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2025.06.04

ファースト/セカンド・レディへの「呪い」

 2025年6月、ウシャ・ヴァンス副大統領夫人は「サマーリーディングチャレンジ」を立ち上げた。子供たちの読解力向上を促すこのキャンペーンは、証明書やワシントンD.C.訪問を報奨に、親子に笑顔で語りかけるものだ。学校訪問やSNSでの呼びかけは、保守派の家族価値観を体現し、国民に親しみやすい。しかし、この微笑ましい活動の裏には、米国政治の根深いジェンダー規範が潜む。ファーストレディやセカンドレディの「奥様活動」は、国民の共感を呼び、政権の「人間的な顔」を示すが、それは本来の「人間的な顔」だろうか。背景には、1990年代のヒラリー・クリントンの「悪夢」と呼ばれる挑戦が、男性権力の枠組みに縛られた「呪い」を残している。

ヒラリーの「悪夢」

 1993年、ヒラリー・クリントンはファーストレディとして前例のない挑戦に踏み切った。ビル・クリントン大統領の命で、国民皆保険を目指す「クリントン・ヘルスケア改革」のタスクフォースを率いたのだ。選挙で選ばれていない彼女が、議会や行政の男性支配領域に進出したことは、当時は女性解放の象徴だった。フェミニスト学者ジョージア・デュアスト=ラティ(Duerst-Lahti: Gender Power, Leadership, and Governance, 1995)は、これを「女性の政治的エージェンシーの拡大」と称賛した。ヒラリーは、1995年の北京女性会議で「女性の権利は人権」と訴え、グローバルなフェミニズム運動にも火をつけた。しかし、保守派メディアや男性議員は当然、猛反発した。「権力の越権」「女性らしくない」と非難し、Time(1993年)は彼女を「夫の影を超えた」と批判した。改革は1994年に議会で否決され、民主党の中間選挙敗北を招いた。この「悪夢」は、男性権力の不安を露呈した。ヒラリーの挑戦は、女性が政治的リーダーシップを取る可能性を示したが、男性支配構造の抑圧により、結局潰された。彼女の失敗は、ファーストレディの役割を再定義し、後の「奥様」たちに深い影響を与えている。

「奥様活動」は男性権力の産物

 ファーストレディやセカンドレディの「奥様活動」は、米国政治の男性権力が作り上げた枠組みである。19世紀後半、ホワイトハウスは「国家の家庭」とされ、ファーストレディには「ホスト役」や「母親的」役割が期待された。これは、男性が政治や政策(公的領域)を支配し、女性を家庭や福祉(私的領域)に限定するジェンダー規範の反映だ。
 エレノア・ルーズベルト(1933~1945)は人権で活躍したが、彼女でさえ「女性らしい」テーマに軸足を置いた。ナンシー・レーガンの「Just Say No」(1980年代、ドラッグ防止)やバーバラ・ブッシュの読書推進は、子供や教育といった「安全な」テーマに絞られ、男性権力の領域への侵入を防ぐ。ウシャ・ヴァンスの2025年サマーリーディングチャレンジも、子供の教育に焦点を当て、トランプ政権第2期の保守派価値観を補強する。メラニア・トランプの「Be Best」(子供の福祉)や「Take It Down Act」支援(AIによるプライバシー保護)も同様だ。フェミニスト研究(Burns, First Ladies and the Fourth Estate, 2008)は、「奥様活動」が男性権力の許容範囲内に女性を閉じ込め、彼女たちの政治的エージェンシーを制限すると批判する。この枠組みは、女性解放の可能性を抑え込み、男性支配構造を維持する。

ヒラリーの「呪い」

 ヒラリーの「悪夢」は、後の「奥様」たちに「呪い」を課した。彼女のヘルスケア改革失敗は、ファーストレディが政策に直接関与すると反発を招くことを示し、非政治的テーマへの回帰を強いた。ミシェル・オバマ(2009~2017)は、ヒラリーの「教訓」を意識し、「Let's Move!」で子供の肥満に焦点を当てた。ホワイトハウス菜園やセレブとの連携で母親的イメージを強調し、Vogue(2009年)で「政治には関わらない」と明言までした。学校給食改革(2010年)に間接的に貢献したが、ヒラリーのような直接的権力行使を避けた(Women's Studies in Communication, 2010)。ジル・バイデン(2021~2025)は、女性の健康研究(2024~2025年、10億ドル予算)や「Joining Forces」(軍家族支援)で進歩性を示したが、議会での直接関与を避け、共感的なテーマでバランスを取った。Presidential Studies Quarterly(2023)は、ジルのキャリア継続(教師として初の有給ファーストレディ)がヒラリーの女性解放を継承しつつ、男性権力の枠内で「安全な」進化にとどまると分析している。2025年のメラニア・トランプやウシャ・ヴァンスも、子供やAI、教育といった非政治的テーマで、ヒラリーの「呪い」に従う。この「呪い」は、女性のエージェンシーを制限し、男性権力の支配を維持する。フェミニストは、こうした活動が「男性権力の従順な道具」と批判するが、共感的なテーマは国民の支持を集め、反発を抑える。

議員の配偶者

 上院議員や下院議員の配偶者の活動は、ファーストレディの「奥様活動」と似て、夫の政治的イメージを補完するが、規模や影響力は大きく異なる。ウシャ・ヴァンスは、2022年のオハイオ上院選で夫JD・ヴァンスを支え、家族的イメージを地元で強化した。しかし、ホワイトハウスのプラットフォームや予算、国民的期待がないため、全国的なキャンペーンはまれだ(Journal of Politics, 2023)。他の例として、ナンシー・ペロシ元下院議長の夫ポール・ペロシは、慈善イベントに出席したが、目立たない役割に徹した。フェミニスト視点では、議員の配偶者は男性権力の枠内で「家庭的」イメージを強化し、女性解放の挑戦は皆無だ。ファーストレディがホワイトハウスの特権的地位で微妙な女性解放の可能性を示すのに対し、議員の配偶者はその機会すらない。議員の配偶者が全国的イニシアチブを主導した例は見られない。
 ヒラリー・クリントン自身が上院議員(2001~2009)となり、ビル・クリントンが補助的役割を果たしたのは、例外中の例外でしかなかった。一般的な議員の配偶者は、地元限定で男性権力の「小さな枠組み」に収まり、ヒラリーのような「悪夢」を生じない。そして、この悪夢には、ビル・クリントンのスキャンダルの忌まわしい陰影がまとわりついている。




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