とした。おそらく面と向かえば言葉も通じないだろうと思う。反面、私が好きな出版文化のほうは、書籍的にはまだ団塊から私(46歳)の世代だが、雑誌は30歳台に移行している。それでも、その下にブログの書き手がくるようだ。もちろん、そうではない例外も、例外という以上には多い。
 恐らく、私とはてなの関係はこれから薄くなっていくようにも思うのだが、そう急いで全面的に移行するというものでもなく、旧極東ブログのアーカイブと残してきた若干の対話の場でもありつづけるだろう。
 別の面から言えば、MT化したことで、トラックバックの拠点になれたので、もう少し広い世界への対話が可能になればいいとも思っている。こういうと偉そうな言い方がだ、世の中に3人くらい話の通じる人間がいれば、私はそれでいいのだ。傲慢が過ぎるかもしれないが、以前のネットワークの活動で得た得難い知人たちには、この4か月の間のブログは秘密にしてある。我ながら矛盾しているが、Googleのフレッシュクロールくらいになったら、自然にわかるだろうとも思っていた。わかりあえる可能性のある知人をほったらかして、何を言っているかであるが、ま、少し遠いところに向けて声を出してみたいのだ。

追記12.4
リファラの情報があると参考になるので、追加した。


2003.12.03 in ネット | 固定リンク | コメント (2) | トラックバック

Google広告の自主規制の意味

 ZDNNニュース速報からだが、以前から問題になっていた未認可薬品の広告が廃止になった。ということは、Google自体が自主規制に乗り出すということだ。
 日本では話題になっていないが、旧極東ブログにも書いたように、今年はVicodin(バイコディン)ブームだった。SPAMもVicodinだらけだし、GoogleのアドワードもなにかとVicodinが出てきた。
 ZDNNニュース速報は簡素だし、以前の問題履歴を日本語で探ってみたのだが、要領を得ない。が、ニュースの原文をあたると、やはり、大きくあつかっていた。リードはこうある。(参照


Search giant Google said it will no longer allow unlicensed pharmacies to buy advertisements on its Web site, following similar moves by rivals Microsoft and Yahoo.

 速報ではぼけていたが、マイクロソフトやヤフーに準じるという意味あいを強くしているわけだ。当面は、この問題もまたVicodin(バイコディン)の関連とも言えるだろう。こうある。

Over the last several years, scads of unlicensed pharmacies have gone into business online, selling prescription drugs such as the painkillers Vicodin and OxyContin to consumers without requiring evidence of proper medical approval.

 この動向がネットにどういう影響を与えるのか、私ははっきりとした意見があるわけではない。直感的にはあるターンニングポイントを越えたなと思う。もどかしくてうまく言えないが、Googleはサーチエンジンなのだと単純に言える時代は終わってきた。どこかのブログで「Google村八分の形」という洒落の話があったが、Googleが直接的な利益を追求するに従い、フィルタがかかることで、我々がGoogleを通してみるネットと実際のネットとの間に、奇妙なゆがみのような発生し始める。
 現状では、Vicodin(バイコディン)業者のSEOがGoogleで無効になっているわけでもないし、こうしたSEOについて現状では、Googleはジェネラルな技術で対応しているのだが、それがどこかで無理になるか、こっそりとアルゴリズムが変更されるか、ということにならないだろうか。
 現状ではGoogleは他企業に検索エンジンをライセンスする場合、フィルタ機能を重視させている。情報を企業利益に誘導するかでどうフィルタするかはすでに問われているのだ。

追記
CNETでも記事があった。
「CNET Japan - 米グーグル、無認可の薬品広告を棚上げに」

2003.12.03 in ネット | 固定リンク | コメント (7) | トラックバック

2003.12.01

私は地上デジタル放送に関心なし

 私は民放は「トリビアの泉」「あたしんち」「仮面ライダー555」くらいしか見ないって、あれ?けっこう見ているかぁ。でも、「アバレンジャー」は見てないし「グランセイザー」は見てない。実写版の「セーラームーン」だって見ていない。「ポケモン」はAGも放送局も見ていない…ま、見ていない。見ているのはNHKなのだが、これもあまり見ていない。「クローズアップ現代」と「あすを読む」くらい。テーマによって人間講座や特集を見るくらいか。「うたっておどろんぱ」もブラックオドレーヌが出ない回は見ない…いかん、さっきまでの鬱がハイに転換しているかもしれない…、三歩歩いて忘れましょう~、さておき、見るときはすべてHDレコーディングだし、番組の登録はEPGでやっている。CMは飛ばす。で、話はなにか? 私は地上デジタル放送に関心がないということだ。
 現状でのテレビ放映でなんの不満もない。これ以上見たい番組などない。ケーブルも衛星も要らない。映画は映画館かDVDを見ればいい。現状ですらイメージ映像が増えた「クローズアップ現代」をハイビジョンで見たいとも思わないし、「あすを読む」で解説員の誰がカツラか知りたいとも思わない。文字放送の情報などWebがあれば十分。インタラクティブな機能もWebやメールで十分。
 メディア関連で欲しいと思うのは、NHKの過去の番組をDB化してストリーミングできればいいことと、私はラジオが好きなので、AM波を改善して欲しい、というかストリーミングしろよと思うくらい。
 話を戻して、なんのために地上デジタル放送は必要なのか、周波数帯を広げるという以外は、まるで理解できない。野球が時間延長で見たければ、ケーブルチャネルを見ればいいだけのことではないか。
 マスメディアの地上デジタル放送騒ぎは、なんだかおかしいのではないか。もともと、こんな計画、ネットが普及する前からやっていて、ネット技術のドッグイヤーに遅れてしまっているのだ。無駄な高速道路を造る問題は批判されるのに、地上デジタル放送なんて無意味なものが推進されるのは、どう考えてもおかしいと思う。新聞社説では、毎日だけがややまともだった。

[コメント]
# morutan 『ご指摘の通り、あれ(地上波デジタル放送)は確かにおかしいです。NHKなども公器なくせに、家電と手を組んでるからしばらくの間、「デジタル放送」なイデオロギーを蔓延させるし・・基本的にチューナーみたいなの買えば家でデジタル受信できるのですが・・たぶん何かしらの差をつけてくるでしょう(クリックしてすぐに商品が買えない、など)。そして、そういうウソな流れに乗っかって金儲けしようとしてる連中とか・・ウソマーケティングをしようとしてる連中がいて・・ここからは極東blogさんに相談です。ちょっとここを見てください(お目汚しですが・・)http://blog.japan.cnet.com/mt/mt-comments.cgi?entry_id=863これは、ここの記事に対するぼくの批判なのですが(元記事はここです、http://blog.japan.cnet.com/mori/archives/000863.html)・・というのもこの記事あきらかにまちがっていて・・それがそのまま伝わるとまずいし(いちおCNETにも何人かのユーザーはいますし)、そしてこういう人たちが適当にマーケティングやって、その影響によってメディア環境が汚染されていく・・ってのは・・ちょっと耐え切れなくて・・柄にもなく批判してみたのです。で、相談なんですが・・これ以上批判を続けるべきかどうか・・?いちお、本人も反省した感じで、記事のバランスを取り戻してるみたいだし・・(ちょっと気を引き締めた?)質問項目としてはあと3つぐらいまとめてあって・・これは質問したほうが研究的には本人のためになると思われるんですが・・(申し訳ないですが、ぼくのサイトを見てください、http://blog.nettribe.org/btblog.php?bid=morutan)このままやるとこの人のサイト潰そうとしてる(=荒らし)ってことになるんでしょうか・・?・・・どうなんだろう?/ほんとにしょうもないお願いで恐縮なのですが・・m(_ _)m』
# morutan 『あ・・あと、ぼくも「仮面ライダー555」好きです』
# レス>morutanさん 『素朴に答えさせてください。私が注目するのは「マスメディアの状況におけるマス側のメリット」です。森祐治は、基本的にテレビ業界の儲けの構造の延命ないしリストラクチャに関心があるのだと読みました。だから、「広告が十分な効果があるかどうか?ではなく、効果をもちうるように改革せよ」と。裏返しに言えば、そこにしか関心はないだろうと思います。その前提の部分の方向性を変えて問いを成立させる、ことは難しいだろうと思います。うまく通じるかどうかわかりませんが、morutanさんの追加質問はその方向性の切り替え後に問いうるように思われます。うがったいいかたもしれませんが、森祐治のブログの読者はマス側の視点に立ってないので、そうした背景の視線を考えるとこの方向の議論は難しいと私は思います。極東ブログ的に言うと、「しかし、テレビを見ながら電話ができたり、追加情報が見れたりしたら、それなりの価値があるという声は実は大きい」わけはないと思います。また、「金融デリバティブに近い形で収益期待値に対する制作費の最適化」は無内容だと思います(制作の現場を知らなすぎ)。』
# morutan 『そうですね・・確かにあの人は短期的な儲けにしか関心がないようで・・そういう考えだと却ってユーザーは離れていく、ってことが理解できてないみたいに思えました。そして、「彼には何度言ってもそれがわからないのよ」、って友人には言われて・・確かにぼくもそんな気がしていたので、「これ以上はもうやめよう」と思ってて・・(なにしろそうとうな時間食いそうですからね。。彼にこれ以上の時間を費やすのはちょっと・・)そして、彼はデジタル化の真の意味というものが分かっていない・・(たぶんガッコでは教えてくれないですからね)それはぼく的には「コモンズ」と絡んで・・コモンズ≠マスメディア≠社会資本ってラインなんですが・・まぁ、これ以上はネタバレになりますので・・おそらくマーケティングについても、経験則しか知らない・・ブロードバンド時代のレイヤ構造を考えられない・・・っていろいろ突っ込みどころ満載なんでしょうが、もう面倒だからやめます。。(ぼくは彼のような思考停止型人間をMAGROと呼びます)ほんとに・・めんどうなことをありがとうございました m(__)m  あ、あと、極東さんのところにリンク張ってもよろしいでしょうか?』
# レス>morutan 『リンクはまったくかまいません。c-netは読んでいるのですが、森祐治(敬称略)には関心を持っていませんでした。私自身としては、TV的なメディアについては、たかがリモコンでザッピングという現象から変動が起こったように、HDレコーディングが普及するとかなり変動があるでしょう。家電業界はDVDレコーディングに流れているのですが、どこかで大きな転換点(DVD->HD)があると思います。』
# morutan 『あ・・じゃあ、リンクさせてもらいますm(_ _)m。ぼくもあの人のはたまたま今回見たんですが・・あまりにひどかったもので。。まぁ、それはいいとして・・やっぱTivoみたいなHDレコーダーってのは重要ですねぇ・・ぼくも欲しいですし・・いまのテレビ業界はビデオにとるっていう前提さえうまく活かせてないけど・・』

2003.12.01 in ネット | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

2003.11.29

オントロジーのW3C規格化は無駄

 新しく取り上げるほどの社会的な話題はない。歴史的な話題にしてもいいのだが、趣向を変えてオントロジーの話を書く。とはいえ、この話題を書くのはためらうものがある。自分がこの分野にすでにロートルなので、たいした情報が提供できるわけではないからだ。が、どうせ私的なブログなのでメモがてらに書いてみよう。社会問題の話題を期待している読者がいたら、申し訳ない。一回休みである。
 W3Cに祀り上げらたティム・バーナーズ・リー(Timothy John Berners-Lee)だが、最近RDFを深化させた形でセマンティックWebを提唱している。ようは、RDF(Resource Description Framework )の上にオントロジーを載っけるのだ。ほぉ、そう来たかという感じもした。
 はてなさえブログブームに推されてRSSを付加するようになったので、RSSについては一般認知度が上がった。とはいえ、RSS標準化はなんだかな状態になっているので略語の解説すらできない。が、現状はとくにRSSのサマリー機能などが生きているわけでもないでこんなものだろう。
 技術的にはRSSのベースになるRDFが重要だが、ちとWeb上の用語事典をひいても要領を得ない。用語の直訳に肉付けて「提供する情報についてのメタデータ表現方法の枠組み」ということくらいか。ま、そんなところ。
 バーナーズリーがNeXTファンから出てきたように、RDFも歴史的にはApple由来なので(*1)、このあたりの80年代テクノロジーは歴史的に整理されたほうがいいが、オントロジーを含め、山形浩生にはできても浅田彰では無理だろう、ってな冗談をさておき、山形もチョムスキーのことなどまるで知らなかったようなので、言語学や言語哲学的な素養はなさそうだ。なんとなくだが山形はよしもとばななようにバロウズ(William S. Burroughs)に傾倒するからというわけではないが文系的な人なのだろう。センター試験以降の世代の文系/理系の対立はどうも表出差だけのようは文系のような気がするがと余談が長すぎ。それにしてもなぜ「バローズ」じゃないのだろうか。
 RDFのApple起源だが、MCF(Meta Content Framework)になる。日本ではどのように解説しているかこれもWeb上の用語事典をひいて要領を得ない。なんだ? それに奇っ怪なのだが、どの解説もcontentをcontentsとしているなぜなんだろう?って疑問に思うまでもなく孫引きのようだ。Webの情報というのは、てめーのことを棚に上げて言うと孫引きばっかでそれが実体化するというオントロジーがありそうだ、というのは話が端折りすぎ。MCFについては、An MCF Tutorialに詳しいが、こんなうち捨てられた技術に関心を持つのは私のような歴史家だけである(嘘)。MCFはNetscape Communicationsが買い取り、その後HTML同様XML化されて1999年2月にW3C勧告となった(*2)のだが、今の時点で振り返ると、HTMLは出来そこないのSGMLから出来たみたいなものだが、Netscape CommunicationsはMCFベースのHTMLを考案していたのではないだろうか。Webの歴史の定説はただ孫引きの実体化では?とも思うが、いずれにせよ、RDFがHTMLを食い破って復活しそうというわけだ。
 RDFはデータベース的に見て便利だが、さて、オントロジーとなると、そんなもの要るのか疑問な感じがする。悪態をたれると、あの馬鹿な認知心理学者や人工知能学者がマシンベースで博士論文でもふかそうっていうことかトホホ、君たち懲りないねという感じだが、それでもシソーラス程度のオントロジーの仕組みはWebに欲しいというのはわからないではない。
 と急いだが、オントロジーとはふざけた命名だが、提唱者っぽいTom Gruberは"Short answer: An ontology is a specification of a conceptualization. "と簡素に言っているので、意味はわかりやすい。概念の定式化とでも訳そうか。なぜ、「オントロジー」かという由来はよくわからん。


The word "ontology" seems to generate a lot of controversy in discussions about AI. It has a long history in philosophy, in which it refers to the subject of existence. It is also often confused with epistemology, which is about knowledge and knowing.
 In the context of knowledge sharing, I use the term ontology to mean a specification of a conceptualization. That is, an ontology is a description (like a formal specification of a program) of the concepts and relationships that can exist for an agent or a community of agents. This definition is consistent with the usage of ontology as set-of-concept-definitions, but more general. And it is certainly a different sense of the word than its use in philosophy.

 ま、哲学も知らない馬鹿が洒落で付けたということのようだが、"the subject of existence"という西洋人の発想に起点がある。これについては、私はうんざりするほど解説できるのだが、うざいのでパス。ただ、ちと関連で言うと、最近流行の「クオリア」についても結局は存在論に還元され、言語哲学的にナンセンスになるだろうと私は考えている。「りんごのクオリア」というとき、「りんご」という名辞を超越的に(外在・実在的に)措定できる阿呆でなければ、「りんご」の意味の充足はまさにその「クオリア」の集合にならざるをえず、なのにクオリアというのは個人の命名しがたい感触にして脳内のネットワークという洒落なので、結局独我論的な閉鎖でしかない。そこからは他者に通じる名辞としての「りんご」はどこからも発生しない。結局この問題はクオリアというのは「りんご」による言語ゲームの表出の一つであり、ま、こうしたネタで哲学的なエッセーを書くというライターの飯の種でしかない。と、くさし。
 「オントロジー」という洒落はどうでもよいが、分野としては、認知心理学者や人工知能学者の残党などに継承されているのか、工学的にはそう無意味でないツラはしている。わかりやすそうな「オントロジー工学:チュートリアル」を読むと、懐かしくてサイモンとガーファンクルじゃねーや、カッツとフォーダー(Katz&Fodor)(*3)でも歌ってしまいそうだ。"The structure of a semantic theory"(1964) 。古いなぁ。東京オリンピックだ。1957年以降の生成文法史の学習なんて知的廃棄物の山なんで、若い人たぁ、こんなもの系統だって勉強する必要はねーよとこれまで私的に言ってきたものだが、どうも了見が違うな。この廃棄物の山に埋もれて死んだ私のような屍を見せておかないと、つい装いを変えて再利用ってなことになりかねない。環境保護のリサイクルはいいけど、古典に裏付けのない工学的な知識の再利用は虻みたいなのが集まるだけだよ、とくさしだか嘆きだか自嘲だか。
 「オントロジー」なんて、なあんてことない生成意味論をマシンインプルメントに焼き直しているだけじゃんか。くだらないもほどがあるぜ、と思うけど、認知心理学者や人工知能学者の馬鹿たれどもはGB理論時代にprologでrewriting grammarのインプルメントをやっていたから、ま、理系っていうのはそんなものかと、くさす。が、なんとも荒涼とした風景だな。20年後にはミニマル主義理論の格整合性フィルタリングとかがインプルメントされるのだろう。とほほ。音声認識や自動翻訳すらできないのにタメのモデルはできるのだ。
 話をティム・バーナーズ・リー提唱のセマンティックWebに戻すと、ここでは、"Ontology vocabulary"とヘンテコな英語だが、それでも謙虚に「語彙」に着目していることがわかる。「オントロジー語彙」ということで、ようはシソーラスに徹していくわけなんだろうが…その先がちとわからん。
 「オントロジー語彙」になぜOWL(Web Ontology Language)(*4)が必要なのだろうか?という疑問を投げかけると、先日の電子メールは手紙かのように、法学の考え方が理解されていないってなことになるのだろうか。もちろん、オントロジーの定義通り、a specification of a conceptualizationなのだから、そのspecificationに言語が必要なのはわかる。わからないのは、実際論だ。たとえば、サンプルコードをみるほうが理解しやすいので、こうだ。

<owl:Class rdf:ID="Pasta">
<rdfs:subClassOf rdf:resource="#EdibleThing"/>
<owl:disjointWith rdf:resource="#Dessert"/>
<owl:disjointWith rdf:resource="#Fruit"/>
</owl:Class>

 Pasta(パスタ)クラスは#EdibleThing(食べ物)サブクラスで、#Dessert(デザート)まは#Fruit(フルーツ)とは異なる、というのだが、おまえ、阿呆? もちろん、サンプルなのはわかる。だが、こんな話ではディオゲネスは樽の中でいびきをかいているだけだ。私の疑問は、これっていうのは、現在のRSSがマシン出力であるように、OWLもマシン内部の問題ではないか。たとえば、_| ̄|○でぐぐるとヴィルヘルム・レームブルックの彫像が出てくるように、シソーラスはマシン内で勝手にやればいいのではないか。繰り返すが、Googleのように現実のマテリアルを使って、ディスクリプティブなシソーラスを作り上げるアルゴリズムを開発すればいいだけではないのか。
 ティム・バーナーズ・リーのモデルだと、未仕様とはいえ、「オントロジー語彙」の上に、Login、Proof、Trustと載せているが、このあたりは、悪しきチョムスキー主義者たちの弊害のような気がする。といっても、反米テロを支持するわけじゃないがってな洒落はさておき、実際のところチョムスキーのSyntaxとはモンタギュー文法(*5)の命題の記述、つまりLogicとほぼ等価だ(違うって言われそうだがね)。Proofはようするに真理値(またはmodal)になるだろう。Trustに来て世界知識となるのかもしれない。ま、空想めくが、それでもこのスキームに潜む真理探究の臭いがれいのユニーバーサリズムと同様に宗教臭くてたまらない。ゲド戦記の世界にはドラゴンが存在する。それをOWLで記述されてはたまらない。人間は死後復活することすらできなるではないか。
 もちろん、そんなことは言いがかりだ。冗談である。冗談でない点だけ言って終わりにすれば、シソーラスなどは特定の企業の情報サービス出力のリソースでいい。W3CがOASISにタメはるのはいいとして(ご勝手にどうぞである)、この手の研究に国が金を注ぎ込むのは無駄だと思う。

注記
*1:エージェントの開発にリキ入れていたビルアトキンソンBill Atkinsonがかんでいたか。
*2:http://www.w3.org/TR/NOTE-MCF-XML-970624/
*3:Katz, Jerrold J. and Jerry A. Fodor
*4:http://www.kanzaki.com/docs/sw/webont-owl.html
*5:http://www.lang.nagoya-u.ac.jp/~tonoike/semantics.html

2003.11.29 in ネット | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

2003.11.22

さらに再び電子メールは憲法で保護されているか

 我ながらしつこいなと思う。別に反論があったから浮き立っているわけではないが、どうも問題意識が理解されにくいのか、いや、こんな話に興味を持つ人は日本人はいねーかもなというダブルバインドなオブセッションになってしまった。ま、いいや、また新たに、さらに書く。
 気が付くともうけっこう古い話になるのかぁなのだが、1995年のこと、あ、1996年1月か、「FLMASK事件」または「BEKKOAME事件」というのがあった。BEKKOAMEという当時格安のプロバイダーでモロ出しのモロ部にマスクかけたのをアップしていた高校生と会社員がいきなしとっつかまった。BEKKOAMEも家宅捜索。で、当局はメールサーバーを押収しようとした。ぼっちゃり顔の尾崎社長もさすがにひきつって、そりゃないっしょと抵抗したのだが、さて抵抗は通ったのだったか。いずれにせよ、メールサーバーって押収できるのか?と思って、私は当時調べた。その時の結論は、電子メールは憲法の通信に該当しないらしいということだった。まさかと思ったのだが、あれは、「信書」じゃないらしい。どうやら、憲法のいう通信は、郵政管理下のものに限定されるようだな、ということだった。それでなるほど、宅配物も手紙を入れてはいけないのかと。
 ほいで、昨日、プロバイダー規制法の流れを見て、時代が変わったな、政府も一応電子メールを信書に次ぐものぐらいに認識しているかと思った。とこで、反論もあり、その反論への応答も書いた。
 率直にいうと、なんとも腑に落ちないのだ。ので、さらに書く。すでにネット上には残っていないようだが、日経インターネット・テクノロジー小松原健記者が次のように書いていた。


 社員の電子メールのチェックは,まず日本国憲法の21条2項「検閲はこれをしてはならない。通信の秘密は,これを侵してはならない」に反するのでは,という疑問が出てくる。しかし,この憲法は,国や地方公共団体などの公権力と私人の間の関係を規定しているというのが一般的な理解であるという。したがって,社員と会社という私人同士の関係には,通信の秘密などは適用されない。電子メールは基本的に,会社の業務として会社の施設を使用してやりとりするため,プライバシの侵害にもあたらない。

 前半は昨日の反論と同じで、どうっていうことはない。ま、そういう思考法に流れてしまうのだろうというのはわからないではない。だが、そうすると、この後半が帰結されてしまう。つまり、社員と会社という私人同士の関係には,通信の秘密などは適用されない、ということだ。たしかに、会社業務の電子メールはそうかとも思うし、こじれた夫婦関係の電子メールチェックなどはそれでいいだろう。よかねーか。
 で、私の念頭にあったのは、メールサーバーどうなの? サーバー管理者は公権力と私人の間の関係? で、これについては、大筋で昨日の元の話のように、そりゃだめよ~んとなりそうだ。
 だがな、そうかぁ?はつきまとう。そこが腑に落ちない点だ。
 ちょっと法律議論めくのだが、電子メールっていうのは「信書」か? それなら、違反者は「信書開封罪」(刑法133条)の適用もありだ。が、信書ってのは、郵便法によると「特定の受取人に対し、差出人の意思を表示し、又は事実を通知する文書をいう」で、どうも、電子メールっていのは「文書(書面)」じゃねーよってことになっているらしい。阿呆かとも思うが。

第五条 (事業の独占)
 公社以外の者は、何人も、郵便の業務を業とし、また、公社の行う郵便の業務に従事する場合を除いて、郵便の業務に従事してはならない。ただし、公社が、契約により公社のため郵便の業務の一部を行わせることを妨げない。
 2  公社(契約により公社のため郵便の業務の一部を行う者を含む。)以外の者は、何人も、他人の信書(特定の受取人に対し、差出人の意思を表示し、又は事実を通知する文書をいう。以下同じ。)の送達を業としてはならない。二以上の人又は法人に雇用され、これらの人又は法人の信書の送達を継続して行う者は、他人の信書の送達を業とする者とみなす。
 3  運送営業者、その代表者又はその代理人その他の従業者は、その運送方法により他人のために信書の送達をしてはならない。但し、貨物に添附する無封の添状又は送状は、この限りでない。
 4  何人も、第二項の規定に違反して信書の送達を業とする者に信書の送達を委託し、又は前項に掲げる者に信書(同項但書に掲げるものを除く。)の送達を委託してはならない

 ちと余談だが、詳細は忘れた以前猥褻画像としてハードディスクが特定されるかという問題もあり、「そりゃねーべさ、データっていうのは物じゃないからな、物だったら、おれたちわざわざラインプリンターでソースコードの納品なんてするわけねーじゃん」と昔のSEだったオレは思ったのだが、どうも判決は珍妙なことになった。
 話を戻す。信書の送達業が独占というのは宅配の問題に絡む。ま、それはさておき、いずれにせよ。電子メールは信書ではない。
 ほいで、信書ではなくても、憲法のいう「通信の秘密」は守られるかだが、くどいが守られるようだ、が昨日の話。その場合の守りは、電気通信事業法によるわけで、それが憲法に由来するということで、めでたしめでたし、かぁ?なのだが、よーするに、電子メールは「電話」と同じということなのだろう。というあたりで、どうもなんだか変だ。トリビアの泉で「電子メールは手紙ではなく電話である」と言われたとして、へぇ~ボタンを押す手が固まってしまう。
 話をわざとらに紛糾させたいわけではないが、もう一つ重要な側面がある。エッジ株式会社の「電子メール管理による防止策の提案(2003.11.13)」(参照)というコラムを読むと、何が問題かはぼわーんとわかってもらえるかもしれない。

1●メールの監視による問題の防止
 さて、電子メールによる〈問題〉の防止には、メッセージフィルタ+アーカイブツールによる監視が有効であることは前回までにご説明したとおりです。この連載の初回にご紹介したように、エアーでは、WISE Auditというメッセージのフィルタとアーカイブが同時に可能なツールを販売していますが、このようなツールを有効に利用し〈問題〉を防止するためには、運用上のいくつかのルール〈ポリシー〉を決めておく必要があります。〈ポリシー〉を持たずに電子メールの監視を行うと、無用な混乱を招く恐れがありますので注意が必要です。
 まず、定めておかなければならないことは、電子メールの監視を行うことを利用者に認めてもらうことです。一般に電気通信は法で言う「信書」の性格があるものと考えられており、電子メールの利用者もプライバシーを期待しています。しかしながら、電子メールやインターネットの構造から言って「信書」並みのプライバシーは期待できません。また、業務目的の設備であるため、会社=管理者に監督責任が存在します。しかし利用者が認めないまま監視を行うと「検閲行為」となりプライバシーの侵害等の違法行為となってしまう危険があります。

 軽く書いてあるが、「電子メールの監視を行うことを利用者に認めてもらうこと」それでいいのかぁ~!である。
 もっと重要なのは、「しかしながら、電子メールやインターネットの構造から言って『信書』並みのプライバシーは期待できません。」にある、現状の電子メールの構造の問題だ。エッジ株式会社では、信書=プライバシーとしているが、それはちょっと論点が違う。PGPとかをマストでプロトコルに組み入れればいい。むしろ、問題なのは、PGPとかをメール構造に組み入れると、「電子メールによる〈問題〉の防止には、メッセージフィルタ+アーカイブツールによる監視が」無効になってしまうことだ。
 どうする? といいつつ、現状ではSPAM Assassinとかすでに動いていて、ロボット監視になっている。ま、同意は取っているとはいえ、それいいのか?
 話が紛糾したので、まとめておこう。

  • 電子メールはメールとあるがメール(手紙)ではない
  • 手紙は日本国家が独占している
  • 「通信の秘密」は電子メールの場合、電気通信事業法によって守られるが、信書開封罪など刑罰対象にならない(やり得かも)
  • 電子メールの閲覧は会社業務という名目あれば行ってもいい
  • 「電子メールは構造的にプライバシーが組み込めないぞぉ」という風説が流れて出している
  • 電子メールにプライバシーを組み入れると、SPAM排除などなにかと困ることにもなる

 で、社会問題としてどうする? ま、どうにもならんか。従来の葉書や封書でも事実上通信は丸見えだったし、やはりそういう前提の上に通信の秘密が成り立っている。
 むしろ、電子メールは信書じゃないよ、という視点を推進して、スパム問題なども解決したほうがいいかもね(一種の「出版」概念に近づける)。

2003.11.22 in ネット | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

2003.11.21

再考・電子メールは憲法で保護されているか」は変な議論か

 今日のブログ「電子メールは憲法で保護されているか」について、はてな内に反論があり、興味深かった。仮に「雑記さん」しておく。で、雑記さん、反論、ありがとさん、である。参照は「通信の秘密に関する疑問」(参照)だ。
 Googleなどでこのページに来られたかたは、このかたの意見も参考にして、各人が考えていただきたい。
 さて、私はその反論をどう受け止めたかというと、実は雑記さんの説明に釈然としていない。もっとも、それにさらなる反論を持っているわけでもない。「わからーん」ということを以下に書いておきたい。
 その前に、まず、ほぉなるほどなと思ったのは、雑記さんの「極東ブログの記事は憲法上の議論と法律上の議論が混乱しているように思える」ということで、その混乱は、「通常、憲法上の権利は、公権力に対する関係でのみ問題となり、私人に対する関係ではいわゆる『間接適用』が問題となるに過ぎない。」という点を私が理解していなかったという点にあるらしい。
 前回憲法前文の試訳をしたおり念頭に置いていたのが、憲法というのは、マグナカルタの歴史からもわかるように、日本国民が政府権力に歯止めをかけるためのものだ。なので、当然、憲法は公権力との関係で問題となる、というのは、わかるのだが…。
 だが、わからないなと思うのは、ブログ本文で宅配の例題問題をあげたが、雑記さんの「通信の秘密に関する疑問」で問題が解けていないのは、なぜなのだろうか。
 たぶん、「これに対して、『通信の秘密』の場合、公権力は勿論、私人であっても『通信事業者』に対しては、憲法が直接適用されるとされるのである。」という点が重要になるはずだ。ということは、結局、この問題については、実質的には憲法と諸法の区別をしたからといって、議論として有効ではない、と言えるのではないだろうか。
 加えて、この問題の解けなさかげんは、国の郵政業務の制限に関わるはずなのだが、その点への言及が、雑記さんにはない。そうではなく、私が「通信」の原義に投げかけた疑問は、雑記さんの説明では、超越的に、あたりきしゃりきの前提になっている。それでいいのだろうか。こだわるようだが、実は、今回のブログを書いていたおり、スパムメールは出版と考えられないかとも思っていたので、原義に帰らないとスパムメールなどの問題も解けなくなる。
 ちょっとくどいが、電子メールについて、雑記さんの次の解説は、そーなのかぁ?と疑問に思う。


憲法21条2項の趣旨から考えても明らかである。それこそ、明治憲法26条の「信書ノ秘密」に関する大審院判決に照らしても保護されるであろう。憲法の英文原典を持ち出すまでもない。

 私だって、「憲法21条2項の趣旨から考えても明らかである」と思いたいのだが、そうではないかもと思えたことがあったので今回書いてみたわけだ。そして、この点の理解の補助の比喩としたのが宅配の例だ。同じ事がメールサーバーになされたときどうなのか。
 話がちとくどいが、私の言う「電子メールをもし誰かが閲覧したとしても、その閲覧者は秘密を守らなくてはいけないということだ。」に対して、雑記さんは、次のように指摘される。

「誰か」というのだから、この「誰か」とは、全くの一般人を含むのであろう。そうだとすると、この議論が成り立つには、憲法21条2項が純然たる私人に適用されることを前提としなければならない。
 しかし、一般にはそのように解されていないし、そのように解するとすると、前半の宅配業者に関する議論と整合しない。やはり、この議論も、おかしいと言わざるを得ないであろう。

 素朴に疑問に思うのだが、メールサーバーの管理者と宅配業者は同位置に立たされるのではないか。とすると、この問題は、「これに対して、『通信の秘密』の場合、公権力は勿論、私人であっても『通信事業者』に対しては、憲法が直接適用されるとされるのである。」と同じ話になるのだから、やはり問題は、まるで解けてないように思える。とすれば、私の疑問は、依然、私の単なる混乱による、とも言えないのではないか。
 とま、ための反論や議論がしたいわけではまるでない。私は私で、この問題がすっきり納得できればいいなと思うだけだ。

2003.11.21 in ネット | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

電子メールは憲法で保護されているか

 4日前のネタなのだが、17日のZD Net Newsの「『プロバイダ責任制限法』に残る、これだけの課題」を読みながら、以前にも疑問に思ったことを思い出した。端的に言えば、電子メールというのは通信に含まれるのだろうかということだ。が、端的過ぎて、かえって疑問がわかりにくいだろう。背景を含めると、憲法21条2項の通信の秘密が電子メールに適用されるのかということだ。
 以前調べたおりは、憲法の通信の秘密が適用されるのは当時の郵政省(現在総務省に統括)スネールメールだけだった。現状はどうだろうか。ZD Net Newsを読むと、そうでもなさそうなので、少し珍妙な思いがした。
 この問題は複雑怪奇だという印象を持っている。例えば、宅配便の規制だ。現状では、法律上は宅配物に手紙を入れてはいけない。知ってましたか?と、知っていてどうとなるものでもない話だ。仮に宅急便で送る物に封書を入れておいたとする。どうなるか? これは憲法でいう通信の秘密によって守られてはいない。じゃ、開けていいものか?と、考えれば考えるほど変な話になる。
 以前考えたのは、憲法の通信の秘密とはいつでも国家権力が秘密を破れるからこそ、建前上というか権利概念としてのみ文言となっているのではないかということだ。なにせ、ポストカード(葉書)に至っては丸見えだ。見えても「黙っていないなさい」ということだ。封書もこっそり開けたらこっそり糊で封しなさい、と。
 ちなみに、憲法を読み直す。まず英文を読まないと日本の憲法は理解しづらい。原典はこうだ。


Article 21:
(1)Freedom of assembly and association as well as speech,
press and all other forms of expression are guaranteed.
(2)No censorship shall be maintained, nor shall the secrecy of
any means of communication be violated.

 現状の訳文はこうだ。

第21条 【集会・結社・表現の自由、通信の秘密】
 (1) 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
 (2) 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

 時代もあるのかもしれないが現代なら誤訳と言っていい。pressは「出版」じゃなくて「報道」だ。同様に、communicationを通信とするのは、なんだかなであるが、いずれにせよcommunicationの原義を考えるなら、電子メールが該当しないわけはない。でもそれなら、宅急便に手紙を忍ばせてもそれを見てはならないことにならないか。まぁ、そんなこと言ってもしかたないか。
 話をZD Net News戻すのだが、今回あれれ?と思ったのは、この記事では、電子メールが特定電気通信には含まれないというのは謎だとしている。謎なのか? 記事では、総務省によるプロバイダ責任制限法の逐条解説を挙げ、第2条1号の「不特定の者によって受信されることを目的とする電気通信の送信」が「多数の者に宛てて同時に送信される形態での電子メールの送信も、1対1の通信が多数集合したものにすぎず、『特定電気通信』には含まれない」 というは変だというのだ。
 そうか? もちろん、記事全体の意図がわからないわけではない。いわゆるマルチメールは通常のメールじゃないよとしたいのだろう。個人的にはあれは出版だと思うが、しかし、当面は私の疑問に戻る。つまり、一人に宛てた通常の電子メールは憲法で保護されるところの郵便(通信)に該当するのかだ。
 というわけで、その資料の原文を取り寄せてみた(参照PDF)。該当箇所はこうだ。どうでもいいが下手糞なPDFだ。総務省にはまともにAcrobatを使えるやつはいないのか。

 インターネット上のウェブページ、電子掲示板等は、電気通信の一形態ではあるが、不特定の者によって受信されることを目的とする電気通信(=有線、無線その他の電磁的方式により、符号、音響又は受けること(電気通信事業法(昭和59年法律第86号)第2条第1号))の送信であることから、このような形態で送信される電気通信を通信概念から切り出し、「特定電気通信」としたものである。電子メール等の1対1の通信は、「特定電気通信」には含まれない。なお、多数の者に宛てて同時に送信される形態での電子メールの送信も、1対1の通信が多数集合したものにすぎず、「特定電気通信」には含まれない。

 なにを言っているのか今ひとつわらかんのだが、とにかく、1対1の電子メールは「特定電気通信」には含まれないことはわかる。同様にマルチメールも「特定電気通信」ではない。
 で? 要するに、電子メールは憲法による通信の秘密で守られているのか?
 どうも私の以前の憶測は間違っていたようだ。プロバイダ責任制限法についての議論を見ていると、電子メールが「特定電気通信」には含まれないために、発信者情報の開示請求ができないというは、逆に言うと通信の秘密は守られているわけだ。電子メールをもし誰かが閲覧したとしても、その閲覧者は秘密を守らなくてはいけないということだ。
 当たり前すぎてつまんねー話になってしまったが、個人的にはちと腑に落ちたので良しとしたい。

2003.11.21 in ネット | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

2003.11.20

視聴率が問題なのではない。ザッピングが問題なのだ。

 日本テレビのプロデューサーによる視聴率操作問題を日経新聞社説を除いて各紙が扱っていたが、どうもピンとこない。以前も書いたが、そんなことがどうして問題になるのか皆目わからない。朝日新聞社説は「日テレ事件 ― 感覚がずれている」でこう言う。


テレビ局って感覚がずれてるなあ。日本テレビのプロデューサーが視聴率を買収した事件のその後を見て、そう思う。

 おい、感覚がずれているのはおまえさんだよ、とつっこみを入れてしまった。こんなことも書いている。

 くだらない番組が増えた。テレビの常識は世間の非常識。そんな批判に素直に耳を傾け、普通の感覚を取り戻すことだ。視聴者の目は厳しい。
 視聴率だけに縛られずに良い番組を作ろう。そんなかけ声で制作現場を元気づけ、広告主の支持もとりつける。日本テレビは、その先頭に立ってほしい

 「番組」を「社説」に、「テレビ」を「新聞」に、「視聴率」を「時代遅れの社会正義」に書き換えて、最後に「日本テレビ」を「朝日新聞」に書き換えたいなと思う。読売新聞なら、「視聴率」を「発行部数」にすればいい。
 それにしても、なぜ新聞はこれほどこの問題にご執心なのだろうか。そして、その論評はどれもほとんど変わりない。どれも判を押したように視聴率が問題だというのだが、そうなのだろうか。毎日新聞社説は少しひねってこう言う。

 視聴率以外の有効な質的評価基準を確立するのは、一テレビ局の取り組みだけでは不可能である。CM取引の尺度としては視聴率以外に客観性をそなえた基準がない現状で、新たな別の尺度を意味のあるものとするには民放界全体の取り組みが欠かせない。それは民放の新たなビジネスモデルの模索をも意味する。

 後半がおちゃらけているが、要するに、やっぱ視聴率以外の手はないじゃんということになる。そして、この手の議論はNHKって存在価値があるという補強にしかならない。そういえば、「あすを読む」でもこの問題を扱っていたが、新聞社説よりは面白かった。単に視聴率至上主義で片づけるのではなく、テレビ視聴率変遷を背景に捕らえていた。知らないことがいくつもあった。
 ひとつは、70年代はTBS、80年代はフジテレビ、90年代は日テレなのだ。グラフがあった。ほほぉと思った。テレ朝とテレ東か下位を粛々と進めていた。ふと、だからテレ東でイチバチの平成仮面ライダーができたのかとも思ったが、そのグラフを見ながら、自分がかつてテレビを見ていた時代の感覚にあっているとも思った。
 二つ目は、ザッピングを扱っていた。ぼんやりと聞いてたのだが、ザッピングの統計を見てはっとした。ザッピング(zapping)だが、元になるzapの意味はちょっと古い辞書には載っていない。心配になってgooの辞書を見たがあった。「素早く動く; リモコンでチャンネルをかえる, ビデオのコマーシャルを早送りする」とある。後半のほうの意味は「あすを読む」では触れていなかったし、今回の日テレ事件でも私が見た範囲では誰も話題にすらしていなかった。まるでタブーであるかのようだ。だが、コマーシャルカットは重要だと思う。話を戻して、「あすを読む」ではザッピングによって番組の固定的な視聴率が得られなくなったというグラフを表していた。テレビをじっと見ていないのである。そういえば、私が子供のころは、テレビのチャンネル回すなぁとか、兄弟でチャンネル争いということがあった。いつからかなくなった。ようするに、テレビリモコンがここまで日常生活を変えていのだ。ちょっと感動すらした。私も若干技術に関わるものなので自戒するが、技術に関わる人間は、新三種の神器みたいないつも最先端の技術に関心を奪われがちなのだが、実際に大衆の行動様式を決定的に変える技術とは、テレビリモコンだったりするのだ。
 三つ目はザッピングによって、番組制作がマーケティング主導になったようだ。いわゆる番組マーケティングだ。番組中の視聴率が分析できるので、どこが面白いということがわかる。そこで、ウケ部分が制作側にフィードバックされるのである。おかげで、番組の時間帯が奇妙に前シフトという事態にもなる。ちなみに、これも日テレが始めたこと。
 「あすを読む」では10分枠ながら他にも興味深い指摘があったが、こうして書きながら考察してみると、今回の日テレ事件のキーワードは「視聴率」ではなくて、「ザッピング」なのだ思い至った。私が念頭にあるのは、インターネットだ。ネットもまた、ザッピング文化なのだ。ヤコブ・ニールセンが情報採餌理論とか提唱しているのと関連しているかもしれないが、ネット閲覧の行動パターンはまさにザッピングだ。
 もう少し踏み込むと、ブログというのはザッピング用にできているのだ。
 そう考えると、極東ブログなど、ブログじゃねーな。ザップして、うへぇっていう印象を与えるからな。とま、つい自嘲なオチになるのは慎もう。現代人とザッピングの問題はけっこう根深い。宮台真司は経済学用語をぱくって恋愛に過剰流動性なんていうけど、流動性じゃない、ザッピングなのだ。人間の関係が情報化されたことで、ザッピングの対象となっているのだし、「出会い系」ってなものは、人間のザッピングのためのリモコンなのだ。

2003.11.20 in ネット | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

2003.11.18

再考・はてな村とくるみの木 リターンズ

 自堕落な私ではあるが、この手の話題は実は避けてきた。でも。ま、事はほぼ歴史の領域に移管されたと見ていいので、歴史家のはしくれで私としては、そのことをここに記そうと思う。っていうのは嘘です。私は歴史家じゃないです。
 話は端的なところ、hirokiazuma.com@はてなの顛末。のっけから余談だが、この日記の存在を知ったのは、はてなのMAP機能によってだ。はてなは、この日記と極東ブログの関係が深いというのだ。私はそうとは思えないんけどね。ことは、先日の大月隆寛のくさしエッセイにも出てきた東浩紀のはてな日記が、17日をもって停止となった(業界人なので敬称は省略)という話。停止の理由は、元ネタを見てもらえばわかると言いたいところだが、滅菌済み、もはや現場の状況はわからんのだ。
 私が理解する限り、当面のことの次第はこうだ。11月12日に東が「『少年深夜外出』に親への罰則規定、横浜市が提案へ」というネタを振ったところ。はてなが真似ているところのtDiaryのつっこみ機能で、みなさん、つっこむべし!つっこむべし!つっこむべし!ということになり、2ちゃんねる化してしまったのだ。祭りだ。
 ネタは、横浜市が少年深夜外出に対して親への罰則規定提案をするってんだけどそれってひどいんじゃないですかってな振り。虻がよってきそうな蜜の味だ。つい、俺っちもちっと言いたいじゃないですか、ってな気持ちにさせる。そして、率直に言えば、俺っちだってゆーめー人とタメはりたいじゃないですかってな思いも、うふふふだろう。とばっくれて書いたものの、このブログでも過去にこっそりビニールに包んでうんこ投げたのできれい事は言えない…さておき、ま、そんなところで、祭りに収拾が付かなくなる。
 で、16日「告知」(←ちょっとこの言葉のセンスはスゴイと思う)で、つっこみことコメント機能をはてなユーザーに限定。さらに17日に停止とあいなる。以下は、引用しておこう。


はてなユーザだけの書き込みに制限したのですが、面倒は続きそうです。まあ、それはそれで適当にさばいていけば何とかなるのですが、コメント欄でも指摘されたようにはてなユーザ限定の日記というのは僕が普段言っていることと矛盾する気がするし、、、、というか、さらに正確には、そんな非難もどうでもよくて、単にそういうツッコミにいちいち反応して、コメント欄をチェックしなければならない自分にウンザリしてきたので、昨日の今日の方針転換ですが、この日記への書き込みはしばらく停止します。同時にコメント欄も閉鎖します。以前のコメント欄が見れなくなるのは残念ですが、これははてなの仕様なので仕方ありません。

 ここで遠隔からうんこ投げのようなつっこみを入れるってのなぁと思うので、それは避けておく。うんこが自分に跳ね返ってくる部分もあるしね。例えば「僕が普段言っていることと矛盾する」というのは実名で書くと、そーなるよね、である。
 ただ、このブログでわざわざと取り上げたのは、「同時にコメント欄も閉鎖します。以前のコメント欄が見れなくなるのは残念ですが、これははてなの仕様なので仕方ありません。」は、そうなのかなと思う。確かに、コメント欄を放置すれば、祭りは宇宙のエントロピーが最大値になるまで続くだろうというのはわからないでもない。いずれにせよ結果的に他者の言葉はあっさりと殺戮された。こういう言い方は誤解を招きやすいのだが「人の書いたことを許可なく消すのは許せん」っていうのじゃない。それは、一種、編集権の問題だろうと思うしね。そうじゃなくて、他者の言葉への恐れのようなものについての一種の感慨だ(*1)。
 別の言い方をすると、書くという行為は自己を疎外する。外化するわけだ。それは自分自身でもコピーでもない。一種の現象だとも言える。そして、この手の祭りも同じ現象なのではないか。そういう現象の生成運動に対して、「自分」という特権をするりと出してくるという感性に、私はとても違和感を持つ。「バカは相手にしない」という問題とは別にしてだね。
 と書いても、こういう私の見解はあまり理解されないだろうし、まして、同じ問題が今日自分のブログに降りかかってこないとも限らない。具体的に、このブログで祭りが始まったらどうするのか? できるだけ自分の顔にきちんとぶち当たったうんこはぬぐわないようにしよう、そして道に落ちたうんこはぬぐおう、つまり、編集しようかなと思う。自分を守るのは極力止めようとは思う。が、祭りになっちまうとそうもいかないだろう。とりあえず、つっこみははてなユーザーに限定というあたりか。実際問題としては、今回のケースは著名人ブログ対無名人という構図はあるし、旧メディア対ブログという構図もないとは言えない。
 さて、と、もう一つ気になることがある。ブログというものをどう捕らえるかだ。もう一箇所、16日のhirokiazuma.com@はてなから引用する。

読者のみなさんも何となく気づいていたと思いますが、実はこの数週間、僕は日記の方針を変えていました。モスコミューンとか文学フリマとか、仲間内のネタ(当然自覚はありましたよ、そりゃ)を回しているあいだは居心地がよかったこの日記ですが、さて、内容が政治的になったり理論的になったりするとどうなるものなのか、いくつか観測気球を飛ばしてみたのです。結果として、込み入った議論には向かないし、荒れるときは荒れるという欠点が分かったので、今後の方向性をしばらく考えてみます。基本的にははてなで続けるつもりですが、別のシステムでも実験してみるべきかもしれません。結局MTを採用するような予感もします(笑)。

 私は何を気にしているか? tDiaryとMTって機能的にそんな差はないっすよ。PerlとRubyのくらいです、ってな技術系の話はHTMLの理解すら苦手そうな東に突っ込むのはどうかと思うが、それでも「込み入った議論には向かないし、荒れるときは荒れるという欠点が分かった」という点は、そうなんだろうかね。単純に否定しているわけではないし、否定はできないというのがむしろ前提だろう。気にしているのは「理論的」は私にはどうでもいいことだが、「政治的」な発言についだ。それがはてなに向かない、という結論は、私は当面否定したいなと思う。と、ガラにもない話題を書いたのは、政治的な発言に向かないという言葉は、汎用的に結果的におそらく私にも投げかけられているのだから、それに答えておこうと思った次第だ。私たち市民はこの日本の社会を変えて行かなくならない。その方策は言葉にしかない。その言葉の可能性はとりあえず、愚直に探求されてもいいものだろう。
 再度、顧みて思うのは、極東ブログの著者は匿名だし、無名だということの要因は大きい。課題となるなら、書かれたもの、書かれた現象、ということをどう捕らえるかになるだろう。我ながらつまんない話だな。でも、横浜市が少年深夜外出に対して親への罰則規定するってな話題は私にはつまらない。ま、そういう話題の棲み分けっつうことだけかもしれない。

注記
*1:追記11.29:既存のコメントに限ってはダウンロードでき、まったく消されたわけではないので、この指摘はあまり正確ではなかったかと思う。

2003.11.18 in ネット | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

2003.11.13

Googleに問え。なぜ宇宙は存在し、生命は存在するのか?

 なぜ宇宙は存在し、生命は存在するのか? その答えは、42。
 間違いない、男の厄年の話題じゃない、宇宙論的神学的な問題なのだ。Googleに訊いてみるがいい。The answer to life, the universe and everything:.....
 とま、そんなネタはもう古いよね。ちなみに、Googleあたりから検索で飛んできた人のために補足すると、この話は、SF作家ダグラス・アダムスが1991年にハイパーカード・ファイルをフロッピーディスクで出版した「銀河ヒッチハイク・ガイド」のなかにある壮大な冗談だ。ハイパーカード・ファイルのメディアといえば、日本でも高城剛がFiLoで真似っこしてこけて、フランキーオンラインでこけて…こけてこけてっていうわりに高城剛ってなんでメディアに露出しているのだろうか。って答えは単純なんですが、その業界へのイヤミにしかならないので、やめておきたいけど、うーむ、通産省じゃねーや経産省のセンター試験以降の世代のお役人さま、税金の無駄遣いはやめてくださいね。
 なんの話だっけ、あ、Google電卓だ。これが使える。もし、あなたが2+3の答えを知りたかったら、2+3=と検索欄に入力してEnterキーで答えがでる。ちなみに答えは、0b101だ。え?違う。Googleも困ったものだ。
 もうちょっとまともな話もある。例えば、光子の持つエネルギーEは振動数νに比例し、その比例定数…は、そうディラック定数だ、じゃない、プランク定数だ。GoogleだとPlanck's constantでもいいが、hだけでいい。hってのはストップワードじゃないから、加算しないこと、ってな込み入った冗談は誤解のもと。ちなみに、値は6.626068 × 10^-34 m2 kg/sだ。
 同様にジェットコースターでO型の女の子がお漏らしをしてしまうGは、あ、そのGではなく、gravitational constantのGは、6.67300 × 10^-11 m3 kg^-1 s^-2だ。Googleは大文字と小文字をセンスするんだぜ! ほいで、πはpiでわかるが、現在のお子様の知的レベルに合わせるために小数点以下をラウンディングする関数はGoogleには入っていないようだ。ある? あったら教えてください。当たり前だけど、型は使えないみたいだ。
 昔のMacでは必需品だったFinderPop、これって日本の雑誌ではフリーソフトってことになっていることが多かったが大間違いで、PintWareだった。Pintといえば、Pint of beer、原宿のThe Pintの黒ビールはうまかったが、ま、Pintだよね、とグラスを呷るのはいいのだが、EUやヴォネガットと同じくISOな日本では何リッターかというと、GoogleのpintでUS単位だがわかる。缶ビールより多い。500ml缶より少ない。っていうか、500ml缶っていうのが粋じゃない。
 沖縄に行って、丸大で、いや、かねひででもサンエーでもいいが、牛乳を1パックを買うと、こいつが1リットルじゃあない。1ガロンの四分の一なのだ。quarter gallon、つまり、946.35295 millilitersだ。テンガロンハットに入れるには、この40倍が必要
 なんか書いていてうざくなってきた。ま、その他、ハミルトン数の計算やマトリックス演算はできないけど、虚数計算や三角関数はばっちり。弧度法じゃなくて360度法でも使えるから実務的。オイラーの等式なんかもOK。おいらは意味がわかんない? うーん、これじゃ、かいけつゾロリに出てくるオヤジギャグだよな。

2003.11.13 in ネット | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

2003.10.20

私はIP電話なんて使わない

 やや旧聞とも思えるが、14日に中国共産党第16期中央委員会第3次全体会議(第16期3中全会)は閉幕した。で、なんだったのか? というのが毎度のことながらわからない。れいの有人衛星と関連があるのは間違いない。またぞろ人民解放軍が絡んでいるだろうとは思うのだが、わからない。今朝になって読売新聞が「中国共産党 この変化は『民主化』なのか」 という社説を出した。話には今回の公開は趙紫陽時代を思い出させるとして趙紫陽というキーワードを出してくるのは面白いが、とくに結論もない。こんな社説はまったく意味がない。それにしても胡錦濤ってやつは不気味だな。他、APECについても論じるほどの現代意味はなさそうだ。雑ニュースだが、宇多田ヒカルが半年ぶりに日記を再開とあるので、ちょっくら見に行った。2日続けていてこのノリだ。


ヒッキー、投稿拒否??
 10月19日(日)01時44分
メールからパクらせていただきました!やっぱり日本語のダジャレはすばらしい文化だにゃあ。ってそれじゃ拒否ってたみたいじゃん!ちゃいまんがなー。

 「歳は20だから、こんな文章なのかね」と思うほど残念ながら当方歳を食ってないようだ。駄洒落が入っているからというわけではないが、ぜんぜん若者っぽい文章ではないな。これ以降もオヤジに伝達する文体だ。彼女もまた、私の主観だが、嘘の多い人なので、オモテの明るさの裏に成熟した、なんともどよ~としたものを感じる。ま、そんなこと言われたかねーよでしょうが。そういえば、Deep Riverについて評論というのを見たことがない。詩も曲もたいした作品ではないということなのだろうか。間違いなく遠藤周作の影響だし、あそこに描かれたテレーズ・デスケルーとヒッキーには重なるものを感じるのだが…。

 さて今朝の話題は日経社説から。「健全なIP電話の導入策を」が興味深かった。日経は関連に日経BPがあるから、他紙のような惨いIT記事は少ない。知らなかったのだが、こうなるらしい。


 IP電話はインターネット技術で通話する仕組みで、電話交換システムに比べコストが格段に安い。IP電話間なら基本料金だけ、固定電話へかける場合も通常の市内料金より安い3分7―8円が相場だ。ところがNTTの料金は3分6円と安くした半面、固定からIP電話への通話は3分10円台と逆に高くした。

 日経社説はこのNTTのあり方を問題にしているのかというと、デスクが絡みすぎたのか、文章が濁っていてよくわからない面もある。それでも「しかしNTTが定めた通話料金はIP電話の利用価値を損なう恐れもありそうだ。」というのは主張でもあるだろう。
 私はというと、いいじゃん、というのが意見だ。理由は2つある。1つ目は今でも電話料金は安いと思う。昔にくらべりゃNTTはよくやっている。2つ目はNTTを保護したほうがいいからだ。電話網というのはインターネットなんか比較にならないほどの生活の基幹だと考えている。
 日経社説絡みで言えば話はそれで終わりなのだが、気になる指摘もあった。

IP電話は現在、約500万回線が利用され、2年後には2000万回線に増える見通しだ。特に一般家庭に人気だが、導入メリットは企業の方が大きい。

 別にどってことない指摘のようだが、そうか? 私はその見通しを疑っている。意外だったのが「一般家庭に人気」という話だ。嘘でもないだろう。そのうち、「すてきな奥さん」にもIP電話でお得、ってな話が掲載されるかもしれない。で、なぜ人気なのかというと、もちろん安いからということもかもしれないが、私は、けっこう悪どいマーケティングや営業の結果なのではないかと、これも疑っている。IT社会というのは、一種の呪術で人を騙し込む社会なのではないか。
 関連して、旧聞になるが日経BPの「NTT電話を解約する勇気ありますか」(参照)という記事が面白かった。記者はそっちの業界なので、結論がこうなるのはしかたがない。

IP電話を使い始めてから半年,節約できた電話代は約1万5000円だった。音質や使い勝手で苦労したことはほとんどなかったし,一応,IP電話の利用は正解だったと考えている。

 だが、標題のようにそんな勇気を持っている人は少ないのではないか。私はNTT寄りの意見を持っているからでないが、同記事にもあるように「呼制御サーバーの負荷は大丈夫?」は、全然大丈夫ではないと考えている。NTTのトラフィック制御技術を甘くみてはいけないとまで思う。むしろ、IP電話の技術は問題山積だと思われる。詳細は「遙かなりIP電話時代」(参照)がよくまとめているので参照してもらいたい)。
 現代はケータイしかもってない若者もいる時代だ。電話が家に付属すると考えのは古くさいのかもしれない。私はパーソナルなIT利用こそ、パーソナルなITセンターが必要だし、その生活の基幹部分は電話網からまだまだ離脱できないと考えている。
 私の頭は古くさい。20年前に描かれたテレマティークの理想は、現在のインターネットより優れていたのではないかとすら思っている。だが、時代はこのように進んだ。そして進んでしまった技術はその必然の上に未来を作るしかない。たとえその未来がカタストロフを必然的に含んでいてもだ。余談だが、googleってみたがテレマティークは死語のようだ。ITU-TのTシリーズのTだよ!

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2003.10.14

スパイウェアは脅威か

 新聞休刊日である。社説ネタ以外で気になることもいくつかあるが、なにげなく読んだ「IT Pro 米国最新IT事情:あなたも見張られているかもしれない ― スパイウエアの脅威」が気になった。もっとも気になったのは標題にあるようなスパイウエアの脅威ではない。記事はざっとスパイウェアの概略と最近の話題などをちりばめて書いたお作文といった趣向に過ぎないのだが、後半、次のくだりで異次元に突入するのだ。スパイウェアについてこう話が進む。
 これらが一体どんな悪戯(わるさ)をしているのかは,大抵のユーザーにはよく分からない。それが分かる位の人なら,そもそも最初から,こんな物に取り付かれたりはしない。下手をすると銀行口座のパスワードを盗まれてもおかしくはない。またスパイウエアはOS(基本ソフト)の奥深く付着し,その設定を変更してしまう恐れもある。パソコンの動作が妙に遅くなったな,と思い当たる節があれば,それは悪質なスパイウエアのせいかもしれない。
 なんとも嫌ったらしいクリシェで固めた文章だが、この後半技術的なコメントが奇っ怪。「OSの奥深く付着し」ってなんだ? デスクはこの文章でOK出したのか? その先話はこう続く。
 かく言う私もその一人だ。これまで私は,かなり無頓着にフリー・ソフトをダウンロードしてきた。最近,やたらとパソコンの動きが鈍いのは,そのせいではないかと思う。そこで一つ,対策を打った。アンチ・スパイウエア・ソフトをインストールしてみたのだ。ハード・ディスクに潜んでいるスパイウエアを探し出して,消去してくれるソフトである(やはり何種類もあるが,私が使ったのはinterMute社のSpySubtractである)。
 パソコンの動きが鈍いからといってスパイウェアってフツー考えるかぁ? ま、そういうわけで、体験談に話が切り替わるのだが、これがスゴイ。
 これを私のパソコンで走らせてみると,出るわ出るわ,何と100個以上のスパイウエアが検出された。今までよく無事でいたものだと,我ながらあきれるやら,ほっとするやら。何はともあれ,さっそく全部消去した。
 重要な情報を扱う機会の多い読者の皆さんも,気づかないうちに誰かに見張られているかもしれない。思わぬ被害に遭わぬように,スパイウエアには十分ご注意いただきたい。
 私は絶句したね。この記者大丈夫か? 別にスパイウェアのことを心配したのではない。技術の基礎がまるでわかってない記者についてだ。と、記者の略歴を見ると…、あれれ、小林雅一さんって日経BPの記者さんではないね。「隠すマスコミ、騙されるマスコミ」の著者さんか。じゃ、しゃーないか。経歴は技術系だけど、それはインターネット以前の時代。IT関連の書物もあるけど、それほど技術で裏打ちするタイプのライターさんではない。「隠すマスコミ、騙されるマスコミ」は私も読んだけど、当たり前な話が多く、新書にありがちなちと退屈もの。9.11以降のジャーナリズムに言及しているわりにブログの話はねーし、日本にいる外人記者さんたちの差別意識やご乱行や低脳を暴くわけでもない。とま、くさすわけではないけど、どっちかというと一般向けのライターさんというかジャーナリストさんなら、スパイウェアがわかってなくてもしかたないか。でも、デスクはしっかりせーよとは思うけどね。
 話をちと戻すと、だいたい一つのマシンから100個もスパイウェアが出てくるわけねーよ。出てきたのはトレーサブルなクッキーだよ。これも嫌ったらしいシロモノだが、「あなたも見張られているかもしれない」っていうほど大仰なものじゃない。固定IPだとほっておけばダブルクリックとかにかなりデータが溜まるが、こいつら日本法人があってもそれほどマーケットに活かしているっていうものでもない。午前10時にエッチな閲覧者が多いってな情報が集まるくらいなものだ。
 もう一つ気になったことがある。なんでSpySubtractを使っているのか、だ。フツーはAdawareかSpybotあたりを使うんじゃないか。なぜかなと思って、SpySubtractのトライアルを落として自分のXPマシンをチェックしてみると、ぎょっ、オンメモリになんかいるという警告が出る。腰が抜けましたね。まったく人のこたー言えねーよです。で、見るとなんのことはないWildTangentでした。厳密にはなんのことはないとも言えないが、アンインストール忘れですね。3Dポリゴンの虎パンツ金髪おねえさんがダンスするのを見た罰ってやつです。
 他はSpySubtractのメリットはよくわからん。こいつご親切に常駐しやがるので、即アンイスント。ついでに最新版のAdawareとSpybotでざっと舐めてみたが、どってことはない。
 なんだか小林雅一さんをおちょくったような話になってしまったが、ネットランナー以外のパソコン系のライターもFlashGetのお薦めとか書くし、DivXのレジストをちゃんとお薦めするのなんて見たことねーし、なんだかなである。
 スパイウェアはなんとなくだが、日本ではあまり問題にならないだろうと思う。インターネット分野のマーケッティングの力が日本はげろげろに弱過ぎる。だいてい、サーチエンジンがgoogle一色になっちまったのに、これを悲しみ恥じるエンジニアがいねーのだ。日本国の行く末やいかんと思えども、googleの意義を小林よしのりに説明するわけにもいかないしな。

2003.10.14 in ネット | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

2003.09.28

マイクロソフトとトロンの「和解」なのか

 人のブログをちらちらと散見しながらマイクロソフトとトロンの和解という話(参照)がなんとなくひっかかった。と言いつつ人のブログをあまり読むほうではないこともあり、どういう意見が飛び交っているのかわからない。ふと気になって2ちゃんねるも覗いてみたが、ようと知れず。ただ、なんとなく思ったのだが、時代のせいなのかな、なにか若い人にはこの問題の歴史感覚がなく、プロジェクトX的に再構築された物語が歴史に置き換わっているようだ。
 そういえばプロジェクトXでトロンを扱った話があって、たまたま見たことがある。これってお笑いなのかという意味では楽しめたが、Cトロンへの言及がないのは仕方がないとしても、BトロンとIトロンをごっちゃにしていた。Bトロンについては、当時を思い出すに松下なんかがちょっこし市販マシンを作っみたが、端から市場の相手にされていなかった。トロンキーボードはトリビアの泉ネタかも。いずれにせよ、別に、マイクロソフトがどうという問題でもない。思い起こすに、CDOSやDR-DOSなんかもMS-DOSに劣るわけでもなく、DOSの歴史から言えばそっちのほうが正統なのだが、あまり利用されなかった。理由はMS-DOSがパソコンの事実上おまけになっていたからだ。その意味では、Bトロンも無料配布すればよかったのだろう。とはいえ、Squeak(参照)の例からもわかるように、優れたシステムが無償でも市場で人気になるわけでもない。
 反面Iトロンは日立がH8/H16/H32などシリーズなどできちんとフォローしていたせいもあり、よく利用されていた。なんせ実質無料のリアルタイムOSなのだから。といいつつ、さすがにカシオのQV-10に採用されていたときは隔世の感があった。これにJavaが乗っかればけっこうなものじゃんかと思ったが、実際DoCoMoで実現してみたけど、市場はぱっとしなかった。技術がどうというより、市場の問題だ。トロンベースの超漢字がいいっていったって、市場はすでにユニコードじゃん。ユニコード批判とか一部で偉そうに日本語問題とからめて議論されているけどみんなgoogle使っているじゃんか。実際にgoogleがユニコードベースなんでアジアの漢字情報はけっこう統合できている、ってなことを書くと批判されるか。そもそもこんなとこそんなに読まれているわけじゃないが、それでも、日本語がという文脈じゃなくて康煕字典の編纂の意図のほうを歴史的に継承したのはユニコードだろう。
 話が散漫になってきたが、かくつらつら思うに、マイクロソフトとトロンの和解と言われてもなんだかな、である。ここでトロンと言われているのはIトロンだし、マイクロソフトという文脈で語られているものJavaをパクった.NET(ドットネット)だし、.NETの展開から言えば、別にどってことないじゃん。ただ、物語が事実になっているセンター試験世代にはちょっとショウアップすると受けるかとマイクロソフトの代理店もやっていたアスキーの古川亨が…、もとい、マイクロソフトの古川亨が思った、ということか。彼がゲイツ3世にお伺いをたてたとき、3世はexcitingって言ったらしい。おい、それじゃバシャールだよ。
 話がまとまらないが、マイクロソフトとトロンの和解といっても、別になんのニュースでもないと私は思う。こういうのがニュース扱いになるプチナショナルな、物語再構成な時代ってなんだろ。小林よしのりの戦争論なんかもけっこうその口だな。島尾敏雄とか生きていたら、なんて思うだろう。小林秀雄が生きていたら、福田和也みたいなのをなんて思うだろう。通じないだろうな、米国帰りの30代の江藤淳と小林秀雄の対談とか読み返しても、あの時代ですでに話がまるで噛み合っていない。その後の江藤淳もけっきょく小林秀雄の青春と晩年を結びつけるものが見えていなかった。と、ま、歴史っつうもんですか。
 パソコンの世界に話を振って終わりにしたい。今のパソコンはとっても使いづらい。Windows XPに至ってはなんじゃいなぁである。Cygwinでも入れようかな。日本語処理はどうなっているんだろう。ActivePerlは使いづらいし。シフトJIS対応のAWKがあればいいだけか。ああ、自分がロートル化している。

追記
 トロンに外圧なんかあったのかよと思ってネットを見渡したら「トロン外圧の嘘と事実」という記事があった。対談形式なので話が錯綜して、しかもトロン贔屓が目立つが、参考になる。私は古木護というフィクションの意見に近い。ただ、この記事、時代の制約もあるのかもしれないけど、「アメリカがその気になれば、石油と食料を止めれば…」っていうアメリカ認識は間違い。余談だが、パーソナルメディアがさぁ…とわずかに古い私恨を思い出す。
 CEATEC JAPAN 2003レポート「坂村教授、講演前に異例の『FAQ』」(参照)を読んで…爆笑と言いたいところだが、とほほになった。私は坂村の肩を持つ。しょぼい噂がうずまいていたのか。


リアルタイムOSとPCなどに使われる情報処理系OSはそもそも目的が異なることを再度解説し、「何度も言っているが、TRONとWindowsが戦うとか、TRONとUNIXが戦うとかいう話はおかしい。それは極端に言えば自動車と飛行機の戦いのようなもの。マーケティング的な戦いはあるかもしれないが、技術的な戦いはない。情報処理系のOSはリアルタイム処理には限界があるので、それにリアルタイムOSのカーネルを供給するのは自然なこと」と重ねて説明。TRONとWindowsが融合することは、情報機器の技術的な進化の上では何ら不思議なことではないと強調した。

 そんな当たり前のことが通じない世界っていうのは、うんざりするよ。とはいえ、マスコミの物語にそれまで乗ってきた階上に昇ったのだから、ハシゴを外されて怒ってもしかたないかも。

2003.09.28 in ネット | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック