ポーランドとウクライナの微妙な協力
2025年6月11日、ポーランドとウクライナが、第二次世界大戦の歴史を巡る新たな動きを見せる報道があった(参照)。ポーランドは、ウクライナ国境に近いポドカルパチェ県のユレチュコヴァ村で、戦時中の犠牲者の遺体を発掘する作業を進めることになった。この作業は、ポーランドの歴史調査機関である国立記憶研究所(IPN)が主導し、2025年秋に開始予定である。発掘対象はおそらく1943年のヴォルィーニ虐殺で殺害されたポーランド人住民と考えられるが、1939年の戦闘犠牲者も含まれる可能性がある。ウクライナは、この作業に資金を提供する形で協力する。これは、ウクライナがリヴィウ市内の旧ズボイシェ村で、1939年に死亡したポーランド兵の発掘をポーランドに許可したことへの対価でもある(ウクライナ文化情報政策省、2025年6月11日発表)。一方、ポーランドが6月5日にヴォルィーニ虐殺の追悼日を国家記念日に制定したことに対し、ウクライナ外務省は「両国の友好関係に反する」と批判した。ポーランドの新聞「Myśl Polska」(6月10日)は、ウクライナがこの追悼日により、戦時中のナチス協力の歴史が注目され、西側からの支援に悪影響が出ると懸念していると報じた。ロシア・ウクライナ戦争が続く2025年、なぜ今、歴史問題が再び浮上するのか。ウクライナが本心では消極的なのに協力する理由と、タイミングの不自然さを考察したい。
ヴォルィーニ虐殺
ヴォルィーニ虐殺は、1943年に現在のウクライナ西部(当時ポーランド領)で起きた痛ましい事件である。ウクライナ民族主義組織(OUN)やその軍事部門ウクライナ蜂起軍(UPA)が、ポーランド人住民を対象に攻撃を行い、ポーランド側は5万~10万人が殺害されたと推定されている。村々への襲撃、放火、残忍な暴力が記録され、ポーランドではこの事件を「民族浄化」や「ジェノサイド」とみなしている。対して、ウクライナではUPAを「ソビエトやナチスに抵抗した独立闘争の英雄」と評価する声が根強い。戦争の混乱や、ポーランド側の報復による数千人のウクライナ人犠牲者も強調され、両国の歴史認識は鋭く対立している。特に、UPAの一部がナチス・ドイツに協力した記録は、ウクライナにとって国際的に敏感な問題であり、ロシアはこれを「ウクライナ=ナチス」と宣伝し、ウクライナは西側支援への影響を警戒している。こうした背景から、ウクライナは過去にウクライナ領での遺体発掘を制限してきた経緯がある。2017年には、ポーランドによるヴォルィーニ虐殺関連の調査を事実上禁止したりもした。UPAの名誉や国内のナショナリズム、国際的イメージを守るためだったが、2025年に入り状況は変わったようだ。1月にヴォルィーニ虐殺関連の発掘が許可され、4月にはテルノピル州で1945年に殺害されたポーランド民間人の発掘が始まった。6月のリヴィウ(ズボイシェ)とユレチュコヴァの相互許可も、この流れに連なるが、ウクライナの協力には消極性が潜む。
2025年6月の不自然なタイミング
なぜ2025年6月に、ユレチュコヴァ村とリヴィウ(ズボイシェ)の発掘許可や追悼日制定が重なるのか。ポーランド側では、国内の政治状況と歴史的正義の追求が鍵を握っている。ヴォルィーニ虐殺はポーランドの保守派を中心に深いトラウマであり、追悼日制定は国民感情に応える政策である。ドナルド・トゥスク政権は、2023年の選挙後の支持固めや、歴史問題での強い姿勢を背景に、2025年6月に追悼日を国家記念日に格上げした。ユレチュコヴァ村の発掘も、IPNの長年の使命である真相究明の一環である。ポーランド領での作業はポーランドが主導し、ウクライナの資金提供は協力の象徴として求められた。
一方、リヴィウ(ズボイシェ)の発掘許可は、ポーランドが長年求めてきたウクライナの調査禁止解除への大きな譲歩である。ウクライナはロシア・ウクライナ戦争(2022年開始)で、ポーランドの軍事援助や難民受け入れに強く依存する。
2025年6月、戦争が4年目に突入する中、ポーランドとの対立は西側支援全体を危うくする懸念が高まってきた。追悼日に対するウクライナの批判は、UPAやナチス協力の歴史が強調されることへの本音であるが、関係悪化は避けたい。ユレチュコヴァの資金提供とズボイシェの許可は、ポーランドの圧力に応じた戦略的妥協であろう。戦争中の経済的困窮を考えれば、資金提供や許可の優先順位は不自然に映る。このタイミングの奇妙さは、ポーランドがウクライナの戦争依存を背景に歴史問題を押し進め、ウクライナが反応を強いられた結果にある。
ウクライナのジレンマと今後の行方
ユレチュコヴァ村とリヴィウ(ズボイシェ)の相互発掘許可は、両国の協力に見えるが、ウクライナの過去の経緯を見れば本心は消極的であろう。過去の調査制限(2017年)や追悼日批判から、ウクライナはヴォルィーニ虐殺やナチス協力の歴史が再燃することを避けたいのである。ズボイシェの発掘は1939年のポーランド兵(ソビエトやナチスとの戦闘)で、ヴォルィーニ虐殺(1943年)より前の事件だが、歴史問題の敏感な領域に触れる。
ユレチュコヴァもヴォルィーニ虐殺以外の可能性(例:1939年の事件)があるが、歴史的リスクは残る。ウクライナの資金提供とズボイシェ許可は、ポーランドとの関係悪化を防ぎ、西側支援を維持するための「仕方ない」対応なのだろう。ポーランド領(ユレチュコヴァ)での資金提供はリスクが低く、ウクライナ領(ズボイシェ)での許可は対価として戦略的である。この協力は、国内のUPA支持層への反発を抑えつつ、西側に「歴史に向き合う姿勢」をアピールすることにある。
追悼日批判は、ウクライナがナチス協力の歴史によるイメージ悪化を恐れる本音を映し出す。ロシアが「ウクライナ=ナチス」の宣伝を続ける2025年、戦争中のウクライナにとって歴史問題は最悪のタイミングとみなされるからか、西側報道は少ない。しかし、このニュースは、協力(相互発掘)と対立(追悼日批判)が共存する両国関係の複雑さを示している。今後、発掘作業の結果が歴史認識や外交にどう影響するのか。ポーランドは歴史的正義を追求し、ウクライナは支援依存とイメージ管理のジレンマに直面するだろう。この事態は、歴史と現代の地政学が交錯する欧州の課題も浮き彫りにする。
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