« ウクライナ戦争の修辞学 | トップページ | 始祖鳥の新発見と鳥類進化 »

2025.05.15

私たちは「デジタルゴースト」になれるか?

 ふとSNSのタイムラインを眺めていたら、数年前に亡くなった人の誕生日の話題があった。なんだろうかとそのページを開く。さすがに、「お誕生日おめでとう」と書き込む人々のコメントが並ぶということはなかったが、生前の投稿もそのまま残っていた。その人が好きだった映画の話題や、日常の何気ないつぶやきがスクロールするうちに蘇り、まるでそこにいるかのような錯覚を覚え、リプライしたい気持ちにもなった。しかし、現実にはもうこの世にはいない。デジタル空間に取り残されたその人の痕跡は、そもそも、現代の世界において、故人の存在とは何なのかという問いを投げかける。
 SNSは、私たちの言葉や画像、動画を無限に記録し続ける。亡くなった人のアカウントがそのまま残るケースもあれば、フェイスブックのように「追悼アカウント」として管理する仕組みを提供するサービスもある。だが、これには賛否が分かれる。「死後のデータをどのように扱うべきか?」という問題に、私たちはまだ明確な答えを持っていない。また、AIの発展により、故人の人格をデジタル上に再現する試みも進んでいる。チャットボットが生前の会話や文章を学習し、遺族と「対話」できる技術も登場している。これは、故人の記憶を保持する画期的な手段なのか、それとも死を受け入れる妨げになるのか。デジタル時代における死とは、単に肉体が朽ちることではなく、データとしてどこまでも残ることをも意味するようになった。私たちは、この新しい「デジタル墓標」とどのように向き合うべきなのだろう。

デジタル不死

 「もし、あなたが死んだ後も、AIがあなたの思考や話し方を再現し、会話できるとしたら?」そんな未来は、すでに現実になりつつある。近年、AI技術の発展により、生前の発言や行動データを学習し、その人らしい受け答えをするプログラムが開発されているともいう。亡くなった家族のLINEのやりとりやメールをもとに、遺族と仮想的に会話できるAIもできるだろう。生前の動画や音声データを組み合わせれば、さらにリアルな再現が可能になる。
 例えば、2024年にスタンフォード大学とGoogle DeepMindの研究チームは、2時間のインタビューだけで個人の価値観や好みを高精度に再現するAIモデルを開発した。このモデルは、1000人の参加者のインタビューをもとに、性格テストや社会的調査で本人とほぼ同等の結果を出す「仮想人格」を生成する。こうした技術は、遺族が故人と「対話」するだけでなく、ビジネスや教育での個別化された仮想アシスタント作成にも応用可能だ。また、韓国では2021年に注目された故人のVR再現技術が進化し、2024年にはよりリアルな表情や声の再現を可能にするAI駆動の「デジタルメモリアル」が商業化されている。これにより、遺族はVR空間で故人と「再会」し、過去の思い出を追体験できるサービスが広がっている。AI技術の進歩により、私たちは死後も生前と同じように対話できる可能性を手に入れつつある。これは、遺族にとって慰めとなる一方で、新たな倫理的課題を生む。この「デジタル不死」は、なんなのだろう。哲学は答えてくれているだろうか。AIがいくら言葉遣いや思考パターンを再現しても、それは本人と同じ存在だと言えるのだろうか。意識の連続性とは何か。AIが「なりきっている」だけなのか、それともある種の「魂の保存」なのか。『攻殻機動隊』みたいな話になってきたな。というように、こうした疑問は、かつてSFのテーマだったが、今や現実のものになろうとしている。技術の進歩が、私たちの死生観を根本から変えてしまう。
 AIによる人格再現が進む一方で、これが生むのは単なる「デジタル不死」ではないかもしれない。それは、かつての幽霊や霊魂の概念が、デジタル技術によって別の形で実現する可能性も示唆している。例えば、死後もSNSのアカウントが動き続けるケースや、AIが故人の人格をシミュレーションすることで、仮想的に「話し続ける」存在が生まれる現象は、まるでデジタルゴーストのようだ。『ファウンデーション』のハリ・セルダンは身近になってきた。
 そういえば、マイクロソフトが過去に取得した故人再現AIの特許は、2024年時点で具体的な製品には至っていないが、類似技術はエンターテインメント分野で進化している。例えば、Metaの「Codec Avatars」技術は、2025年にオープンソース化が進み、VR空間でのリアルなアバター対話を可能にしている。これにより、故人の映像や声を基にしたアバターが、遺族や友人とVRで交流する実験が行われている。また、医療分野では、AIとVRを組み合わせた「仮想患者」トレーニングが普及し、故人のデータを使ったシミュレーションで医師が診断技術を磨く事例も報告されている。

倫理の変容

 こうした試みは、倫理的な問題もはらんでいる。古典的な幽霊は記憶の中にのみ存在していたが、今ではAIによって対話可能な存在になりうる。もし、死者がこのような形で社会に残り続けるなら、私たちは死後の存在に対してどのような倫理観を持つべきなのだろう。この「デジタルゴースト」が増え続ける未来は、社会全体の死生観にも影響を及ぼす。私自身、67歳で、数年後、孫を見ることができたらいいなと思うが、孫と語り合うまでの幸運はないだろう。自分の子供たちは私に関心はもたなかったが、孫は、祖父(私)はどんな人だろうと思うかもしれない。その孫に、私の応答ボットを作っておきたい気持ちはある。
 デジタル人格再現の倫理的課題はさらに注目されるようになってきた。例えば、スタンフォードの研究では、AIが個人のデータを学習する際のプライバシー保護が課題として浮上している。参加者のデータが不適切に使用されるリスクを防ぐため、厳格な同意プロトコルが必要とされているのだ。また、VRやAIを用いた故人再現サービスでは、遺族が「再現された故人」に過度に依存し、グリーフケアが妨げられるケースが報告されており、心理学者によるガイドライン策定が求められている。さらに、法的には、故人のデジタルデータの所有権や利用権を巡る議論が各国で進む。例えば、EUではGDPRの枠組みを拡張し、死後のデータ管理に関する規制案が検討されている。この延長にはいろいろ面倒な連想が生じる。法律においては、故人のデジタルデータの権利や管理を巡る新たな議論が生まれる可能性もある。また、今、想像で孫に向けた私のAIボットを想像したが、それ自体、死後というものの世界観の変容ではあるだろう。AIによる人格再現が魂の概念に影響を与えるかもしれない。「亡くなっても会える」「死んでも消えない」という新たな価値観を生み出す。よくわからないなあ。そもそも、私のは量産型モブボットのパラメータをちょいと変更するくらいのものかもしれないし。
 2025年のVRトレンドを見ると、AIとVRの融合はさらに加速し、メタバースや教育、医療での応用が拡大している。例えば、HQSoftwareが開発したVR医療トレーニングでは、AIが故人のデータを使って仮想患者を生成し、リアルな診断練習を可能にしている。こうした技術が進めば、故人の「デジタルゴースト」が社会に溶け込み、例えば仮想空間での家族イベントに参加する未来も想像できる。しかし、これが死生観や人間関係に与える影響は未知数だ。私たちは、技術の恩恵とリスクを天秤にかけながら、デジタル不死の時代をどう生きるべきなんだろうか。



|

« ウクライナ戦争の修辞学 | トップページ | 始祖鳥の新発見と鳥類進化 »