台湾の半導体が映す米中の矛盾と日本の選択
半導体産業において、1980年代から1990年代初頭に世界を席巻した日本を追い抜き、2010年代後半以降は、台湾がその中心に君臨している事実は、改めて振り返るまでもなく注目に値する。人口わずか2300万人の島国が、最先端技術の鍵を握り、しかもそれが国家安全保障の焦点となっている現実は驚異的であるといってもいい。そして、その背後には複雑な国際情勢も絡み合っている。米国は台湾を地政学的な同盟国として支持する立場を示しながらも、トランプ政権以降、関税によって経済的な圧力を加えており、一方、台湾と米国がともに対立する中国は、半導体をめぐる最先端技術においてジレンマに苛まれ、危険な均衡を生み出しつつある。この状況は、単なる技術競争を超え、各国の戦略と未来を映し出す鏡でもある。
台湾の半導体が世界を動かす
台湾が半導体産業で世界の中心に立つようになった理由は、台湾積体電路製造股份有限公司(TSMC: Taiwan Semiconductor Manufacturing Company)の圧倒的な技術力と市場支配力にある。TSMCは世界最大の半導体ファウンドリ企業であり、2025年現在、3ナノメートル(nm)のプロセスを量産し、2nmプロセスの試作段階に入っているが、この技術は、スマートフォン、コンピュータ、自動車、さらには人工知能(AI)や軍事装備に至るまで、現代社会のあらゆる分野を支える基盤である。NVIDIAの最新GPU、AppleのiPhoneやMacに搭載されるMシリーズチップ、AMDの高性能プロセッサなどがTSMCの工場で製造されている。市場調査会社によると、TSMCは世界のファウンドリ市場で約60%のシェアを占め、特に5nm以下の先端チップでは90%以上のシェアを誇っている。この数字は、台湾が単なる技術大国を超え、世界経済の生命線を握る存在であることを示している。
この台湾への半導体依存の構造は、グローバル経済に大きな影響を及ぼす。例えば、2021年の半導体不足では、自動車メーカーが生産を停止し、世界中で納車遅延が発生した。仮に、TSMCが自然災害や政治的混乱で停止すれば、その影響はさらに深刻となる。スマートフォンやクラウドサーバーが動かなくなり、軍事衛星やミサイルの製造も滞る可能性がある。台湾政府や専門家の間では、この状況が「シリコンシールド」と呼ばれる概念を生んでいる。つまり、TSMCの技術力と生産能力は、台湾を軍事的脅威から守る盾として機能しているのである。この盾は、経済的価値だけでなく、地政学的な安定を支える要素でもあり、台湾の半導体産業が世界に与える影響は、技術の進歩を超えた次元で理解する必要がある。
アメリカの矛盾する姿勢
こうした台湾を米国は地政学的な同盟国と位置づけ、その安全保障を支える姿勢を明確に示してきた。発端は、1979年の台湾関係法に基づき、武器供与や軍事演習を通じて台湾を支援することで、以降中国への牽制を続けている。2024年には、最新の防空システムや無人機の提供が決定され、米台間の軍事協力はさらに強化された。しかし、2025年4月3日にトランプ政権が発表した新たな関税政策は、この関係に複雑な影を落とすことになった。台湾からの輸入品に32%の関税を課すというこの政策は、表向きは貿易不均衡の是正や国内産業保護を目的とするが、その裏には半導体産業への明確な圧力も潜んでいると見られる。
ここでの米国の意図は二重構造を持つ。第一に、短期的にはTSMCの安定稼働を必要としている。米国の主要テクノロジー企業であるApple、NVIDIA、Qualcommなどは、TSMC製の先端チップなしでは製品を製造できない。この依存は、米国の経済と軍事技術の基盤を支える一方で、国家安全保障上の脆弱性でもある。しかし、第二には、中長期的にこの依存を解消し、半導体製造を国内に移す戦略を進めていると見られる。2020年に始まったアリゾナ州へのTSMC工場誘致はその象徴であり、米政府は数十億ドルの補助金と税制優遇を提供している。さらに、2022年に成立したCHIPS法(半導体支援法)では、520億ドルの予算が国内製造強化に投じられた。
当然ながらトランプ関税という政策はこの戦略と矛盾する側面を持つ。台湾経済は輸出に依存しており、米国は主要な貿易相手国である。高関税はTSMCの収益を圧迫し、台湾の経済的安定を揺るがす。台湾政府はこれを「不合理」と批判し、米国との協議を求めているが、解決の糸口は見えない。この「支持すべき対象なのに不支持の対象ともする」という矛盾姿勢は、「アメリカ第一主義」と安全保障戦略の間で揺れる現状を反映している。台湾にとっては、信頼すべきパートナーの行動が予測困難となり、戦略的な不安定さを抱える状況である。
中国が抱えるジレンマと危険性
中国にとって、台湾のTSMCの存在は技術的屈辱であり、戦略的な脅威でもある。中国最大のファウンドリ企業であるSMIC(中芯国際)は、2025年時点で7nmプロセスの試作に成功したものの、歩留まり(生産効率)が低く、量産には程遠い。TSMCの3nmや2nmに比べると、技術的に2〜3世代遅れているとされる。さらに、米国の輸出規制により、オランダのASMLが製造するEUV(極端紫外線)リソグラフィ装置が入手できない。これがなければ、5nm以下の先端チップ製造は物理的に不可能である。市場分析によれば、中国がTSMCの技術水準に追いつくには、少なくとも5〜10年が必要とされる。
この技術的劣勢が、中国に深刻なジレンマをもたらす。半導体はAI、5G通信、軍事装備などあらゆる分野の基盤であり、台湾への依存は中国の威信を毀損する。2010年代には、华为技术有限公司(Huawei)のKirinチップがTSMCで製造されていたが、2020年の米国制裁で供給が途絶え、そのスマホ事業は壊滅的な打撃を受けた。中国は国家戦略「中国製造2025」を掲げ、兆円単位の資金を投じて半導体自給を目指すが、装置、素材、設計ソフトの多くを欧米や日本に依存する構造は変わらない。この状況は、中国指導部の焦りを増幅させている。
このジレンマが危険なのは、中国に限定的な行動に出るインセンティブを高める点にある。全面戦争は経済的・軍事的リスクが大きすぎるが、台湾の港湾を一時封鎖したり、サイバー攻撃でインフラを麻痺させたりする「ハイブリッド戦」は現実的な選択肢となる。2023年に台湾の電力網が不審なサイバー攻撃を受けた事件は、中国の関与が疑われているが、こうした行動は、経済的圧力を通じて台湾に譲歩を迫り、技術的優位を間接的に得る手段となり得るからだ。中国の行動は、技術的欲求と地政学的野望が交錯する危険な綱渡りであり、この均衡が崩れれば、世界の半導体供給に即座に影響が及ぶ。
日本の立ち位置
日本は半導体産業でかつての輝きを失ったが、完全に競争の場から退いたわけではない。確かに、1980年代には、東芝、NEC、日立が世界市場を席巻したが、意思決定の遅れや投資不足により、先端ロジックチップの量産能力を失ったが、2025年現在、日本の強みは製造装置と素材にまだある。東京エレクトロンは露光装置で世界2位、信越化学はシリコンウェハで首位を維持する。それでも、TSMCのような先端チップ製造は皆無であり、産業としての主役の座は遠い。
この状況下で、日本はそれなりに再起しようとはしている。熊本県でのTSMC工場建設は、ソニーとデンソーが出資し、2024年に着工し、主に自動車向けチップを生産し、2027年の稼働を目指す。また、ラピダスは元東芝やソニーの技術者を集め、2nmチップの試作を2027年に予定している。政府はこれらに7000億円以上の支援を投入し、半導体産業の復活を後押しはしているが、成功は不透明であり、過去の歴史を紐解けば悲観的な予想しか立たない。そもそも、TSMCの年間投資額は1兆〜2兆円に及び、日本の予算規模は桁違いに見劣りする。
日本と台湾との関係は、日本の安全保障と産業復活の両面でも重要である。米中の矛盾と中国の危険なジレンマが交錯する中、日本は単なる観客ではないはずだ。TSMCとの協力は、技術的キャッチアップの機会を提供する一方、中国への牽制にも寄与すべきではあるだろう。地政学的には、台湾海峡の安定は日本のシーレーンと直結し、経済的にも半導体供給の安定が不可欠であるはずだ。日本が半導体産業で再び競争力を取り戻すことができないにせよ、その周辺域には持続的な投資が求められる、はず、である。
【追記】
国際状況の変化は早い。本記事を執筆したのは、4月5日の時点であったが、翼日の6日、台湾は米国の「相互関税」(台湾へは32%)に対して、台湾からの報復関税を課す計画はないと発表した。本記事の流れから考えれば、そもそも台湾への重関税は戦略的に矛盾しており、妥協ないし撤回の局面にもっていく必要があり、その前段としては、台湾からのこうした恭順の演出が必要であった。その意味では、予想通りの展開ではあるが、この際、台湾が、同じく報復関税をしない(できない)日本に対する配慮がなかった点も興味深い。日本に多少なりとも頭の回る首相がいたら、この報復関税はしないというムーブは日本が先にすべきであっただろうか。結果は同じなのだから。しかし、日本のこの躊躇には微妙に中国への配慮もあるだろう。
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