2004.01.11
語源の話:「ぐすく」と「あすか」
ためらうのだが、日本語の語源の話を書こう。ためらう最大の理由は日本語の語源は日本語学および日本史学で事実上タブーだからだ。あるいは「と」の巣窟なのである。そんなところに首をつっこまないほうがいいには決まっている。それになにもブログのネタがないというわけでもない。
が、日本語の語源については、時たま気になって、考え考えしている。このままだと私の人生の黄昏とも消えていくだろう。それでもいいのだが、書くとすれば、このブログしかない。では書いてみようかと思う気になった。なんとなくシリーズになるかもしれない。わからない。
もう一つためらうのは、この手の話は、人によっては魂を魅了してしまうものなのだ。そういう輩をブログに集めたいとさらさら思わないのだが、結果そうなるのかもしれない。と、鬱っぽい書き出しで申し訳ない。
話がいきなり飛ぶ。私は沖縄で数年暮らしていた。やまとうちなーぐちは身に付いたので、ちょっとしたうちなーんちゅにとぼけることはできるが、うちなーんちゅが言うところの方言、つまり琉球語は身につかなかった。それでも、琉球語は私の語感では室町時代の言葉に思える、裏付けもないのだが。
琉球語は言語学的には日本語の姉妹語とされ、その分化は千年単位で見られているようだが、私は違うと考えている。伝搬は平安末から室町時代以降の和冦ではないだろうか。沖縄の民俗信仰も、日本の民俗学者たちは起源の古いものだと考えたがるが、私の印象では南紀に残る熊野の信仰や一遍上人など、あの時代の信仰に近いものがベースになっているように思われる。
沖縄の言葉で起源がわからないとされるわりに、しばしば問題なるのが「ぐすく」という言葉だ。琉球語に近づけるなら「ぐしく」である。「城」という字を宛てる。「豊見城」は高校名では「とみしろ」だが、地名では「とみぐすく」である。私は「ぐすく」の語源は「御宿」だろうと考える。最大の理由は、琉球語で「皆さん」を意味する「ぐすー」が「御衆」だろうからだ。「御衆」にすでに南紀風な宗教の気配があるが、いずれ「ぐすく」の「ぐ」は「御」だろう。もっとも、これには反論も多く、「ぐす・く」と切って発音するから、違うというのだ。私はそう思わない。
「御宿」は沖縄で見てもわかるが、朝鮮式山城のように見える。門中制度といい、祭りの綱引きといい、中華的に見える沖縄の文化の表層を除くと、そこには朝鮮文化があると私は思う。「宿」つまり「すく」は朝鮮起源かもしれないと思うのだ。
連想するのは、飛鳥、「あすか」である。これにはこじつけでなく「安宿」の表記があり、朝鮮語の「アンスク」に一致する。諸説あるが、表記の残存から考えて、単純に「安宿」でいいのではないか。もっとも、このあたりの語源説はすでに「と」臭が漂う。どさくさで言うのだが、「奈良」の語源が朝鮮語の「国」を意味する「なら」のようにも思う。関連して、「百済」の「くだら」については、「大国」を意味する朝鮮語「くんなら」でいいのではないか。
百済は滅亡して後、日本は百済遺民を多く受け入れている。彼らにとって親国はまさに「くんなら」だろう。もちろん、異論があることは知っているし、強弁する気などさらさらない。ただ、こうした語源の問題は、どうすれば解答になるかという条件も存在しえないのである。
関連の話をもう一つつけて終わりたい。「飛鳥・明日香」の枕言葉は「飛ぶ鳥の」である。これが「飛鳥」という表記の語源になっているのは「と」ではない。なぜ、「とぶとり」がアスカなのか、これも定説はない。私は「安宿」(あんすく)と考えたいのだが、「とぶとりのあんすく」とはなんだろうか?
枕言葉それ自体、定説がないが、一応文学の範疇されているせいか、修辞または詩法として考えられがちだ。だが、私はもっと素朴に、社会言語学的な弁別性だろうと考えたい。つまり、「とぶとりのあんすく」ではない「あんすく」との区別だ。あるいは、「TOKYO、T」といったふうに、弁別性の発音の便宜かもしれない。
飛鳥時代は、皇室や寺院回りには百済・新羅・高句麗民がかなりいたのだから、ある種のマルチリンガルな状況だったことは間違いない。そういう上層民はそれでもいいが、下層民は単一言語だろうから、そのインタフェース的な言語の便宜が必要になる。枕言葉はそうした残存だろうと思う。
「とぶとりの」の語源は皆目わからないのだが、田井信之著「日本語の語源」という、奇書としか言えないのだが、この本によると、「富み足る」の音変化だという。こじつけのようだが、古事記には「とだる」という語があり(「天つ神の御子の天つ日継知らしめすとだる天の御巣みすなして」と広辞苑にもある)、富むの意味を持つ。この語の場合は、古形に「とみたる」があっても不思議ではない。
推測に推測を重ねるのが「と」の本領だが、「富み足る安宿」としてみると、「安宿」という地名なりその居住地に対する国褒め歌の一部のようにも聞こえる。その背景には、貧しく逃れる人々の思いのようなものが感じられる。