最初に言っておくと、本書「インナー・チャイルド(ジョン・ブラッドショー)」(参照)の副題「本当のあなたを取り戻す方法」は、私としては賛同しがたい。そもそも「本当のあなた」なるものがあるのかどうかもわからないし、「ああ、これが本当の自分だ」という実感が仮に得られたとしても、それが一般的なことなのか、あるいはその代償もまた大きいのではないかとも思える。その意味でも、本書はお薦めするという類のものではない。
では、なぜこの本を読んだのかというと、関心があったからだ。そして、当然というべきだが、私自身が「インナー・チャイルド」なるものに苦痛を感じていたからだ。
「インナー・チャイルド」というのは、大人になっても心のなかに潜む、傷ついた子供のような心理のことだ。子供のころに得たつらい記憶が今も心的外傷後ストレス障害(PTSD)のように残っていることだと言ってもいいかもしれない。もっとも、本書などにもそれなりの定義やその考え方の背景はあるので、詳しくは本書などに当たってほしい。また、一般に「アダルト・チルドレン」といった概念も近いには近いのだろう。
私が本書を読んだのは、自分の「インナー・チャイルド」の問題に対して、どこかに救いのようなものがあればなとは思っていたことはある。本書には、なるほど、その救いのためのいくつかのアプローチやメソッドが記されている。
読みつつ、この手のアプローチは若い頃いろいろ経験したし、本書にもあるメソッドのいくつはその過程で実践もしたことがあることを思い出した。なのに今のこの苦悩の自分がいるという現実も了解している。だからこうした書籍を読みつつも、これでそれほど救われるという期待があったわけではない。結論から言えば、本書は私の手助けにはならなかったが、この分野がどういう構造をしているかということは、再確認できた。
もう少し個人的なきっかけを語ると、先日、心を落ち着けるために瞑想していた際、幼児期の苦しい記憶がよみがえり、「ああ、これはいけないな。ここに触れてもどうにもならない」と思いつつ意識を引き返したのだが、その後もひっかかり、再度の瞑想で、少し触れたところを覗くと、心理的な激痛のようなものがあって驚いた。この手の心理的な外傷を抱えて生きているとは知っているし諦めてもいるのだが、あらためて心理的に接触すると耐え難いものがある。これは「インナー・チャイルド」というものかという認識と、最近の世相に見る幼児虐待なども連想した。
幼児虐待の問題は、しばしば「子供が可哀想だ、なぜ保護できなかったのか」という、一見社会的な問題として扱われるが、その内部の心理的な問題もある。虐待する親は当然問題ではあるが、こうした親たち自身が心理的に「インナー・チャイルド」を抱えているのではないかという洞察が私にはある。
これらの問題は、社会的な対応だけではどうにもならないとも思っていた。もう少し自分に引きつけていうと、この手の社会的事件に接すると、自分が虐待された幼児と心理的に同化してしまう傾向があり、それを見つめつつ、緩和するために親を許そうとして、親もまた幼い心のままなのだというふうに相対化して意識してきた。
「インナー・チャイルド」について最近の書籍で、比較的読まれているものはなんだろうと思い、「インナーチャイルドと仲直りする方法 傷ついた子どもを癒し、あなた本来の輝きを取り戻すインナーチャイルド・ワーク(CD付き)」(
参照)という書籍を買ってみた。CDにはアプローチについての具体的なメソッドもあるのではないかという期待もあった。中身はさほど検討していなかった。
買ってから気がついたのだが、これは、いわゆるスピリチュアル系の本で、「ああ、まいったなぁ」と思った。私はスピリチュアル系の本やオカルトなんかも、ふんふんふんと読む人なのだが、ある程度距離を置いているからであって、そこにすぼっと入るときは心理的な抵抗がぐっと押し寄せる。同梱のCDも聞いたのだが、女性の語りの質は悪くないのだが、受け付けなかった。だが、冒頭、「あなたの体のなかのどこにインナー・チャイルドがいますか?」というのは心に引っかかった。体の部位にいるという感触はあるにはある。
この本では、さらに「マジカル・チャイルド」なる概念が出て来る。いわば、守護霊さんみたいなノリである。それはそれでいいのだが、一体この奇っ怪なインナー・チャイルドやマジカル・チャイルドといったスピリチュアル系の概念は何に由来するのかという知的な関心も湧いた。
インナー・チャイルドという概念は、おそらく、エリック・バーン(
参照)の交流分析(
参照)から発展しているのだろう。つまり、ポピュラー型のフロイト論の変形であろうという察しはあった。
本書「インナー・チャイルド(ジョン・ブラッドショー)」を読むとまさにその通りなのだが、著者ブラッドショーはさらにこれに、ミルトン・エリクソン(
参照)を加味しているようだった。特に、催眠術的なイメージ・ワークはエリクソンあたりに由来しているようだ。本書でもいくつか後催眠やNLP(
参照)的な手法も採られている。
また「マジカル・チャイルド」なる概念はどうやらブラッドショーがユング心理学あたりから創出したようでもある。さらに個別には言及されていないがシルバ・マインド・コントロールもありそうにも見えた。いわば、ごった煮のようなメソッドのようだがそれでも本書がインナー・チャイルド系の書籍の原点にもなった古典のようでもあるようだった。
興味深いのは、本書は手法的には混乱しているかのようにも見えながら、バーンよりさらにフロイトを遡及したように、幼児期の各精神成長段階を想定している点だ。意外でもあったのは、思春期の精神的な外傷を扱う部分で、そのあたりまでインナー・チャイルドという概念が覆うものなのか。率直なところ、精神的な外傷というのは青年期にもありえるし、いったいいつになったらインナー・チャイルドは終わるのかという奇妙な思いもした。
知的な読書としては以上ではあり、いずれなんらかのこうした心理的な対応というのが社会機能に含まれなくてはならないとも思うが、再度自分に引きつけてみて、しみじみと了解せざるを得なかったのは、セラピー的な要諦は、まさに心的な外傷に触れてみるという点だった。つまり、心的な悲嘆を抑圧から解くためにいったん出してみるという部分である。これはパールズ的(
参照)でもある。
個人的には精神的な外傷な苦痛に直面せずなんとか解消できないものかとも思ったが、やはりそうもいかないかという落胆がある。実際のところ、本書も、その悲嘆の露出時の精神的な危機への対応注意がいろいろと説明されているが、単純に読んでもわかるように、一人で読書してメソッドを実践するとかなり危険なのではないだろうか。逆にむしろその点でスピリチュアル系のほうが楽といえば楽なのかもしれない。
おそらく、インナー・チャイルドというような心理的な問題は、傷ついた子供の心をかかえた大人が自分の子供を育てて癒していくというプロセスがあり、そもそもそれが人類に仕組まれているといった、もっと大きな問題かもしれない。
つまりこの問題の対処は、セラピーといった特化したものではなく、社会機能のごく一部として文化的に要請されるのかもしれない。現代日本の社会にそうした心理的な社会機能の文化が欠落しているなら、スピリチュアルやオカルトが蔓延するのもしかたないことかもしれない。