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2025.04.26

「勝利の口述」ロシアの歴史に恋する祭典

 2024年2月だった。元FOXニュースの記者タッカー・カールソンがモスクワでロシアのウラジーミル・プーチン大統領と対談した。西側メディアとしては異例のインタビューだったが、始まるや、期待していた鋭い議論はどこへやらだ。プーチンはカメラを前に、まるで大学の講堂にいるかのように、キエフ・ルーシ時代から始まるロシアの歴史を延々と語り始めた。30分以上、ウクライナの「ロシア性」や中世の地政学について熱弁する姿に、カールソンは困惑気味だったが、視聴者も「なんだこれ?」と思ったことだろう。私も首をかしげたが、ふと気づいた。ああ、これこそロシアだ。「勝利の口述」(Диктант Победы)だ。
 ロシアの文化には、歴史を物語として愛し、誇り高く語り継ぐ不思議な魅力がある。トルストイの『戦争と平和』を思い出すまでもない。「勝利の口述」は、そのロシアの歴史愛の情熱が結晶化したイベントである。第二次世界大戦(ロシアでは「大祖国戦争」、1941~1945年)の勝利を祝い、歴史知識を競う全国規模のクイズ・テストでもある。2019年の初開催以来、毎年4月下旬に開催され、2025年4月25日の今年の大会は、80カ国以上、3万以上の会場で、数百万人が参加する壮大な祭典となった。

「勝利の口述」とは何か

 「勝利の口述」は、すでにふれたように、第二次世界大戦の歴史をテーマにした知識テストイベントである。参加者は、戦闘、英雄、記念碑、戦時中の文学や映画に関する25問(20問全国共通、5問地域別)に、45分以内に答える。オンラインや専用アプリ、または対面(学校、博物館、文化センター)で実施され、10歳の小学生から90歳の退役軍人まで、幅広い層が参加する。主催は「統一ロシア」党、ロシア歴史協会、ロシア軍事歴史協会で、教育省や「勝利のボランティア」運動が協力。中央会場はモスクワの勝利博物館だが、国際宇宙ステーション(ISS)、北極の極地ステーション、アルハンゲリスク国際空港など、常識を超えた場所でも開催される。
 このイベントは、歴史教育の枠を超え、ロシアの国民的アイデンティティを体現する。参加者は、ソビエト連邦がナチス・ドイツを打ち破った1945年の勝利を振り返り、祖先の犠牲に敬意を表すのである。オンラインでは数日間アクセス可能で、対面会場では複数のセッションが設けられる。成績優秀者には証明書や、モスクワの5月9日戦勝パレードへの招待など、誇らしい特典が与えられる。

2025年の大会:世界を巻き込む歴史の熱狂

 2025年の「勝利の口述」は、戦勝80周年を記念する特別な年だった。公式発表によると、80カ国以上、3万以上の会場で実施され、オンライン参加は過去最大規模に達した。モスクワのポクロンナヤ丘の勝利博物館を中央会場に、ヴォルゴグラードのプラネタリウム、トゥーラのスヴォーロフ軍事学校、沿海地方の海洋保護区など、風変わりな会場が全国に広がった。海外では、ベラルーシやカザフスタンといった旧ソビエト圏に加え、ルクセンブルク、シンガポール、エチオピア、ニカラグアなど、新たな国々が参加。ロシアの歴史への関心が、地球の隅々にまで届いている。
 今年のテストは、1945年の勝利を軸に、レニングラード包囲の完全解放(1944年)、クリミアやベラルーシの解放(1944年)、戦場の作家(アレクサンドル・ファデーエフやコンスタンチン・シモノフ)の記念年に焦点を当てた。オンラインでは、モスクワ時間4月25日9時(日本時間15時)からテストが公開され、数日間アクセス可能だった。参加者はロシア語または英語で挑戦し、地域別問題では開催地の歴史が反映された。日本の参加者増えれば、日ソ中立条約(1941年)や満州侵攻(1945年)に関する質問が出題されるようになるかもしれない。

2025年の問題:ノヴォロシースクの戦いを振り返る

 今年のテストから、注目の問題を一つ紹介しよう。以下の課題は、歴史の細部へのこだわりと、ロシアの物語性を象徴する。

課題: 現代の歴史家V. スミルノフの本からの抜粋を読み、記述された出来事が起こった年を特定せよ。

抜粋: 「ソビエト軍は8月25日の頑強な戦闘で敵の進攻を阻止し、ノヴォロシースクを即座に占領しようとする敵の計画を頓挫させた。敵はトゥアプセ方面から増援を投入し、8月29日に進攻を再開、大きな損失を払ってアナパ地区の黒海沿岸に到達し、タマン半島を守る海軍歩兵部隊を主力から孤立させた。9月7日、敵はノヴォロシースクに突破し、市内で戦闘を開始した。激しい戦闘の末、ソビエト軍は9月11日に市の南東部で敵を阻止した。戦闘は9月26日まで続き、敵はトゥアプセに至る沿海公路を突破できず、防御に転じた。黒海沿岸を通じたカフカスへのドイツ・ファシスト軍の進攻計画は失敗に終わった。」

どう? 四択問題で、1941、1942、1943、1944。どーれだ?

 この問題は、ノヴォロシースクの戦いを扱う。黒海沿岸の戦略的要衝であるノヴォロシースクは、ドイツ軍の「青作戦」(カフカス石油資源の確保を狙った攻勢)の重要目標だった。抜粋は、その戦闘を描写し、ソビエト軍の防衛がドイツ軍の計画を打ち砕いた瞬間を強調する。参加者は、戦闘の月日や地理的詳細から年号を推測する必要がある。1943年のノヴォロシースク解放戦と混同しやすい。
 この問題に挑戦すると、おわかりだろう、うんざりするような細かさに圧倒される。8月25日、9月7日、9月26日。なぜこんな具体的な日付を覚える必要があるのか。だが、これこそロシアの歴史文化の真髄だ。ロシア人にとって、ノヴォロシースクの戦いは、スターリングラードやレニングラードと並ぶ英雄譚の一部。細部に宿る物語を愛し、語り継ぐことで、歴史は生き続ける。このうんざりするほどのこだわりが、「勝利の口述」の独特な魅力を生むのだ。こういうジョークがある。二時間ものの映画を見たロシア人に「どんな話だった?」と聞いたら、二時間かけて答えてくれた。

過去の出題例:歴史の物語を紡ぐ

 「勝利の口述」の問題は、単なる暗記を超え、歴史を物語として感じさせる。公式サイトの「トレーニングテスト」や非公式サイト(dictant.site)で過去問が公開されており、準備にも役立つ。以下に、過去の代表的な問題を紹介する。

  • 2021年(オンライン版)
    • 質問:ソビエト連邦元帥V.D.ソコロフスキーの回顧録『我々の勝利はこうして築かれた』から抜粋を読み、欠落している都市名を特定せよ。
    • 正答:スターリングラード
    • 解説:スターリングラード戦(1942~1943年)は戦争の転換点。回顧録の文脈から歴史を推測する力が試される。
  • 2023年(地域問題)
    • 質問:1960年にオデッサに建てられた記念複合施設は、偉大な祖国戦争の防衛者と解放者を称える。その名称は何か。
    • 正答:未知の水兵記念碑
    • 解説:オデッサの歴史と記念碑文化を問う。写真付き問題もあり、視覚的知識が必要。
  • 2024年(全国共通)
    • 質問:1943年の出来事を時系列に並べなさい:a) パウルス元帥の捕獲、b) レニングラード包囲の突破、c) テヘラン会議、d) クツゾフ作戦によるオレルの解放。
    • 正答:b(1943年1月)、a(1943年2月)、d(1943年8月)、c(1943年11月)
    • 解説:戦争の年表を把握する問題。歴史の大きな流れを俯瞰する力が求められる。
  • 2021年(文学関連)
    • 質問:ワシーリー・グロスマンの小説『人生と運命』から抜粋を読み、欠落している都市名を特定せよ。「炎に包まれた都市の街区で、新たな…」
    • 正答:スターリングラード
    • 解説:文学と歴史の融合。グロスマンの作品は戦争の人間性を描き、文化的知識を要求する。

 これらの問題は、戦闘の事実だけでなく、文学、映画、記念碑を通じて歴史を多角的に捉える。2025年のノヴォロシースク問題も、史料の読解力を試し、戦闘の細部(8月25日の防衛、9月7日の突破)にこだわる点で一貫している。

タッカー・カールソンとロシアの歴史観

 タッカー・カールソンの対談に戻ろう。プーチンがキエフ・ルーシから現代までを語り尽くした姿は、まるで「勝利の口述」の簡易版だったのだ。ロシアでは、歴史は単なる事実の羅列ではない。中世のスラブ民族の統一、モンゴルの支配、帝政ロシアの拡大、そして1945年の大勝利。これらは、現代ロシアの使命を正当化する壮大な物語の一部だ。カールソンが困惑したように、部外者にはこの執拗な歴史語りが過剰に映る。だが、「勝利の口述」に参加する数百万人のロシア人にとって、歴史は生きる力なのだ。
 ロシアの歴史教育は、かくして物語として語られる。ゾーヤ・コスモデミャンスカヤ(18歳で処刑されたパルチザン)の勇気、戦時中の映画『二人の戦士』の歌、シモノフの詩「君を待つ」は、教科書を超えて国民の心に響く。「勝利の口述」の問題は、こうした物語性を引き出し、参加者に歴史を「感じる」ことを求める。ノヴォロシースクの問題は、単なる年号(1942年)を問うだけでなく、ソビエト兵の抵抗と黒海の風を想像させる。国際的な広がりも、ロシアの不思議さだ。エチオピアやニカラグアで、なぜロシアの戦勝イベントに参加するのか? ロシアは、自国の歴史を普遍的な物語として世界に提示する。旧ソビエト圏では懐かしさ、欧米では好奇心、アフリカやアジアでは学びの機会として、イベントは多様な意味を持つ。タッカー・カールソンに歴史を語ったプーチンの情熱は、国境を越える力を持っている、のか?



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