古典動詞の『あり』の終止形はなぜ『あり』かとAIと問うこと
古典日本語の動詞「あり」の終止形が「あり」であって「ある」ではないという問いは、一見単純に見えるが、おそらく言語学の深淵に足を踏み入れることになるだろう。この問いは、単なる文法規則の確認を超えるかもしれない。あるいは、非常にシンプルな解答があるのかもしれない。そこで、AIがこの種の問いにどう応答するか、その限界と可能性を探ることは、現代の知のあり方を考える上で示唆に富むかもしれない。奇妙な話かもしれないが、古典語動詞の「あり」の終止形をめぐる問いを例に、AIの応答構造と未解明の問いが持つ本質的な難しさを考えてみたい。
古典語の終止形「あり」の謎
古典日本語において、動詞「あり」の終止形が「あり」であることは、初学者にとってすら基本的な知識である。動詞の活用体系では、五段活用動詞の終止形が語幹に「-i」を付けた形として現れるため、「あり」はその規則に忠実に従う。しかし、なぜ終止形が「-i」で固定されたのか、なぜ現代語のように「ある」が優勢にならなかったのか、という問いは容易に答えられない。
現代日本語では「ある」が終止形としても使われるが、古典語では「あり」が標準であり、この差異の背景には音韻的、形態論的、さらには文化的な要因があるかもしれない。これらの要因は、文献学や歴史言語学の研究でも、おそらく完全には解明されていない。たとえば、古代日本語の音韻体系において、母音終わりが文法的機能を果たす傾向があったとする仮説もあるだろうが、それが「-i」である必然性を説明するには不十分である。この問いは、言語の規則がどのように形成され、定着したのかという根源的な問題に繋がるが、学術的に「公認」された解答は、繰り返すが、存在しない。
AIの回答とハルシネーションの罠
大規模言語モデル(LLM)であるAIがこの問いに対峙すると、通常は既存のデータベースや文法規則に基づいた回答を生成する。たとえば、「古典日本語の動詞『あり』は五段活用に従い、終止形として『-i』で終わる形が採用された」と説明するかもしれない。これは事実の一面を捉えているが、なぜそのような規則が成立したのかという核心には迫らない。
問題は、AIがこの種の未解明の問いに対し、「わからない」と率直に答えることが難しい点にある。LLMは、ユーザーに有益な情報を提供することを優先する設計上、データから推測した「尤もらしい」回答を生成する傾向がある。これがハルシネーションと呼ばれる現象で、特に学術的に未解明の領域では顕著である。たとえば、「『-i』で終わる形は古代日本語の音韻体系が母音調和を好んだため」と答えるかもしれないが、この説明は文献的証拠が不足している場合、単なる推測に過ぎない。
AIのこの挙動は、知識の限界を明示することよりも、回答の完全性を優先するアルゴリズムの特性に起因する。結果として、ユーザーは一見もっともらしいが、検証が不十分な情報を受け取るリスクに晒される。
未解明の問いの本質的困難さ
奇妙な一例ではあったが、古典日本語動詞の「あり」の終止形をめぐる問いは、単なる文法の問題ではなく、言語の進化や文化の複雑な相互作用を反映していることは間違いない。言語の規則は、音韻、形態論、書記体系、そして話者集団の社会的・文化的習慣が絡み合って形成される。たとえば、古典日本語の終止形が「-i」で固定された背景には、和歌や漢文訓読といった当時の文芸的慣習が影響した可能性もありえるだろう。また、音韻体系の制約や、話し言葉と書き言葉の分化も関与したかもしれない。しかし、これらの要因は相互に影響し合い、単一の原因を特定することは困難である。さらに、古代日本語の音韻や語形変化に関する資料は限られており、完全な再構成が不可能な場合も多い。
要は、このような未解明の問いは、学術的に「公認」されていないがゆえに、研究の俎上に載りにくい。問い自体が曖昧で、検証可能な仮説を立てにくいため、学者でさえ正面から取り組むことを避ける傾向がある。当然、AIがこの種の問いに答える際、既存のデータに頼る限り、こうした複雑さを十分に捉えることは難しい。人間の研究者であれば、問いの曖昧さに立ち止まり、複数の視点からアプローチを試みるが、AIはデータの枠内で最適解を求めがちである。
AIと人間の対話による問いの再構築
それでは、AIはこの種の難問にどう向き合うべきか。まず、AIが自身の限界を明示することが重要である。「この問いに対する学術的解答は存在しないが、関連する視点として以下の点が考えられる」と前置きすることで、ハルシネーションのリスクを軽減できる。また、周辺の文脈を提供し、ユーザーが自分で考える材料を提示することも有効である。たとえば、「あり」の終止形に関して、音韻論的傾向や他の言語との比較、さらには当時の書記文化の影響を概観することで、ユーザーに新たな視点を提供できるかもしれない。さらに、AIとユーザーの対話を通じて、問いの焦点を絞り込むことも重要であるだろう。「『-i』の終止形が選ばれた理由」を掘り下げるのか、「古典語と現代語の差異」に焦点を当てるのか、ユーザーの関心に応じて問いを再構築することで、より有意義な議論は可能にはなる。
こうしたプロセスは、AIが単なる情報提供者を超え、思考の伴走者となる可能性を示すし、AIと人間の知の協働のあり方を考える契機ともなるだろう。当面というスコープで言うなら、未解明の問いに対する答えは、データの中にではなく、対話の中で生まれるありかたが、AIから人間い求められる、ある倫理を形成するだろう。
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