イスラエル・イラン戦争: 代替選択肢は現実的だったか
2025年6月13日、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相はイランの核施設に対する大規模な軍事攻撃を開始した。攻撃はイランの防空システムをほぼ壊滅させ、軍事および科学分野の指導者を排除するなど、突然であったが綿密に計画された作戦であったかにも見える。ネタニヤフは明確な二つの目標を掲げた。イランの核プログラムの破壊と、聖職者体制の打倒である。しかし、こうした攻撃以外の選択肢は本当に存在しなかったのだろうか。外交交渉、限定的な軍事行動、国際的圧力の強化といった代替案は理論上考えられる。
外交交渉:繰り返された不信の歴史
イラン核問題を巡る外交交渉は、過去に何度も試みられてきた。2015年のイラン核合意(JCPOA)は、イランのウラン濃縮を制限し、国際査察を受け入れる代わりに経済制裁を緩和する枠組みだった。しかし、ネタニヤフは当時からこの合意を「歴史的過ち」と批判し、イランが核兵器開発を秘密裏に進める可能性を指摘していた。実際、イスラエルの情報機関モサドは2018年にイランの核関連文書を盗み出し、合意後もイランが核開発に関連する活動を続けていた証拠を公表したことがある。この経緯から、ネタニヤフはイランが外交交渉で誠実に対応するとは信じていなかった。国際社会もそれを看過してしまった。
2025年になり、トランプ政権下で新たな核合意に向けた交渉が進められていたが、ネタニヤフはこれにも懐疑的だった。2023年10月のハマスによる攻撃で約1200人のイスラエル人が殺害され、ネタニヤフの安全保障政策は国内で厳しい批判にさらされていた。交渉を選択すれば、「弱腰」と見なされ、支持基盤を失うリスクが高かった。
しかし、こうしたネタニヤフ政権の都合以外にも、イランは交渉中にウラン濃縮を加速させる可能性があった。IAEAの報告によれば、2024年末時点でイランは60%濃縮ウランを十分に保有しており、兵器級の90%まで濃縮すれば数発の核爆弾を製造可能となってきた。時間的制約とイランへの不信から、外交交渉はイスラエルの即時的な安全保障ニーズに応えられないとまで、ネタニヤフは追い詰められていたが、現実のイスラエルにはその代わりとなる指導者の選択肢はなかった。
限定的な軍事行動:過去の失敗と限界
イスラエルは過去にも、イランの核プログラムを遅らせるために限定的な軍事行動を展開してきた。2010年のスタックスネット・ウイルスによるサイバー攻撃は、イランの遠心分離機を破壊し、核開発を数年遅らせた。2007年から2022年にかけて、少なくとも6人のイラン核科学者が暗殺され、モサドの関与が疑われた。これらの行動は一時的な効果を上げたが、イランの核プログラムを完全に停止させるには至らなかった。2025年の時点で、イランのフォルドウ施設は地下約800メートルに位置し、通常の爆撃では破壊が困難である。IAEAのラファエル・グロッシ事務局長は、米国の2,000ポンド深部貫通爆弾でもフォルドウの核心部分を破壊するのは難しいと指摘していた。
また過去の限定的な攻撃は、イランの報復リスクも高めた。2024年4月、イランはイスラエルへの報復として300発以上のミサイルとドローンを攻撃し、イスラエルのアイアンドーム防空システムを部分的に突破してしまった。この攻撃で民間人10人以上が負傷し、報復の連鎖がエスカレートする危険性が明らかだった。このことから、今回の攻撃開始時にイスラエルはイランの防空システムをほぼ無力化を目指し、軍事指導者を排除していった。この一時的な優位性を活用せずに、従来のような限定的な攻撃に留まれば、イランが軍事力を再構築する時間を与えることになり、イスラエルの戦略的機会を失うリスクがあったとネタニヤフが考えても不思議ではない。過去の秘密工作の限界と、全面攻撃の必要性を考慮すると、限定的な軍事行動は非現実的だった。
国際的圧力と制裁:耐え抜くイランの歴史
国際的な経済制裁や外交的孤立を通じてイランに圧力をかける選択肢も考えられ、そして実際には虚しかった。米国は2018年にJCPOAから離脱後、イランに「最大限の圧力」政策を課し、石油輸出を大幅に制限した。2020年時点でイランの原油輸出は日量200万バレルから50万バレル以下に激減し、経済は深刻な打撃を受けた。しかし、イランは1980年代のイラン・イラク戦争や長年の制裁を耐え抜き、密輸や中国への輸出などで経済を維持してきた。2025年時点でも、イランのGDP成長率は2%程度で推移し、政権の崩壊に至らない。サウジアラビアとUAEは2023年にイランとの外交関係を正常化し、軍事的な対立を避ける姿勢を示していた。
制裁強化は基本的に時間のかかる戦略であり、イスラエルの安全保障上の緊急性に応えられなかった。イランは2024年にIAEAの査察を一部制限し、核不拡散条約(NPT)からの脱退を示唆していた。制裁がさらに強化されれば、イランがNPTを完全に離脱し、核開発を加速させるリスクが高まる。ネタニヤフにとって、制裁はイランの核プログラムを即座に阻止する手段ではないと映った。むしろイランの抵抗を強める可能性さえある。過去の制裁の限界と、地域の地政学的変化を考慮すると、国際的圧力は実行可能な選択肢ではなかった。
軍事行動に至った必然性
ネタニヤフが軍事行動を選んだ背景には、こうした過去の経緯と当時の状況が重なる。2023年のハマス攻撃は、イスラエル国内でネタニヤフへの信頼を揺らし、強硬な対応を求める声が高まった。イランの核プログラムは、IAEAの2024年報告で「兵器化可能な水準」に近づいており、放置すればイスラエルの存亡を脅かすリスクがある。トランプ政権の復帰により、米国からの情報共有や暗黙の支持が期待できる一方、ロシアはウクライナ戦争に注力し、サウジアラビアやUAEはイランとの対立を避けていく。このタイミングは、イスラエルがイランの防空システムと軍事指導者を無力化する絶好の機会だったとみなすことは、誰も予期したくはなかったが、事後に考えれば実は不思議でもなかった。
外交交渉はすでに言及したようにイランへの不信と国内の政治的圧力により非現実的だった。限定的な軍事行動は過去の失敗から効果が不十分と判断され、国際的圧力はイランの耐性と地域の変化により成果を上げられなかった。
ネタニヤフにとって、軍事行動はイランの核脅威を即座に弱め、国内支持を回復する唯一の現実的な選択でもある。しかし、現状、フォルドウ施設の完全破壊や政権打倒の達成は依然として困難であり、攻撃の長期的な影響は不透明である。理想的な平和や勝利を夢見る声は多いが、現実の地政学はそんな単純な解決を許さない。
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