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2025.05.11

宗教法人の非課税特権と地域社会

 日本では、宗教法人が所有する土地や施設が非課税となる特権が、長年にわたり議論の的となってきた。信教の自由を保障する憲法第20条と、公金を宗教団体に支出しないとする第89条に基づき、この特権は宗教活動の独立性を守るものとされてきた。しかし、現実には、この制度が地域社会や経済にマイナスの影響を及ぼす事例が散見される。福井県勝山市の越前大仏や、東京都武蔵村山市の真如苑が所有する日産工場跡地を例にこの問題を紐解きつつ、憲法に手を付けずとも、税制や関連法の運用を見直すことで解決策を見出せる可能性を探ってみたい。

越前大仏はバブル期の残骸から非課税へ

 福井県勝山市にそびえる越前大仏は、バブル景気の象徴ともいえる施設だ。1987年、地元出身の実業家・多田清氏が私財を投じて建立したこの大仏は、高さ17メートルで奈良の大仏を凌ぎ、五重塔は75メートルで日本一を誇る。観光振興を掲げたテーマパーク型のプロジェクトだったが、開業当初の入園料3000円は高額すぎて、客足は伸び悩んだ。そしてバブル崩壊後、運営はさらに苦しくなり、1996年頃から固定資産税の納付が困難になった。が、2002年、施設は宗教法人(臨済宗妙心寺派の大師山清大寺)として認可され、非課税の恩恵を受ける形に落ち着いた。
 つまり、当初は株式会社が運営し、税負担を負っていたが、宗教法人化でそれがゼロになったのである。土地や建物は競売にかけられたが買い手がつかず、勝山市が管理を引き受けるも公売は9回不調に終わり、今や門前町はシャッター街である。観光振興の夢は潰え、自治体には負の遺産が残された。ここでは非課税特権がなければ、運営主体は税負担に耐えきれず、早々に施設を売却か活用に動いたかもしれない。結果として、地域経済への還元はほとんどなく、市民の不満だけが募っている状態でもある。

真如苑の日産工場跡地は事実上放置

 東京都武蔵村山市と立川市にまたがる日産村山工場跡地は、別の形で非課税の問題を浮き彫りにする。2001年に工場が閉鎖され、2002年、宗教法人・真如苑が全体の約75%にあたる106万平方メートルを739億円で購入した。以来20年以上、土地の大部分は未開発のまま事実上放置されている。跡地全体は139万平方メートルで、一部はイオンモールや公共施設用地に転用されたが、真如苑所有のエリアは雑草管理のロボットが動く程度で、具体的な活用がまったく進まない。
 真如苑側は「プロジェクト真如ヤーナ」として、明治神宮の森をモデルにした自然再生や、運慶作の大日如来像を安置する寺院建設を構想に掲げてはいる。しかし、進捗ははっきりとした形としては目に見えず、地元住民からは「実質的な放置」と映るのも自然だ。武蔵村山市は工場閉鎖で経済基盤を失い、税収減や人口流出に悩む中、広大な土地が非課税で放置される現状は、地域再生の機会損失としか言いようがない。当初、真如苑は固定資産税相当額を寄付する意向を示したが、それがどの程度実現しているのかも不透明だ。非課税特権がなければ、維持コストが重荷となり、土地の売却や活用に動かざるを得なかった可能性が高いのだが。

非課税特権がもたらす歪み

 これら二つの事例に共通するのは、宗教法人の非課税特権が、地域社会のニーズと乖離した形で機能している点だ。越前大仏では、観光施設としての失敗を非課税で延命させ、真如苑では広大な土地を長期放置する余裕を与えている。憲法が信教の自由を保障する趣旨は理解できるが、現行制度が経済的公平性や地域振興を損なうケースが増えているのは見過ごせない。
 宗教法人の課税については、戦後の宗教法人法(1951年施行)制定以降、比較的一貫して「宗教活動に資する財産」は非課税とする立場が取られてきた。これは、戦前の国家神道体制への反省から、国家と宗教の関係を慎重に扱う必要があるという戦後憲法の理念に基づくものである。実務上は、1960年代以降、国税庁や自治体が課税範囲の解釈を示す「通達」や「運用指針」を設けてきたが、その多くは宗教法人の主張に一定の理解を示す内容であり、「宗教活動に資するか否か」の線引きが極めて緩やかに運用されてきた歴史がある。とりわけ、1980年代から90年代にかけては、新興宗教団体の不動産取得が急増し、施設規模が拡大する一方で、税務当局は判断の難しさから積極的な課税に踏み込めない状況が続いた。これが、公益性や活用状況を問わず、宗教法人による大規模不動産の非課税化を助長する結果となった。
 特に問題なのは、非課税の条件が緩すぎることだ。宗教法人法では「宗教活動に資する財産」と申告すれば免税が認められるが、その定義が曖昧で、実質的な公益性や活用状況は問われない。結果として、自治体の税収が減り、公共サービスの財源が圧迫される。武蔵村山市のように、土地が有効活用されず税収も得られない状況は、住民にとって不公平感を強めるばかりだ。

この問題解決に憲法改正は必要か?

 この問題を解決するには、大元の憲法改正が必要と考える向きもあるかもしれない。確かに、第89条を見直し、非課税特権を制限する条文を加えれば、根本的な解決に近づく。しかし、憲法改正は現実的には政治的ハードルが高く、信教の自由との衝突を巡る議論が長期化すれば、何も動かない膠着状態に陥る。実際、統一教会問題で宗教法人法の見直しが議論される中でも、憲法に触れる案は現実味を帯びていない。
 では、打つ手がないのか。実はそうではない。憲法に手を付けずとも、税制や関連法の運用レベルで非課税特権を見直すことは十分可能だろう。

解決策1:宗教法人法の条件厳格化

 宗教法人法に公益性の基準を導入する。例えば、「宗教活動に資する財産」の非課税を認める条件として、地域社会への貢献度を評価する。具体的には、施設の一般開放、雇用創出、災害時の活用実績などを基準にすればよい。また、一定期間(例:10年)以上未利用の土地や建物は、非課税の適用を外すルールを設ける。これなら、越前大仏のような放置施設や、真如苑の未開発地に圧力をかけられる。信教の自由を侵害せず、運用ルールの変更だけで済むため、実現性は高い。

解決策2:税制上の特例措置

 税制で柔軟な対応を図る。地方税法や法人税法を改正し、「未利用資産への課税」を導入する案だ。例えば、真如苑の106万平方メートルのうち、実際に宗教活動に使われていない部分に限定的な固定資産税を課す。また、資産規模が一定以上(例:100億円超)の宗教法人には、非課税の上限を設ける。これにより、大規模な土地保有を続ける団体に経済的負担を課し、活用か売却を促せる。憲法第89条に抵触しないよう、「宗教活動そのもの」ではなく「公益性の欠如」を理由にすれば、法的な正当性も担保される。

解決策3:自治体の裁量拡大

 地方自治体の権限を強化する。例えば、「地域貢献税」のような名目で、任意の支払いを求める仕組みを検討する。法的強制力はなくても、世論の圧力で宗教法人の協力を引き出せるかもしれない。また、都市計画法を活用し、未利用地のまま放置する場合に開発促進を促す規制を連動させる。これなら直接的な課税を避けつつ、間接的に活用を迫る効果が期待できる。

実現への道筋と課題

 これらの提案は、国会での法律改正や省令変更で実現可能だ。現在、統一教会問題を機に、宗教法人法見直しの機運が高まっている今は、議論を進める好機でもある。「10年以上未利用の土地は固定資産税の免除を解除する」というシンプルなルールなら、すぐにでも法案化を検討できるのではないか。
 もちろん、課題もある。宗教団体からの反発は避けられず、資金力のある団体は訴訟をちらつかせて抵抗する可能性が高い。各種宗教法人は、集票の利害から、左派が目の敵にする以外でも国会議員との関連も深い。また、「宗教活動」の定義を巡る線引きが曖昧だと、運用が混乱する恐れもある。それでも、現行制度の歪みを放置するよりは、具体的な一歩を踏み出す価値がある。前に進む時期だろう。真如苑が災害時に土地を避難所として開放する規約を設けるだけでも、一時的な貢献にはなる。それでも、平時の活用が進まなければ、地域の苦々しさは解消されない。非課税特権の見直しは、信教の自由と公益のバランスを再考する契機でもある。

 


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