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2025.04.16

キリスト教歴にせよ、とか

 日本の歴史学や学校教育では「西暦」が使われるといっていいだろうが、これは、ADかCEか。西洋史学会ではCEも使われるらしい。なんの話かというと、トランプ政権は「Anno Domini(AD)」を復活させ、「Common Era(CE)」を「wokeな注釈」しろと、FOXニュースのコラムニスト、デビッド・マーカスが奇妙な提案をぶち上げていたのを見かけた(参照)。執行命令で連邦政府やその資金を受けた出版物に「AD」を強制しろというのである。もちろん、馬鹿げている。
 「CE」がキリスト教の影響を薄める意図を持つなら、議論の余地はあるかもしれない。だが、この提案の馬鹿げている点はそこではない。「CE」も「AD」も結局、同じ時間軸にあり、キリストの生誕を基準にした年号を指している点だ。呼び名を変えたところで何の実質的な変化もない。こんなレトリックで騒ぎ立てるのは、時間の無駄以外の何物でもないだろう。さすがにトランプ大統領がこんな話に乗るとは思えないが、文化戦争を煽りたい向きには格好のネタかもしれない。

「AD」と「CE」、歴史学と日本の視点

 歴史学の世界では、「AD」(主の年に)と「BC」(キリスト以前)が長らく標準だった。キリストの生誕を紀元0年とし、そこから前後に年数を数える方式だ。しかし近年、「CE」(共通紀元)と「BCE」(共通紀元以前)が学術界から欧米の社会で浸透してきた。その理由は宗教的中立性にある。キリスト教以外の信仰を持つ人々への配慮から、「主の年」という表現を避けようという流れである。とはいえ、基準点は同じキリストの生誕(厳密にはその伝承)だから、実際にはちょっとした表記の違いに過ぎない。
 日本はどうか。学会とかでは「紀元前500年」と呼ぶが、一般社会では、「西暦2025年」であり、「西暦」で「AD」も「CE」も区別せず一括りになっている。元号「令和」と並行して使い、実用的に割り切っているのが日本文化である。マーカス氏の言う「キリスト教の抹消」なんて、そもそも日本の感覚ではピンとこない話なのだ。名前を巡る論争自体が、西洋特有のイデオロギー遊びにしか映らない。実質が変わらないのに、なぜそんなにこだわるのか。

月名と曜日の神話

 とはいえ、マーカス氏の寄稿を読むと、こう皮肉っていた。「Marchが戦争の神マルスに由来していても、誰も変えようとしない」と。確かに、西洋の月名はローマ神話に彩られている。Januaryは「門」と「始まり」の神ヤヌス(June)にちなんだものだし、家庭の女神ユノにも。そもそも、曜日の名称も神話的だ。Tuesdayは北欧の戦争神ティール、Thursdayは雷神トールだ。
 日本は対照的だ。月名は「1月」「2月」とシンプルな数字だが、曜日となると「火曜日」「木曜日」と中華由来の陰陽五行思想がベースだ。そういう中国の現在というと、もっと徹底的で、「一月」「星期一」と全て数字で統一している。合理的ではあるが、ものごと合理的になるものじゃないこともあり、「星期日」(日曜日)だけは「太陽」を意味し、例外的に神話の香りが残っている。
 マーカス氏の理屈を押し進めれば、「AD」にこだわるなら、月名や曜日もキリスト教色ゼロにすべきなのだろう。だが、そんな馬鹿騒ぎを始める人はいない。伝統が日常に溶け込むと、もはや誰も気にしなくなる。西洋の神話的命名も、東アジアの実用性も、結局は慣習として受け入れられているに過ぎない。

フランス革命の笑いもの

 日付や曜日の名前には伝統がしみついているが、ようするに、それでいいじゃないか程度のものだ。歴史を振り返ると、伝統を無理に変えた例は笑いものである。その代表がフランス革命暦だ。1793年、革命派はキリスト教の影響を排除しようと、7日制を捨て、10日周期の「旬」を導入した。Primidi(1日目)、Duodi(2日目)と数字で呼び、休息日は10日目のDécadiだけ。月名も「霜月」「花月」と自然を反映した名前に変え、「AD」を「共和暦」に置き換えた。かくして理性と啓蒙の名の下にやったことだが、結果は悲惨だった。10日に1回の休息では労働者が疲弊し、国際的な暦とのズレで混乱が起きた。結局、ナポレオンが1806年に廃止し、12年で終わりを迎えた。というかこんなの12年間もやっていたのか。
 伝統を壊すのは簡単だが、伝統の持つ実用性がなければただの空騒ぎに終わる。マーカス氏の「AD」復活案も、実現したところで同じ道を辿るだけかナンセンスな差だろう。歴史は、無理な改変が長続きしないことを教えてくれる。

深夜0時の意外な歴史

 結局、「AD vs CE」も革命暦も、どうでもいいことに過ぎない。名前をいじるのは関心を逸らし、社会の分断を煽るだけだ。だが、どうでもいい話から意外な発見もある。一日の始まりが「深夜0時」になった理由についてだ。
 古代では、日没が一日の境目だった。ユダヤ教では今も金曜日の日没から安息日が始まる。中世のキリスト教会では、深夜の祈りが起点となり、天文学者は正午を基準にした。
 だが、19世紀に鉄道網が広がると事情が変わる。各地の時差で時刻表が乱れ、イギリスは1847年にグリニッジ標準時を導入した。一日の始まりは「0時」に統一され、1884年の国際子午線会議で世界標準となった。鉄道という新しい実用性が伝統を塗り替えた瞬間である。伝統も生活様式に合わなければ変化するものだ。

 

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