ウクライナのユーロ移行検討
2025年5月7日、Reutersはウクライナ国立銀行(NBU)総裁アンドリー・ピシュニー氏の発言を報じた。ウクライナは、グリブナの基軸通貨を米ドルからユーロに移行する可能性を検討しているという。このニュースは、ウクライナの経済的・地政学的苦境を映し出すが、BBC、The Guardian、米国の主要メディアでは詳しくは報じられていない。
ピシュニーの発言と経済の現実
ピシュニー氏は、EU加盟の可能性、世界市場の変動性、貿易の分断リスクを理由に、グリブナの基軸通貨をドルからユーロに変更する検討を始めたと述べた。ウクライナは1996年のグリブナ導入以来、ドルを基軸とし、2022年2月のロシア侵攻後は硬直的なドルペグ(1ドル=29.25グリブナ)を採用してきた。2023年10月からは管理変動為替レートに移行し、ドルを基準に為替介入を行っている。ピシュニー氏は、現在の為替市場ではドルがあらゆる分野で主導的な通貨であり、ユーロの利用も少しずつ増えてはいるものの、その進み具合は遅いため、ドルからユーロへの切り替えにはまだ時間がかかることの説明も加えた。
現状、ウクライナの経済は戦争で壊滅的といえる。2022年、GDPは30%減少し、2024年の輸出は2019年の半分(UNデータ)となった。対外債務は2025年時点で1400~1500億ドル(GDPの90~100%、世界銀行、BIS推計)、うちIMFへの未払い債務は108億ドル(2025年3月、IMF)となる。年間返済額は約200億ドル。外貨準備は2025年5月で467億ドル(Ukrinform、2025年5月7日)、または420~440億ドルと推定される(3~4月の423~424億ドル、TheGlobalEconomy.com)。短期の債務返済には余裕があるが、長期の持続は厳しいだろう。
EUシフトと米国の対応変化
ピシュニー氏がEU加盟を表明したのは、ウクライナの地政学的選択と見られる。2022年6月、ウクライナはEU加盟候補国に認定され、2030年頃の加盟を目指している。また、EUは、2022年以降、500億ユーロ超の軍事・経済支援をウクライナに提供する(Euronews、2025年5月)。ユーロ基軸の検討は、EUとの経済統合をアピールし、支援継続を求めるシグナルでもあるが、現実的には、複雑で多角的な準備が必要として、移行が遠い未来のことでも、まずEUへのコミットメントを示している。
今回の表明の裏には米国の対応の変化があるだろう。米国は2022~2024年に820~1740億ドルの支援を提供し、うち軍事援助は約700億ドル(Kiel Institute、米国務省)で、パトリオット防空システム、HIMARSロケット砲、ジャベリン対戦車ミサイルなどは、ほぼ無償供与だった。前バイデン政権は、議会承認なしの武器送付(PDA)や防衛産業調達(USAI)で支えたが、2025年1月のトランプ政権復帰で状況は一変した。トランプ氏は選挙期間中から「ウクライナは金食い虫」「欧州が金を出せ」と主張し、2025年3月4日には、軍事援助を全面停止した。2月28日には、ゼレンスキー氏との会談で「感謝が足りない」と激怒し、支援再開にロシアとの停戦交渉を条件とした。5月2日、初の軍事装備販売(5000万ドル以上)を承認したが(The Guardian)、無償でなく、ウクライナが金や鉱物資源で支払う取引である。トランプ氏の「ビジネス」路線は、「金で買え」と迫るものだといえよう。
金欠とドルペグの限界
このトランプ流の「金で買え」は、ウクライナにとっては重荷である。2025年5月の、ウクライナの外貨準備467億ドル(または420~440億ドル)は、債務返済(200億ドル)には短期的には余裕があるが、戦争で輸出は激減している。兵器の国内生産はドローンや砲弾の40%自給(ゼレンスキー氏、Al Jazeera)が限界だろう。ハイテク武器を買う金は乏しい。実際、2022年、米国の90億ドル緊急融資がなければグリブナは暴落していた可能性がある(WSJ)。トランプ政権の支援縮小は、ドルペグを支えた「米国の黙認」の終焉でもある。
ウクライナのドルペグ経済は、米国からのドル流入(820~1740億ドル支援、IMF融資)で成り立っていたものだ。ウクライナ国立銀行(NBU)は、2022年の予算不均衡(財政赤字約500億ドル、ウクライナ財務省)を理由に、7月21日にグリブナを25%切り下げた(1ドル=29.25→36.6グリブナ、Reuters)。戦争で輸出激減(2022年35%減、UNデータ)し、外貨準備を圧迫したこと(7月228億ドル、NBU)が背景である。2023年10月の管理変動為替移行は、債務過多とドル枯渇リスクの表れである。債務1400~1500億ドルで、ドル依存は今後は持続困難となるだろう。こうしたなか、ウクライナのユーロ移行の検討は、ドルがないウクライナがEUに支援を切り替える戦略と見られる。対して、EUは2025年5月に新貿易協定や融資を検討している。すでに、モルドバは2025年1月にユーロ基軸に移行し、2億ユーロ融資を得た例は、ウクライナの期待を映すが、EUの支援は米国ほど迅速でなく、経済効果は弱いとも見られる。
アルゼンチンの教訓
ドルペグという経済政策は、債務返済や貿易を安定させるが、外貨準備と支援国の後ろ盾が必須となる。歴史から学べる失敗例は、アルゼンチンである。1991~2001年、1ペソ=1ドルの通貨ボード制を採用したが、2001年に崩壊した。債務1000億ドル、外貨準備100億ドル、輸出低迷が原因(IMFデータ)。米国は支援せず、ペソは70%暴落、デフォルトと経済危機(GDP15%減)を招いた。2025年、アルゼンチンの債務は4000億ドル、インフレ200%超で、ドルペグは不可能となった(World Bank)。ウクライナは、2022~2024年の米国支援で外貨準備を維持したが、トランプ氏の支援縮小はアルゼンチンの「米国のお目溢しなし」に似ている。
大手メディアの沈黙
ピシュニー氏の発言は、ウクライナの苦境を結果的に露わにしている。金欠で武器を買えず、ドルペグは限界となり、EU支援は不確実である。ウクライナ国民に「EUで明るい未来」と希望を売るカモフラージュの意図かもしれないが、もう隠せない絶望感も透けて見える。債務返済のピンチは、ウクライナを崖っぷちに追い込むことから、このニュースは、実際には希望というより悲鳴に近いものとなってしまった。それが大手メディアの軽視、あるいは反応の鈍さの理由かもしれない。米系メディアとしても、トランプ氏の支援縮小を米国の失敗として報じたくないかもしれないし、ウクライナの金欠を強調すると、支援継続を疑問視する世論を煽ることにもなるだろう。BBCやThe Guardianは、EUの負担増や団結の乱れを避けたい。「ウクライナの弱さ」を報じると、読者に「支援はムダか」と失望感を与え、希望のナラティブを壊すことになる。Reutersは、これを経済ニュースとして事実を伝えるが、一般向けメディアは暗い続報を嫌うだろう。
EUの限界と武器供与の疑問
EUはウクライナの期待に応えられるのか。2025年5月、EUは新貿易協定や融資を検討しているが、予算は加盟国間の対立(ハンガリーなど)で遅れる。米国(820~1740億ドル)に比べ規模が小さい。ユーロペグには数百億ユーロが必要となるが、EUの財政規律が壁だ。ウクライナの泣きつきは、即座の対応を困難にする。
結局、誰がウクライナに兵器を供与するのか。トランプ政権の路線変更で、米国は無償供与をやめた。が、EUの武器生産は限られ、ウクライナが必要とするパトリオットやHIMARSは米国製である。NATOや第三国(韓国やイスラエル)の関与も考えられるが、資金は誰が持つのか。
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