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2025.05.10

AIで蘇る歌声?

 日本ではあまり好まれないとは思うけど、米国のカントリーミュージックの伝説といえるのが、ランディ・トラビス。存命なのに伝説っぽくなってしまったのは、2013年彼は脳卒中で失語症を患い、歌声を失ったからだ。その彼が、人工知能(AI)の力を借りて新曲を発表し、ツアーを再開した。2024年の「Where That Came From」、2025年の最新シングル「Horses in Heaven」である。これらは、トラビスの過去の45曲のボーカルデータをAIで解析し、カントリー歌手ジェームズ・デュプレの声にトラビスの特徴を重ねて制作された。トラピスの妻メアリーは「11か月かけて1曲を作った。AIは魔法のようだった」と語っている。かくして、アンドロイド・トラビスは「More Life Tour」を2024年春から開始し、2025年秋まで延長し、デュプレのサポートを受けながらファンとの再会を果たしているという。本人の意志とAI技術が結びついたこの復活劇は、感動を呼ぶ一方で、それって何? という奇妙な疑問も生む。

そういえば、美空ひばり、ユーミン、小林幸子

 日本でも似た試みがなされていた。2019年、故・美空ひばりの声がAIで再現され、NHK特番で新曲「あれから」が披露された。ヤマハのVocaloid技術を応用し、過去の音声データからひばりの歌声を再構築。遺族と美空ひばり財団の許可を得たプロジェクトだったが、「故人の声を商業利用するのか」と賛否両論を巻き起こした。
 一方、松任谷由実(ユーミン)は存命で、2022年頃に実験的にAIで自身の声を再現した。本人が「面白い」と積極的に関与し、クリエイティブな挑戦として受け入れられた。ちなみに、僕はユーミンのファンだけど、これ聞いて、今後全部、AIでやってよと思った。
 さらに遡ること、小林幸子。2015年、自身の声を元にした「VOCALOID4 Library Sachiko」を発売した。演歌の「こぶし」や「降臨!」といった掛け声まで再現し、ニコニコ動画やコミケでファンと遊び心を共有した。まあ、最近その話題は聞かないけど。

著作権的にはどうなのか

 AIで声を再現する際、著作権や関連する権利が問題となる。トラビス、ひばり、ユーミン、小林幸子のケースは、法的にはクリアだが、マレーネ・ディートリッヒやマリア・カラスのような伝説の故人となると、その再現はグレーゾーンだ。
 トラビスは存命で本人が同意し、ワーナーなど権利者の許可を得て過去の録音を使用。新曲は元の楽曲と独立しており、著作権侵害はない。米国でのパブリシティ権(声やイメージの商業利用権)も本人の関与でクリア。ひばりは故人だが、遺族と美空ひばり財団、日本コロムビアが許可。AIは声の特徴を抽出し、新曲に適用するため、元の楽曲の著作権には触れない。ユーミンは存命で本人が関与し、ユニバーサルミュージックが権利を管理した。小林幸子の「Sachiko」は、ボカロ用の新録音データで、楽曲ではなく「声のライブラリ」として提供している。ヤマハがライセンスを管理し、ユーザーが作る新曲の著作権は別である。これらは本人の同意や権利者の管理により、法的問題はない。
 ディートリッヒ(1992年没)やカラス(1977年没)のAI再現となると、著作権問題は複雑だ。ディートリッヒの録音(1930~40年代)は、EUや日本の著作隣接権(録音から50~70年)で保護期間が一部切れている可能性があるが、レコード会社(EMIなど)の許可が必要だろう。米国ではパブリシティ権が強く、遺族やディートリッヒ財団の同意がないと訴訟リスクが生じる。カラスの録音(1950~60年代)はワーナーが権利を持ち、EUでは2040年代まで保護されている。日本では肖像権や名誉感情で遺族が訴える可能性もある。美空ひばりのように財団が賛同すればクリアだが、ディートリッヒやカラスの遺族の意向はそもそも不明である。国際的な権利関係の複雑さもあり、許可なく進めるのは法的にグレーだ。というか、まあ、やばい。

それで、これって結局なんなの?

 AIによる歌声の再現は、技術の驚異と倫理の葛藤が交錯する領域ではある。トラビスの復活は、本人の意志とファンの喜びが結びつき、AIのポジティブな可能性を示している。まあ、いいんじゃないの。ユーミンや小林幸子のプロジェクトは、存命の本人が遊び心で関与し、クリエイティブな実験として、概ね受け入れらたる。ひばりの事例では「故人の声をどう使うか」は議論を呼んだ。そして、ディートリッヒやカラスとなると、さらに「誰のため?」「何のため?」が曖昧になる。
 技術的には、過去のデータを解析し、声の特徴を新曲に重ねるプロセスはほぼ確立されている。問題は、その声に宿る「魂」やアーティストの遺志をどう尊重するかだ。著作権のグレーゾーンは、ディートリッヒやカラスのような故人の場合に顕著になる。法的許可が得られても、ファンが「彼女たちの芸術を汚す」と感じれば、「なんなのそれ?」という反発が生じる。カラスの完璧主義やディートリッヒの反骨精神は、AIで再現する領域なのか、そもそも。まあ、なんだろ、結局、これって何なんなの?




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