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2025.06.11

ニューハンプシャー州が切り開く教育の新時代

 2025年6月10日、ニューハンプシャー州は全米で17番目、民主党支持の州としては初めて「普遍的な学校選択制度」を導入した。共和党のケリー・アイオット知事が、所得制限を撤廃した学校バウチャー(教育選択券)プログラムの拡大法案に署名したのである。この制度は、すべての家庭が子1人当たり最低4,265ドルの公的資金を受け取り、私立学校の授業料や個別指導などの教育費に充てられるようにする。特別なニーズのある子どもには最大9,676ドルが支給される。アイオット知事は、親が子どものニーズに最適な教育環境を自由に選べるこの制度が、すべての生徒の可能性を最大限に引き出すと強調した。同時に署名された「親の権利法案」は、親が教育の中心的な役割を担うことを法的に裏付ける。ニューハンプシャー州は、2024年の大統領選挙で民主党のカマラ・ハリスを支持した州であり、その州が共和党主導の教育改革を成し遂げた事実は、教育の自由を求める動きが党派の壁を越えつつあることを示している。

学校選択制度の歩みとその背景

 米国の学校選択制度は、親が公的資金を使って公立学校以外の教育環境を選べる仕組みであり、2010年代以降、注目を集めてきた。2022年、アリゾナ州が全米で初めて普遍的学校選択制度を導入し、約8000万ドルの予算で1家庭あたり7,000ドルのバウチャーを提供した。これを皮切りに、フロリダ、アイオワ、テキサスなど共和党が支配する州が次々に同様の制度を採用した。背景には、コロナ禍での公立学校の閉鎖や遠隔授業に対する親の不満がある。教師組合が学校閉鎖を支持したことで、公立学校への信頼が揺らぎ、親の選択権を求める声が高まった。
 ニューハンプシャー州では、2021年に教育自由口座(EFA)としてバウチャー・プログラムが始まったが、所得制限により利用は低所得世帯に限られ、州内の生徒の半数未満しか対象ではなかった。この制限を巡り、共和党はアクセスの拡大を主張し、教師組合や民主党の一部は公立学校の予算削減を懸念して反対した。2025年の法改正で所得制限が撤廃され、すべての家庭が利用可能な制度へと進化した。この流れは、教育の多様性と親の権利を重視する全米的なトレンドを反映している。

共和党と民主党のせめぎ合い

 学校選択制度を巡る議論は、これまで共和党と民主党の対立を浮き彫りにしてきた。共和党は、親の自由と教育の競争を重視し、バウチャー制度を通じて私立やチャータースクールへのアクセスを拡大する。ニューハンプシャーのアイオット知事は、親が子どもの教育を主導すべきだと訴え、教師組合の影響力を抑える姿勢を明確にした。共和党は、コロナ禍での公立学校の対応を「硬直的」と批判し、公立学校に縛られない選択肢の必要性を強調する。一方、民主党は公立学校の保護と教育の公平性を優先する。教師組合は民主党の強力な支持基盤であり、バウチャー制度が公立学校の資金を奪い、教育の質を下げる可能性を指摘する。また、私立学校の規制不足や、特別ニーズの生徒が取り残されるリスクも懸念された。オクラホマ州の宗教系チャータースクール排除問題では、政教分離やアクセスの公平性を巡る議論が最高裁に持ち込まれ、民主党の慎重な姿勢が表れた。ニューハンプシャー州では、共和党が知事と議会を握る政治力で法案を押し切ったが、民主党支持の州での導入は、従来の党派対立に揺さぶりをかけるが、共和党は教育の自由を非党派的な問題と位置づけ、民主党の抵抗を「教師組合の言いなり」と批判した。

対立を超えた教育の未来

 ニューハンプシャー州の今回の事態は、学校選択制度がすでに単なる党派対立の産物ではないことを示唆している。民主党支持の州がこの制度を導入した事実は、親の選択権を求める声が党派の枠を超えて広がっている証拠と見てよい。コロナ禍で公立学校への不満が高まったことは、民主党支持者の中にも教育の多様性を求める層を生んだのである。専門家らは、「子どもは政府のものではない」と述べ、親主導の教育が非党派的な価値観として根付きつつあると指摘している。
 ニューハンプシャー州の成功は、他の民主党支持州にも影響を与える可能性がある。一方で、対立が完全に解消したわけではない。教師組合は公立学校の予算を守るため、引き続き抵抗するだろう。また、宗教系学校への資金提供や教育の質のバラつきは、今後も議論を呼ぶだろう。
 ニューハンプシャー州の制度は、すべての家庭に門戸を開いたが、実際にどれだけの親が私立学校を選ぶのか、特別ニーズの生徒への支援が十分か、といった課題は依然残る。教育の自由と公平性のバランスをどう取るかは、今後の全米の教育政策の焦点となる。ニューハンプシャー州の挑戦は、対立の中から新しい教育の形を模索する一歩になるだろう。
 なお、日本ではこうした問題提起すら起きてはいない。日本で普遍的な学校選択制度が広まらない理由は、公立学校への高い信頼、文部科学省による一元管理、集団主義を重視する文化、教師組合と保守派の対立の弱さ、既存の奨学金制度による私立学費支援の存在にある。日本の公立学校は質が高く均一性があるとされ、バウチャー制度のような自由化は現行制度や文化的価値観と相容れにくい。また、米国のような党派対立が教育政策に強く影響せず、議論が停滞している。しかし、東京では2025年の高校授業料無償化(所得制限なし)により、私立高校への進学が身近になり、学力中下位層が私立普通科に流入している。一方で、私立高校が進学校化や中学募集にシフトし、学力下位層の選択肢が都内で10校程度に激減するなど、格差拡大の懸念が生じている。都立高校では複数志願制度により商業・工業系の志望者が増えるが、将来的な生徒減や「勉強逃れ」の流入も課題である。東京の無償化は機会拡大をもたらす一方、選択肢の偏りや新たな格差を生む複雑な実態を示しているので、方向性としては米国的な制度に向かう素地はある。





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