フランシスコ教皇の死
2025年4月21日、フランシスコ教皇が88歳でこの世を去った。約13億人の信者を擁するカトリック教会の指導者であり、平和と改革の象徴だった彼の死は、宗教や国境を越えて世界中に衝撃を与えた。アルゼンチンのブエノスアイレスでは、教皇が若年期に通ったサン・ホセ・デ・フローレス大聖堂で信者が肖像を抱き涙し、ローマのサンピエトロ広場には花やろうそくが捧げられた。X上では、「希望の使者」「貧者の友」との言葉がトレンドとなり、教皇の平和へのメッセージを讃える投稿が溢れた。
2019年にカトリックに改宗した、米国副大統領JDバンスは「彼のミサでの説教は私の心に残る」と述べ、英チャールズ国王は「復活祭の務めを果たした彼の魂に安らぎを」と追悼した。日本では石破首相がその面相で「深い悲しみ」を表明し、2019年の広島訪問で核廃絶を訴えた教皇を悼む声が被爆者から寄せられた。教皇の死は、宗教指導者を超えたグローバルなリーダーとしての影響力を改めて浮き彫りにした。後継者選出のコンクラーベが控える今、世界は彼の遺した足跡を振り返り、その喪失を悼んでいる、のだが。
教皇の経歴
フランシスコ教皇、本名ホルヘ・マリオ・ベルゴリオは、1936年12月17日、アルゼンチン・ブエノスアイレスに生まれた。イエズス会出身で、2013年3月13日、ヨーロッパ外初かつ中南米初の教皇(第266代)に選出された。労働者の子として育ち、質素な生活を貫いた彼は、ブエノスアイレス大司教時代から貧困層や疎外された人々に寄り添う姿勢で知られた。
在位12年間の業績はそれなりに多岐にわたる。核兵器廃絶を訴え、2019年の広島・長崎訪問では「核兵器は倫理に反する」と力強く宣言した。気候変動対策や難民支援を推進し、2015年の回勅『ラウダート・シ』で環境保護をカトリック教義に結びつけた。聖職者の性的虐待問題には厳格な対応を求め、教会の透明性を高めた。LGBTQの包摂や同性婚への寛容な発言は、保守派との軋轢を生んだが、「開かれた教会」を体現した。外交面では、2014年の米国・キューバ国交回復を仲介し、ウクライナやガザでの停戦を繰り返し呼びかけた。車いす姿で最期まで公務を続けた彼の姿は、信念と謙虚さの象徴として世界に刻まれた。よくやっていたなあという印象は誰もが持つ。
死因は意外に複雑
88歳という高齢での死去は、医学的には驚くべきことではない。フランシスコ教皇は長年、膝や腰の慢性疼痛、若年期の片肺摘出、そして最近の両側性肺炎など、健康問題を抱えていた。2025年2月から3月にかけての入院と在宅療養は、彼の脆弱な健康状態を物語っていた。それでも、死去前日の4月20日、復活祭ミサでサンピエトロ広場に車いすで現れ、ガザ停戦を訴え、JDバンス副大統領と会談した彼の姿は、衰えを感じさせなかった。だからこそ、翌朝の突然の死は多くの人々に衝撃を与えたことになった。が、注目すべきは、死因の「脳卒中と心臓発作」が単純な病態ではなく、複数の要因が絡む複雑な経過をたどった点である。
脳卒中と心臓発作の連鎖
バチカンの公式発表によると、教皇は4月21日早朝、脳卒中を発症し、昏睡状態に陥った後、心臓発作で死去した。脳卒中は、血流障害による脳の損傷で、虚血性(血栓やプラークによる血管閉塞、米国で全脳卒中の87%)と出血性(血管破裂による脳内出血)に大別されるが、教皇のケースではどちらかは公表されていない。この不特定性が、死因の解釈を複雑にする一因だ。
脳卒中が昏睡を引き起こすメカニズムは、脳の酸素不足による神経機能の急激な低下にある。昏睡は呼吸や心拍を司る中枢神経に影響を及ぼし、全身の循環や代謝にストレスを与える。心臓発作(心筋梗塞や重度の不整脈)は、脳卒中による血圧変動や自律神経の乱れ、酸素不足が誘発した可能性が高い。88歳の高齢者では、動脈硬化や心血管疾患の潜在的リスクが背景にあり、単一の原因ではなく複数の臓器の連鎖的障害が関与する。心臓に過剰な負荷をかけ、既存の心疾患を悪化させた可能性も否定できない。こうした多臓器不全のリスクは、高齢者医療でよく見られるが、教皇のケースでは詳細な医療データ(脳画像、心電図、血液検査)の非公開により、正確な因果関係は不明のままとなる。
健康背景の複雑性
教皇の健康背景も死因の複雑性を増す。2025年2月中旬から3月23日まで、両側性肺炎と呼吸器感染症で入院していた彼は、退院後も完全には回復していなかった。肺炎は肺機能を低下させ、全身の炎症を誘発する。そこで心血管系への負担が増し、血栓形成や血圧不安定のリスクが高まる。肺炎は脳卒中や心筋梗塞の遠因となることが医学的に知られている。さらに、片肺摘出の既往や高齢に伴う動脈硬化は、循環器系の脆弱性を増していた。
死去前日の活動も見逃せない。復活祭ミサは、教皇にとって宗教的義務の頂点であり、車いすでの参加は体力と精神の両面で大きな負担だった。JDバンスとの会談や平和メッセージの発信も、高齢者にとってはストレスフルな公務だ。これらが直接的な引き金だったかは不明だが、急激な血圧上昇や心拍負荷が脳卒中を誘発する可能性は医学的にあり得る。健康状態が不安定な中での精力的な活動は、教皇の使命感の表れであると同時に、身体へのリスクを高めたかもしれない。
状況的複雑性
死去の状況も複雑さを加える。教皇はバチカン市内の自宅で死去したが、バチカンには高度な医療施設が限られる。脳卒中は発症直後の診断(CTやMRI)と治療(血栓溶解療法や外科的介入)が命を左右するが、在宅療養中の教皇にどの程度の緊急対応が可能だったかは、実は疑問である。3月の退院後、常時監視の医療体制が整っていたかも公表されていない。復活祭のタイミングも、教皇の体力を極限まで試した可能性がある。宗教的意義の重さと公務の負担が、健康悪化の間接的要因となったかもしれない。
バチカンの情報公開の限界も、死因の複雑性を助長する。公式発表は「脳卒中と心臓発作」と簡潔だが、詳細な医療記録(剖検の有無、治療内容、発症時刻の正確な経過)はすでに述べたように非公開である。カトリック教会は伝統的に教皇の健康情報を厳格に管理し、完全な透明性を避ける傾向がある。メディアはバチカンの発表に依存し、一般的な脳卒中の解説を補足するにとどまる。脳卒中の種類、肺炎との関連、発症の正確な引き金は、こうした情報の欠如により推測の域を出ない。この不透明さが、死因の複雑さを際立たせる。
陰謀論的な問題はないだろう
教皇の死因の複雑さは、医学的・状況的な要因に起因するものであり、陰謀論的な憶測を必要とするものではない。脳卒中と心臓発作は、88歳の高齢者にとってありふれた死因であり、肺炎や既往症、公務のストレスといった背景を考慮すれば、極めて自然な経過と言える。バチカンの発表は簡潔で不明なことも多いが、大枠、医学的に矛盾する点はなく、剖検や追加調査の不在も、教皇の死去における慣例に沿ったものである。
とはいえ、この文脈で興味深いのは、教皇の死去と時を同じくして上映中の映画『教皇選挙』(原題:Conclave)の存在だ。2025年3月20日から日本で公開中のこのサスペンス・ミステリーは、教皇の死去後のコンクラーベを舞台に、枢機卿たちの権力闘争やスキャンダル、秘密主義を描く。監督エドワード・ベルガーの緻密な演出と、レイフ・ファインズやスタンリー・トゥッチの迫真の演技が、アカデミー賞脚色賞を受賞するなど高い評価を受けている。映画は、システィーナ礼拝堂での極秘投票を通じて、聖職者の人間性—欲望、裏取引、改革と伝統の対立—を赤裸々に暴き出す。フランシスコ教皇の死去と現実のコンクラーベ開始が映画の公開とあまりに重なりすぎた。
映画が興味深いのは、教皇の死因の複雑さとバチカンの不透明さを間接的に映し出す点だ。『教皇選挙』では、コンクラーベの密室で「真実は隠される」ことが強調され、聖職者の人間的な動機や教会の家父長制が露呈する。これは、現実の教皇の死因をめぐる情報の限界(脳卒中の種類や治療の詳細が非公開であること)と期せずして共鳴してしまう。映画のラストでは、教会の伝統的価値観に対して改革の可能性が示唆されるが、これはフランシスコ教皇のLGBTQ包摂や環境問題への進歩的姿勢とも通じるだろう。
確認したいのは、この映画が陰謀論を煽るわけではないことだ。教皇の死因も、複雑ではあるが医学と状況の枠内で理解できる。バチカンの情報管理や医療体制の限界は、陰謀ではなく構造的な問題に起因するものだ。仮に陰謀論が浮上するなら、その背景には、教皇の改革が保守派との対立を生んだ事実があるかもしれない。LGBTQへの寛容や気候変動対策は、教会内外で議論を呼んだ。繰り返すが、もちろん、死因がこうした政治的軋轢と結びつく証拠は皆無である。
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