次期教皇はアジアから?
カトリック教会の次期教皇を選出する選挙(コンクラーベ)が2025年5月に予定される中、フィリピン出身のルイス・アントニオ・タグレ枢機卿(67歳)が、有力な候補者の一人として注目を集めている。アジア初となる教皇誕生への期待を担い、「フィリピンのフランシスコ」とも称される人物だ。その動向は、バチカン専門家や進歩派の枢機卿、そしてアジアのカトリック信者たちの間で大きな関心を集めている。
歴史的な転換点となるコンクラーベ
カトリック教会の今後を左右する次期教皇選出のコンクラーベは、2025年5月7日からバチカン市国のシスティーナ礼拝堂で開催される予定である。投票権は80歳未満の枢機卿に与えられ、今回は134人がその資格を有する(存命中の枢機卿は252人だが、80歳以上の枢機卿や健康上の理由などで参加を辞退する者を除く)。
今回のコンクラーベは、いくつかの点で歴史的な節目となる。第一に、史上初めてヨーロッパ出身の枢機卿が参加者全体の半数を下回る点だ。第二に、これに伴い、アジア(23人、約17.2%)、アフリカ、ラテンアメリカといった地域出身の枢機卿の影響力が増大すると見込まれる点である。アジア出身枢機卿の内訳を見ると、フィリピン(5人)とインド(4人)が多く、その他、韓国、ミャンマー、日本などからも参加者がいる。日本からは前田万葉(まえだ まんよう)枢機卿と菊地功(きくち いさお)枢機卿が参加する。 第三に、参加者の約8割が現フランシスコ教皇によって任命された枢機卿で占められる点も注目に値する。この構成は前教皇の進歩的な意向が反映されやすいとも考えられる。が、専門家の間では、任命された枢機卿の中にも保守的な思想を持つ者が少なくないとも指摘されている。
有力候補、タグレ枢機卿とは?
注目されているルイス・アントニオ・タグレ枢機卿は、1957年にフィリピンのマニラで生まれた。アテネオ・デ・マニラ大学で神学を修めた後、1982年に司祭に叙階され、その後、アメリカのカトリック大学で博士号を取得し、1997年にはイムス司教、2011年にはマニラ大司教に任命された。そして2012年、当時の教皇ベネディクト16世により枢機卿に任命され、現在はバチカンの福音宣教省長官として、教会の宣教活動を統括する要職を務めている。故フランシスコ教皇とは親密な関係を築いており、その進歩的な姿勢は、教皇の路線に通じるだけでなく、母国フィリピンが直面する貧困や格差といった社会問題への深い関与に根差している。スラム街への訪問など、貧困層との直接対話を重視する姿勢は、現地での活動を通じて信者からの厚い信頼を集めてきた。タグレ枢機卿は、公式な肩書よりも愛称「チト」で呼ばれることを好むと言われ、気さくで庶民的な人柄でも知られる。感情に強く訴えかける説教も彼の特徴であり、その親しみやすさはアジアのみならず世界中のカトリック信者からの共感を呼び、教皇候補としての魅力の一つとなっている。
タグレ枢機卿への支持と選出への課題
タグレ枢機卿への支持は、主に進歩派の枢機卿やアジアのカトリック共同体から寄せられている。進歩派の枢機卿たちは基本的に故フランシスコ教皇の路線に共鳴することもあって、タグレ枢機卿が示すLGBTQや離婚・再婚者への柔軟な姿勢、そして貧困層への献身を高く評価している。また、アジアのカトリック教徒、特に人口の約8割(約8600万人)をカトリック信者が占めるフィリピンでは、彼が初のアジア出身教皇となることへの象徴的な意味合いも含め、大きな期待が寄せられている。フィリピン出身の5人を含むアジアの枢機卿23人が、地域の代表としてタグレ枢機卿を支持する可能性も指摘されている。加えて、バチカン専門家やメディアからの注目度も高く、例えばFox Newsは「多くのバチカンウォッチャーがタグレ枢機卿を最有力候補と見ている」と報じている。
しかし、タグレ枢機卿の選出にはいくつかの課題も横たわっている。第一の課題は、保守派との対立である。先述の通り、故フランシスコ教皇が任命した枢機卿の中にも保守派は少なくなく、タグレ枢機卿の進歩的な姿勢は、保守派からの反発を招きやすいものと見なされている。したがって伝統的な教義を重視する保守派からの反発は必至であり、全会一致を目指すコンクラーベにおいて、この対立が投票の長期化や分裂を招くリスクを内包している。つまり、コンクラーベが長引くなら、その対立が内部に潜んでいることを示すだろう。
第二の課題として、毎度の常として他の有力候補の存在が挙げられる。ヨーロッパ、アフリカ、ラテンアメリカの枢機卿たちが、それぞれの地域の候補者を支持する動きに出る可能性もある。過去に名前が挙がったアフリカのピーター・トゥルクソン枢機卿(ガーナ)や、ヨーロッパのクリストフ・シェーンボルン枢機卿(オーストリア)、マッテオ・ズッピ枢機卿(イタリア)などが、対抗馬として浮上する可能性も考えられる。アジア地域内ですら他の候補者がいる。韓国のラザロ・兪興植(ユ・フンシク)枢機卿は韓国メディアによって有力視されており、ミャンマーのチャールズ・マウン・ボ枢機卿も候補として名前が挙がっている。もちろん、アジア出身枢機卿といっても、その間で意見が必ずしも一致しているわけではない。
基本的に、コンクラーベそのものが持つ不確実性がある。コンクラーベは完全に非公開で行われるため、事前の予測は極めて困難である。2013年のコンクラーベにおいて、当時アルゼンチンの枢機卿であったホルヘ・ベルゴリオ(後のフランシスコ教皇)が予想外に選出された例もあるように、現在の注目度が必ずしも選出結果に直結するとは限らない。
現代世界における教皇の役割
教皇選挙はいつの時代も注目を集めてきた。そしてそれは常に時代の背景のなかで描き出される。現在世界はどうか。ロシア・ウクライナ戦争、米中対立、気候変動、移民問題、宗教的過激主義の台頭など、世界が分断と多様な危機に直面する。この状況下で教皇が担うべき役割はいまだ大きい。約13億人の信者を擁するカトリック教会のトップとして、また国際社会で独自の外交を展開するバチカン市国という「国家」の元首として、教皇には単なる宗教指導者の枠を超え、道徳的・外交的な指導者としての役割が期待されている。それは故フランシスコ教皇も示したものだ。彼は、貧困、環境問題、平和の重要性を一貫して訴え、特に2015年の回勅『ラウダート・シ』では気候変動への取り組みを促し、移民の受け入れについても強く呼びかけてきた。タグレ枢機卿が選出されれば、こうした故フランシスコ教皇の路線を継承し、格差是正や環境問題に対するメッセージを一層強化するものと見られる。特にアジアは気候変動や貧困の影響を色濃く受けている地域であり、アジア出身であるタグレ枢機卿の視点は、これらの問題に対する国際的な共感を広げる上で有利に働く可能性もある。
外交面においても、バチカンは重要な役割を担う。中国との司教任命に関する暫定合意(2018年締結、2022年更新)や、ウクライナ和平に向けた継続的な働きかけなどは、その具体的な現れである。また、実はこれはメディアではあまり注目されない大問題でもあるのだが、中国国内の約1200万人のカトリック信者は中国政府の管理下にあり、そのためバチカンとの関係はデリケートな側面を持っている。タグレ枢機卿が教皇に就任した場合、アジア出身者としての視点を活かして中国との対話を進展させる可能性は期待される一方で、台湾や西側諸国との関係性についても慎重な舵取りが求められるだろう。
グローバル化と宗教的多元主義が進展する現代にあっては、異なる文化や宗教間の対話を促進することも新時代の教皇に求められる重要な役割である。アジア出身の教皇が誕生すれば、キリスト教徒が少数派であるアジア地域(例えば日本では約0.5%、インドでは約2.3%)においてカトリック教会のプレゼンスを高めるだけでなく、仏教やヒンドゥー教といった他の主要宗教との対話や共存を一層深める重要な契機となる可能性もある。タグレ枢機卿の親しみやすい人柄は、こうした対話を進める上で有利に作用する可能性も考えられる。
ポピュリズムやナショナリズムが台頭し、社会の分断が深刻化する現代において、教皇は人類の普遍的な価値を訴えかける上で、依然として重要な存在であるといえる。タグレ枢機卿が示す貧困層への献身的な姿勢や、多様な人々を受け入れる包容力は、経済的・社会的な格差に苦しむ世界中の人々にとって、希望のメッセージとなりうる。とはいえ、誰が新教皇となるのか。ここで、それは神のみぞ知るとすれば、たちの悪い冗談になってしまう。
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